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2015年11月 8日 (日)

先週の読書は楽しく読めた『日本経済 黄金期前夜』ほかミステリも含めて計7冊!

昨日土曜日のブログに米国雇用統計が割り込みましたので、いつもの「今週の読書」ではなく、「先週の読書」になってしまいましたが、楽しく読めた『日本経済 黄金期前夜』ほかミステリも含めて計7冊、以下の通りです。

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まず、永濱利廣『日本経済 黄金期前夜』(東洋経済) です。タイトルだけ見ると、とても能天気な経済書に見えますが、中身もそのままだったりします。著者は第一生命経済研というシンクタンクのエコノミストです。私は官庁エコノミストですが、エコノミストには大きくわけて3種類あり、大学や研究機関で働くアカデミックなエコノミスト、シンクタンクや証券会社をはじめとする金融機関などで働くマーケットを主たる対象とするエコノミスト、そして、その中間である私のような官庁エコノミストです。著者はマーケット・エコノミストに分類されそうな気がしますが、例えば、本書のように、将来に渡ってご自分のポジションも含めたシナリオが書けて、必要に応じて営業活動にも使える、という能力を必要とします。官庁エコノミストにも似たような能力は必要なんですが、営業活動の対象は政治家だったりする場合があります。大学などのアカデミックなエコノミストは、もちろん、それなりのポジションに立つ場合も少なくありませんが、将来に渡るシナリオもさることながら、過去のデータに基づいた数量分析を基に学術論文を書いたりします。もちろん、官庁エコノミストもこういった能力は必要で、私も今年の5月には「ミンサー型賃金関数の推計とBlinder-Oaxaca分解による賃金格差の分析」という学術論文を仕上げています。もちろん、アカデミックな世界の大学教授などのエコノミストが将来シナリオに無関心であるとか、マーケットを主たる分析対象とするシンクタンクなどのエコノミストが学術論文を書かないと主張するつもりは毛頭ありませんが、主たる活動の場を誤解を恐れず大胆に特定してしまえば、こういった例示が分かりやすいんではないかと私は考えないでもありません。というわけで、本書では2014-15年の足元の日本経済が、原油価格の下落や金融緩和など、バブル経済直前の1986-87年にかなり似通っていると主張し、しかも、かつてのようにバブルに突入する可能性が低いと結論しています。もしも、とてもお忙しい向きには、決してオススメするわけではありませんが、最後の pp.196-97 の枠囲みの中の太線部分で示された日本のベストシナリオだけを読むのもひとつの手かもしれません。

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次に、中川雅之『ニッポンの貧困』(日経BP社) です。著者は日経新聞のジャーナリストで、経済誌である日経BPに出向中に取りまとめたようです。私の知る限り、新聞には政治面と経済面と社会面と文化面ほかがあり、本書のテーマである貧困問題は社会面で取り扱うような気がする一方で、経済誌は言わば経済面しかないわけですから、やや読者の興味や関心とズレを生じる可能性があるような気もします。まあ、それはともかく、貧困問題の本質はすぐれて経済ですから、経済書と考えてもよさそうに私は受け止めています。本書では最初につかみで、日本全国で貧困者数を2000万人とか、2400万人とか、近いうちに3000万人に達する可能性がある、などと、決して取るに足りないネグリジブルな問題ではないと主張しつつ、倫理や道徳の面からのみ貧困を考えるのではなく、特に、若者の貧困については必要な投資を行うことにより、社会保障財源を給付する先から税や社会保障保険料を負担する就業者になれる、と主張しています。表紙に見える副題の「必要なのは『慈善』より『投資』」にそれが現れています。まったく私も同感です。先週2015年10月31日付けの読書感想文のブログで、池上彰[編]『日本の大課題 子どもの貧困』を取り上げた際にも、児童施設の子どもを「良き納税者」に育てる重要性が指摘されていましたが、本書も同様の視点を共有しているようです。その意味で、本書第5章の「貧困投資」はペイする とのタイトルで取材された内容で、ゴールドマン・サックスが貧困に投資する一方で、「困窮支援をするのは外資ばかり」(p.185) という取材結果も示されており、賃上げに消極的で、設備投資にも腰を上げず、貧困投資も目が向かない我が国企業家のみすぼらしい姿が浮き彫りになったような気がします。経済産業省に行政指導してもらわなければ、企業は何も出来ないなんて思いたくありませんから、我が国企業家の奮起を望みたいと思います。

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次に、田中修『世界を読み解く経済思想の授業』(日本実業出版社) です。いくつかの参考文献から経済思想の歴史を紹介しています。単にそれだけの本で、原典をどこまで読んでいるかは不明なんですが、まあ、それなりに便利な本だという気はします。著者は財務省の研究所の副所長ですから、基本的には公務員なんですが、なぜか、マルクス主義まで取り上げています。また、必ずしもマルクス主義ではないものの、フランスのレギュラシオン学派についてもかなり詳しく解説しています。それにしては、リカードゥがスッポリ抜け落ちているのは理解できませんが、適当な参考文献がなかったのかもしれません。今を去ること30年余り昔、私の就活時の役所の採用面接で、大学生活では古典を読んでいるとアピールし、スミス『国富論』、リカードゥ『経済学及び課税の原理』、マルクス『資本論』、ケインズ『貨幣、利子及び雇用の一般原理』を読破したと自慢したんですが、少なくとも当時の私はマーシャルよりはリカードゥの方が経済学史の上で重要であると認識していました。第1章で主流派経済学について、第2章で異端派について、それぞれ取り上げた後で、第3章と第4章でマルクス主義やレギュラシオン学派も含めて、資本主義に対する見方を披露した後で、なぜか、第5章では日本の商人道のような道に迷い込んで江戸時代にまで言及しています。よく理解できません。それから、フランスのレギュラシオン学派については、私はボワイエの著作をパラパラと読んだだけで十分な知識はないんですが、かなりがんばればソーカル事件張りのニセ論文が書けそうな気もします。もっとも、できないかもしれませんし、私の認識が間違っているのかもしれません。

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次に、ジョセフ S. ナイ『アメリカの世紀は終わらない』(日本経済新聞出版社) です。著者は米国ハーバード大学をホームグラウンドにする安全保障の専門家であり、民主党クリントン政権下では国防次官補を務め、現在のオバマ政権下でもケリー国務長官のスタッフをしているそうです。「ソフト・パワー」なる概念の提唱者としても有名です。なお、原題は Is the American Century Over? という修辞疑問文となっていて、著者の回答は言うまでもなく NO です。ということで、私の専門外の外交や安全保障に関する米国民主党主流派からの見方が示されています。結論を先取りしているのが「日本語版序文」であり、p.5 には楽観論者の主張ほど米国が世界に影響力を持っていたことは歴史的にもなく、しかし、悲観論者の警告ほど米国の指導力が低下しているわけでも、今後低下するわけでもない、ということになります。私もそうだと思うんですが、結論としては消去法的な演繹によっているような気もします。すなわち、前週の読書感想文で取り上げたダイアン・コイル『GDP』の主張と同じであり、他に代替案がなくて経済指標としてGDPが政策目標とされているように、米国も世界に他の代替国がないため引き続き世界のスーパーパワーの役割を引き受けている、というようにも見えます。現時点で米国に最も近い存在は中国であろうと見なされているような気がするものの、単にGDPで計測した経済規模で米国に次ぐ世界2位であるというだけであり、おそらく、専門外の私から見て「おそらく」でしかないんですが、世界のスーパーパワーとして安全保障面で米国に取って代わる意図も能力も欠けているように見受けます。ただ、米国もかつてのようにユニラテラルにスーパーパワーの役割を果たせるわけではなく、同盟国の協力を必要としています。ですから、日本では集団的自衛権が大きな議論を巻き起こしていますし、韓国が中国に接近し過ぎるのを牽制して日韓の間を取り持ったりしているんではないか、と私は解釈しています。違っているかもしれません。十分な自信はありません。

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次に、東理夫『アメリカは食べる。』(作品社) です。これも米国の本だったりします。食の面から米国を考えているんですが、まあ、学術的というよりは国民生活に根ざした風俗的な面からのおはなしです。しかし、米国というのはネイティブのインディアンを別にすれば、基本的に移民で成り立っている国ですので、食文化もいろいろと入ってきていることは確かですし、本書でもイングランドや他の英国の食とともに、アイルランド、ドイツ、イタリアなどから米国に入ってきた食も大いに取り上げています。それにしてはフランスの影響が少ないような気もします。いずれにせよ、食文化はフランスも含めたラテン国にとどめを刺す、というのが著者の見方であり、私も大いに同意しています。米国の食というのはいわゆる「大味」であり、量は多いかもしれないが日本食のような繊細さに欠ける、という評価が一般的ではないかという気がします。私は日本のバブル経済末期の1989年初頭に計量モデルのワークショップに参加するため、連邦準備制度理事会(FED)に2か月ほど長期出張していたことがあるんですが、年齢的に若くて量を食べられたことから毎日のようにTボーンやポーターハウスなどのステーキを食べ続けて、かなり太った記憶があります。本書は700ページ余りの及ぶ大作なんですが、第2部はややテーマを外れた部分もあって不要とも見えますし、作家で音楽の造詣も深い著者にしては、p.228 の「チャーリー・パーカーのトランペット」なんて、ジャズファンからすれば噴飯物の間違いも散見され、さらに、米国の食を取り上げつつも肥満の問題にはほとんど触れていないなど、もう少し編集者の方で何とかならなかったのかという気はします。著者がお歳だから編集者も抑えが効かなかったんだろうとは思いますが、やや私が期待したレベルには達しない内容と言わざるを得ませんでした。

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次に、貴志祐介『エンタテインメントの作り方』(角川書店) です。人気作家によるエッセイで、「語りおろし」だそうです。聞き手が気になるところです。6章構成で、アイデア、プロットから始まって、キャラクター、文章作法、推敲、技巧と続きます。基本的に、『黒い家』、『天使の囀り』、『青の炎』、『悪の教典』、『ダーク・ゾーン』などの解説といった要素もあり、私はこの著者の作品はデビュー作の『13番めの人格 ISOLA』以外はほとんど読んでいるので、本書もとても楽しんで読むことができました。その上で、できればこういった要素もあればさらにいいんではないか、ということで、ペダンティックな要素を小説に盛り込むことについて作者の見方を知りたかった気がします。「ペダンティック」とは少し違いますが、音楽の取り上げ方も興味あります。例えば、村上春樹『1Q84』ではヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が話題になりましたし、本書でも『悪の教典』の「モリタート」を取り上げています。脱線しますが、私はソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」で十分にこの曲を聞いていたので知っていましたが、下の倅にせがまれてエラ・フィッツジェラルドがこの曲を歌っているアルバムを図書館で借りてきて2人で聞いた記憶があります。それはともかく、エンタメを読んで楽しんだ上に、何らかの付加的なお得感が得られるわけですから、ペダンティックな要素を盛り込むのも有効ではないかという気もします。でも、やり過ぎると嫌味になるかもしれません。それにしても、私は小説は書きませんが学術論文や仕事のリポートなどは大量に書いています。キャリアの国家公務員なんですから当然です。でも、小説に限らず文章を書くというのは、それなりの知的な作業であり、万人に向いているというわけではありませんから、こういった解説書や指南書のたぐいはそれなりに面白く読むことができそうです。なお、本書 p.67 で『新世界より』が引用されていて、1000年後の日本にある政府庁舎の名前が出てくるんですが、実は、私は現在そこで勤務していたりします。ちなみに、エコノミストの部隊が多い13階に私は勤務しています。『新世界より』は読んだ記憶があり、それなりに印象に残っているんですが、私の勤務している政府庁舎が登場しているとは知りませんでした。

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最後に、小説しかもミステリ小説で、有栖川有栖『鍵の掛かった男』(幻冬舎) です。作者はいわずと知れた新本格派のミステリ作家です。ミステリですから、ストーリーの最初の方だけになりますが、大阪市中之島の古き良きプチホテル「銀星ホテル」で70歳前の1人の男性が死に、警察は自殺による縊死と断定したところ、同じホテルを大阪での定宿にしている大御所女流作家の景浦浪子が自殺とは納得できないと、有栖川有栖を通じて火村准教授に私的な捜査を依頼するところから物語が始まります。ホテルで死んだ男性は5年以上に渡ってスイートルームに住み続け、ホテルの支配人をはじめとする従業員や常連客からも愛され、しかも2億円を超える預金が残されていたことから、自殺するはずがなく他殺なのではないかと景浦は直観したわけです。しかし、火村が大学の入学試験ですぐに行動できないために、まずは有栖川有栖が単独で調査を進めたところ、さまざまな事実が浮かび上がり、最後に火村の登場を待って一気に真相が明らかにされる、ということになります。この死んだ男性の人生の運びについて、ややムリがなくもないんですが、そこはフィクションのミステリですから、細かいことは気にすべきではありません。私はアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』の変型判で、ホテルの従業員と宿泊客の全員ではないにしても、多くが関与しているのではないかと想像していましたが、新本格派にありがちな動機の弱さと機会主義に陥ることなく、堂々の論理展開を見せます。どうでもいいことながら、本書のp.218で有栖川有栖が「このスマホと略される機械はいつまで現役でいてくれるのだろうか? たちまち過去の遺物になりそうに思えて小説で書きにくい」と独白しています。100年後にも作品を残そうとする著者の強い意気込みとともに、スマホそのものに対する私の疑問と共通する部分があり、とても共感できました。

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