今週の読書はグレゴリー・クラーク『格差の世界経済史』ほか、小説無しで7冊ほど!
今週の読書は、経済書を中心に小説はナシで以下の7冊です。このところ、気のせいか新書をよく読んでいる気がしています。
まず、グレゴリー・クラーク『格差の世界経済史』(日経BP社) です。数百年にわたって経済格差を姓から調べ上げ、従来から考えられているほど社会の流動性は高くないとの結論を得ています。また、スウェーデンなどの北欧諸国の社会的流動性が米国などと比べて決して高いわけではない、とも指摘しています。ただし、極めて緩慢な速度ではありますが、平均への回帰は認められています。主として、上層階級、すなわち、医師や弁護士などのリストから希少な姓をピックアップし、その出現率を人口に占めるその姓の割合と比較し、どのくらい出現率が高いかを倍率で見て格差の継承を計測しようと試みています。例えば、米国の特殊なエリート姓が全人口に占める比率がわずかに0.1%であるにもかかわらず、医師や弁護士に占める割合が2%だったとしたら、出現率は20倍、ということになります。そして、超長期の時系列で見て、この高い出現率が1に収束していくのも確認しています。例外的に見える集団、例えば、米国のプロテスタント、ユダヤ人、漂泊民などについても集団内婚姻の要因で解き明かせると指摘しています。逆から考えて、高い社会的・経済的な性向度を子供にも継承させようとすれば、同じ階層から結婚相手を選ぶのが確率が高い、とも主張しています。社会上流の世代間継承についてはかなり説得的ではありますが、逆の社会下層の継承についてはやや論証が弱い気がしないでもありません。でも、格差について、特に、格差の世代間継承について姓から跡付けるという極めて特徴的な手法を用いて、誰しもが納得できる議論を展開しています。見た目は大判で分厚くて、いかにも読むのが難しそうに見えますが、割合とスラスラと解読できます。
次に、小巻泰之『経済データと政策決定』(日本経済新聞出版社) です。著者は日本大学経済学部教授の研究者で、本書のタイトルからはにわかには分かりにくいものの、経済データの速報値から確報値などへの統計の更新と経済政策の決定について論じています。それなりに興味深く読んだんですが、私を含めて多くのエコノミストは経済指標については著者のように deterministic に受け止めるのではなく、stochastic に反応するのが普通ではないかと思いますし、その反応にしても、本書でさかんに前提されているテイラー的な、すなわち、決定論的な経済指標に対して機械的に政策変数を対応させる方法が取られるわけではありませんから、ややピント外れな気がしないでもありません。本書で「ファイナルデータ」と呼んでいる最終更新された経済指標がホントに正しい決定論的な統計なのかどうかは私は疑問ですし、測定誤差も含めて、少なくとも、何らかの確率分布を想定する方がいいと思っています。何回か本書でもエクスキューズは入れているものの、極めて少ない経済指標から単純で機械的な政策対応を決めているわけではなく、かなり包括的かつ総合的な政策判断をするような気もしますから、ますますピント外れな気がします。特に、第5章で2000年8月の速水総裁時の日銀のゼロ金利解除について、1999-2001年は不確実性の高まりではなく、統計データに起因する予測の分散の高まりであると著者は主張しており(p.195-96)、日銀の政策変更の大きな誤りを免罪している姿勢には私は強い疑問を持ちます。本書でもチラリと触れているように、米国経済の実勢を少しでも見ていれば明白な事実を日銀は見落としたとしか考えられませんし、加えて、政府からの会合出席者が議決延期請求をしているんですから、本書のように政府と中央銀行で有する情報に関して差がないと仮定すれば、その情報を解釈する能力に差があったということにもなりかねません。
次に、土屋大洋『サイバーセキュリティと国際政治』(千倉書房) です。インテリジェンスの視点から最近のサイバーセキュリティの動向を把握するとともに、その国際政治への影響についても考察を及ぼしています。しかし、サイバーセキュリティに関しては英米が中心であり、なぜか、著者や私の母国である日本は対象になっていません。やや不可解です。そして、サイバーセキュリティの観点からスオーデン事件についても然るべく分析を加えており、最大の打撃は技術的な能力の低下であると指摘しています。例えば、スノーデン事件後にはアルカイダ関係者のセキュリティ意識が高まって、Gメールの利用率が大きく低下したと言われているそうです。その程度なのかと笑ってしまいました。従来の軍事活動の領域である陸海空に加えて、宇宙とサイバー領域における軍事活動の重要性が増すことも示唆されています。p.194 から我が国の特定秘密保護法に関して論じていますが、当然ながら、著者は賛成の立場だったりします。安全保障とプライバシーについては、本書はやや前者に重きを置いているような印象を受けました。
次に、飯島勲『ひみつの教養』(プレジデント社) です。プレジデント誌に連載されている著者のエッセイを単行本化したものであり、すでに4冊目とのことですが、このシリーズの中では私は初めて本書を読みました。著者と同じような世界で活躍する多くのサラリーマンなどには仕事を進めるうえで「教養」として参考になるんではないかと思います。公務員ながら実は研究者だったりする私のような場合には、どちらかといえば、仕事の上で参考になるというよりも、私からすれば内幕を覗き見る趣向なのかもしれません。ちょっと、私のような門外漢には読書感想文を書きにくい本でした。
次に、岩波新書のシリーズ日本近世史の第4巻と第5巻である吉田伸之『都市 江戸に生きる』と藤田覚『幕末から維新へ』(岩波新書) です。なお、このシリーズの第1巻から3巻まではすでに今年5月30日付けのブログにて紹介しています。前の5月30日時点では第5巻を入れている図書館がなかったんですが、最近になって借り受けました。第4巻が『都市 江戸に生きる』と題され、明らかに第2巻の『村 百姓たちの近世』と対になっています。私は大学受験では社会は日本史と世界史を選択し、センター試験なんぞの実施される前の当時では文系受験では主流だった気もしますが、それにしても歴史は地名と人名の固有名詞が多いことを改めて実感しました。第4巻『都市 江戸に生きる』では市井の普通の人々の視座で江戸を捉え、南伝馬町、浅草寺、品川、水運と薪の視点から地名の固有名詞がいっぱい出て来ます。第5巻最終巻の『幕末から維新へ』では、17世紀末から始まる政治の経済化を幕末や維新変革の起点と捉え、諸外国からの通商の要求や天皇と幕府の折合いなどの内憂外患を取り上げ、最後の大政奉還まで、人命の固有名詞がいっぱいです。でも、興味ある分野でした。最後に、5月30日のブログと重複しますが、シリーズ日本近世史の構成は以下の通りです。
- 第1巻
- 戦国乱世から太平の世へ
- 第2巻
- 村 百姓たちの近世
- 第3巻
- 天下泰平の時代
- 第4巻
- 都市 江戸に生きる
- 第5巻
- 幕末から維新へ
最後に、山崎将志『残念なエリート』(日経プレミアシリーズ) です。この著者は本書を含めて何冊か「残念」シリーズを出しているらしいんですが、私は本書が初めてです。どうして読んだかというと、本屋で立ち読みした際に、最初の方に本書の対象者として想定される人として「以前エリートだったが、そうでなくなってしまった方」というのを見かけて、私もそういえばはるか昔に自分をエリートだと思っていたような気がしないでもないので図書館で借りてみました。日本の「おもてなし」は供給サイドの画一的なレディメードのものであり、ゲストに応じたカスタマイズが苦手、とか、ていねいに対応している電話オペレータが実は押しつけがましかったり、というのは私も賛成するポイントです。特に、後者の客対応で「xxでよろしいでしょうか」と質問するのに、「よろしくない」とリプライすると、結局、「xxでないとダメ」というふうに押し付けてくるのに辟易したことは何度かあります。面白いエッセイだったと思います。でも、この「残念」シリーズをすべて読みたいかと問われれば、そうでない気もします。
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