今週の読書は『ルポ コールセンター』ほか5冊!
今週の読書は、評価の難しい仲村和代『ルポ コールセンター』ほか、エンタメ小説や新書も含めて、以下の通りの5冊です。
まず、手島直樹『ROEが奪う競争力』(日本経済新聞出版社) です。著者は事業会社の財務部などに勤務した経験の後、留学してコンサルとなり、現在は旧高商系の大学で研究者をしているようです。財務やIRの業務の基礎となるファイナンス理論に対して、極めて真っ当な考え方が示されていて、何度も松下幸之助の「いい製品をつくって、それを適正な利益を取って販売し、集金を厳格にやる。」が引用されています。事業会社の経営はこれに尽きるわけで、いい製品を作って、あるいは、適正なサービスを提供して、適正な価格で販売し、適正な会計を行うわけです。デフレが大きくこれを蝕んでおり、適正な価格で販売できないがために、あるいは、もちろん、他の要因も加わって、米国などのファイナンス理論がゆがんで我が国に適用されたような気がしてなりません。本書では、外部取締役などの方法ではなく、上場企業においては株価こそが会社を外部から見るカメラとなるべきであるとか、また、短期的な視点よりも長期的な視点で経営がなされるべきとか、従来からの日本的経営を重視する立場を明らかにしており、それにも私は同意します。いってみれば、投資家に媚びたファイナンス理論の活用ではなく、王道の経営に励むべき、というのが本書の結論だと受け止めました。ファイナンス理論に詳しくない私なんぞのシロートからすれば、ROEとは野球のバッティングのホームランのようなもので、狙って打つのもさることながら、コンパクトにミートすればヒットの延長としてホームランが出る、のと同じようなカンジで、真っ当な経営をしていれば後からROEがついてくる、というようなものなのかもしれません。
次に、仲村和代『ルポ コールセンター』(朝日新聞出版) です。著者は朝日新聞のジャーナリストです。沖縄のコールセンターを軸にして、取材結果をルポに取りまとめています。その意味で、タイトルはともかく、副題の方が少し誤解を招きそうな気がしないでもありません。「過剰サービス労働の現場から」ということなんですが、私は見た瞬間に「サービズ残業」を想像してしまい、コールセンターには残業はないだろうと思って、少し違和感がありました。よく見れば「過剰サービス」ですから、サービスだけでなく、製品の方も併せて、いわゆるオーバー・スペックを問題視しているんだろうと考えられ、まさにその通りの内容でした。ただ、中身は少し歯切れが悪いというか、著者自身の勉強不足もありそうな気がします。コールセンター業務はクレーム対応の後ろ向きの業務なのか、顧客ニーズの把握につながる前向きの業務なのか、場所としてのコールセンターだけでなく経営の問題として、より深い取材と的確な分析が必要です。逆にいって、本書にはどちらも欠けていますので、コールセンターという場所とそこにおける労働、特に非正規雇用だけがクローズアップされて、今後のあるべき方向は単にオーバー・スペックからしか解き明かせない、という物足りなさにつながった気がします。さらに、勤労モラルの点でやや沖縄を低く見ている「上から目線」も気になります。もしも、ジャーナリストとしてコールセンターの働き方が問題であると考えるのであれば、現場の非正規雇用の労働者とともに経営者への取材が欠かせません。著者にはもう少し研鑽を重ねていただきたい気がします。
次に、小川隆夫『証言で綴る日本のジャズ』(駒草出版) です。著者は本業は医者らしいんですが、ジャズ評論家として著名らしく、本書はInterFMで著者が担当している2時間番組の中でのインタビューが第1部を構成し、それ以外のインタビューが第2部となっています。カギカッコ付きの「ジャズ有識者」とか、ジャズのプレイヤーなどをインタビューしていますが、ほとんどが80歳超くらいの年配の方ではないかと想像され、私はそれなりにモダン・ジャズのファンなんですが、それでも馴染みのない日本におけるジャズ黎明期のお話が中心となっています。古い表現かもしれませんが、「楽屋落ち」という言葉を思い出してしまいました。終戦直後のインフォーマルな働き方として米軍相手にジャズを演奏して、当時では考えられないような大金を手にしたり、外貨制約が厳しい中でかなり無理をして米国留学でジャズを勉強に行ったりと、今では考えられないようなお話のオンパレードです。戦後の我が国は経済はいうに及ばず、ジャズはもっと米国から遅れていたわけで、逆にいえば、キャッチアップの余地がものすごく大きかったわけです。ですから、随所に、大きなウッドベースの横に突っ立っているだけで、特に音を出さなくてもアルバイト代がもらえたりした時代だったのかもしれません。まあ、それなりの世代のジャズ・ファンには懐かしいエピソードなのかもしれませんが、私くらいの、すなわち、団塊の世代から10年余り遅れて生まれて、ジャズを聞き始めたころにはすでにコルトレーンはこの世の人ではなかった世代のジャズ・ファンには、失礼ながら、それほど心に響く歴史ではなさそうな気もします。期待が大きかっただけに、少しがっかりしました。
次に、中山七里『総理にされた男』(NHK出版) です。著者は人気のエンタメ作家であり、『さよならドビュッシー』でデビューし、その後もこの岬洋介シリーズで人気ですし、最近作では『アポロンの嘲笑』を昨年2014年11月15日付けのこのブログの読書感想文で取り上げています。ということで、この作品は政治エンタメ小説です。片方に、二世議員ながら極めてカリスマ性が高くて、内閣支持率も高い人気総理がいて、他方に、しがない劇団員の男性が、見た目がその総理大臣に似ているというだけで、芸のひとつとしてしゃべり方や動作も役者として研究し、それなりに舞台で受けていたところ、何と、総理が病に倒れたために女房役の官房長官により替え玉として白羽の矢が立った、というところから始まります。官房長官に加えて、替え玉劇団員の同級生だった若手政治学者も官邸に呼んで、3人のトロイカ体制で与党内の有力政治家や閣僚、野党議員との質疑応答、官僚との対立、などなどに対処して行きます。最初に政治エンタメ小説と書きましたが、何といってもよく出来ているのが、ここ数年の政権交代がほぼ日本のリアルな政治に沿って構成されていることです。すなわち、数十年続いた与党体制が年金問題で政権交代したものの、野党の未成熟な政治のために3年で国民からソッポを向かれてしまった、というところで、まだ現与党も政権基盤が盤石ではなく、それだけにカリスマ性の高い総理を失うわけにはいかない、というリアル・ポリティクスが背景にあります。そして想定外の問題発生です。閣僚や野党や官僚とは何とか替え玉総理が渡り合ったものの、海外で日本人が人質に取られるというテロ事件が発生します。ここでの替え玉総理の決断がとても興味深く、作者のセンスのよさをカンジさせます。それはそうと、NHK出版から出ているんですが、そのうちにドラマ化されたりするんでしょうか?
最後に、萱野稔人『成長なき時代のナショナリズム』(角川新書) です。著者は若手の哲学者です。政治学者ではありません。ですから、政治学の視点からではなく、哲学の視点からナショナリズムを考えています。背景は、現在の日本のネトウヨなどのナショナリスティックな動向に加え、フランス国民戦線のル・ペン党首が大統領選の決選投票に残った出来事、さらに、時期的な制約からか本書では明示的に取り上げられていませんが、米国での共和党のトランプ候補の大統領予備選での高支持率など、日米欧の先進各国で右派の動きがとても活発になっていることです。これを著者は、成長が大きく鈍化し分配すべきパイが拡大しなくなた先進各国において、その財政リソースの分配に際して外国人を排除しようとする動きであると分析を加えています。私もそれはそうなのだろうという気がします。ただ、申し訳ないながら、本書はそこで終わっています。ワイマール憲法下で1930年代の世界恐慌に際して、ドイツが大きく右傾化し、ヒトラーの登場につながり、最終的には第2次世界大戦まで行き着いてしまったのは歴史的事実ですし、不況やその他の何らかの経済的な困難が排外主義を招きかねないことは誰でも知っています。ですから、本書の指摘や著者の見方は至極ごもっともで、とても正しいんですが、正しい診断を下せるのであれば、20世紀前半のような悲惨な戦争を回避する処方箋も提示して欲しかった気がします。第5章のタイトルは「ナショナリズムを否定するのではなく、つくりかえること」となっています。もう少し何とかならないもんでしょうか? それから、ナショナリズムと全体主義を少し私自身が混同しているのかもしれませんが、本書でもナショナリズムの定義を離れた議論が混乱をもたらしている部分が散見されました。
年末年始の読書は、私自身の専門領域で、少し戦後日本の経済発展の歴史、特に経済計画や産業政策に関して、途上国における開発経済学の観点から勉強しようと、かなり古い本も含めて借りて来ています。じっくりと時間をかけて読みたいと思います。
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