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2016年8月20日 (土)

今週の読書は読み過ぎて経済書をはじめとして計9冊!

今週は、お盆休みで大規模な帰省ラッシュをニュースで見たりしていたんですが、我が家は下の倅が高校3年生の受験生ですので、私は特にどこかに出かけるということもなく、仕事も決して多忙というわけでもなく、ということで、小説や新書も含んでいるものの、経済書もあって、かなり大量に読み飛ばしてしまいました。ただ、実用書・教養書はなく、新書で代理させています。来週からはもっとペースダウンしたいと思います。

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まず、山田久『失業なき雇用流動化』(慶應義塾大学出版会) です。著者は住友系シンクタンクの日本総研のチーフエコノミストであり、雇用や労働市場を専門分野としています。なお、本書は出版社からしても学術書に近い印象なんですが、それほど難しげな計量分析が頻出するわけではなく、フツーのビジネスマンなどにも理解が進みやすいように配慮されています。ということで、雇用政策や労働市場改革と聞けば、少し前までは農業などとともに「岩盤規制」とレッテルを貼られて、正社員雇用に対する保護や解雇規制の緩和、あるいは、ホワイトカラー・エグゼンプションなど、ともかく労働力の雇用を低コストで済ませるための企業向けの方策ばかりが議論されてきましたが、本書はさすがの専門家のアプローチで、まったく異なる方向を示しています。タイトルに見える雇用流動化といえば、高度成長期に二重経済の下で農業から製造業に労働力がシフトしたように、本書でも低生産性部門から高生産性産業への雇用のシフトと考えるべきなんですが、実は、特に、いわゆるバブル崩壊後の「失われた20年」で見られた雇用シフトは、労働力人口の伸びが低下ないしマイナス化する中で、高生産性部門が雇用を減少させる、というものでした。本書で取り上げられている範囲ではエレクトロニクス産業、あるいは、電機産業が典型的と私は考えています。本書では、柔軟な事業構造転換が可能なシステムの下で、成長部門の付加価値創造プロセスに付随して生じるデマンド・プル型の労働移動や流動化をいかにして活用するか、逆に、停滞産業からコストカットを目指したコスト・プッシュ型の労働シフトをいかにミニマイズするか、という観点から雇用の流動化を論じています。単に、雇用や労働といった狭いマイクロなお話だけでなく、企業経営や付加価値生産といったマクロの経済に関する議論を展開しています。その上で、4章における日米独における賃金決定の違い、あるいは、フィリップス曲線の形状の差なども議論に取り込み、スウェーデン雇用政策も参考にしています。ただ、私は必ずしも詳しくないんですが、スウェーデンの好調な経済を支えているのは積極的労働市場政策だけでなく、物価目標を明示的に取り入れた金融政策ではないか、という気もします。

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次に、鈴木淑夫『試練と挑戦の戦後金融経済史』(岩波書店) です。著者は長らく日銀の調査統計局や金融研究所などのエコノミスト畑を進み、理事にまで上り詰めた後、民主党だったか、新進党だったか、衆議院選挙に打って出て代議士も務めています。ということで、タイトル通りの戦後史を経済や金融の切り口で分析しているんですが、カギカッコ付きで「岩波書店らしく」、という表現は適当ではないかもしれませんが、かなり現政権に批判的で、さらに、我が国の長期停滞は日銀ではなく政府の経済失政にある、という方向性を強く指し示す歴史書です。ある意味で、日銀無謬論かもしれません。私も官庁エコノミストですから、バブル崩壊後の長期停滞では日銀が悪役であったとのバイアスは持っているハズで、特に、今世紀に入ってからのデフレの主因は日銀の金融政策にあると考えていますが、本書の著者は正反対の意見のようです。すなわち、バブルは国際協調の制約の下で、当時の大蔵省出身の澄田総裁が当時の宮沢大蔵大臣と結託して低金利を続けた結果であり、その後、日銀プロパーの三重野総裁はよくやって1990年代前半はそこそこの経済パフォーマンスを見せたが、1997年4月からの消費増税が長期停滞を招いて、21世紀に入ってデフレに日本経済が沈んだ、という見立てです。1997年の消費増税は当時の経済企画庁が楽観的な経済見通しを、そして、大蔵省が実態とかけ離れた不良債権残高を、それぞれ橋本総理にリポートしたのが原因で、「官僚の情報操作に支配された政治」(p.131)による「政府の失政」(p.119)である一方で、速水総裁による2000年8月のゼロ金利解除と半年後のゼロ金利政策に戻ったのは「間の悪いこと」(p.144)で済まされています。そして、現在のアベノミクスに対する疑問を羅列し、最後は最新の「日銀理論」に基づいて人口動態論による景気低迷と結論します。人口動態が景気を決めるんであれば、それまでの本書の議論は何だったのかと不思議に思うんですが、当然の結論として、日本経済の活性化は移民受け入れ、ということで本書は終わります。まあ、出版社も含めた広い意味でのメディアについては、時の権力とそれなりの緊張関係にあるべきだと私は考えていますし、マスコミだけでなく、出版社の書籍も政府批判は大いにアリですし、野党の代議士が政府批判するのも当然だと思うものの、やや、あくまで私にとってはという意味ですが、図書館まで取りに行って読む時間が惜しかった気もします。

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次に、イタマール・サイモンソン/エマニュエル・ローゼン『ウソはバレる』(ダイヤモンド社) です。マーケティングの本であり、著者はスタンフォード大学のマーケティングの研究者と実際のマーケターの組合せです。Absolute Value というタイトルで2014年に出版されています。英語の原題に現れている通り、少し前までの相対的な位置づけを重視するマーケティングから、絶対的な価値を基にする消費者選択が主流になりつつある、という趣旨の本です。すなわち、選択肢の制約の大きい実店舗での販売から、その制約が大きく緩和され、その上、顧客のレビューまで紹介するインターネット通販、アマゾンなどのサイトが普及するにつれて、マーケティングの常識が大きく覆される、ということだそうです。ということで、すべては終わりかもしれませんが、それでは愛想なしですので、もう少し敷衍すると、カスタマー・レビューなどの大量の商品・サービスに関する情報がインターネット上にあふれる中で、ブランディング、ロイヤルティ、ポジショニングなどの相対的な要因の重要性が低下し、商品やサービスを実体験したカスタマー・レビューやソーシャル・メディア上での評価などの本質的な絶対価値を頼りに消費者選択が行われていることを説き、そして、実際の行動経済学的な実験によって実証しています。カスタマー・レビューではいわゆる「やらせ」の問題が発生する可能性がある一方で、巨大なチェーン展開の店舗でしかできなかった広告的な情報発信が、小規模の店舗やレストランでもコストゼロで実施できるようになったところに特徴があり、情報過多による消化不良や消費者の間での混乱は生じておらず、的確で合理的に見える消費者選択が行われていると本書は主張しています。ただ、パート1-2でこのような主張を展開した後、パート3では、それでは、マーケティングは不要になったのかというのではなく、自分(P)、他者(O)、マーケター(M)の3者の間で商品や時期による影響力の違いはあっても、Oが影響力を増して、Mの役割が低下しつつあったとしても、マーケティングの新しい法則は存在し、マーケターの役割はなくならないと結論しています。すなわち、このPとOとMの間でMがゼロになることはあり得ないとしたうえで、3者の影響力ミックスを考えて顧客にアピールする方法を提示しています。商品の売上げという経営学的な視点ばかりではなく、消費者の選択や意思決定といったよりエコノミストに近いラインから読むのも興味深いと感じました。

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次に、中村文則『私の消滅』(文藝春秋) です。ノワール小説の旗手として人気の作家の最新作です。「このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない」というメモの走り書きで始まり、私のような頭の回転の鈍い読者にはついて行けない場合すらあるほどの複雑なメタ構造を持った小説です。小説の語り手の地の文章なのか、誰か小説の登場人物のモノローグなのか、はたまた、登場人物ですらない誰かのメモなのか、なかなか読みこなすのに努力が必要です。別の表現をすれば、凝ったしかけの作品です。テーマは精神科医の復讐劇を題材にしつつ、マインド・コントロール、人格改造などのとてもアブナい領域を対象にしています。作者のあとがきで、直前2作品の『教団X』と『あなたが消えた夜に』への言及があり、基本的にはプロモーションの宣伝文句なんでしょうが、私は後者の作品は読んでいませんでした。話を本題に戻して、この作品では最後に参考文献が上げられている通り、作者なりに精神病理学を勉強したあとが見られます。宮崎勤事件の解釈は置くとしても、人間存在を考える場合、、肉体はあくまで入れものであって、精神構造の方はこの作品で頻出するETCの電気刺激、あるいは、薬物などでいかようにも作り変えることが出来て、異常と正常の境目が明確ではないような印象を作者は持っているような気がしてなりません。そして、異常なのかどうかはともかく、人間のグロテスクで反理性的な思考がむき出しにされた行為を、強い立場の人間が弱い人に実行すれば、壊れる場合もあり、逆に、行為者の方が壊れている場合もあるんだろうという気がします。何とも、暗い、怖い、恐ろしい、不気味、などの形容詞がいくつも付きそうな小説です。

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次に、小林泰三『クララ殺し』(東京創元社) です。同じ作者が同じ出版社から出した『アリス殺し』はほぼ2年前の2014年9月7日付けの読書感想文で取り上げており、その続編というか、完結編という位置づけのようです。ですから、前作の『アリス殺し』では地球と不思議の国がリンクしているだけだったんですが、この作品では、加えて、ホフマン宇宙が出て来ます。というか、本体であるホフマン宇宙からアーヴァタール(=アバター)のいる地球にリンクしていて、両者は夢を通じて記憶を共有しています。前作の読書感想文では私はファンタジーと書いてしまったんですが、実はSFなんだろうという気がしています。と、前置きが長くなりましたが、地球上に井森とくららと新藤礼都がいて、ホフマン宇宙に井森とシンクロする蜥蜴のビルとクララとマドモワゼル・ド・スキュデリがいて、両方にドロッセルマイアー教授/判事がいます。というか、そういう想定で物語が進みます。そして、くらら/クララの殺人事件に対する捜査ないし調査を行うというストーリーです。もちろん、ホフマン宇宙の蜥蜴のアーヴァタールが地球上では人間なんですから、生物と無生物を越えて、人形やオートマータ(=ロボット)も出て来たりします。加えて、ホフマン宇宙では人間と人形を入れ替えたり、記憶が改竄されたりするものですから、キチンと状況を把握して読み進むのはある程度の理解度を要求されます。その点では、前作の『アリス殺し』と同じです。そして、これも前作『アリス殺し』と同じように、論理的に殺人事件は解決されますが、前作とは違って、明確な探偵役がホフマン世界にいたりします。本格ミステリの常として動機はあいまいですが、論理は際立っていて、ホフマン宇宙の本体と地球上のアーヴァタールの正しい組合せが解明されるとともに、すべての真実は解明されます。それにしても、このシリーズは続くんでしょうか?

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次に、真梨幸子『6月31日の同窓会』(実業之日本社) です。作者は湊かなえなどとともに「イヤミスの女王」的な存在の作家です。そして、本書は神奈川県の湘南あたりにありそうな伝統ある女子校・蘭聖学園の同学年のOGが卒業後10年ほどして連続して不審な死を遂げる、というストーリーです。しかも、高校1年のころの文化祭の劇の台本に見立てて事件が起こったりします。また、背景として知っておく必要のあるのが3点あり、第1に、この女子高は小学校から短大まで、いわゆるエスカレータ式の私学で、原則として、小学校と短大でのみ生徒・学生の募集を行い、中学校と高校では例外的な少人数だけを募集する、という入学システムがあって、この例外的な外部入試者の制度が謎解きに大きく関係します。第2に、本書のタイトルを見て明らかに不審を持つのは、「6月31日」というのが存在しない日付けである点ですが、これも都市伝説的に、存在しない6月31日に開催される旨の同窓会の案内状を受け取ると、何らかのお仕置きが待っている、という意味があります。第3に、文系の私にはサッパリ理解できない「フッ化水素酸」なる劇物というか、毒物による殺人も起こったりして、この物質もひとつのキーワードを構成します。ということで、外部生かつ特待生で入学し、東大を期待されながら少し格下の国立大学に入学して、現在は弁護士になりテレビのコメンテータとしても活躍する松川凛子というOGが探偵役として解決に当たりますが、彼女自身も複雑怪奇な女子高の人間関係に巻き込まれます。極めてご都合主義的に、この女子高のOGがいつの間にか狭い世界でひしめき合って、同じ職場に何人かいたりして、やや不自然な人間構成・人間関係であることは承知の上なんですが、一応、本格推理小説並みとはいきませんが、謎解きは完結します。そして、ここがイヤミスのイヤミスたるところですが、とても読後感悪く物語はしこりを残したまま、その後も継続します。私は決してフェミニストではありませんが、さりとて男女差別主義者でもないものの、やっぱり、腹黒さという点では女性にはとてもかなわないと実感させられました。

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次に、滝田洋一『世界経済大乱』(日経プレミアシリーズ) です。著者は私の知る限りかなりできのいいジャーナリストで、為替関係の著書を私も読んだことがあります。日経新聞の出身、というか、現在も在籍かもしれません。ということで、本書はここ1年余くらいを主たるスコープとして、中国をはじめとする新興国の経済停滞、石油をはじめとする国際商品市況の低迷、それらに対応する日欧のマイナス金利などの先進国の財政金融政策動向について、ジャーナリストらしく理論的ではなくインタビューなどに基づく情報収集により解明しようと試みています。特に、中国の景気悪化については市場における商品・サービスの需要供給ではなく、資金の海外流出を抑える必要について論じ、同様にサウジアラビアについても石油価格低迷とともに経常収支が赤字化して軍事冒険主義的な動きが見られる、など、経済に基づきつつも地政学的な動向についても追跡しており、米国主導のTPPと中国によるAIIBの対決の間で動揺する欧州諸国とあくまで疑問の余地なく米国に追随する日本、という構図をあぶり出しています。決してエコノミストの一部にあるように、いたずらに危機を煽るような本ではありませんが、それなりの危機意識は私のような楽天的なエコノミストですら読み取ることが出来ますし、おそらく、国内の経済情勢だけを見ているのではなく、イスラム国を含めた地政学リスクも合わせて見ると、世界経済の先行きは決して平坦ではないという事実があるのだろうと思います。ただ、それに対する処方箋に大きな制約、というか、限界があり、どこまで対応可能なのかはジャーナリストではなく、エコノミストの責任かもしれません。本書はBREXITに関する英国の国民投票以前の段階の情報を基にしていますが、11月の米国大統領選挙も含めて、年内に大きなイベントがあるだけに、エコノミストとしてはジャーナリストとともに、世界経済の行く方に目が離せません。

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次に、松田馨『残念な政治家を選ばない技術』(光文社新書) です。国政選挙でかなり投票率が低下している一方で、今年から18歳選挙権も導入された中で選挙に着目した新書です。ただ、注目を浴びる国政選挙だけでなく、地方公共団体の首長や議員の選挙も本書では同時に取り上げています。副題は選挙リテラシーの入門をうたっているんですが、著者ご本人は選挙プランナーを称していて、本書の中では「選挙のプロ」とか、「選挙コンサルタント」という表現も見えます。要するに、私の目から見れば選挙をビジネスにしているわけで、人によっては、やや怪しい職業と見えなくもないのかもしれません。もうひとつ、「怪しい」かもしれないと私が思ってしまったのは、「民主主義」の言葉がほとんど出てこない点です。ちゃんとチェックしたわけではないので、ゼロとまで言い切る自信もありませんが、少なくとも政治に比べて民主主義という言葉は本書では圧倒的に見かけず、選挙を民主主義の観点から捉えるのではなく、ビジネスの観点から政治の一部として考える人の書いた本、というのは少し気にかかる読者がいるかもしれません。ただ、中身は、その昔の「選挙ゴロ」、本書でもp.207に出てくるようなやり方とは違って、キチンと選挙について考えている中身であると私は受け止めています。ですから、p.137からは、シルバー・デモクラシーについて不十分ながらも触れています。ただ、p.154にあるように、人に投票をお願いするに当たって、もっとも有効な手段は頼み込むことである、なんて書かれてしまうと、ついついポジション・トークの恐れを気にしてしまったりもします。株価については証券会社の営業マンが詳しいんでしょうし、自動車については自動車ディーラーの営業マンの説明に納得したりしますし、家電製品も家電量販店などの営業マンがよく知っている、ということで、一般論として当然ながら、当該の商品やサービスをビジネスにしている人が詳しくなるんだろうと思います。ただ、当然に我々情報の受け手としては、どこまで情報が正確で、どこからポジション・トークが入るのか、それなりに見分けるリテラシーも必要なのかもしれません。

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最後に、大森望ほか[編]『アステロイド・ツリーの彼方へ』(創元SF文庫) です。編者による2015年年間ベストSF小説のアンソロジーです。タイトルは最後の方に収録されている上田早夕里の短編のタイトルを取っています。私は決してSF小説は詳しくないんですが、このブログでも取り上げているような作者の作品も何点か収録されています。すなわち、上田早夕里のほか、高野史緒、宮内悠介、円城塔などです。ということで、2015年に発表された日本SF短篇から選ばれた傑作、および第7回創元SF短編賞受賞作「吉田同名」とその選評を収録しています。今年6月に発行された恒例の年刊日本SF傑作選です。文庫版で600ページ余りあります。最後に、昨年2015年のSF界を振り返った論評があり、私がこのブログの読書感想文でも取り上げた作品も何点かあり、すなわち、円城塔『プロローグ』と『エピローグ』、上田早夕里『薫香のカナピウム』、そして、筒井康隆『モナドの領域』をはじめとして、たくさんのSF作品が取り上げられていました。ただ、第7回創元SF短編賞受賞作の「吉田同名」とか、SFのSは「科学的」という scientific だと思っていたんですが、決して科学的ではなく非科学的なファンタジーも含まれているような気がします。「ハリー・ポッター」のシリーズがSFでないのは魔法により諸事を処理していて、科学ではないからだと私は理解しており、その意味で、逆に、ドラえもんはSFだと受け止めていますので、やや認識にズレがあるのかもしれません。私はやっぱり、SFよりはミステリの方が親しみがあるような気がします。

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