先週の読書はアンガス・ディートン『大脱出』ほか
先週の読書は、途上国援助について同意しかねるアンガス・ディートン『大脱出』をはじめとして、あとは小説2冊の計3冊でした。
まず、アンガス・ディートン『大脱出』(みすず書房) です。英国出身のエコノミストです。長期のデータベース作成の権威であり、私は論文作成で使ったことはありませんが、有益なデータを提供してくれています。ということで、トマ・ピケティ『21世紀の資本』もそうだったんですが、100年を超えるような長期のデータは、それだけで雄弁に経済史や国民生活の歴史を語りますし、学術論文を書く上でもとても重宝します。著者はその方面のエキスパートですから、18-19世紀くらいからの世界経済の脱出について興味深い議論を展開しています。ここでいう「脱出」esccape は経済学や経済史などでいうところの「自由」free の概念に近く、「脱出」 ≒ 「経済的な成功」 と大筋で捉えて差し支えないと私は感じています。でも、単に経済的なサクセス・ストーリーだけではなく、健康面、特に医学的というよりは公衆衛生も含めた市民の健康増進も寿命データに基づいて取り上げられています。おおむね賛同できる論調なんですが、最後の方の途上国向けの開発援助に対する著者の考えだけは、開発経済学をエコノミストとしての専門分野のひとつと考える私には受け入れられません。著者のディートン教授は『エコノミスト 南の貧困と闘う』のイースタリー教授と同じ意見であり、先進国からの開発援助は途上国の経済発展に役立っておらず、場合によっては逆効果を示しているプロジェクトもある、というものです。とても残念なことに、では途上国の「脱出」には何が必要かは本書では語られていません。おそらく、『エコノミスト 南の貧困と闘う』と同じように、インセンティブを適切に活用すれば、先進国からの開発援助なしに途上国の自律的な経済発展や自立が進む、という意見なのかもしれませんが、歴史的な事実として、それが出来ていないから開発援助も含めた多様な開発政策が実行されているという理解には至っていないようです。それに、昨年11月15日付けのエントリーで『その問題、経済学で解決できます。』を取り上げた際、「インセンティブに反応するマイクロな経済学がどこまで経済政策に有用かも疑問が残ります」と私としては極めて明確に書きましたし、『英エコノミスト誌のいまどき経済学』の p.218 では「経済関係のあらゆるバブルの中でも、経済学そのものの評判ほど華々しく弾けたものはめずらしい」との指摘がありますが、インセンティブに反応するマイクロな経済学の視点については「経済学バブル」の弾けた今となっては、もっとも疑わしい経済学のひとつと認識すべきではないんでしょうか。
次に、川村元気『億男』(マガジンハウス) です。一昨年2013年3月19日付けのエントリーで取り上げた『世界から猫が消えたなら』の著者の2作目の小説ではないかと思います。実に深遠な「お金と幸福」について取り上げています。弟の借金を背負って家庭が崩壊し、でも、宝くじで3億円当選し、お金にまつわる両極端を経験した上で、それでも、大学時代の友人である九十九や九十九の起業仲間を追って世界を駆け巡り、結局のところ、「お金と幸福」の関係については確定的な回答は得られません。当たり前なんでしょう。この小説については本屋大賞にもノミネートされましたし、映像作家としての作者自身の話題性もあって、何となく図書館で借りて読みましたが、作家として小説を読んでお付き合いするのはここまでかという気もします。私の知り合いの中には、前作よりはマシだったと評価する読書子がいますが、私は前作の方が感じよく読めた気がします。何を訴えたいのかはとてもよく理解できるのですが、何のために小説という媒体なのかは作者ご本人も理解していないような気がします。チャプリンの言葉で「人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ。」というのが紹介されており、他方、人生でコントロール出来ないのは死と恋とお金、といった趣旨の表現も作品の中にあったような気がします。でも、「お金と幸福」という大きなテーマを消化するだけの見識も筆力も作者にはなく、何となく流れて漂ってしまった小説なんではないかという気もしないでもありません。
最後に、柳広司『ラスト・ワルツ』(角川書店) です。『ジョーカー・ゲーム』から始まる昭和初期の陸軍スパイ組織D機関のシリーズ第4作です。私は全部読んでいると思います。シリーズを通じて短篇集という体裁であり、本作も短篇2篇と中編くらいの長さの作品を1編収録しています。実は、前作の『パラダイス・ロスト』に収録されていた最後の短篇で太平洋戦争が始まってしまいましたのでスパイの暗躍の場がなくなり、このシリーズはお終いかと私は思っていたんですが、ちゃんと続いているようです。本書の舞台は満州、ドイツ、日本です。相変わらず、「頭脳戦」を描き出したスパイ小説としても、スパイが取り組む不可解な事件の謎解きのミステリとしても上質の小説に仕上がっています。1週間前の1月31日に映画「ジョーカー・ゲーム」が封切られており、私はすでに前売り券を入手しているんですが、この小説のシリーズと少し趣向の異なるドンパチの007シリーズのようなスペクタクル巨編、機密文書「ブラックノート」をめぐるアクション映画に仕上がっているというウワサも聞きます。でも、好きな小説シリーズを原作にしていますし、女スパイを演じる深田恭子も気にかかるので、そのうちに見に行こうと考えています。
| 固定リンク
コメント