今週の読書はアマトーリ/コリー『ビジネス・ヒストリー』ほか
今週の読書は、2011年の世界的なベストセラーである『ビジネス・ヒストリー』の邦訳本ほか、小説も文庫本もいっぱいあって、以下の通りです。
まず、F.アマトーリ/A.コリー『ビジネス・ヒストリー』(ミネルヴァ書房) です。私の記憶が正しければ、2011年に出版されて世界中でベストセラーになった経営史の本です。著者はいずれもイタリアのボッコーニ大学の研究者で、関西大学商学部の先生方によって、ようやく邦訳が出版されたようです。本書はとても大きなタイトルなんですが、タイトル負けしていません。いわゆるポスト・チャンドラー主義に基づく正統派の経営史に仕上がっています。でも、さすがに、世界の経営史をすべて網羅することは出来ないわけでしょうから、いくつかポイントが置かれており、時期的にはいわゆる産業革命前後から始めるとともに、産業としては製造業中心であり、すべての規模の企業ではなく、大企業、すなわち、ビッグビジネスを中心に取り上げています。まず、企業経営の担い手である企業家については、「高額の報酬を得る新しいタイプの経営者」(p.31)と呼び、「官僚的な経営者は突然いなくなった」(p.31)と、トマ・ピケティなら反論しそうな経営者像を提示しています。その上で、機械制の工場が成立した第1次産業革命、鉄道を主体とする輸送網と電信を主体とする通信網が出来上がった第2次産業革命、そして、インターネットによる通信、飛行機による高速輸送、原子力の利用やバイオテクノロジーを用いた物理材料の展開で象徴される現在進行形の第3次産業革命のそれぞれをエポックとして経営史を跡付けています。第1次産業革命によりそれ以前の問屋制から工場が成立して、労働者をひとつの場所に集める生産様式が普及し、さらに、第2次産業革命により垂直的及び水平的な企業統合がビッグビジネスを生み出し、本書の対象外ですが、資金調達のための金融面を考えると、大陸欧州ではユニバーサル・バンキングが発達する一方で、英米では直接金融を行う投資銀行が活躍の場を見出します。そして、通信と輸送のイノベーションに伴って、ビッグビジネスのアウトソーシングが始まっています。国別の経営史概観も十分な考察がなされており、第1次産業革命をリードした英国、さらに第2次と第3次の産業革命を主導する米国に対するキャッチアップの動きが分析されています。もちろん、日本もこの中に入ります。戦後日本の経営モデルとしては、政府の産業政策、株式持合いや系列による企業の連携、独特の日本的雇用習慣で特徴付けられる労使関係、そして、金融はメインバンク制による資金調達、の4つの特徴を指摘しています(p.353)。実に適切と受け止めています。とても印象的で、私が最近読んだ経済経営書の中では出色の出来だと思います。その上で、細かな批判を2点だけ指摘すると、p.166に「ドイツ版の産業改革であった国家社会主義」なる表現が見られます。「国家社会主義」とは明らかにナチであり、日独とともに枢軸を組んだイタリアの研究者とはいえ、少し軽率な表現と考えます。それから、これは著者の責任ではないんですが、訳注の量が多いとともにセンスが悪過ぎます。「松下{現在のパナソニック}」なんて、ヤメて欲しい気がします。
次に、佐藤正午『鳩の撃退法』上下(小学館) です。ベテラン人気作家の最新刊ですが、実は、私はこの作家の作品は読んだことがありませんでした。小説の舞台は地方都市であり、作者の済む佐世保が色濃く意識されているような気がしてなりません。長崎出身の作家としては、県南出身の吉田修一の人気が高いんですが、佐世保や県北作家も少なくない土地柄なのかもしれません。長崎県に2年間住んでいたものの、そのあたりは詳しくありません。この作品は作家が小説を書くという作業を小説にしたという意味で、まあ、ありがちな手法なのかもしれませんが、なぜか偽札が反社会的な存在とともに主人公の作家にまとわりついてきて、社会の裏側のストーリーになってしまいます。もっとも、この主人公の作家が直木賞作家らしいんですが、書き始めの時点ではデリヘルのドライバーで、終わりの時点でもバーのバーテンダーですから、夜の職業を転々としているといった雰囲気を出したいのかもしれません。極めてざっくりと言えば、偽札にまつわる謎と消えた家族にまつわる謎を重層的に解き明かそう、というか、必ずしも真実を明らかにするという意味ではなく、作家が小説を練り上げていく上で整合的に解決、というか、事実を組み立てるにはどうすればいいか、に着いて作家が悩む物語です。かなり複雑な構成を用いた小説であり、読者の側でも論理性が要求されます。別の場所で出会っていれば幸せに慣れたかもしれない、という表現に対して、それなら小説家は別の場所で出会わせるべきである、というのが私の印象に残っています。この作家の作品が好きであればこの小説も読んでおくべきかもしれませんが、まあ、パスしてもよさそうな気がします。
次に、高村薫『四人組がいた。』(文藝春秋) です。基本的に、この作者はミステリ作家であり、私も何冊か読んだ記憶があります。直木賞を授賞された『マークスの山』から始まる合田雄一郎のシリーズ、すなわち、『照柿』、『レデュ・ジョーカー』、『太陽を曳く馬』、『冷血』、さらに、映画化もされた『黄金を抱いて翔べ』などです。直木賞をはじめ、いくつかミステリの賞や文学賞なども授賞されているハズです。ということで、この作者の初めてのユーモア小説と銘打たれています。市町村合併で忘れ去られたような寒村に暮し、郵便局兼集会所に集まる元村長、元助役、郵便局長、そしてキクエ小母さんの4人の老人が繰り広げるホラ話、というか、与太話の短編集です。タヌキが人間に化けて登場したり、イワナがしゃべったり、見た目が30歳も若返る泉があったり、はたまた、タヌキのアイドル・グループTNB48とか、地元特産のキャベツが行進したり、最後は地獄の閻魔さまが登場したりします。まだまだ枯れたわけでもない欲深い高齢者が、自然あふれる純朴な田舎とはほど遠い地方から、現在の日本に対してシニカルに話題を提供しています。何とも評価に困る作品です。
次に、深水黎一郎『最後のトリック』(河出文庫) です。2007年に第36回メフィスト賞を受賞し、講談社ノベルスより出版された『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』を改定して文庫に収録した作品です。私はこの作者の作品は初めて読みました。文庫収録前の作品タイトルからお分かりのように、この作品は読者が犯人というトリックです。最後までそれなりに注意深く読んで、この「読者が犯人」というトリックが成立するかどうかを私なりに判断すると非常にビミューなところなんですが、私としては成り立っている方に軍配を上げたいと思います。というのは、「殺人」という概念にいくつかのバージョン、すなわち、故殺から事故死やナントカ致死などがあるのを捨象して、あくまで人が死ぬという1点に絞って、それに対して読者がその人の死という結果に対する原因になるという意味では、読者が本を読むという行為を行う限り、このトリックが成り立っていると考えざるを得ないからです。逆から見て、このトリック以外に読者が犯人になることは私には考え付きません。ということで、ミステリの読書感想文ですから奥歯に何か挟まったような表現にならざるを得ないながら、この「読者が犯人」と言うトリックは成り立っていると私は考えています。しかし、ホントの「最後のトリック」かどうかは疑問が残ります。というのは、この作品はいわゆる倒叙ミステリなんですが、そうではなくて、殺人ないし何らかの事件という結果が先にあって、そこから時間をさかのぼって原因となる事実、しかもそれが「読者が犯人」という事実を解明するというミステリの通常の叙述が出来れば、私の考えるホントの意味での「最後のトリック」が完成すると言うべきです。そういったトリックをミステリ・ファンや私は待ち望んでいます。
最後に、松岡圭祐『万能鑑定士Qの謎解き』(角川文庫) です。この作者のこの「万能鑑定士Q」シリーズの作品については私はすべて読んでいると思います。と言うか、この「万能鑑定士Q」シリーズは「事件簿」12冊、「推理劇」4冊、「短編集」2冊に、前作の「推理譚」とこの「謎解き」のすべてに加え、姉妹シリーズに当たる「特等添乗員α」のシリーズ5冊と合わせて、おそらく私はすべて読破しており、ついでながら、「事件簿」第9話の『モナリザの瞳』が綾瀬はるかと松坂桃李の主演で昨年年央に映画化されていますが、それも見ていたりします。要するに、私はこのシリーズのファンだということです。と言う前置きはともかく、この作品では大きな舞台として緊張感あふれる日中の国際関係を選び、唐三彩の壺と仏像の帰属すべき国を鑑定しつつ、その裏では大がかりな模造複製品を製造するグループが暗躍する、というストーリーです。最後は安倍晋三総理と習近平主席による和解の場面まであったりします。
今週も何冊か図書館で借りました。でも、年度末に差しかかって仕事が忙しいのと、どうも体調がすぐれないので、少し読書のペースは落とした方がいいのかもしれないと考えないでもありません。
| 固定リンク
コメント