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2016年12月30日 (金)

年末年始休み前半の今週の読書は経済書など計9冊!

役所で忙しいとされる予算業務が先週のうちに終わり、今週は時間が十分ありましたので、かなり読み込んでしまいました。公務員である私とほぼ時を同じくして図書館が閉まりますので、今週は経済書や専門書、来週の年明けの年始休みはエンタメ系の小説など、と適当に私自身の基準で区分して読書にいそしんでいます。従って、昨日のご寄贈本を別にして、今週は経済書など以下の9冊です。

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まず、トーマス・シェリング『ミクロ動機とマクロ行動』(勁草書房) です。著者は2005年にノーベル経済学賞を受賞したトップクラスの経済学者であり、本書は Micromotives and Macrobehavior と題して、もともとは1978年に出版されていて、本書はノーベル賞の受賞講演を最終章に含めた新装版です。たぶん、ノーベル賞受賞スピーチの前の中身は変わっていないんではないかと思います。ということで、本書では一部に数式を展開しつつ、あるいは、グラフで動学的な動きを解説しつつ、マイクロな意思決定がマクロの社会活動、特に経済活動にどのような結果をもたらすか、について鮮やかなモデルの展開により分析しています。すなわち、講演会場の着席パターンから始まって、個人が誰と付き合うか、あるいは、誰と暮らすか、また、誰と仕事をするか、さらに、誰と遊ぶか、などの選択について、特に、白人と黒人の振舞いのあり方、さらに住居の分居を論じ、高速道路上に落下したマットレスが渋滞を引き起こした例を取り上げます。また、当時はまだアイスホッケーの試合でヘルメット着用が義務付けられていなかったことから、選手の負傷とヘルメット着用はどうあるべきかを議論するなど、全体を構成する個人や家族などの小グループの行動基準や特性とそのマクロの結果との関係を分析しています。要するに、マクロの結果は個人の最適化行動に基づくマクロレベルの最適性を保証しない、という意味で、合成の誤謬が起こりまくるという結論です。ですから、少し前のリアル・ビジネス・サイクル(RBC)理論のように、マクロ経済のマイクロな基礎付けを求めるのは、かなり怪しい、という結論を引き出すべきと私は考えます。企業や個人といったマイクロな経済主体の最適化行動がマクロ経済の最適性をもたらす保証がどこにもないんですから、昔ながらの「どマクロ」な議論、例えば、ケインズ的な消費関数やマネタリスト的なGDPと仏果とマネーサプライの関係の類推なども、私はそれなりに意味のあることだと受け止めています。40年近く前の名著ですが、こうして新装版が出た折に読み返してみるのも一興かもしれません。ただ、最後に、冒頭のp.22で「均衡そのものにはさしたる魅力は何もない」といいながら、ほとんどが均衡分析、静学的にせよ、動学的にせよ、になっている気がするのは私だけでしょうか?

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次に、エドマンド S. フェルプス『なぜ近代は繁栄したのか』(みすず書房) です。著者は、先のシェリング教授に続いて、2006年のノーベル経済学賞受賞者です。英語の原題は Mass Flourishing であり、2013年の出版です。ですから、出版社のサイトに「長期停滞を超えるための、経済、文化、倫理を横断する独創的提言」なる宣伝文句が見えるんですが、オリジナルのハンセンまでさかのぼればともかく、サマーズ教授が長期停滞論をいい出したのが2013年末か2014年ですからその前の出版であり、この宣伝文句はやや怪しいところです。といいつつ、本書は基本的に経済史をひも解こうとしているように私は受け止めているんですが、何か、焦点の定まらない議論に終始している印象です。すなわち、一言でいえば、著者が重視するのは副題にもある「草の根イノベーション」であり、「草の根」がないただのイノベーションでもいいんですが、いわゆる近代、すなわち、19世紀半ばでほぼ完成した産業革命から1960年代くらいまでの欧米諸国の経済的な繁栄はイノベーションに基づくものであり、イノベーションを阻害する社会主義やコーポラティズムはよろしくなく、また、日本た最近のアジア諸国、特に中国は独創的なオリジナルのイノベーションではなく、先進国からのイノベーションを導入したキャッチアップ型の繁栄であった、ということになろうかと思います。私が常々主張しているように、西欧、というか、米国を含めて欧米といってもいいんですが、こういった地域が現時点で繁栄を謳歌しているのは、18世紀から19世紀にかけての産業革命の成果であり、産業革命がイングランドで生じた説得的な歴史的根拠はまだ学界で提示されていない、というのが極めて緩やか、あるいは、大雑把なコンセンサスではないかと思うんですが、本書で著者は経済的社会的繁栄の原動力にイノベーションを置いていて、しかも、そのイノベーションがシュンペーター的な革新ではなかったりします(p.192など)し、さらに「繁栄」も成長とは違うと主張したりして、もうこうなれば定義次第でどうでも立論が可能となり、平たくいって、いったもん勝ちの世界のような気もします。しかも、最後の方ではアリストテレス的なエウダイモニアやセン的なケイパビリティの議論で善を論じてみたり、私のような頭の回転の鈍い人間には訳が分かりません。大雑把に著者が80歳のころの出版で、エコノミストとしての人生の集大成的な著作を目指したのかもしれませんが、少なくとも私クラスの知性では読み解くのが難しかった気がします。でも、うまく言葉で表現できませんが、とても「みすず書房」的な書物ではないかという思いもあったりします。同時に、私は読んでいませんので、単なる直感での評価ですが、米国版の「里山資本主義」のノスタルジックな趣きがあるかもしれません。私は中国的な円環歴史観には否定的であり、マルクス主義的とはいわないまでも、かなり直線的に発展する歴史観を持っていますので、時計の針を逆戻りさせて昔を懐かしがる趣味はありません。

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次に、沢井実『日本の技能形成』(名古屋大学出版会) です。著者は大阪大学を定年退官した労務経済論の研究者で、現在は南山大学に天下りしているようです。本書は出版社からも理解できる通りに明らかな学術書であり、阪大の紀要に掲載された論文も何本か改稿の上で収録されています。大雑把に、熟練工不足が問題になり始めた満州事変直後の1930年代半ばころから戦争をはさんで1950年代初頭まで、いわゆる高度成長期直前くらいまでの四半世紀における金属加工や電気自動車を含む広い意味での機械産業における熟練工の育成に焦点を当てています。戦前の義務教育であった尋常小学校や高等小学校を卒業した10代前半から半ばくらいまでの男性を中心とした職工の技能育成です。大雑把に、現在でいうところのOJTとOff-JTに分かれますが、前者は統計処理が極めて難しく、聞き取りの結果の分析に終始しています。後者については、現在から見ると職業訓練校に近い存在を多く取り上げており、中でも、いわゆる公立の技能習得校とともに、三菱造船と三菱電機が神戸でいっしょに設立した三菱職工学校などが取り上げられています。三菱、川崎重工、日産などの大企業は独自の技能習得学校を設立したりしている一方で、中小企業は公立校への依存を強めているというわけなんでしょう。ただ、注意すべき点で抜け落ちているのは、技能育成・習得と雇用システム、というか、雇用慣行との接点が本書では考慮されていません。本書でも指摘しているように、1930年代の好景気と満州事変ころから熟練工などの不足は問題となり始めていましたが、高度成長期から本格的な人手不足が始まり、労働力の囲い込みの必要から1950-60年代に長期雇用慣行、いわゆる終身雇用が始まる一方で、本書がスコープとしている年代ではまだ転職が少なくありませんでした。おそらく、中小企業のレベルでは1960年代位までいわゆる「渡りの職工」は広く観察され、技能の育成や習得の上で少なからぬ摩擦を生じる可能性もあったりしました。本書では学歴との関係で、戦前における2つの学歴系統、すなわち、小学校-中学校-高等学校-大学、のパターンと、小学校-実業学校-実業専門学校のパターン、もちろん、小学校からいきなり就職するケースもありますが、これらの学歴パターンには目を向けているものの、長期雇用下で他社と差別化された技能の育成が始まる前の段階の我が国における汎用的な技能育成が転職とどのような関係にあったのかが、もう少し掘り下げて論じる必要がありそうな気がします。最後に、繰り返しになりますが、かなり難解な学術書です。OJTの聞き取りを収録した第5章などは私には理解できない部分の方が多かったような気がします。覚悟して読み始めるべきでしょう。

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次に、ロバート B. ライシュ『最後の資本主義』(東洋経済) です。著者はクリントン政権下で労働長官を務めたリベラル派のエコノミストです。上の表紙画像に見られる通り、英語の原題は Saving Capitalism であり、2015年の出版です。まさか、今どき、資本主義がマルクス主義的な社会主義革命で打ち倒されると予想するエコノミストはいないでしょうから、資本主義本来のあり方を政府が主体となって取り戻すべき、との主張であると理解すべきでしょう。まず、自由市場と政府のどちらが好ましいかという立論を論破します。すなわち、所有権の尊重や独占の回避と競争の促進などの市場の基礎的な条件を整えないことには自由な市場などあり得ないわけで、その市場の基礎的な条件整備を行うのはまさに政府でしかありえない、という議論が展開されます。その上で、資本主義の5つの構成要素として、所有権、独占、契約、破産、執行を上げ、これらのすべてについて、ここ20-30年で大きな変容を来たし、資本主義の市場システムの名の下に富裕層に所得や富が集中するようなシステムが出来上がってしまっており、政府がもっと活動的な仕事をして富裕層に課税して事後的に再分配を行うとか、あるいは、もっと望ましいのは再分配するまでもなく、多くの市民が公平な分配であると納得するような市場のルールを定め、それにより格差を縮小させるようなシステムを作り上げることであると結論しています。そして、その最大の眼目として、著者は本書でベーシック・インカムの導入を主張しています。そうしないと、やや極論に聞こえるかもしれませんが、ワイマール民主主義がナチスに乗っ取られ、ロシアが共産主義という大きな遠回りをしたように、資本主義がある意味で崩壊する危険があるとし、それが本書の英語の原題のタイトルとなっています。ピケティの『21世紀の資本』が主張するように、企業幹部がとてつもない所得を得ているのはストック・オプションたストック・アワードのためであると結論し、富裕層に対する拮抗勢力、すなわち、ガルブレイス教授の主張した意味でのCountervailing Powerの必要を強調しています。米国大統領選はトランプ次期大統領の当選で終了しましたが、民主党の予備選で社会民主主義者をもって任ずるサンダース候補の善戦が注目されましたし、そういった意味で、格差の拡大をはじめとして今の経済システムは何かがおかしい、と感じている市民は少なくないと思います。なかなか実現の難しい課題ですが、ライシュ教授の主張に耳を傾けることも必要だと私は感じています。

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次に、アレック・ロス『未来化する社会』(ハーパーコリンズ) です。著者は未来学者として2008年大統領選挙の当時からオバマ政権の成立に尽力し、第1次オバマ政権ではヒラリー・クリントン国務長官の参謀として世界80万キロを行脚したといわれています。その未来学者が、ロボット、ゲノム、暗号通貨、サイバー攻撃、ビッグデータ、未来の市場の6つのテーマで未来世界を論じています。いろんな点で興味をそそられるんですが、第1に、テクノロジーの観点からは、ひとつひとつのステップを駆け上がるような段階的な発展ではなく、跳躍の論理が可能となる場合があります。すなわち、典型的には移動体通信であり、米国や日本のように固定電話から携帯電話に進むんではなく、固定電話の段階をすっ飛ばしていきなり携帯電話の段階に進んだ中国やアフリカの国なども少なくありません。ですから、その昔に一橋大学の松井先生や小島先生が主張された雁行形態発展理論もあるにはあるんでしょうが、その昔のような繊維や食品や雑貨といった軽工業から重化学工業に続く発展段階をたどる国もあれば、軽工業を経験せずにいきなり重化学工業に進む国もあり得ます。第2に、本書でもテクノユートピアとして批判的に指摘されていますが、未来の発展方向はすべからくすべてがバラ色であるとは限りません。ロボットが外科手術を行うようになれば、医療費負担の軽減のために保険会社などが安価なロボット手術を半強制する可能性もありますし、もちろん、ロボットや人工知能(AI)で失われる雇用も少なくない可能性が高いと考えるべきです。ゲノムの解読が進めばデザイナーベビーの可能性がうまれますが、それがいいことなのか、どうなのか、著者も判断を保留しているように見えます。仮想通貨ではつい最近日本に本拠を構えビットコイン大手だったマウントゴックスの事件も記憶に新しいところです。ただ、本書ではビットコインが通貨としては失敗する可能性があるものの、ブロックチェーンは信頼できる取引のためのプラットフォームとして活かされる可能性は十分あると主張しています。また、私が従来から指摘している通り、ビッグデータが利用可能となった現段階で、プライバシーについては一定の範囲で犠牲になる可能性を本書でも認めています。とまあ、いろんな論点で未来社会について論じており、私のような頭の回転の鈍い人間でもインスパイアされるところが大いにありました。未来社会をのぞいてみたカンジでしょうか。

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次に、エドワード・ヒュームズ『「移動」の未来』(日経BP) です。著者はピュリツァー賞受賞経験もある米国のジャーナリストです。本書の英語の原題は Door to Door であり、通勤や貨物の移動も含めて、もちろん、自動車だけでなく海運や鉄道まで幅広く視野に収めています。ただし、米国の交通事情からして、やや鉄道の比重が小さいような気がします。特に、地下鉄はニューヨークなどでとても発達しているにもかかわらず、カリフォルニア在住の著者の視野には入っていないように見受けられます。ということで、ネットで電子的につながり合って、情報がモノすごい速さで飛び交う世界で、実際にヒトやモノの移動がどこまで重要かは疑問に感じる向きもあるかもしれませんが、実はかなり重要だと私は考えています。かつては買い物といえば、ヒトの方が商店に出向いて買い求めるのが一般的でしたが、今ではネットで注文して運送屋さんが届けてくれるのが無視できない割合を占めています。本書では、世界が、特に経済が、ヒト、特に通勤面から考えたヒト、さらに、もちろん、モノがどのように移動して経済社会を成り立たせているかを概観しています。特に、グローバル化が進んで輸出入による取引がここまで拡大すれば、移動も当然グローバルに行われます。日本などは、特にヒトの移動における通勤では、いわゆる公共交通機関である鉄道やバスが大きな役割を果たしていますが、まだまだ地方では米国と同じようにマイカーによる通勤も少なくありませんし、ほとんど1台に1人しか乗っていないクルマによる移動がいかに非効率なものかは議論するまでもありません。本書では重視していないように見受けられますが、地球温暖化の帽子のための二酸k炭素排出の抑制の観点からも、移動に関する議論は決して軽視できません。本書では、どうしても米国、それも西海岸の地域性が表面化していて、我が国の現状とビミューにズレを見せている気もしますが、最終的にはバスの活用とか、理解できなくもない結論を導き出しています。炭素税の導入という環境面も配慮した政策対応は著者の頭にないようですが、いろいろと日本の実情も読者の方で考え合わせて補完して、交通や移動について考えることが必要かもしれません。

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次に、竹内早希子『奇跡の醤』(祥伝社) です。舞台は陸前高田にあった醤油製造会社の八木澤商店です。2011年3月11日の震災直後の津波によって、200年の歴史を持つ土蔵をはじめ、醤油製造業にとって命ともいえる微生物の塊りだったもろみや杉桶、また、従業員の1人と製造設備のすべてを失っています。作者は有機農産物宅配業者に勤務し、八木澤商会との接点を持ったといわれています。ということで、本書はノンフィクションであり、新作・津波直後の4月1日に急遽9代目を継いだ社長の河野通洋をはじめとする八木澤商会の奮闘を取り上げています。震災から5日目にして「必ず再建する」と社員を前に約束し、醤油の製造復活前は、醤油の派生商品である麺類のつゆなどを作りつつ、必死に再建を目指す社員たちを温かい筆致で描き出します。そして、震災・津波直後の4月に、何と、岩手県水産技術センターから、伝統の醤油復活のために不可欠なもろみが津波の被害を逃れて無事に発見され、陸前高田を離れて内陸の一関市に工場を新設し、以前と同じ味の醤油の製造に成功するまでの5年間のドキュメントです。最後は、社長も従業員も昔の味の醤油の復活に半信半疑だったところ、舌の肥えた社長の子供達からお墨付きを得て安堵するシーンも印象的でした。地銀の岩手銀行や震災復興ファンドからの資金調達に支えられながら、誰1人として会社から解雇することはしないながらも、工場新設の過程で離れて行った何人かの従業員もいたようですし、企業経営のあり方について、すなわち、震災・津波で壊滅的な打撃を受けた地場の中小企業の復活の心あたたまる物語に終わるのではなく、企業の社会的使命とは何か、企業と従業員の関係はいかにあるべきか、そして、その企業を側面から支える銀行や公的機関の役割とは何か、そして何よりも、企業のトップ経営者の決断と行動の基準をどこに置くべきなのか、こういった企業を取り巻く経済活動の基本について大いに考えさせられる1冊です。

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次に、日本推理作家協会[編]『悪意の迷路』(光文社) です。ここ3年間に発表された短編を日本推理作家協会がアンソロジーとして編集しています。なお、すでに姉妹編の『殺意の隘路』も刊行されており、私も借りてあるんですが、本書でいえば2段組500ページ超のボリュームであり、年末年始休みの暇潰しにうってつけです。ただし、『殺意の隘路』は400ページ余りです。コピペで済ませる収録作品は、芦沢央「願わない少女」、歌野晶午「ドレスと留袖」、大沢在昌「不適切な排除」、大山誠一郎「うれひは青し空よりも」、北原尚彦「憂慮する令嬢の事件」、近藤史恵「シャルロットの友達」、月村了衛「水戸黄門 謎の乙姫御殿」、西澤保彦「パズル韜晦」、東川篤哉「魔法使いと死者からの伝言」、藤田宜永「潜入調査」、三津田信三「屋根裏の同居者」、湊かなえ「優しい人」、森村誠一「永遠のマフラー」、柚月裕子「背負う者」、米澤穂信「綱渡りの成功例」となっています。売れっ子ミステリ作家の力作そろいですが、特に、「憂慮する令嬢の事件」はシャーロック・ホームズのパスティーシュとなっていて、面白く読みましたが、謎解きが少し平板だったような気がして、もう少し意外性が欲しかった気がします。また、水戸黄門のパロディタッチで書かれている「謎の乙姫御殿」もとても面白く読めました。「背負う者」は新しい著者のシリーズでしょうか、『あしたの君へ』の冒頭に収録されている短編らしく、同じ著者の検事の佐方シリーズと少し似ている家裁調査官補の望月大地のシリーズ第1作だと思います。なお、『あしたの君へ』はすでに借りてありますので、来週の読書で取り上げるんではないかと予定しています。またまた繰り返しになりますが、年末年始休みの暇潰しにうってつけです。

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最後に、井手留美『賞味期限のウソ』(幻冬舎新書) です。著者はケロッグの勤務やフードバンクのお勤めなど食品・食料に関する実務経験があるだけでなく、栄養学の博士号もお持ちの専門家です。本書では、日本の食品業界のビジネス慣行などから賞味期限が短く設定され、食品ロスが生じている実態を明らかにしています。なお、私が借りて読んだのは黄色の表紙の新書で、上の画像のような派手な表紙ではなかったんですが、まあ、同じ内容なのだろうとしておきます。ということで、食品ロスとはすなわちコストアップの原因であり、我々消費者に跳ね返ってきているわけですが、著者は他の点については食品業界だけでなく家庭の責任や浪費を主張しているにも関わらず、なぜか、賞味期限の厳しい設定については、章句品業界のバックグラウンドに控える消費者に目が行っていないように見受けられ、私は少し不思議な気がしました。食品だけでなく、衣料品とか、電機製品など、日本の消費者の要求水準はすべからく厳しく高く、そのためのコストアップはかなりのものだと私は認識しています。もちろん、国内消費者の要求水準に適合した品質を持って海外に売り込めば、価格はともかく品質面では高い国際競争力を得た、という面はあるにしても、エコノミストでなくとも品質と価格がトレードオフの関係にあることは知っているわけで、本書でも高品質低価格の食品を求めるとかは消費者のエゴであると断じています。ですから、価格見合いの品質で満足し、賞味期限や消費期限の長い製品を店の奥まで目を走らせて買い求めるような消費行動を慎み、消費期限ギリギリの食品はフードバンクに寄付する、などのより合理的な消費行動、企業活動を推奨しています。ただ、エコノミストとしての私の感触からすれば、残り消費期限と価格を連動させるなどの合理性も必要かという気はします。年末大掃除で忘れ去られていた食品が見つかった場合などの対応にも参考になるかもしれません。

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最後の最後に、上の画像は今週日曜日12月26日の日経新聞の「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」から引用しています。一応、私も官庁エコノミストの端くれとして、この10冊はすべて読んでいますが、6位、8位、10位と3冊も白川総裁時代の旧来型の日銀理論家の著作が入っており、私には少し違和感が残りました。黒田総裁下での異次元緩和に対する批判がそこまで強いんでしょうか。そうだとすれば、昨日取り上げたリフレ派の本で、批判に対する反論を強く打ち出すのも理解できるような気もします。どうも、私にはよく判りません。

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