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2016年4月 3日 (日)

先週の読書はセン教授らの『開発なき成長の限界』をはじめ計8冊!

読書感想文は、感銘を受けたセン教授らの『開発なき成長の限界』をはじめ、フィクションの小説なしに計8冊です。昨日に米国雇用統計統計が割り込んで、読書期間が1日長かったのと、短時間で読み切れる新書が3冊もあって、ついついたくさん読んでしまいました。もう少しセーブしたいと思いますが、野球のナイターを見ながらの軽い読書も少なくなく、中学高校時代にラジオを聞きつつ勉強した「ながら族」のクセが抜けません。

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まず、アマルティア・セン/ジャン・ドレーズ『開発なき成長の限界』(明石書店) です。英語の原題は An Uncertain Glory であり、2013年にペンギン・ブックスから出版されています。著者はノーベル賞受賞者のセン教授が共著者ドレーズ教授とともに当たっており、母国インドを対象に分析を進め、急速な経済成長の一方で教育・保健医療・栄養・公共設備といった点で大きな不平があり、将来に対する不安などを明らかにしています。日本語タイトルはかなり意訳なんですが、インドの現状を見るに、開発なしの成長は本末転倒との趣旨なんだろうと受け止めています。成長については、著者たちは国民の豊かさが増すとともに、財政的にも開発に充当できる財源を増やすわけですから、大いに肯定的なんですが、結果としてインドの現在の成長はいわゆる富裕層を豊かにするだけで、多くの貧困層に行き渡っておらず、そのためには教育や医療や公共設備などの充実という開発を行う必要があるというわけです。しかも、インドは同じ新興国の中国とともに、かなり不平等の大きな国であると認めつつ、インドは中国と違って国民のかなりの部分が生活上の必要条件を満たしていないという異常性も指摘しています。はじめにの章で、成長を開発に結び付ける好例として日本が上げられています。ただし、いわゆる戦後高度成長期の日本ではなく、明治期からの学校教育の普及や医療制度の充実などを重視している姿勢が伺われます。また、セン教授の開発に関する視点は常に人間の潜在能力=capability なんですが、随所にそういった趣旨の方向性が明示されています。制度的な面もあって、インド経済特有の問題、例えば、カースト制度などの開発阻害要因もあって、すべての発展途上国に当てはめることの出来る処方箋では決してありませんが、教育や医療の重視など、かなり応用範囲の広い論考となっています。インドに特化した知識を求めるのではなく、開発や途上国経済に共通した幅広い見識が得られることと期待できます。

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次に、ポール・クルーグマン/浜田宏一『2020年世界経済の勝者と敗者』(講談社) です。著者は言うまでもなく、著名なノーベル賞エコノミストとアベノミクスを支える大御所エコノミストです。英語による対談を翻訳した形で出版されています。構成は4章からなり、米国、日本、欧州、中国と主要な経済研を順に論じています。金融政策を重視するリフレ派のエコノミスト2人の対談であり、主張に大きな隔たりはないんですが、細かな点ではいくつか違いが見い出されます。例えば、最初の米国の章でTPPを論じた際に、浜田教授は自由貿易協定と捉えて推進を主張するのに対して、クルーグマン教授は日米の先進国間ではすでにかなり関税率が低いことから、自由貿易推進よりは紛争解決と知的財産権保護でむしろ縛りがかかる可能性が高く、「どっちつかずの反対派」を自称していたりします。日本経済に関しては、先の国際金融経済分析会合と同じように、クルーグマン教授は消費税率の10%への引き上げは回避すべきと指摘しています。さらに、クルーグマン教授はインフレ・ターゲットを4%に設定すべきと主張しつつも、アベノミクスは世界のロール・モデルになりうるとし、正しい方向であるとの認識を明らかにしています。これもクルーグマン教授の主張ですが、欧州については統一通貨ユーロの導入は失敗であったと認め、ギリシアで財政再建を実施した際にマイナスの影響を可能な範囲で相殺するための金融緩和が出来なかった点が悲劇であったと指摘しています。最後に、中国経済の先行きについてもクルーグマン教授は悲観的な見通しを明らかにしています。やや「いまさら感」のある論点が多いのは確かですが、世界経済に対する正しい見方を得るためには適当な材料になる本ではないかという気がします。
どうでもいいことながら、先の国際金融経済分析会合におけるミニッツがクルーグマン教授の大学のサイトにpdfでアップされています。以下のリンクの通りです。消費増税に関して、特にクルーグマン教授から積極的に延期すべきという発言をした部分は p.4 の上の方にあり、"The idea that one should be prioritizing long-run budget issue over fiscal support now seems to me to be extremely misguided. Obviously I am talking about the consumption tax here." となっています。何ら、ご参考まで。

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次に、タイラー・コーエン『エコノミストの昼ごはん』(作品社) です。著者は米国の首都ワシントンにほど近いジョージ・メイソン大学の経済学部教授であり、上の表紙写真にも見える通り、少なくとも日本基準ではややぽっちゃりさんの太目体型です。英語の原題は An Economist Gets Lunch ですから、邦訳タイトルそのままで、2012年の出版です。まあ、賞味期限は長そうなトピックかもしれません。ご本人もお料理するとのことで、後ろの方では料理道具に関する薀蓄も傾けられています。基本は、サブタイトルにある「グルメ経済学」の趣向を漂わせているんですが、特に外食の場合は食事そのもののクオリティを追求しており、レストランの雰囲気とかウェイターの態度などはあまり問題にしていません。要するに、日本的な「おもてなし」の全体像ではなく、食事のクオリティに限ったグルメ経済学といえます。最後の田中秀臣教授の解説にもあるんですが、いわゆるジャンクフードは決して評価しない一方で、決してファストフードを無視してスローフードを評価するわけでなく、吉野屋っぽく言えば「うまい、やすい、はやい」はいっぱいあると指摘しています。また、米国のエコノミストらしく、遺伝子組換作物(GMO)は容認しますし、モンサントなどの巨大アグリビジネスも決して悪者扱いしていません。米国の食べ物は1920年代の禁酒法とその後の戦争と戦後の移民制限で悪化したとの解説から始まって、いろんな食べ物の探訪記を繰り広げています。アルコールと食べ物の関係は私も似たような解釈を取っており、英国の食事が貧相なのはお酒のせいだと受け止めています。フランス、イタリア、スペインなどのラテン国の料理がおいしいのはワインの貢献だと思います。当然ながら、我が日本食も日本酒との組合せで発展して来たと考えるべきです。ただ、私が駐在した国の中で、チリの食事が隣国アルゼンティンに比較してやや劣位にあったのは、ワインのせいではなく、小麦や牛肉などの素材による部分が大きいのではないかという気がしないでもありません。本格的ではないとしても、それなりの経済学的な見方も提供されており、リラックスしてくつろいだ雰囲気で食事を考える面白い本です。でも、同じ趣向で衣服に関するファッション経済学なども出来るような気がしますが、私のようにグルメでもなくおしゃれでもないエコノミストにはムリな話題かもしれません。

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次に、大久保秀夫『みんなを幸せにする資本主義』(東洋経済) です。著者は企業経営者だそうで、本書のサブタイトルになっている公益資本主義を広めるための団体なども主催しているようです。ということで、市場原理主義的な英米型資本主義と中国のような国家資本主義に対置して、第3の極としてその昔の日本的な公益資本主義を提唱しています。定義はハッキリしないものの、何となく感触として理解できそうな気もします。もちろん、ギリギリ詰めて行くと、かつての日本的なシステムのどこを修正して、どこを維持するのかは決して自明ではなく、本書でも銀行などの金融機関の護送船団方式は放棄すべしとする一方で、日本的な雇用システム、すなわち、長期雇用と年功賃金と企業内組合についてはハッキリしません。明記はされていなかったように記憶していますが、資金需要などの書き振りからすると、企業経営については短期的な視点よりも長期的な視点を重視するようですし、アングロサクソン的な株主偏重のコーポレート・ガバナンスを否定する一方で、かなり偽善的なCSRにも批判的であり、CSV = Creating Shared Value を推奨しています。トヨタのAA型種類株式発行を大いに評価して、企業のサイドから出来る公益資本主義の推進を目指す一方で、第8章の地方創生のためには、政府の介入を必要と考えているようで、例えば、シンガポールのような法人税や個人所得税をゼロにする一方で地方への手厚い財政資金の配分など、大きく矛盾するように見えかねない主張も展開されています。ただ、本書の著者の主張の中で私が支持できるのは、公益資本主義という得体の知れないシステムではなく、教育にもっと財政リソースやその他の各段の配慮が必要だという視点です。ただ、高齢者に手厚い社会保障に対しては特に批判は取り上げられていません。公益資本主義というのがよく理解できないままに読み終えそうになると、あとがきとして著者の主宰する公益資本主義推進協議会なる団体の紹介があったりして、私のような理解の進まない人は資料照会でもオススメしているのか、という気がしないでもなく、これが目的なんだろうかと勘繰ってしまいます。

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次に、ゴードン S. ウッド『アメリカ独立革命』(岩波書店) です。英語の原題は The American Revolution: A History であり、そのままです。原書は2001年の出版ですが、決して賞味期限は切れていません。著者はアメリカ独立革命期についての研究・著作で知られる歴史家であり、アイビー・リーグの名門のひとつブラウン大学名誉教授です。米国の人にとっては、いわば日本人が明治維新について勉強するような題材を本書は扱っているんだろうという気がします。訳者あとがきによれば、本書は専門的な著書を一般向けに要約したものであって、対象期間は1760年代ころの北米植民地への移民急増に伴う人口拡大期から、1775-83年のブリテンと13植民地との独立戦争、さらに、1987年の連邦憲法制定までを収録しています。大英帝国のシステムのなかで発展した北米植民地は、本国とどのように対立し、なぜ独立を選ぶことになったのか.独立戦争の過程で広がりをみせた共和主義の思想は、アメリカ社会をどのように変えていったのか.アメリカ歴史学の泰斗が米国独立革命の起源から連邦憲法の成立までをたどりながら、全体像をコンパクトに描き出しています。独立戦争にはそれほど重きは置かれておらず、私も専門外もはなはだしいところですが、独立後のあるべき国の形について議論が始まり、共和主義政体が少しずつ具体化されていき、ついには連邦憲法に結実します。歴史上、空前絶後のほとんどゼロから人工的に建国された国の憲法制定のプロセスは、社会科学分野での人類の英知というものを大いに感じさせます。もちろん、ネイティブ・アメリカンの駆逐と収奪の歴史であり、植民した白人による一方的な主張なのかもしれませんが、現在に至るまでの世界的な大国としての米国の原点を探る上で参考になる教養書と言えます。

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次に、高橋洋一『戦後経済史は嘘ばかり』(PHP新書) です。高度成長期の通産省の産業政策への疑問や1970年代のいわゆる狂乱物価の原因を第1次石油危機ではなく過剰流動性に求めるなど、一般には通説として理解されているいくつかの事実について、正しい方向での異論を提示しています。ただし、それほど上品な提示ではなく、学術書というよりは週刊誌レベルの表現方法ではないかと見なす向きもありそうな気がしないでもありません。でも、本書の主張の中身は、かなりの程度に正確ではないかと私は受け止めています。高度成長期の産業政策がほとんど何の役にも立っていなかった点については、おそらく、キチンとした分析を行ったエコノミストの間ではほぼコンセンサスでしょうし、狂乱物価は石油危機をひょっとしたら引き金にはしたかもしれませんが、その前段階からの過剰流動性が直接の原因だったことも、エコノミストの枠を超えてかなりの共通認識になっているような気がします。ただ、高度成長の実現については本書の主張のように、単に1ドル360円の為替レートによりもたらされた、とは私は考えていません。すなわち、少し前までの中国の高成長と同じで、輸出促進的な為替レートとともに、ルイス・モデルないしハリス=トダロ・モデルのような二重経済下で、ルイス・モデルの用語に即して言えば、地方の農村などの生存部門から都市部の製造業や商業などの資本家部門に労働力が流入ないし移動した点が決して無視できないと考えるべきです。「嘘」と表現するか、「事実誤認」ないし「誤解」とするか、表現上の論点かもしれません。

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次に、ブルース・ローレンス『コーランの読み方』(ポプラ新書) です。著者は米国デューク大学のイスラム学の教授であり、明記はしてありませんが、イスラム教徒ではなくクリスチャンらしいです。英語の原題は The Qur'an であり、そのまま「コーラン」です。本書の冒頭に、目次前に訳者の解説と目次後に訳者のまえがきがあり、やや訳者が過剰に出張っている気がしないでもありませんが、まあ趣味の範囲かもしれません。それはともかく、本書はたんなるコーランの紹介や解釈にとどまらず、欧米社会におけるイスラム思想の需要の歴史についても何点かの解釈を試みています。ただ、私の頭が悪いだけかもしれませんが、とても難しいです。本書を離れて、インドネシアに3年在住した私のイスラム理解に従えば、イスラム教徒はユダヤ教とキリスト教のラインに乗って、これらの一神教をさらに進歩、というか、純化させたものだとイスラム教徒は理解しています。ユダヤ教とキリスト教が同じラインに乗っている点は多くの日本人も理解しているような気がしますが、そのさらに延長上にイスラム教がある点についてはまだ理解されていないような気がします。ですから、イスラム教徒は豚肉は決して口にせず、視界に入ることさえ嫌がる人もいるくらいですが、それ以外の獣肉についても、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒がしかるべく手順を踏んで処理したものでなければ口にすることは許されません。仏教徒ではダメなんです。また、預言者モハメッドに神の言葉を伝えたのは大天使ガブリエルですから、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教のそれぞれの神は同じなんではないかと私は想像しています。ただ、キリスト教にはイエスという厄介な存在があり、父なる神と子なるイエスと精霊は三位一体、とされているだけなんだろうという気はします。どうでもいいことながら、私の昔からの疑問は祈りの言葉や感謝の言葉を口にする点を不思議に思っていました。すなわち、日本の分業制の八百万の神々とは違って、全知全能の神の存在する一神教ですから、私ごとき者の望みや感謝は神はすべてお見通しなわけで、わざわざ口にする必要はないんではないかと考えていました。まあ、いずれにせよ、私のようにイスラム教は難しいと感じているのも、ひょっとしたら何らかの偏見なのかもしれません。グローバル化が進んで、隣人として接する機会のある世界では、それぞれの相互理解のために宗教の勉強も必要になりそうな気がします。

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最後に、纐纈厚『暴走する自衛隊』(ちくま新書) です。著者は山口大学教授で政軍関係史などがご専門のようです。先週3月29日でしたか、安全保障関連法が施行され、私が官邸近くを通った際にも抗議行動を見かけたりしましたが、本書ではいわゆるシビリアン・コントロールが安保法でいかに変化し、自衛隊が暴走する可能性が生じたかについて論じています。安保法の背景となった北朝鮮の核開発や中国の海洋進出などについては特に触れられていませんが、これらの世界情勢の変化は安保法による我が国安全保障政策の転換には大きな変化をもたらす要因ではないと私は考えていますので、その点に不満はありません。すなわち、北朝鮮や中国の軍事力の増強に、どうしてもバランス・オブ・パワー、勢力均衡で対抗せねばならないとすれば、戦力の量的な増強で足りるハズであり、質的なシビリアン・コントロールの変更で対応すべき課題と考えられるのかどうか、専門外ながら私には疑問です。さらに言えば、勢力均衡で戦争や武力衝突を防止するという考え方自身にも、核兵器の抑止力を別にすれば、私の考えでは疑問が残ります。いずれにせよ、安保法性の前段階から含めて、ていねいに自衛隊に対する政治や文官からのシビリアン・コントロールへのバイオレーションに対する指摘を著者は集約しています。ただ、私が疑問と考える勢力均衡による抑止力という概念は特に批判の対象になっていません。加えて、私は自衛隊は国内のシビリアン・コントロールが効かなくなっても、軍事行動では米軍の指揮下に入るので、その方面からのコントロールが出来るんではないかと考えているんですが、本書の著者はどうも講座派的な対米従属の観点はないようです。少し心配です。

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