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2016年5月21日 (土)

今週の読書は経済書と教養書・専門書に加えて、伊坂幸太郎の『サブマリン』などの小説もあって計7冊です。

今週の読書は経済書と教養書・専門書に加えて、伊坂幸太郎の『サブマリン』などの小説もあって計7冊です。

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まず、ポーラ・ステファン『科学の経済学』(日本評論社) です。著者はこの分野の専門家で、すでに70歳を過ぎていると思いますが、長らくジョージア州立大学教授の職にあります。専門は経済学であって、いわゆる「科学」ではありません。本書は2010年に出版された Handobook of the Economics of Innovation" の第5章の翻訳です。タイトルはそのままと考えてよさそうです。ただし、本書の「科学」とは基本的に自然科学であって、社会科学は含まれていません。ということで、科学的な学術活動が成果を得ると生産分野におけるイノベーションを通じて経済成長にスピル・オーバーする、というのがエコノミストの基本的な考え方で、これに従って科学の活動の生産性、というか、経済への影響を分析しています。一般の私的財と異なり、学術研究の成果やいわゆる知識と呼ばれるものは、公共財的に排除原則が作用せず、だれもが利用可能になる一方で、その知識を応用して生産物にする場合には、特許が成立すれば独占的な利益が得られます。基礎研究と応用研究でかなり大きな違いがあるわけです。しかも、特許が典型なんですが、勝者総取り方式です。2番目以降の発明や発見に対しては特許は与えられず、利得はゼロとなります。非常に興味ある点として2点取り上げると、科学の学術活動にはそれなりのライフ・サイクルがあり、当然ながら逆U字カーブを描きます。ノーベル賞受賞者のピークは30歳から31歳くらいだそうです。どうでもいいことながら、少なくとも出版された学術論文に限って言えば、私の学術活動のピークは50歳くらいだったような気がします。もう1点は性差です。科学分野の学術活動では、歴然として男女の差があります。そして、歴史的にこの差が縮小する方向には決してありません。この理由は私には理解できないところです。最後に、STAP細胞があるのかないのかで話題になりましたが、科学的な学術研究の成果が経済的にどこまで報いられるかのシステムによっては、インチキをしようとするインセンティブが生まれる可能性があります。私はジャカルタにいるころに、名古屋大学のエコノミストを招いてインドネシア政府の役人たち向けにセミナーを開催した経験があり、その女性が当時ノーベル化学賞を授賞したばかりの野依教授と親しかったものですから、ノーベル賞を受賞しても金銭面でまったく報われない日本的な研究システムについてさんざん聞かされた記憶があります。インチキのインセンティブを生むほどの高額の報酬とその昔の何も報酬のないシステムと、その間のどこかに最適解があるんだろうと思います。インチキではなく実際の成果につながるようなシステム設計が可能かどうかは、解はあると仮定しても、それが制度的に実現が可能かどうかは不明なような気がします。

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次に、安部修仁・伊藤元重『吉野家で経済入門』(日本経済新聞出版社) です。著者は吉野家ホールディングスの会長と著名なエコノミストで東大教授です。同じ2人の共著で、2002年に『吉野家で経済学』という本が出版されているらしいです。2002年当時、我が家は南の島の海外生活でしたので、私はまったく前著は記憶にありません。ということで、当然ながら、吉野家の経営に関する本なんですが、前著と同じように対談の口述筆記の形式を取っています。もちろん、提灯持ちの出版なんですが、同じ提灯持ちでも、『海賊とよばれた男』の出光興産と違って、吉野家は賞賛に値する企業だと私は考えています。すなわち、本書には出て来ませんが、割り箸をヤメてリターナブルな箸にしたり、従業員も使い捨てのブラック企業と違って、きちんとした正社員登用制度もあり、なんといっても、商品開発力、というか、イノベーション力が違います。私は日本の企業の中で、私の世代が感じることが出来る範囲で、もっともイノベーションの優れた企業のひとつではなかろうかと考えています。ほかは、ヤマト運輸とセブン・イレブンなどです。私の世代が体感できる範囲からは少し古く、例えば、戦後の企業ではホンダやソニーも上げられるでしょうし、その前となれば、現パナソニックの松下電産なども入るかもしれません。また、外食産業というスコープで考えると、国内企業と外国企業が入り乱れているのが実感でき、その意味で、国際化が進んでいるともいえます。吉野家をはじめとする牛丼店やいくつかの回転寿司やファミレスなどの国内勢のほか、海外勢のマクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、ミスター・ドーナツ、そして、カフェのスター・バックスなど、枚挙に暇がありません。その昔、我が家の子供達が小さいころは、私もマクドナルドが好きだったりしたんですが、青山に住んでいた折りには徒歩圏内に3-4店舗あったスタバに行く機会もめっきり少なくなり、今では、吉野家とミスター・ドーナツを使い分けています。すなわち、食事に適した吉野家には長居できない一方で、オヤツに適したミスター・ドーナツで読書したりしています。また、我が家の上の倅が私以上に極端なんですが、個人店舗の喫茶店などよりも、今では何らかのチェーン店の方が、個性はないにしてもクオリティに安心かがあるような気がします。エコノミスト誌が購買力平価でビッグマック指数を明らかにしているのと同じ感覚かもしれません。

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次に、マッケンジー・ファンク『地球を「売り物」にする人たち』(ダイヤモンド社) です。著者は「ニューヨーク・タイムス」や「ナショナル・ジオグラフィック」などに寄稿した経験を持つジャーナリストであり、本書の取材に6年かけたとされています。英語の原題は Windfall であり、風で落ちた果実を意味しますから、日本語でいえば「たなぼた」といったところで、2014年に出版されています。気候変動の負の面ではなく、ビジネス・チャンスと捉えて儲け話を進める人たちを取材しています。ただし、決して肯定的にオススメするかのような切り口ではなく、批判的に、とはいわないまでも、事実を淡々と記述しているように受け止めています。温暖化による海水面の上昇は南の島を水没させる一方で、極地に近い氷河を融解させて利用な好な土地が増加する可能性も含んでいます。その土地からエネルギーや何らかの天然資源が採取できれば、経済社会にプラスかもしれません。ということで、本書では3部構成を取っており、融解、旱魃、洪水、となっています。日本人はパニック・シナリオが好きで、ゴジラが東京に来てすべてを破壊するようなストーリーに飛びつくんですが、経済社会全体で考えると、ゼロサムとまではいわないまでも、どこまでマイナスが発生すれば、それを埋め合わせるほどではないにしても、どこかでプラスが発生している可能性が十分あります。でも、何らかの変化が好ましいかどうかは、エコノミストは価値判断したがらないんですが、それなりに考慮する必要があり、例えば、少子高齢化や地球温暖化については、私は何らかの防止策が考慮されて然るべきではないかと考えています。本書でも著者は、気候変動にビジネス・チャンスを見出そうとする人々について「1人として悪人には出くわさなかった」(プロローグ p.xv)という一方で、「誰かを犠牲にした利益」(エピローグ p.403)に手を伸ばすことが本当に正義なのかどうか、を問うています。私が今まで気候変動や地球温暖化問題について手にした本では、ほとんどすべてが温暖化の緩和を訴えていた内容だったのに対し、本書は新たな観点を提示しているともいえます。それなりに耳を傾けるべきなのかもしれません。

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次に、白石隆『海洋アジアvs.大陸アジア』(ミネルヴァ書房) です。著者は主としてアジア地域をホームグラウンドとする政治学者であり、政策研究大学院大学の学長やアジア経済研究所の所長などを務めています。本書はミネルヴァ書房の雑誌「究」掲載のための4回の講演を基に書籍化されており、4章構成です。私は京都にあるミネルヴァ書房の本社の場所を知っていますが、あの山科の本社での講演だったんでしょうか。それはともかく、2015年半ばの時点から論じています。長期、といってもせいぜいが数十年のスパンから、地政学的な観点も含めて、主として経済の規模などを基礎として、アジア各国の戦略的な動向を踏まえた上で、日本の国家戦略を論じています。米国のオバマ大統領が従来の欧州との大西洋関係ではなく、アジアとの太平洋重視を打ち出し、6:4で軍隊を太平洋に展開しているわけですから、経済はいうに及ばず世界の政治外交の中心が大西洋から太平洋に徐々に移動している可能性は考慮すべきです。欧米で一括りにされる大西洋関係がキリスト教という宗教的な同一性、カトリックかプロテスタントかはさて置き、で考えられるのに対して、オーストラリアやニュージーランドも含めたアジア太平洋には、いわゆる3大宗教がすべて取りそろえられています。タイは仏教ですし、マレーシアやインドネシアは主としてイスラム教です。そして、経済的には何といっても1980年代の日本、さらに、2000年以降の中国の台頭が目覚ましく、大きな地殻変動を生じています。日本は米国との同盟関係がある一方で、中国はそうではない点がそれなりの重要性を帯びてきます。米国を軸として日韓両国は同盟関係にある一方で、現在の韓国の朴政権や日本の少し前の民主党の鳩山政権などは、米国から距離を置いて中国に接近する姿勢を示したこともあります。米国がアジア太平洋で果たすべき役割については、本書でも、アイケンベリー流の米国の役割を重視するリベラル・リアリズムと、ブレマー流のG0とを本書でも第1章で取り上げつつ、実は、中国はグローバル・ガバナンスの点で米国にフリー・ライドしている点を強調したりしています。他方で、米国でもいわゆる「関与とヘッジ」の政策で中国に接しており、強固に日韓との同盟関係の優先順位を不変と考えるばかりではない可能性も示唆されています。さすがに、この方面の一流の専門家になる本だけに、私にも参考となる部分が少なくなかったんですが、3点ほど疑問を呈すると、第1に、すでに書きましたが、宗教的な側面がとても軽視されているように感じます。第2に、著者は安倍政権の安全保障政策を手放しで肯定しているように見受けられますが、ホントにそれでいいのかどうかは疑問が残らないでもありません。第3に、本書のタイトルが内容を表していないような気がします。著者の白石先生はマハン的な『海の帝国』という著書もあるんですが、本書は陸と海の戦略論からはほど遠い気がします。何か、適当なタイトルはなかったんでしょうか?

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次に、ボストングローブ紙『スポットライト 世紀のスクープ』(竹書房) です。ご存じの通り、今年のアカデミー賞を受賞した映画の原作本であり、英語の原題は Betrayal すなわち、裏切りです。オリジナルの出版は2002年ですが、映画化に合わせて昨年2015年に増補改訂版が出版されています。かなりの著名作ですから、内容の想像はつくと思いますが、要するに、米国のカトリック教会内における小児性愛などの逸脱行為を行った神父の存在を明らかにするとともに、これらの不法行為や神父の存在について秘匿しようとしたり、あるいは、分かっていながら聖職にとどめ続けた教会組織のあり方に疑問を投げるというか、あからさまに批判しています。ジャーナリズムですから、事実をていねいにインタビューをはじめとする取材から明らかにしています。ただ、メディアの常なんですが、事実を明らかにするだけで、その原因を追求するのは因果関係に光を当てる科学の役割ですし、その原因究明に基づいて対応策を立案するのは、本書の場合は違うんですが、往々にして政府の役割だったりします。私の知る範囲で、読売新聞が年金制度の提案をしたことがありますが、本書では異常というか、性的な犯罪行為を明らかにし、それを隠匿ないし無視した教会組織のあり方を批判しているわけです。特に、米国の場合は訴訟社会ですから、聖職者や教会の犯罪行為・不法行為はかなり高い確率で裁判を引き起こし、その結果は犯罪者や犯罪者を隠匿した組織が負うことになります。それは大いに結構な正義なんですが、後追いではなく、先行きの犯罪行為の防止につなげる志向も大切ではないでしょうか。本書を読んだので、私は映画の方はとりあえずパスして、後ほどDVDを借りてみるのも一案か、と考えないでもありません。

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次に、伊坂幸太郎『サブマリン』(講談社) です。人気ミステリ作家の書き下ろし作品であり、12年前の『チルドレン』の続編です。ですから、主人公は家庭裁判所調査官の陣内と武藤です。傍若無人で発言も率直極まりない陣内とより常識人に近い武藤のコンビで、人事異動先の東京にて再会し、さらに新たな同僚として女性の調査官が加わっています。ほとんど感情を表に出すことなく機械のような印象で、口癖は「それって必要ですか」だそうですが、出番は限られており、陣内と武藤のコンビで物語が進みます。今回の表のテーマは自動車と交通事故であり、触法青年は無免許運転で暴走事故を起こし早朝のジョギング中の中年男性をひき殺してしまいます。よくいわれる通り、当然といえば当然ながら、故意の殺人と異なり交通事故の死亡事故は量刑が格段に軽く、さらに未成年の少年犯罪は「罪と罰」ではなく更生を主たる眼目としていますので、遺族などの被害者側からは疑問の声が上がる場合があったりします。本作では触法青年が交通事故を起こすに至る経緯を陣内と武藤が同僚の女性調査官とともに解き明かすのがミステリの勘どころとなっています。少しずつ真実が明らかにされていく中で、関係ないと見逃されがちだった周辺事情が伏線となり、また、交通事故とは無関係と思える登場人物や出来事が、とてもピッタリと謎解きに関係していたりで、伊坂ワールドが堪能できると思います。私のようなファンだけでなく、多くの方にオススメです。私は伊坂幸太郎のファンですので、12年前の『チルドレン』を読んでいるんですが、ほぼ忘れかけており、前作を読んでいなくてもそれなりに楽しめると思いますし、私なんぞはもう一度読んでみました。作品の中では、新聞記事で「公務員」としか紹介されず、決して社会派ではない陣内と武藤なんですが、それなりに、私の好きな「世のため、人のために役立っている」気がします。

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最後に、島田荘司『屋上の道化たち』(講談社) です。この著者の代表的シリーズのひとつである御手洗潔のシリーズの最新作、シリーズ50冊目に当たる長編書き下ろしです。どうでもいいことながら、本書の最後の部分に50冊すべてがリストになっているんですが、おそらく、あくまでおそらくで、私はすべて読んでいると思います。ということで、本作はT見市なる横浜市鶴見区を強烈に示唆する地域で、地域商店街と銀行の支店を舞台に、自殺するハズがなくて、その旨を明言していながら、銀行支店の屋上から飛び降り自殺をする4人の死について、御手洗潔が謎解きをします。まあ、シリーズ前作『星籠の海』が玉木宏主演で映画化され、6月4日に封切られる予定となっていますが、前作ではまだ朝鮮半島由来の怪しげな新興宗教と対決する御手洗潔という社会派的な正義感も伺われましたが、本作では何もありません。映画化もされないと思います。およそ、社会常識では考えられないような奇っ怪な偶然が重なった事件でしたし、特に面白くもなかった気がします。唯一、作者が考えを巡らせたであろう点は、時代背景をバブル末期で金銭的な倫理観が麻痺していたピークの1991年年末から翌1992年年始に置いたことであり、この点だけは評価できます。デフレの真っ最中に本作のような一般庶民の金銭感覚が示されると、私でなくても疑問に感じる人も多そうな気がします。時間差謎解きで、大昔の事件や謎を解き明かして解決するケースが少なくない御手洗潔シリーズなんですが、本作はワトソン役の石岡が同時進行の1992-92年時点の物語として書いている体裁と解釈すべきなんでしょう。私のように、御手洗潔シリーズをかなり読んでいるファン以外には、決してオススメしません。

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