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2016年2月20日 (土)

今週の読書は経済書も小説もありで計10冊!

今週はなぜか大量に読みました。経済書だけでも数冊あり、エラリー・クイーンの越前新訳になる国名シリーズなどの小説や同僚からもらった新書も含めて、以下の通り、10冊です。このブログで読書感想文を書き始めて以来、10冊を一挙に登場させるのは初めてかもしれません。

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まず、西村豪太『米中経済戦争 AIIB対TPP』(東洋経済) です。著者は東洋経済のジャーナリストであり、特に、中国情報の専門家です。AIIBはアジアにおけるインフラ整備のための国際金融機関であり、TPPは太平洋圏における自由貿易協定ですから、まったく性質の異なる両者なんですが、それを米中のグローバルな経済戦略の文脈の中で捉え、先進国主導の既存の国際秩序に対する新興国からのチャレンジとも考えられる、という点から本書はスタートします。その上で、私は不勉強にして知らなかったんですが、中国の一帯一路政策の一部としてAIIB設立を位置づけています。ただ、それにしては、陸路の一帯一路はともかく、海上の真珠の首飾りの方は本書には出現しません。私にはよく判りません。それはともかく、AIIBは中国からシルクロードなどに沿った西方拡張路線であり、過剰生産に陥った中国の工業製品を西方の途上国・新興国に輸出するためにインフラ整備と解明しています。それに対して、TPPは先々中国を取り込む際にかなり大幅な貿易自由化を迫るテコのような存在として描き出されています。中国の将来については、政治的に自由化や民主化が進むかどうか、とともに、経済的に成長が続いて先進国並みの豊かさを実現できるかどうか、の両面が注目されていて、米国などではかなり楽観的に自由化や民主化が進んで豊かになる、というシナリオが支持されているようですが、自由化や民主化が進まない一方で中所得国の罠に陥って成長が停滞する、こともあり得ますし、もちろん、自由化や民主化が進まないながら豊かになっていく可能性もあります。ただ、自由化や民主化が進む一方で経済が停滞するという可能性は排除されているように見受けられます。長い世界の歴史の中で、資源に頼らず工業化により先進国の仲間入りをしたのは欧米諸国を除けば日本だけです。他方で、日本人の印象とは違って、新興国や途上国からは中国はとても好意的に受け止められています。タイトルから理解される通り、経済面が中心になる本ですが、今後の中国について理解し、隣国としていかにお付き合いするかを考える上で参考になった気がします。

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次に、阿部顕三『貿易自由化の理念と現実』(NTT出版) です。著者は大阪大学経済学部の研究者であり、貿易と環境問題が専門分野のようですが、不勉強にして私はこの著者の研究書や論文は初めて読みました。先週の読書感想文で取り上げた『新々貿易理論とは何か』とは違って、新古典派的な、というか、リカード的な古典的貿易理論を基にしつつ、それでもなぜか「比較優位」というテクニカル・タームをいっさい使わずに貿易自由化の理念を展開した上で、GATT/WTO体制による多角的貿易交渉、地域貿易協定(RTA)や自由貿易協定(FTA)などの展開、農業をはじめとして輸入増によりダメージを受ける産業の保護、貿易自由化と環境や安全性の問題などを取り上げて論じています。基本的に伝統的な貿易理論に立脚していますが、何点かとんでもない謬論を展開している部分もあります。物足りないのは、p.63-64で貿易自由化では譲許関税率を交渉対象とし、実効関税率との間に水(water)が空いている、という点を指摘しているものの、さらに詳細に関税率引き下げ交渉の論点を整理して欲しかった気がします。また、GATT/WTOの価格的貿易交渉が行き詰まって、いわば仲のいい有志国間のRTA/FTA交渉が現在の主流になった背景についても、極めて重要なポイントですので、さらに深い分析が必要ですし、GATT/WTOの多角的貿易交渉とRTA/FTAとの比較やメリット・デメリットなども論じるべきではないでしょうか。私が特に唖然としたのは、p.127の図4-7であり、最適関税率の議論においてかつてのラッファー。カーブのような非線形の曲線を想定していて、ほとんどブードゥー・エコノミクスの世界に入りかけているような気がします。また、貿易自由化では「生産工程や生産方法は考慮しない」(p.168)として、貿易自由化と環境や安全性の問題を論じるのであれば、チャイルド・レーバーも議論すべきです。最後に、かつてのウルグライ・ラウンド対策費の6兆円余りの使途について論じる際に(p.191-92)、「自由化の対策費は競争力を付けるための施策に用いられるべき」というのは理解不能です。貿易自由化は本書でも指摘しているように、セクター別に利益と不利益が生じますから所得の再分配をもって補償する必要があります。ウルグアイ・ラウンド対策費はこの補償の概念に近く、農業の競争力を高める対策費ではないと理解すべきです。ここに示したごとく、とんでもない謬論が本書に含まれることを理解した上で読み進むことが必要かもしれません。

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次に、セバスチャン・ルシュヴァリエ『日本資本主義の大転換』(岩波書店) です。著者はフランス社会科学高等研究院(EHESS)の研究者であり、日本経済の研究を専門としています。最近では、今年2016年2月11日付けの日経新聞の経済教室に「日本型資本主義の課題 企業間格差拡大、停滞招く」と題して、技術革新の移転を論じています。本書はフランス語の原書が2011年に出版された後、英語の翻訳が2014年に刊行され、邦訳版は英語を底本としているようです。ピケティ教授の『21世紀の資本』と同じ構図ですが、要するに、後に出版された英語版ではフランス語版の一部を修正・追加してあるので、新しい方を底本とする方が好ましいという著者の意向とされています。原題はフランス語も英語も日本語も同じです。基本的にレギュラシオン学派の理論に基づいた学術書に近い内容ながら、一般読者も対象に想定されているようです。それでも、レギュラシオン理論のせいかのか、私の不勉強のせいなのか、なかなかに難しい内容を含んでいます。なお、本書の分析対象はあくまで「日本資本主義」であって、私が地方大学で教えていたような「日本経済」ではありません。この点を理解して念頭に置きつつ読み進むべきです。ということで、前置きが長くなりましたが、本書では1980年代以降の日本経済を跡付け、バブル崩壊以降の停滞した局面の解明を試みています。いわゆるワシントン・コンセンサス的な新自由主義的構造改革が実行されたものの、結果が思わしくない現状について、むしろ、本書では新自由主義的な改革のために危機が発生ないし悪化した可能性を指摘しています。すなわち、こういった構造改革は新たな制度間の調整メカニズムを提供することに失敗しており、システムとして非整合な結果に終わった、という見方です。従って、歴代の政権がチャレンジした経済政策のいくつかの柱、例えば、経済の金融化によってのみもたらされる成長は幻想であるとか、日本のイノベーション・システムをシリコンバレー型に収斂させれば競争優位を持ち得るというのも幻想である、などと結論しています。資本主義にしても、イノベーションにしても、より多様なシステムを許容する必要性を強調する一方で、リビジョニスト的な「日本特殊論」も排しており、日本の資本主義を多様な資本主義のひとつと位置付けながら、決して特殊性を強調する立場に与していません。何よりも斬新な視点は、海外要因からもたらされるグローバリズムの進展に対応した新自由主義的な改革、という視点を転倒させて、グローバリズムの進展を背景に、あるいは、もっといえば、グローバリズムをテコとして新自由主義的な構造改革を推し進めようとして失敗した結果、日本の不平等が拡大した、という見方です。どこまで妥当性があるかどうか、現時点では何ともいえませんが、あり得る仮説だと受け止めるエコノミストもいそうな気がします。通常、多くのエコノミストが考えるマイクロ経済とマクロ経済の間にメゾスコピックなレベルの経済を考え、例えば、その昔の通産省が産業政策を進めるひとつのツールとして業界団体による調整を活用したような、通常の経済学では最適化行動のレベルで無視されているようなメゾなレベルの調整にも目を向けているのも、レギュラシオン理論に基づく本書のひとつの特徴かもしれません。第5章の教育論は本書に必要かどうか疑問ですが、最後に、私の不勉強で理解できなかったのは、レギュラシオン学派の賃金労働関係で重要な役割を果たす「社会的和解」です。マルクス主義的な階級対立概念を含めた緊張関係をひとつの要素とする労使関係のことなのだと理解していますが、ネットで調べても理解がはかどりません。グラムシの用語になる「フォーディズム」というのはレギュラシオン学派の論文などでよく見かけるものですし、これに対応するというか、何というか、親戚筋に当たる「トヨティズム」という用語も、その存在は私も知っていたんですが、大学構内の立て看板とかでなく、名のある出版社の出版物である本書で実際に使われているのを初めて見ました。感激しました。そのうち、「ボルボイズム」もどこかでお目にかかりたいと思ってしまいました。

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次に、榊原英資・水野和夫『資本主義の終焉、その先の世界』(詩想社) です。本書のあとがきで著者自身が書いているように、その昔の『エコノミスト・ミシュラン』において、リフレ派から「とんでも経済学者・エコノミスト」に上げられたワーストの1位と2位という取り合わせの著者です。私自身もリフレ派のエコノミストですから、特に第1部の水野教授の担当部分は相互に矛盾も散見され、バックグラウンドとなるモデルが非常に適当なご都合主義で、その場その場の論旨に適合するように整合性なく選択されている可能性を危惧します。ただ、本書もタイトルは「資本主義」であり、その資本主義を定義することなく、その場その場の雰囲気で議論を進めていますので、理解が飛んだりするんですが、マルクス主義的に G-W-G' のサイクルが崩れる、ということをもって、ですから、ラムゼイ・モデル的な成長率と金利の同一視をもってすれば、ゼロ金利というのは、本書のタイトルとなっている「資本主義の終焉」と呼べるのではないかと私は理解しておきました。ただし、その場合に、どうしてゼロ金利=ゼロ成長となるのかといえば、本書でも指摘されているように、もしも消費の飽和といった需要サイドにおける限界効用の極端な低下とともに、供給サイドの限界費用の大きな低下、1月23日付けの読書感想文で取り上げたリフキン著による『限界費用ゼロ社会』のような現象が併せて生じているのだとすれば、少なくとも経済面からは社会主義ないし共産主義にかなり近いといえます。また、資本主義に特有とまではいいませんが、イノベーション=革新については本書ではまったく考慮されて今異様に見受けられますので付言しておきます。しかし、ここから私の理解が混乱するんですが、ゼロ成長をもって中世的な世界に逆戻りするかといえば、そうではないと私は考えます。本書でも、歴史の歯車を逆回転させるのはムリ、という趣旨の記述とともに、前例がないなら過去を参照するという主張もあり、決して矛盾するわけではないと強弁することもできますが、どうもハッキリしない、というか、矛盾しかねない混乱を生じているような気がしてなりません。それから、何となくの反論なんですが、サブタイトルに見られる『「長い21世紀」が資本主義を終わらせる』のではなく、あくまで可能性としてのお話ですが、資本主義が終わるから21世紀は「長い21世紀」になるのであろうと私は理解しています。16世紀が長かったのは資本主義が始まったからだということは、著者に理解されていないのかもしれないと心配になります。主として、水野教授の論考に対する批判的な見方を示しましたが、どうでもいいことながら、榊原教授はもともと古い本ながら、Beyond Capitalism: The Japanese Model of Market Economics といった出版物もありますし、資本主義を越えた経済モデルに関する見識もありそうな気がしないでもありません。また、将来見通しに関して PwC の The World in 2050 が何度か引用されているんですが、私が昨年2015年12月のアジア開銀研究所(ADBI)で開催された ADBI-JDZB-GIGA Symposium on Post-Crisis Restructuring of Trade and Financial Architecture: Asian and European Perspectives の Session 1: Growth Perspectives in Europe and Asia において、プレゼンをした際にも活用せていただいた記憶があります。

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次に、小林至『スポーツの経済学』(PHP研究所) です。著者は東大卒業生としては3人目のプロ野球選手となった後、ソフトバンクの球団経営に携わり、また、現在は大学でスポーツ経営論を研究している研究者です。主として、プロスポーツのビジネスとしての収益や経営についての分析や事例紹介なんですが、いわゆるNCAA、すなわち、米国の大学スポーツについても取り上げています。まず、スポーツのビジネスとしての歴史を振り返り、いわゆるアマチュアリズムに立脚していたオリンピックのビジネス化への契機となった1984年ロサンゼルス・オリンピックを紹介し、テレビの放送権ビジネスやスポンサーなどからの権利収益により、開催都市の負担なくオリンピックが黒字化した背景を探ります。この時点で、スポーツのイベントは中央政府や地方政府からの財政資金の持ち出しによるコスト要因ではなく、ビジネスとして独立に収益を得ることの出来るチャンスとなったわけです。さらに、典型的なプロスポーツのリーグとして、閉鎖的で参入障壁が高く、チーム戦力均等化により優勝争いを面白くしようとの傾向のある米国の大リーグ野球を片方の代表としつつ、他方は開放的で下位リーグと間の昇格・降格を制度的に保証するという意味で参入障壁はほとんどなく、チームや選手個人の努力の成果がそのまま結果に出る欧州サッカーを典型として取り上げて、さまざまなメリット・デメリットを論じています。ほかに、大きな収益源となっている放送権料の役割、米国大リーグ野球やアメリカン・フットボールなどのようにスタジアムを地方政府が負担することの是非、また、これら欧米のスポーツ・ビジネスを日本でも導入するための方策などを、さまざまなケーススタディによる実例に基づきつつ、かなり詳細に論じています。確かに、日本ではスポーツはプロによる興行という形態のビジネスというよりも、アマチュアリズムの影響が強い精神論的な部分が残されており、相撲の精神性や教育の一環としての高校野球など、スポーツのビジネス性を欧米のように明けっ広げに認めるのにまだまだ抵抗があるような気がします。ビジネスとしてのスポーツを考えるのには、大きな外圧がかかるか、あるいは、もう少し時間が必要なのかもしれません。

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次に、間野義之『奇跡の3年 2019・2020・2021 ゴールデン・スポーツイヤーズが地方を変える』(徳間書店) です。著者は早稲田大学の教授であり、専門はスポーツ科学とかスポーツ政策のようです。さらに、三菱総研の研究員が10人余り執筆協力者として名を連ねています。タイトルにある3年、すなわち、2019・2020・2012年に何があるかといえば、2019年のラグビーのワールドカップはほのかに記憶にある人もいそうな気がします。昨年2015年の英国大会では五郎丸選手などの活躍が思い出されますし、にわかラグビー・ファンになった人も少なくなかったような報道もありました。また、2020年は東京オリンピックです。これはかなり多くの、というか、ほとんどの日本人が認識しているように私は受け止めています。しかし、2021年に何があるかといえば、不勉強にして私は知りませんでした。関西ワールドマスターズゲームズ2012だそうです。そもそも、こおワールドマスターズゲームズというのを知りませんでしたが、ネットの情報によれば「ワールドマスターズゲームズは、国際マスターズゲームズ協会(IMGA)が4年ごとに主催する、30才以上の成人・中高年の一般アスリートを対象とした生涯スポーツの国際総合競技大会」ということらしいです。詳細はホームページをご覧ください。私には今日見の感じられない年配者のアスリート画像があったりします。それはさて置き、この3年をタイトルのようにゴールデン・スポーツイヤーズとして、スポーツ施設の整備に際しては、単に、これらスポーツのイベントを開催するだけでなく、その後の活用も視野に入れたレガシーとしての政策立案を提案し、そのレガシー創出のためにイベント・レバレッジをかける、というのは私には理解不能でしたが、こういったスポーツのイベントとその後の施設の活用、さらに、海外との関係強化を含めて、地方の活性化にスポーツを通じて取り組もうとする意図で本書は編集されています。いかにもコンサル的な視点で訴求力があるといえますが、レバレッジを効かせている分、コケたら惨めな結果に終わりそうな気がしないでもありません。少なくとも、すべての地方自治体に単純にそのまま応用可能な方策というのはなさそうな気もします。いかがなものでしょうか?

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次に、円城塔『シャッフル航法』(河出書房新社) です。この本と次は小説です。著者はいうまでもなく、「道化師の蝶」で芥川賞を受賞した売れっ子SF作家です。東北大学理学部出身で、博士号も持っています。東北大学の同じくらいの世代に瀬名秀明、伊坂幸太郎などの俊英がいます。先週の読書感想文でも同じ作者の『プロローグ』を取り上げています。ということで、本書は表題作のほか、「内在天文学」、「イグノラムス・イグノラビルス」、「Φ」、「つじつま」、「犀が通る」、「Beaver Weaver」、キュービック・アトラスと読ませる「(Atlas)3」、「リスを実装する」、「Printable」の10編の作品を収録する短編集です。初出については、SF専門誌またはSFアンソロジー集NOVA7編、文芸誌が2編、Kindleから1編となっています。私のような単純な頭には読みやすくて面白い短編が多かったような気がします。いくつか特記しておくと、「内在天文学」では文明の衰退した世界で夜空を見上げながら議論が交わされ、まあ、認識論なんでしょうね。「イグノラムス・イグノラビルス」の直訳は「我々は知らない。知ることはないだろう」ですから、ある種の不可知論なのかもしれません。「(Atlas)3」では自分に見える世界と他人に見える世界の間で事件が起きたりしますが、私にはもっとも印象的でした。でも、作品としては「Φ」の完成度が高い気がします。「Printable」はこの作者の原点ともいえるようなシンプルな視点が提供されます。私にとって一番不可解だったのは生まれてこない息子のことを描いた「つじつま」ですが、いつもながら、どうしてこのタイトルを著者が選択したのか判りません。なお、どうでもいいことながら、本書の奥付にある著者のプロファイルに「芥川賞受賞」の5文字が見えません。編集者の意向なのか、著者の好みなのか。何年たっても「芥川賞作家」をカンバンにしている作家もいますし、映画「Always 3丁目の夕陽」では茶川先生が芥川賞を目指しますし、小説家には大きな勲章だと思うんですが、いかなる趣旨でこうしたのか興味あります。最後に、いくつか新聞の書評を以下にピックアップしておきます。

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次に、エラリー・クイーン『スペイン岬の秘密』『中途の家』(角川文庫) です。越前新訳による国名シリーズ最終の2巻です。とはいうものの、『スペイン岬の秘密』は読み出して気づいたんですが、どうも読んだ記憶があります。しかも、最後まで通読して、この新訳の角川文庫で読んだ気がしてなりません。犯人も手口もかなり鮮明に記憶に残っています。しかしながら、ブログの記事をMTでバックアップを取って検索しましたが、読んだ記録の最期は『チャイナ蜜柑の秘密』となっていて、本書は現れませんでしたので、何かの都合によって故意に書き漏らしたのを忘却しているのか、あるいは、そもそもブログに読書感想文として書きとめておくのを忘却したんだろうと思います。また、厳密には国名シリーズではないんですが、『中途の家』はクイーンのミステリの中でも傑作とされている作品です。どちらも、主人公のクイーンが出張った出先で解決に当たる作品ですので、父親のクイーン警視はほとんど、もしくは、まったく登場の機会がありません。ジューナも右に同じです。その点は、この2人のファンには残念に受け止められる可能性があります。でも、論理の冴えは相変わらずで、実に見事に犯人を解明します。やや動機の点が弱いのは、その後の我が国における新主流派のミステリにも、ある意味で影響を及ぼしている気がしないでもありません。すなわち、殺せるチャンスのある人が殺している、という印象で、『スペイン岬の秘密』では女性を恐喝するハンサム男が殺され、『中途の家』では重婚で二重生活を送る上流階級の男が殺されますので、殺されるのは「殺される理由のある悪人」といういい方ができるかもしれません。なお、角川文庫ではないんですが、ハヤカワ・ミステリ文庫から『災厄の町』と『九尾の猫』が、同じ翻訳者の越前敏弥さんの訳で一昨年から昨年にかけて、新訳版が出版されています。国名シリーズではありませんが、探偵役はエラリーですので、特に『災厄の町』は傑作との評判も高く、私もそのうちに図書館から借りてヒマを見つけて読みたいと思っています。新刊書の読書ではありませんが、このブログの読書感想文で取り上げそうな気がします。そうしないと忘れるからです。その昔は、図書館で借りずに本を買っていた時期もあり、在チリ大使館に赴任した際には、『老人と海』が4冊ありました。これは読んだのを忘れたからというよりも、読みたいが部屋が乱雑で手近に見つからないため、ついつい倹約意識よりも読書意欲が勝って買ってしまった、ということなのだろうと思います。重複をいとわずに好きな本を読むという姿勢を大事にしたいとは思いますが、ムダを排した効率的な読書も重要だという気がします。

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最後に、朝日新聞経済部『ルポ 老人地獄』(文春新書) です。同僚エコノミストからちょうだいして読みました。統計データなしのケーススタディだけなんで、かなり暗い内容に仕上がっており、それが著者の意図なんだろうと理解しています。私はタイトルを見た瞬間は、老人があふれかえった社会で非老人≒若年層を含む中年以下の勤労世代が老人を養うために、あるいは老人の介護などに振り回されて、いわゆる「地獄を見る」という趣旨だと理解してしまったんですが、どうもビミョーに違っていました。いわゆる「老後」といわれる年代に達して、ご本人が「地獄を見る」という意味のようです。でも、繰り返しになりますが、ジャーナリストが接したケーススタディですので、統計的にマクロの把握を行ったわけではありませんから、何とでもピックアップできるんではないかという疑問は残りますし、特に、本書に集約された経済問題は老後の世代に特有な問題ではなく、世代を超えた貧困の問題として解決策が考えられるべきだと私は理解しています。我が国で医療や介護などの社会保障を論じる際に、年齢によるグループ分けがなされて、老齢世代が所得がないと見なされて、なぜか「弱者」に分類されてしまう点に私は大きな疑問、というか、恣意的な歪みを感じてしまいます。逆に、子どもが所得のある勤労世代を保護者に持つと見なされて、例えば、教育にかかる費用負担が家庭に過重にのしかかっているように思えてなりません。子どもに対する福祉が保護者、多くの場合は親の自己責任で済ませられるのに対して、一定の年齢に達した高齢者はパーソナル・ヒストリーをきれいさっぱりと清算されて、「弱者」に分類されて手厚い保護を受ける、それを世代別人口や投票率などに基づくシルバー・デモクラシーがサポートし、市場による資源配分を政府が歪める、という結果につながっているような気がします。本書でも、かつてはメディアで大いに批判された「後期高齢者」という表現が、高齢者に対する福祉ニーズを正当化する年齢の線引きとして用いられているのには、私も戸惑ってしまいました。高齢者の貧困を記事にする、あるいは、出版物にするというビジネスも、社会福祉法人の転売ほどではないにしても、かなり先行き有望なのかもしれません。最後に、木曜日2月18日付けの毎日新聞の記事へのリンクを示しておきます。子どもの貧困問題はビジネスに乗らないので、こういった意識の高い研究者にお願いするしかないのかもしれません。下の画像も同じく毎日新聞のサイトから引用しています。

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