今週はかなり読みました。経済書、ノンフィクションに加えて、小説も読み、9冊と大量ですので、短めのコメントにしたいと考えていますが、ついつい興が乗って長くなるかもしれません。その時は、悪しからず。
まず、ポール・オームロッド『経済は「予想外のつながり」で動く』(ダイヤモンド社) です。著者は英国出身のエコノミストであり、実業よりはややアカデミックな世界に近いんだろうと私は理解しています。原書は Positive Linking というタイトルで2012年に出版されています。現在の主流派のマイクロな経済学が仮定しているように、合理的な経済人が他とは独立にインセンティブに従って選択を行うことを否定し、サイモン教授の意志決定理論やワッツ教授のネットワーク理論を応用しつつ、意志決定がネットワークに基づいて決まることを強調しています。ただ、社会や経済のネットワークは「頑健だが脆弱」であるとし、正規分布よりもべき乗分布が当てはまる場合を念頭に置きつつ、スケール・フリー、スモール・ワールド、ランダムの3種のネットワークを考えて、そこに収穫逓増や限定合理性を考慮したネットワークでの意志決定モデルを構築しようとしています。そして、合理的選択よりも「人まね」が最重要の戦略となることを指摘し、その「人まね」が正のフィードバックを持つことから、累積的な格差の発生・拡大と集中の可能性、さらに、ターンオーバーの確率などに考察を進めています。また、我々の実生活でも単なる「人まね」ではなく、有名人のまねというのもよく見かけます。女優さんと同じ化粧品やアクセサリがよく売れたり、著名なIT企業の人事管理方法を解説した本が売れたりするわけです。同じ化粧品を使っても女優さんのようなルックスになれるわけではなく、人事管理方法を真似ても同じような売上げの伸びが期待できるわけでもないんでしょうが、戦略としては間違っていないんでしょう。こういった意味も含めて、実にクリアで、伝統的な正統派マイクロ経済学に対して極めて説得力ある反論を展開していると私は受け止めています。ただし、惜しむらくは政策的なインプリケーションが弱い点で、それは著者本人も認めていたりします。また、マイクロな経済学だけでなく、マクロ経済学へのネットワーク理論の応用も今後の課題になるかもしれません。いずれにせよ、今年読んだ経済書の中でもマイ・ベストに近いと考えています。第6章のネットワーク理論が特に読みごたえありますが、全体としてもとってもオススメです。ただ、少し翻訳の問題はあります。たとえば、3種類のネットワークのうち、「狭い世間のネットワーク」の翻訳も悪くはないんですが、ワッツ教授らの6次の隔たりなどの言い振りからして、「スモール・ワールドのネットワーク」そのままでいいような気がします。
次に、軽部謙介『検証 バブル失政』(岩波書店) です。著者は時事通信をホームグラウンドとする著名な経済ジャーナリストです。ただ、本書の目的はハッキリしないんですが、どうも、1980年代後半の日本におけるバブル経済の発生と崩壊の原因を明らかにする作業のようです。ただし、紙幅のボリューム的には圧倒的に前者のバブル発生に重点が置かれており、全8章のうち6章が発生を見極め、最後の方の2章で崩壊を跡付けています。バブル発生には1985年のプラザ合意からの円高不況があり、これを緩和する目的とともに、為替が円高に振れても価格効果だけでは貿易黒字・経常黒字の削減が進まなかったことから、内需振興による所得効果の重視も併せて追及された結果です。ですから、バブル発生はほぼルーズな金融政策の責任とされているんですが、日銀に対する当時の大蔵省や国内政治からの圧力、さらに米国などからの外圧、加えて、1987年のブラック・マンデーで引締め策の発動がムリになったり、銀行の自己資本に関するBIS規制に翻弄されたり、といった事情で、いつもの我が国メディアの「日銀擁護論」に終始している印象があります。そして、バブル崩壊の引き金は大蔵省の土地融資に対する総量規制で締めくくられていますので、徹底した日銀擁護と大蔵省バッシングの論調が支配的な仕上がりとなっています。もちろん、当時の我が国における中央銀行の独立性の観点から、大蔵省主導という見方も成り立つことは当然ですから、あり得る見方ではあろうと思います。ただ、最後にひとつだけ指摘しておくと、もしも本書がバブル発生の防止に重点を置くのであれば、例えば、バブル発生防止を最重要視するような政策運営は決して難しいことではありません。白川総裁のころまでの日銀の金融政策、すなわち、徹底したデフレ政策を推進すればいいだけです。日本経済を常にマイナスの需給ギャップにあるような不況に位置させ、場合によってはマイナス成長を追求し、失業率を高止まりさせ、物価の下落をもたらせばいいわけです。現状の日本経済においては、実質金利を5%くらいに保てばいいわけですから、決して日銀には難しい政策運営ではありません。でも、経済政策運営の要諦がバブル発生防止にあると国民的な合意が得られているのかどうか、私には疑問です。最後の最後に、やはり意識していたであろう「ベスト・アンド・ブライテスト」というコンセプトが出て来ています。本家ハルバースタムは米国のベトナム戦争を舞台としていましたが、本書は我が国のバブル経済です。かなりスケールが違うと感じざるを得ませんでした。
次に、ティモシー F. ガイトナー『ガイトナー回顧録』(日本経済新聞出版社) です。著者は言わずと知れた経済人であり、リーマン・ショック時の米国のNY連銀総裁からオバマ政権第1期目の財務長官を務めています。私はリーマン・ショックやその前後の金融危機に関するノンフィクションは何冊か読んでおり、『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』上下は文庫になってからですが一応読みましたし、『ポールソン回顧録』も目を通しています。ついでながら、「グリーンスパン回顧録」とも言える『波乱の時代』上下も読んでいたりします。ただ、いずれも新刊書の枠から外れた時期に読みましたので、このブログでは取り上げなかったと記憶しています。ということで、『ポールソン回顧録』ではリーマン・ショックに立ち向かったのは、当時のポールソン財務長官とバーナンキ連邦準備制度理事会(FED)議長とガイトナーNY連銀総裁の3人となっているんですが、この『ガイトナー回顧録』ではバーナンキ議長に加えて、コーン副議長も出て来ます。当時は上司だったんだろうと思いますが、それほど重要な役割を果たしているわけではありません。いずれにせよ、米国人の当事者から見たリーマン・ショックは、英国ダーリング蔵相の指示によりバークレイズが下りたのが主因、といった論調であることは確かです。別の観点ながら、ポールソンにせよ、ガイトナーにせよ、あの危機の真っただ中ですら早起きしてトレーニングにいそしんでいるのでびっくりです。当然ながら、私にはとてもムリだと感じました。
次に、橘木俊詔『日本人と経済』(東洋経済) です。著者は著名なエコノミスト、経済学者であり、格差や貧困問題などに造詣深く、リベラルな論調を展開していることは衆知の通りだと思います。本書はそんな著者が日本経済に関するエッセイを取りまとめていますが、国民の視点から、すなわち、労働者として所得を稼ぎ出し、そして、その所得を消費する生活者として、という意味で、労働と生活の両面から日本経済を考えています。ただ、基本、著者は労働経済学が専門ですので、マクロ経済の観点ではなくマイクロ経済を積み上げているだけに見えるところもあったりします。さらに、現在の日本経済を論じたいわけですから、過去の日本経済と歴史的に比較するのか、現在の先進諸国と横断的に比較するのか、どちらかの視点にならざるを得ませんが、とても中途半端だったりします。戦後の占領軍による土地開放、財閥解体などとともに教育改革も取り上げていますが、戦前日本と戦後の断絶と連続についてはそれなりに目配りされています。戦前の日本経済は本書が指摘する通りに女性就業率のM字カーブは観察されないだけでなく、戦後のような終身雇用でも、メイン・バンク制の間接金融でも、男性のみの片働きでもなかった、という点は強調されていいんではないかと思います。なお、マルクス主義経済学の講座はと労農派まで解説が及んでいるのは少しびっくりします。また、pp.66-67における2009年の政権交代から3年余りの民主党政権に関する評価は極めて妥当な気がします。ただ、第9章冒頭で「日本は福祉国家ではない」と高らかに宣言しつつも、土建国家で税金を公共事業で土建業から滴り落ちる構造を取って来たとまで突っ込んだ議論はしていませんし、教育への公費投入に対応する高齢者の社会保障経費の削減や世代間不公平までは踏み込んでいませんし、とても、中途半端で月から財政リソースが降ってくるような優雅な議論に終始しているようにも見受けます。また、著者自身が福祉国家を目指しべきとしつつも、エスピン-アンデルセン流の福祉国家の分類にも触れずに、規模だけで「中負担中福祉」を持ち出す姿勢には少し疑問を感じます。いずれにせよ、パーツ・パーツで論点ごとにバラバラな印象があり、評価できる部分とそうでない部分の落差を感じました。
次に、清武英利『しんがり』(講談社+α文庫) です。なお、私が読んだのはこのデザインの表紙の本だったんですが、書店ではドラマ出演者の表紙になった本が並んでいました。その昔の中学生だか高校生だかのころに読んだ『グレート・ギャッツビー』が、1974年に映画化された後は表紙デザインがロバート・レドフォードとミア・ファローに変更され、タイトルまで『華麗なるギャッツビー』に変更されたのを記憶しています。その時はカッコ悪いと感じた私のティーン時代でした。2-3年前にディカプリオ主演で映画化されてから、やっぱり表紙デザインは変更されたんでしょうか。私はフォローしていません。それはともかく、本書は単行本で2013年に出版され、2014年度の講談社ノンフィクション賞を受賞しています。今年になって文庫化されました。著者は読売新聞出身のジャーナリストであり、2011年に解任されるまでジャイアンツ球団の代表だか、社長だかを務めていました。解任の理由はコンプライアンス違反に関する内部告発ではないかとご本人は主張しているようです。ということで前置きが異常に長くなってしまったんですが、本書はジャイアンツや読売新聞などとは関係なく、1997年に自主廃業した山一証券の経営破綻の原因を追究し、清算業務に就いた一群の、主として業務監理部に勤務する社員の動向を取りまとめたノンフィクションです。9月からWOWOWでドラマ化されているのはよく知られている通りです。損失補填や総会屋との癒着など、古い体質を残したままの我が国証券会社に対する大いなる批判とともに、「しんがり」として自主廃業した会社の後始末を担当した社員の働きぶりや心情を、ジャーナリストの目から余すところなく収録しています。私の属するエコノミストの業界でも山一証券出身の方は何人かいますが、逆に、本書で取り上げられているような自殺した人などの極端な場合を別に考えても、会社が廃業したらサラリーマンではなくなるわけで、そのまま社会の荒波に沈んだ人も少なくなかったんではないかと勝手に想像しています。いわゆる「親方日の丸」の役所に勤務する私のような公務員には理解できないのかもしれません。
次に、円城塔『エピローグ』(早川書房) です。作者は言わずと知れた人気作家で、私は、はるか昔の芥川賞受賞作「道化師の蝶」を読んだ感想文を2012年2月26日付けのエントリーにアップしています。「道化師の蝶」ではパートごとに視点を提供する話者の「わたし」が異なっていて、実験的かもしれませんし、前衛的かもしれないと評価しています。本作品『エピローグ』では、まさに、最終章のエピローグの最初の数パラでそういった「わたし」に関する記述があったりします。そして本作品はまぎれもなくSF小説です。最初に、孫娘が祖母に機械的、生物的、情報的のいずれなのかを問うていますから、そういった存在が登場しますが、主要には、生物たる人類とチューリング・テストを軽くクリアするという意味でOTC(Over Turing Creature)とも呼ばれ、また、一般にエージェントとも呼ばれる人工知能体とが登場します。そして、ややミステリ仕立てのストーリーなんですが、現実宇宙を掌握しているエージェントの構成物質であるスマート・マテリアルを入手すべく、戦技研の命を受けて行動する特化採掘大隊(スカベンジャーズ)の朝戸連と支援エージェントである相棒のアラクネを中心に、並行する宇宙で起こった連続殺人事件の謎を刑事の椋人(クラビト)が解明すべく捜査し、とても意外な結末にたどり着きます。SFでありつつ、とても硬質なラブストーリーが展開されています。メタ・フィクションな構成も取り入れられており、さらに、かなりペダンティックな趣向も満足させてくれそうですが、私の専門外なので理解が及ばない部分も少なくなかった気がします。以下にリンク先を引用した日経新聞の書評に私自身がやや引きずられているかもしれませんが、とても上質な純文学のようなSFであり、私は高く評価しています。ただ、タイトルをどういう趣旨でこうしたのか、とても興味ありますが、どこかに著者インタビューのようなものがあったりするんでしょうか?
次に、畠中恵『なりたい』(新潮社) です。私はこの作者のしゃばけのシリーズは、外伝の『えどさがし』も含めて、すべて読んでいて、これが最新刊第14巻です。いつもの通り連動する短編が5話収録されています。妖になりたい、人になりたい、などです。もうすっかり忘れてしまったんですが、このシリーズの鳴家は式神であり、万城目学のデビュー作『鴨川ホルモー』の魑魅魍魎である小鬼と同じような気もするんですが、『鴨川ホルモー』では人間とは言葉が違っていて、意思疎通のために言葉を勉強するところから始まっていたような気がします。まあ、どうでもいいんですが、実は、この直前の第13巻『すえずえ』を読むのを忘れていて、『なりたい』の直前に読むことになってしまいました。この『なりたい』では他のシリーズ既刊よりもやや謎解きの趣味が濃いような気がします。それにしても、「猫になりたい」での長崎屋の若だんな一太郎の裁き、さらに、最後の「親になりたい」や「りっぱになりたい」での真相究明というか、謎解きなどはそれなりに論理的で読みごたえがあります。でも、本格の推理ではもちろんあり得ません。妖がかかわると何でもアリになるのは当然です。なお、本作品以外はすべて図書館で借りましたが、この『なりたい』だけは、私と同じくこのしゃばけシリーズのファンである同僚から借り受けました。
最後に、下村敦史『叛徒』と『生還者』(講談社) です。この著者の江戸川乱歩賞受賞作であるデビュー作の『闇に香る嘘』はほぼ1年前の昨年11月14日付けの読書簡素武運のブログで取り上げてあります。最新作の『生還者』を図書館で借りようとしたところ、2作目の『叛徒』を発掘してしまったので、『叛徒』と『生還者』の順で読みました。『叛徒』は警視庁新宿署に勤務する中国語を専門とする通訳捜査官を主人公とし、養父であり妻の父親という義父でもある先輩通訳捜査官の罪を正義感で告発したために自殺に追い込んでしまい、家庭が崩壊して1人息子の中学生も家出してしまいます。他方、我が国の中小企業で酷使される中国研修生とその送り出し機関、さらに中国マフィアや出入国管理官が絡んで、複雑怪奇な犯罪となり、この家出した中学生が犯行に及んでいる雰囲気を醸し出しつつ、最後はそれなりの結末を迎えます。中国人や中国マフィアの絡んだ犯罪ですから、ほぼ何でもアリなんで意外性はほとんどないんですが、それなりに人情の機微というものも感じられます。私は英語とスペイン語を理解する一方で、通訳を務められるほどの語学力はありませんが、翻訳や通訳次第で事実が歪むという現象は見逃せませんでした。そして、『生還者』は兄と同じ山岳部出身の主人公が、ヒマラヤ山脈東部のカンチェンジュンガで大規模な雪崩により命を落とした兄の死の真相に迫るストーリーで、実は、この事故からの生還者が2名いて、その2人が真逆のことを発言する中で、主人公が週刊誌編集者の女性とともに謎解きに挑戦します。結果、その2人がカンチェンジュンガまで容疑者(?)を追い詰めて、最後の最後に大きな謎が整合的に解けるという結末が明らかにされます。殺人事件が起きて犯人を明らかにするという古典的な推理小説ではなく、なかなか趣向があるとともに、いくつか疑問がないでもないものの、それなりに出来のいいミステリではないかという気がします。
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