今週の読書は井堀先生の消費増税論など計7冊!
今週の読書は、財政学の権威である井堀先生の『消費増税は、なぜ経済学的に正しいのか』ほか、教養書や宗教書(?)、さらに、話題の小説も含めて全部で7冊です。なかなかペースダウン出来ません。
まず、井堀利宏『消費増税は、なぜ経済学的に正しいのか』(ダイヤモンド社) です。著者の井堀教授は財政学や公共政策学に関する著名なエコノミストであり、東京大学名誉教授です。本書は3部構成から成っており、第1部で財政再建の重要性を強調し、第2部で世代間不公平を是正するための年金と医療の改革を提示し、最後の第3部でシルバー民主主義を是正するための選挙制度改革などにも言及しています。第1部では財政再建を楽観視させる4つのポイント、すなわち、成長への依存、消費増税のダメージの大きさ、基礎的財政収支の均衡と財政再建の違い、などについて、ていねいに井堀教授の元来の説を敷衍しつつ、明らかに次世代へのツケの先送りである財政再建を歳出と歳入の両面から強力かつ早期に開始する必要性を強調しています。不平等是正なども、それなりの財政収入がなければ、「ない袖は振れない」わけですから、社会保障政策のためにはそれなりの歳入確保は絶対に必要なんですが、このブログでも何度か指摘した通り、我が国のシステムは、集めた税金を社会保障で国民に還元する福祉国家ではなく、トリクルダウンを期待して土木建設により還元する土建国家ですので、不公平感が強くて増税に対する抵抗感が強く、単に税制だけでなく支出面での適正化も含めた議論が必要です。第2部では、年金などは現行の賦課方式から積立方式に移行して世代間不公平を改善するという意見は従来から根強く存在するんですが、井堀教授はさらに個人積立方式への移行を視野に入れています。詳細は省略しますが、誤解を恐れず私なりに短く表現すれば、子供がいて年金保険料を支払ってくれないと親には年金が支払われない、というシステムです。もはや社会保障ではなく、家族単位での老後保障でしかないような気もするんですが、ひとつの意見かもしれません。最後のシルバー民主主義の克服の部では、選挙制度で青年・中年・老年の3部構成の議会とか、余命別選挙制度とか、極めて画期的ながらすでにいくつかの研究成果の出ている民主主義システムを紹介しています。ただし、最後の納税者投票というのは、私には少し違和感がありました。
次に、エコノミスト誌編集部による『通貨の未来 円・ドル・元』(文藝春秋) です。4部構成となっており、ドル、元、ビットコインなどの仮想通貨、そして、円の4通貨を対象にして、基本的に、すでにエコノミスト誌に掲載された記事をアンソロジーのように編集しています。ただし、円の部の2章だけは書き下ろしとなっています。ドルの部が5章、というか、記事5つ、元が記事4つ、仮想通貨と円がそれぞれ記事2つ、ですから、円の部は記事がなくて書き下ろしだけなわけです。現時点での世界経済における重要性を象徴しているウェイトではなかろうかと受け止めています。現在の国境を超えるいわゆるクロスボーダーの取引で用いられる決済通貨のうち40パーセントあまりはドル建てであり、いわゆる基軸通貨の役割を果たしています。そして、本書でもドルに代わる基軸通貨は見当たらいと結論しています。ユーロを思い浮かべる人も少なくないんでしょうが、ユーロは裏付けとなる主権を有する国家があるわけではありませんから、欧州で消滅が合意されればその瞬間に消えてなくなる可能性があります。元が基軸通貨になるためには中国国内の金融市場が相当程度に成熟する必要があり、流動性を高め、世界で受け入れられる通貨とならねばなりなせんし、現時点でも元がいわゆるハードカレンシーなのかどうかは疑問があります。さいごの2章で書き下ろされた日本経済については、日銀のインフレ目標は非現実的で失敗と断定し、アベノミクスにも辛い採点がなされています。繰り返しになりますが、基本はすでに掲載された記事をテーマにそって集めているだけですから、毎週のエコノミスト誌をたんねんに読んでいれば本書を読む必要はないわけで、最期の日本経済の2章だけを立ち読みで済ませるという手もありそうな気もしました。
次に、スコット・パタースン『ウォール街のアルゴリズム戦争』(日経BP社) です。著者はウォールストリート・ジャーナル紙をホームグラウンドとするジャーナリストです。本書の英語の原題は Dark Pool であり、ヘッジファンド用語で、ビッドやオファーといった気配値が公開されない場を通じて、取引当事者同士が直接交渉することで価格を決定して取引が成立する取引環境を指します。ただ、出版は2012年ですから、決して、直近の最新情報まで収録されているわけではないので、その点は注意が必要です。1987年10月のいわゆるブラック・マンデーでもインデックス取引が大きな下げのひとつの要因としてクローズアップされましたが、その後、1990年代半ばからコンピュータによる高頻度取引が現れ、さらに、その高頻度取引が人間ではなくAIによって指示されるほぼ自動的・自律的なアルゴリズムにより繰り返され、株式市場が歪められていく様を、本書では20年近い歴史的スパンで追跡しています。巨大な投資銀行などと違って、あまり表に出ることのないヘッジファンドで活動し、これまた、それほどの著名人ではないファンド・マネージャーや規制当局の責任者などの実名がポンポンと小気味よく飛び出すノンフィクションです。本書では株式市場に的を絞って、コンピュータや人工知能(AI)による取引の実態を明らかにしていますが、逆からエコノミストの目で見ると、ある意味で、すなわち、市場がファーマ教授のような意味での効率的な状態になったがために、アノマリを得るためにはピコ秒やナノ秒単位で超高速の取引を行う必要が出て来たんではないかと想像しています。ただし、本書では日本語で「裁定取引」=アービトラージが出現するのは p.431 だけではないかという気がします。「アノマリ」はそもそも出て来ません。裁定取引でサヤを抜くのはソロモン・ブラザーズ証券のメリウェザー率いる債券アービトラージ部門が有名だったんですが、国債ではなく株式市場でどこまでアノマリが生じて裁定が可能なのかは議論があるところかもしれません。最後に、やや邦訳に疑問が残る部分があります。すなわち、「アノマリ」が出現しませんが、何か、別の訳語が当てられているのかもしれません。あとがきで、「破綻するには大き過ぎる」というのを見かけて、たぶん、Too Big to Fail なんだろうと思いますが、何とかならないものかという気がします。最後の最後に、「ブロード街50番地」なる住所も頻出しますが、まさか、Broadway ではないでしょうね。
次に、小倉和夫・康仁徳・日本経済研究センター[編]『解剖 北朝鮮リスク』(日本経済新聞出版社) です。水爆実験を成功したと称したり、ミサイル発射を宣伝したり、労働党大会を36年振りに開催したりと、謎に満ちた隣国なんですが、その北朝鮮を最新の情報に基づいて第一級の研究者が分析したのが本書です。全12章のうち前半部分6章は北朝鮮に関するデータというか、政治経済外交などに関する知られざる事実を網羅し、後半部分6章で対応策を披露しています。何分、私も知らないことばかりなので、本書の内容がどこまで真実なのかどうかは検証のしようがありませんが、それなりに示唆に富んだ内容です。現在の3代目の指導者が、かなり予測不能で危険で暴力的といわれている一方で、米国大統領選挙の共和党予備選でトランプ候補が事実上勝利し、ピュー研究所の世論調査などでも米国が孤立化の方向に動き出す可能性も少なくなく、「アジアの問題は勝手にアジアで解決すべし」なんて方向性が打ち出されたりすると、我が国としては米国抜きでどうすべきなのか、まったく私には何の見識もないんですが、それなりに勉強にある1冊でした。いずれにせよ、北朝鮮を対抗軸に考えると、竹島や慰安婦問題などで同盟国である日韓関係がぎくしゃくするのは米国は避けたいところではないかと思います。北朝鮮は末期症状という意見も捨てがたいものがあり、その際、私は勝手に朝鮮半島が統一されるとすればドイツ型であって、まさかベトナム型ではなかろうと予想しているんですが、まったく根拠はありません。中国が少なくともIS対策などで世界のリーダーシップを取ることは想像されないものの、さすがに北朝鮮への対応では何もしないわけでもないでしょうし、単に北朝鮮一国の「解剖」だけでなく、ロシアとまではいわないものの、中国の反応くらいは知りたい気もします。エコノミストの専門外もはなはだしい分野ですが、日本人として可能な範囲で知っておきたい知識が本書から得られると思います。
次に、オースティン・アイヴァリー『教皇フランシスコ』(明石書店) です。この出版社からは何冊か教皇フランシスコの著書や、本書のようなドキュメンタリーというか、ノンフィクションというか、関連書籍が出版されています。教皇自身の手になる『教皇フランシスコ いつくしみの教会』とか、発言集のような『教皇フランシスコ 喜びと感謝のことば』などです。本書は2013年3月に就位した教皇フランシスコの半生記であり、著者はイエズス会の雑誌をホームグラウンドにする米国人ジャーナリストです。というのも、教皇フランシスコはイエズス会士として初めて教皇に選出されたからではないでしょうか。英語の原題は The Great Reformer であり、英語で言うところの定冠詞を付けて、大文字で始める the Reformation は日本語で言うところの「宗教改革」を意味しますから、とても意味深長なタイトルです。初のイエズス会士にして、初の南米出身、でも、実はイタリア人の家系出身、という複雑な人脈の中で選出され、改革派かつ南米出身でもイタリア人という細かな条件を満たし、ラテン人的な明るい人柄の教皇を本書ではいきいきと描き出しています。教皇フランシスコとなる前のホルヘ・ベルゴリオ神父ないし枢機卿の2世代くらい前の南米に移住して来た家族の物語から始めて、神学校へ進み聖職者となり、枢機卿から教皇に聖職者の階段を上り詰めるまでの半生をたどっています。本書では、母国アルゼンチンでのペロン政権やエビータ政権との複雑なかかわり、1970年代から80年代初頭の軍事独裁政権下での宗教者としての活動、マルクス主義的な「解放の神学」の解釈をめぐる葛藤、イエズス会の内部分裂と孤独の体験、さまざまなこういった困難をどう乗り越え、どのように枢機卿から教皇の座に上り詰めたのか、また、教皇になった最初のインタビューで明らかにした「貧しい人のための貧しい教会」という思想はいかにして生まれたのか、カトリック教皇庁にはどのような改革が必要なのか、こういった困難で重厚な問題を正面から取り上げ、明確で唯一の解決策のない議論ながら、教皇フランシスコの確固たる方向性を著者は強く支持しています。南米出身の教皇を育て上げるという小説には、かの有名なガルシア-マルケスの『百年の孤独』があります。ご興味ある向きは併せて読んでおくといいかもしれません。
次に、宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋) です。ご存じ、今年の本屋大賞の第1位に選出された小説です。今年2016年1月18日付けのエントリーで、直木賞はこの作品ではないかと考えていた旨の投稿をしました。青山文平『つまをめとらば』も読んみましたし、いい作品だと思うんですが、両方読んで、ついでに、候補作品として上げられていた柚月裕子『孤狼の血』も読んで、やっぱり、直木賞は『羊と鋼の森』ではなかったのか、という気になりました。でも、直木賞としては大衆文学的なエンタメの要素というか、ひねりがなくて、むしろ純文学的な作品なので避けられた可能性もあるかもしれないと感じました。ということで、北海道の高校2年生が板鳥さんという優秀なピアノ調律師と出会い、自身がピアノ調律師になり板鳥さんと同じ会社で働きつつ、ピアノを弾くふたごの姉妹と出会い、また、いろんな経験を積んで、人間としても調律師としても成長していくという数年間を軽やかな文体で温かく静かに見守るような視点から小説として綴っています。実は、私は25年ほども前に南米チリに外交官として赴任する際、88鍵フルスケールのピアノを日本から持って行きました。外交官ですから通関もなく、よほどの明らかなご禁制品でない限り持ち込みは自由です。ただ、いわゆる電子ピアノでしたので、調律は一切不要でした。チリ大学音楽学部の助教授にレッスンを受けていました。電子ピアノではない、いわゆるアコースティックなピアノは、この作品にあるように調律によりかなり鳴り方が変わります。でも、ここまで自由自在に調律できるとは知りませんでした。別の視点ながら、少し本書がズルいと感じるのは、ピアノを持っていて調律をお願いできる家族や人というのは、自分がそうだったからというわけではありませんが、それなりの所得に恵まれて社会常識からすれば決して悪くない生活が可能で、短くいえば、ゆとりある上品な人達なんだろうと思います。おそらく、接していてそれほど不愉快でなく、余裕を持って鷹揚に構えている人が多いんではないかという気がしますので、そういった人達を中心に据えた小説にすれば、それなりに品よく温かな作品が出来そうな気もします。ズルい、とも、よく考えられた、ともどちらともいえそうです。ヤクザと警察を扱った『孤狼の血』よりは万人受けする可能性が高いんではなかろうかと考えてしまいました。
最後に、旦部幸博『コーヒーの科学』(講談社ブルーバックス) です。著者は医学薬学系の研究者です。タイトルそのままで、要するに、コーヒーについて、香りやおいしさなどの科学的な分析を行うとともに、実践編として、なぜか豆のひき方が欠けているんですが、コーヒー豆の栽培から始まって、飲む直前の抽出までが網羅されています。ブルーバックスのシリーズですから、それなりに科学的な知識のバックグラウンドを必要とします。少し前にワインの新書を読みましたが、その続きみたいなもんです。食べ物はさて置いても、飲み物でコーヒーとビールについて、私はどちらも決して嫌いではないんですが、通常のおいしさとは違う何かがあると私は考えています。すなわち、人間のエネルギー源になるのは糖類であり、多くの人間はそれを甘くておいしいと感じ、エネルギー源を摂取するように自然の摂理が出来ているわけですが、コーヒーは明治の最初のころには、日本人の口には受け入れられませんでしたし、ビールをおいしいとは感じない人もいそうな気がします。主として、苦いからです。ただ、本書ではなぜそれを好きになるかまでは、心理学的なカテゴリーなのかどうか、解明してくれてはいませんが、少なくともおいしいと感じる科学的な根拠については、例えば、成分とは閾値とかは明らかにしてくれています。私なんぞはカフェや喫茶店で飲むだけなんですが、好事家はさかのぼる傾向があり、まず、挽いたコーヒー豆を買って自分でいれます。そして、さらにさかのぼると、焙煎したコーヒー豆を買ってきて、自分で挽いて、そして抽出するんだろうと思います。さらにさかのぼれば、生豆を入手して焙煎して、以下同様となり、まさかとは思いますが、自分でコーヒーノキを入手して育てる人もいるかもしれません。ただ、私が本書で不思議だったのは、先ほど触れた通り、コーヒー。ミルで豆を挽くという過程を無視している点です。私の高校生の頃に、私の両親はコーヒー・ミルを近所でもらって、焙煎した豆を買って来てミルで挽くようになったと記憶しています。もう一つはブレンドを無視している点です。喫茶店に入って「ブレンド」と注文する人は少なくないですし、ブレンドすることにより品質が向上する場合も少なくありません。ブレンドでよくなるのは繊維、コメ、ある種の合金など、決して少なくないんですが、コーヒーもその典型的なブレンドが成り立つものだと私は思っています。ということで、本書のスコープ外なのかもしれませんが、科学的な難しさとともに、少し物足りなさを感じました。
| 固定リンク
コメント