今週の読書は桜木紫乃『ホテルローヤル』ほか
今週の読書は、ようやく図書館の予約が回って来た桜木紫乃の直木賞受賞作『ホテルローヤル』ほか、以下の通りです。
まず、唐鎌大輔『欧州リスク』(東洋経済) です。一応、経済書なんだろうと思います。タイトル通り、ユーロ圏諸国が日本化し、すなわち、ユーロが円化し、その基本は欧州中央銀行(ECB)が日銀化する、という見方です。要素としてはp.18に7項目上げられており、(1)不況下の通貨高、(2)貸出鈍化、(3)民間部門の貯蓄超過、(4)経常黒字蓄積、(5)金融政策の通貨政策化、(6)人口減少、(7)上がらない物価、ということになりますが、もう少し系統立てて考えた方がいいように思います。私から見て、かなりいいセン行っているんですが、マーケット・エコノミストの著者らしく、というか、なんというか、やや表面的な見方に引きずられているような気もします。p.58にあるように、「物価が上がらないのはマネーサプライが増えないからであり、マネーサプライが増えないのは貸出が増えないからである」の前段は正しいんですが、後段は間違っています。中央銀行はマネーサプライを管理しなければなりません。なぜなら、中央銀行は物価を政策目標にしているからです。現在の黒田総裁より前の日銀理論よろしく、ただ漫然と民間経済活動を accomodate するだけであれば、経済政策当局という組織はまったく必要ありません。国民生活を豊かにするために経済政策当局は活動しているわけですから、その存在意義を示すべきだと私は考えています。この本も、やや旧来の日銀理論のような傾きを持って欧州経済を解釈しようとしていますが、その分を割り引いて、欧州の現状の問題点を把握するためには有益な本だと思います。でも、ユーロ圏欧州がこの本の意味で日本化し、ユーロが円化するとすれば、その根本的な原因は欧州中央銀行(ECB)の日銀化であると考えるべきです。
次に、西村吉雄『電子立国は、なぜ凋落したか』(日経BP社) です。著者は技術ジャーナリストです。私は韓国のサムスンと日本のシャープの違いは半分くらいは為替レートで説明できると考えていましたが、この本で問題設定されているように、トヨタとシャープの違いは為替ではない、という指摘には目から鱗が落ちた気がします。本書でも我が国電子工業の凋落が始まったのが1985年というプラザ合意により為替が大きく円高に傾いた時点であるという点は明確に把握されています。本書では、p.16で(1)過去との比較、(2)世界の他地域との比較、(3)他産業との比較、を問いとして設定し、為替に加えて、日本語処理や独自規格による1990年台からの「鎖国」状態に基づく電子産業の内需依存体質の強化や設計部門(ファブレス)と製造部門(ファウンドリ)に分かれる分業の拒否、ないし、垂直統合への固執などに求めています。さらに、電子産業の特性として、4つの圧力、すなわち、ムーアの法則に基づく価格低下圧力、プログラム内蔵化に基づくソフトウェア圧力、デジタル化圧力、インターネットによる分業化の進展によるネット圧力を上げ、自動車産業にはない衰退化要因を考慮しています。また、電子産業に限らないんでしょうが、イノベーションや技術開発に関する政府の関わりなども秀逸です。知っている人はすでに知っている論点なのかもしれませんが、私のような専門外の人間にとってはとても勉強になりました。
次に、ジェレミー・スケイヒル『ブラックウォーター』(作品社) です。タイトルの「ブラックウォーター」というのは、企業名であり、軍事のアウトソース先の民間企業名です。今では企業名が変更されて Xe Services ゼー・サービシズとなっています。米国海軍特殊部隊 SEALs を退役したエリック・プリンスにより、キリスト教右派の精神に基づいて設立されています。著者はリベラルなジャーナリストです。ナオミ・クラインからの引用や、ノーベル賞学者のクルーグマン教授からの引用すらあります。ですから、当然ながら、ブラックウォーターについては批判的な視点から捉えられています。かつての軍事産業といえば、ジェネラル・ダイナミックスや三菱重工やといったいわゆるハードウェア、すなわち、重火器や戦闘機や戦車や軍艦やを作る産業であり、「死の商人」とはこれらのハードウェアを紛争当事者に売りつけるビジネスだったわけですが、ブッシュ前米国大統領の下で副大統領職にあったチェイニー氏がCEOを務めていたハリバートンあたりが政府から軍事ソフトウェアのアウトソーシングを受けるようになり、海外に展開する米国軍のケータリングサービスの提供、兵舎の建設、兵站の輸送などを行うビジネス展開を始めましたが、ブラックウォーターはもろに軍事行動、というか、要人警護も含めて軍事行動そのもののアウトソーシングを受けるようになっています。専門外のエコノミストの私から見ればびっくりで、本書でもp.244に「アダム・スミスが自由市場について書いたあらゆることに反している」と指摘されていたりします。政治や外交の延長線上にある軍事行動を民間企業が担うことの是非、もちろん、シビリアン・コントロールのあり方も含めて、どこまでが許容されるかについて本書は批判的に問うています。米国のジャーナリストのドキュメンタリーらしく、公開資料にインタビューを加え、これでもかこれでもかというぐらいに圧倒的な事実を積み上げています。読み応えはありますが、私のような専門外のエコノミストにとって、読みこなすのは少し荷が重い気がしないでもありません。日本ではカジノについて経済活性化の起爆剤的に議論されていて、私は大反対なんですが、経済成長のためとはいえ、何をビジネスの対象としていいか悪いかについて大いに考えさせられる1冊です。
次に、桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社) です。ようやく図書館の予約が回って来ました。ご存じ直木賞受賞作です。釧路近郊にあるという設定のラブホテル、ホテルローヤルにまつわる男女の関係を描いた短編7篇を編んでいます。ただし、5番目の『せんせぇ』だけは道南を舞台としていて、札幌までは足を延ばしますが、道東のホテルローヤルは登場しなかったように記憶しています。ヌード写真の撮影、斜陽の街にある寂れた寺の大黒の援助交際、あるいは、売春行為、ラブホテルにいわゆる「大人のおもちゃ」を販売する営業マンとラブホの女性マネージャー、高校の教師の妻の長期に渡る不倫などなどを取り上げており、正直なところ、少し私の期待が大き過ぎたような気がします。女性の目線からは面白いのかもしれません。DVものはありません。私が物足りないと感じたのは、おそらく、私の読解力というか、感情移入が不足していたためではないかと受け止めています。人によっては大きな感動を得られる作品かもしれません。私との相性は決してよくなかったことは認めざるを得ません。この作家の作品はもう少し時間を空けてから、違った傾向の小説を読みたいと考えています。図書館の予約を長らく待ったにしては、極めて残念な感想でした。
最後に、乾緑郎『機巧のイヴ』(新潮社) です。これも連作短編集で、「機巧」ないし「機巧人形」には「オートマタ」なるルビが振られていますが、要するにアンドロイド、というか、人工生命体、ないし、ロボットのことです。この作者の作品は、本としては、私は『完全なる首長竜の日』しか読んだことがないんですが、この作品のタイトル作である最初の短編「機巧のイヴ」は2012年度のあらゆるミステリ短篇集に掲載された話題作でしたので、少なくとも2-3度は読んだと思います。ですから、この作者が時代小説も一流だということは知っていました。人間と機巧、というか、ホンモノとニセモノ、正常と異常がどちらがどちらかが分からなくなるというミステリは昔からあり、私が読んだ中でもデニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』なんかが最近では典型的な作品ではないかと思います。また、最初に「ロボット」と書きましたが、相撲取りの手を機巧で再生する短編もあり、サイボーグといえるかもしれませんが、この機巧部分が独自の魂を持つ、というのは、少なくとも手については「ハリー・ポッター」のワームテールを思い出す人がいるかもしれません。また、機巧が古代の文明に由来するというのはガンダムを連想させます。ということで、いろんな典故を引合いに出せる作品ですが、幕府から朝廷まで展開する天下国家についての、いわゆる「大きな物語」ですし、極めて巧みにストーリーを展開し、構成も精緻に仕上げています。私との相性からすれば、とてもオススメですが、相性の悪い人もいそうな気がします。
今週末は、黒川博行の直木賞受賞作『破門』を借りることが出来ました。私はこの作家の「疫病神」のシリーズは前の4作目まではすべて読んでいると思います。それなりに楽しみでもありますが、私自身はヤクザ小説はやや苦手であることも事実です。さて、来週の読書やいかに?
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