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2016年12月10日 (土)

今週の読書はいろいろあってやっぱり9冊!

今週は、少し体調を崩して風邪をひき、咳き込んで睡眠不足になったりしたんですが、それでも読書時間は確保されてしまい、以下の9冊を読んでいます。ついつい手軽に読める新書に手が伸びてしまい、実質的には8冊くらいの勘定か、という気もします。でも、来週こそはペースダウンする予定です。

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まず、ジェリー・カプラン『人間さまお断り』(三省堂) です。著者はスタンフォード大学人工知能研究所(AI研)での長い研究歴を有し、その知識を持って新興企業を次々と起業していて、ややお歳を召したとはいえ、AI研究に草創期から従事して来た伝説的な研究者・企業家です。すでに人口に膾炙しまくっている通り、英語の原題は Humans Need Not Apply であり、日本語タイトルはほぼそのままで、2015年の出版です。邦訳書には、東京大学松尾豊准教授の解説が末尾に数ページ付属しています。米国でも日本でも話題の書といえます。ということで、最近、私が何冊か読んだ人工知能(AI)に関する一般向けの解説書のうちでもさすがに出色の出来です。タイトルだけからすると、AIが雇用を奪うという恐怖を煽るような内容に受け止められかねないんですが、決してそれだけではありません。前半はAI開発の現状や基本的な哲学的ともいえる考え方の整理なんですが、特に、後半の第6章以降などは、エコノミストからすれば背筋も凍りそうな内容も、サラリと含まれていたりします。人工知能を合成頭脳と労働機械に分毛て議論し、大雑把に、前者がソフトで後者がハードなんでしょうが、この両者を合体、というか、人間型の労働機械に合成頭脳をインストールすれば、そのままヒューマノイド方のロボット、というか、アンドロイドになるわけで、両者を分けて考えても、いっしょに考えても大きな違いはないかもしれません。著者の最後の最後の提言はエコノミスト的にも大いに合意できるものですが、AIに契約の当事者となる権利と試算を被有する権利を与えてはいけない、というものです。要するに、人間さまが駆逐されるという恐れがあるんだと思います。ただ、私は基本的には、また、長期的には楽観的に見ていて、AIの進歩に人間の進化が追い付く可能性が本書では見落とされている可能性があります。というか、本書では人間の進化がAIの指数的な進歩に追いつかない、という現在までの事実を当然視しているような気もします。クラークの『地球幼年期の終わり』とか、高野和明の『ジェノサイド』ではないですが、人間も進化しAIと共生する可能性も無視できない、というのが私の見方です。もちろん、タイムスパン的に間に合わない、という見方もありそうな気はします。大いにします。

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次に、ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』(みすず書房) です。著者は英国ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの遺伝・進化・環境部門の研究者であり、『ミトコンドリアが進化を決めた』で高い評価を受けているそうです。英語の原題は The Vital Question であり、上の表紙画像に見える Why the Life the Way it is? は副題です。2015年の出版です。ということで、難解な生物学進化学の書物です。絶え間なく流動する生体エネルギーが、40億年に渡る生物進化の成り行きにさまざまな制約となって来たとの観点から出発し、そのさまざまな制約こそが、原初の生命から我々人類に至るまでのすべての生物を彫琢して来た、というわけです。特に、シロートの私なんぞからみても、なかなかなもので、第2章で生命の定義に関してNASAの「ダーウィン進化の可能な自立した科学的システム」から始まって、第3章で化学浸透共役なるエネルギー形態のシンプルかつ変幻自在な特性に注目し、生命の起源のシナリオを説得的に描き出そうと試みたり、また、第5章では1遺伝子あたりの利用可能なエネルギーを手がかりに生物の大型化の限界や真核生物と原核生物の間の大きなギャップを説明しようと試みるなど、目を見張るようなアイデアを次々に提示しています。そして、第6章で有性生殖の生命現象については費用便益分析や囚人のジレンマをはじめとするゲーム理論などの経済学用語での分析を志向しています。地球における生命の起源、進化に伴う複雑化、性による生殖と増殖、そして、最後の死といった難題を統一的に解釈しようとの姿勢はさすがという気がします。他方で、いわゆるソーシャル・エンジニアリングには懐疑的であり、宇宙のマクロ的視野では生命に必要なショッピング・リストのカンラン石、水、二酸化炭素の3つの物質だけであり、この天の川銀河だけでも400億ほどの惑星が該当するといい切ります。ムチャクチャに難しい専門書です。私程度の頭の回転では、私くらいの鈍感な忍耐力がないと読み進むことはできません。忍耐力がない場合には専門性が要求されそうです。最後に、翻訳上の問題として、「陽子」はプロtンと表現され、電子はそのままでエレクトロンとはされていません。「プロトン勾配」や「プロトン駆動力」などの用語があるので仕方ないのかもしれませんが、電子と陽子、でなければ、プロトンとエレクトロン、というように統一的な邦訳のセレクションができなかったものか、やや疑問です。

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次に、大谷光淳『ありのままに、ひたむきに』(PHP研究所) です。著者は我が家が信仰する浄土真宗本願寺派の第25代門主・本願寺住職を2014年6月に引き継いだばかりの宗教家です。この門主就任を阿弥陀如来と親鸞聖人の前に奉告する伝灯奉告法要をおつとめするにあたり、本書の出版となったらしいです。新門主の公式ガイドブックといった趣であり、我が家の菩提寺をはじめとして浄土真宗のお寺さんでは広く読まれていたりするんでしょうか。経済的にも社会的にも、なかなか、生き難い世の中になりつつあり、思うように安定した生活を送るのが難しくなっている気がする中で、マルクス主義的には単なるアヘンの役割かもしれませんが、宗教の役割はそれなりに私のような凡人には有り難いものです。特に、我が浄土真宗の教えでは極楽浄土への往生は阿弥陀さまのおはからいによるものであり、ムリに自力で努力する必要もない、ということになっています。私も倅たちに「ムリをする必要はない」と日ごろからいっていますが、エコノミスト的に考えれば、ムリ=何らかの矛盾や均衡からのズレを生じるわけで、何かが歪むのがムリの結果だと私は考えています。『ゲド戦記』のゲドと同じで、私は多くの社会的経済的現象は均衡に向かっていて、正のフィードバックループで均衡から離れていく場合もなくはないものの、誰かの妙ちきりんなムリでもって歪みさえ生じなければ、経済社会的な均衡で悪くない結果が得られるものと私は考えています。ですから、楽観派なんだろうと自任しています。ただ、のんびりするのは大好きながらも、ムリと紙一重かもしれませんが、自分自身の出来る限りの努力は必要です。それは本書のタイトルになっているような気がします。ムリをせずありのまま、でも、ひたむきに努力する、そういった姿勢が大切な気がします。私自身は図書館で借りて読みましたが、別に買い求めて倅たちに読ませようかと考えています。そろそろ、我が家の宗教的なバックボーンについて知識を深めさせる年齢に達したような気がします。

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次に、屎尿・下水研究会『トイレ』(ミネルヴァ書房) です。『マンホール』、『銭湯』、『タワー』に続くシリーズ・ニッポン再発見の第4弾です。副題は「排泄の空間から見る日本の文化と歴史」となっていて、私は以前のシリーズは読んでいませんが、何となく副題にひかれて、これだけ借りてみました。著者となっている研究会は、出版社のある京都と東京のそれぞれの府庁や都庁の下水関係者を主要なメンバーとして構成されているようです。私は京都の片田舎の出ですので、小学生のころなんかに少しひなびた方向に行ったりすると、まだ、畑の中に肥溜めがあったりしました。ですから、本書での主張の通り、「江戸のまちは循環型のエコシティだった」といわれて、し尿を肥料、ただし下肥として使っていたのは自分自身の記憶としてまだ持っていたりします。他方、本書とは関係ありませんが、肥料ということでいえば、南米はチリの日本大使館で経済アタッシェをしていた折に、チリ北部の町でイワシなどを原料に肥料、この場合は古い日本語では金肥を作っていて、それはそれで臭いがすごいというのも実体験として持っていたりします。日本語では本書のタイトルであるトイレのことを便所というのが一般的な気がしますが、古い言葉では「はばかり」と称して、まさに、行くには憚ったんだろうという実感がこもっていますし、「かわや」という名称は、まさに、川に落としていたんだろうというのが想像されます。また、本書では高野山式のトイレというのが平安時代に高野山にあった、というのが紹介されていて、決して我が家の一族ではないものの、それなりに上品な年配女性が「ちょっと高野山へ」といって席を外すのを、私はとある初釜の席で体験したことがあり、まったくな何のことか理解できずにいたが、その謎が解明されたような気がします。最後に、トイレの最新版では、商品名かもしれませんが、ウォシュレットについてもっといろいろと書いて欲しかった気がします。私自身がこういったスタイルのトイレを知ったのは、いわゆるバブル期で、銀座の松屋に出来た豪華トイレを見に行った記憶があります。こういった最先端のトイレの設備は、ジブリにドラえもん、ポケモン、ガンダムなどのアニメと並ぶ我が国の偉大な文化だという気がします。カジノなんぞよりはずっと重要だと私は考えています。

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次に、松井今朝子『料理通異聞』(幻冬舎) です。お江戸は浅草新鳥越町の料理茶屋である八百善こと福田屋の4代目、というよりも実質的に初代でこの料理茶屋を江戸1番にした福田屋善四郎の一代記です。著者は直木賞作家であり、京都は祇園の割烹川上の生まれ育ちですから、まさに八百善を取り巻く時代小説をものにする適任者といえます。時代背景として、主人公は田沼バブルのころに青春を過ごし、その後の寛政の改革デフレのころに料理茶屋を引き継ぎ、最終的には11代将軍徳川家斉のお成りを得ており、さらにその孫の千太郎の代になってからも12代将軍徳川家慶のお成りを迎えています。青春時代において、貧乏旗本の娘である千満とのほのかな恋心、さらに長じて伊勢参りで得た豊富な西国の知識とインスピレーション、蜀山人大田南畝、亀田鵬斎、酒井抱一、葛飾北斎、谷文晁、渡辺崋山といったそうそうたる文人墨客との交わり、そして、『料理通』の出版と、料理人として時代の頂点を極め、私のように食事を単なるエネルギー補給と考えるのではなく、料理や食事を文化と捉え、それを供する場であるレストランを人の交わるサロンと見なす、という意味で、とても文化的な時代小説です。あとがきにあるように、数多くの古文書をひも解いて得られた情報を基に、作者が展開した料理と食事の文化の世界に当然となる読者も少なくないと思います。ほかに、料理や食事をテーマにした高田郁のみをつくし料理帖シリーズも少し前に完結して、私は愛読しそれなりに感激もしたんですが、さすがにこの作品の重厚な仕上がりを絶賛せずにはおかれません。先日、何かの報道で今年のベストセラーは田中角栄を題材にした石原慎太郎の『天才』であると見かけた気がしましたが、おそらく、私の今年のナンバーワンは先日取り上げた平野啓一郎の『マチネの終わりに』であろうと考えますが、私の大好きなジャンルである時代小説のナンバーワンはこの作品ではなかろうかと考えています。題材やストーリーだけでなく、文体、というか文章のリズムやテンポもとてもよく、一気に読める割には頭に残ります。今週の読書の中ではピカイチです。

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次に、秋吉理香子『絶対正義 』(幻冬舎) です。作者は『暗黒女子』や『聖母』などの女性にまつわるイヤミスをモノにしてきたミステリ作家です。この作品は、高校生の女子グループ5人のうちの1人が「絶対正義」を振り回すという意味で、モンスター的な正義感を持ち、融通が利かないというか、ハッキリと周囲に迷惑をかけまくっていて、その高校卒業から15年を経過した30代前半で、正義のモンスターをほかの4人が寄ってたかって殺してしまう、というストーリーです。そして、その殺人事件から5年後になぜか、残った4人にパーティーの招待状が届き、その場で殺人が明らかにされることになります。しかし、もっとも恐ろしく感じられるのは、その娘が正義のモンスターとして母親と同じ方向に向かう、というのではないでしょうか。正義が絶対化した怖さをホラー小説的な手法でイヤミスに仕立ててあります。とても読後感が悪いのは、湊かなえや真梨幸子、沼田まほかるなどと同じで、これはどうしようもないんでしょうが、プロットはよく練られています。ただ、絶対正義のモンスター以外の高校時代の友人女性4人もかなり極端なキャラに仕立ててあり、もう少し一般的なキャラも欲しかった気がしますし、登場人物が高校時代の友人仲間だけでは物語に縦にも横にも広がりが出ない気がします。こういった点は次回作に期待です。

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次に、山田昌弘『モテる構造』(ちくま新書) です。著者は著名な社会学者であり、『パラサイト・シングルの時代』なども売れました。本書では、「モテる」ということを通じて男女の非対称性を論じています。すなわち、男性は公的な世界で競争を通じてできる人が異性からモテることとなる一方で、女性はそうならない、例えば、男性は仕事ができるビジネスマンや高身長などの体が大きいスポーツマンがモテるんですが、女性は必ずしもそうなりません。バリバリ働くキャリアウーマンが異性にモテるとは限りませんし、高身長の女性に魅力を感じる男性は限られています。こういったことから、やや古いジェンダー観では、男性は外で働き、女性は家で家事をする、という役割分担が当然視された時代もあったわけです。本書では女は女らしく、男は男らしく、などなど、旧態依然とした価値観が今も生き残っているという事実につき、こういった性別規範が社会から消えないのは、どういう相手を性愛の対象として好きになるかという、「モテる構造」から解明しようと試み、それらが人間の性愛も含めた感情に固く結びつけられているからだと結論しています。加えて、性別機能の身も蓋もない社会的現実を、透徹した視線で分析しつつ、男女それぞれの生き難さのカラクリを解剖し、社会構造変化の中でそれがどう変わりうるのか、また、LGBTなどの支店からも変化の大きさに対応した社会的な受容のあり方などについても考察を広げています。日常のなんでもなく不思議にすら思っていない事実のいくつかを社会学的に着目して、人が人として生きやすい、というか、生き難さの程度を低減してくれるような方向を考えようと試みています。人によっては当然のことかもしれませんが、目から鱗が落ちる人も少なくないような気がします。

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次に、エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』(文春新書) です。著者は我が国で人気の歴史人口学者だそうで、誠に不勉強ながら、私は歴史人口学というものをよく把握していません。第4章のタイトルは、「人口学から見た2030年の世界」だ他t利しますし、その分析結果として、米国とロシアが安定化の方向に向かって、欧州と中国は不安定化する、とされており、その次の章では、中国の経済大国化は幻想であると結論されていたりして、その結果はそれなりに受け入れられるんですが、論理的な分析の道筋は私にはよく理解できません。結論だけが直観的に先にあるような気もします。しかし、前著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』もそれなりのインパクトでしたが、本書もいわゆる著作というよりも、アチコチでしゃべった講演録の寄せ集めにしてはよく出来ている気がします。その理由は、繰り返しになりますが、直感的な結論が私の印象に一致する一方で、論理の筋道がよく理解できないからではないかと考えないでもありません。もっとも、タイトルにあるように英国とEUについて正面から論じた部分は決して多くはありません。かなり、見方にもよりますが、漫談調で取り留めもなくいろんな話題を取り上げている印象です。ですから、個別には指摘しませんが、読みようによっては前後で矛盾する主張もありそうな気がします。ただ、私は読んでいませんが、同じ著者の『シャルリとは誰か?』を引いている部分があり、欧州のイスラムに対する無知や偏見に基づく部分を指摘していて、フランス人としてはとても新鮮な見方が示されたと受け止めました。本書では、実は、ほとんど展開されていないんですが、タイトルの英国のEU離脱に関する問題については、私は本書のタイトル通りに、英国ではなくEUの問題であろうとほのかに認識しています。確たる認識ではありません。トランプ次期米国大統領などになぞらえて、英国が内向きになってEU離脱を決めたような報道や論評も目にしますが、少なくとも通貨統合に関しては、私の目から見てもかなりムリがあったような気がします。マーストリヒト・コンバージェンスがあるとはいえ、財政政策がバラバラ、すなわち、国債発行が各国政府に任されていて、金融機関に対するマクロとマイクロのプルーデンス政策も統一性が必ずしも図られていないにもかかわらず、通貨が統合され同一の金融政策が執行されるのはムリです。社会保障政策などの個別の政策はともかく、少なくとも国債発行に関する何らかの強い統合がなされないと金融政策は統合されるべきではないと私は考えています。

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最後に、藤田孝則『貧困世代』(講談社現代新書) です。著者はソーシャル・ワーカーでいくつかNPO法人の代表なども務めているようですが、昨年2015年に話題になった朝日新書の『下流老人』の著者でもあります。私のこのブログでは2015年9月19日付けの読書感想文で取り上げています。ということで、本書はやっぱり世代論です。p.13の人口ピラミッドで、65歳以上の貧困層を下流老人、40-65歳を下流老人予備群(本書では、「予備軍」としているんですが、軍隊用語を用いるのもナンだと思って、このブログでは書き替えています)、そして、15-40歳を貧困世代と年齢というか、世代で貧困層を分類しています。そして、40歳以下あるいは未満の世代では、高齢の引退世代と比べて特に社会保障が手薄くなっている事実を明らかにしています。前著の『下流老人』について私の評価は、第4章 「努力論」「自己責任論」があたなを殺す日、は十分に説得力があり、高齢者だけがこの第4章の議論の対象となっているわけではなく、子供やワーキング・プアの若者も同じく社会保障の網から漏らされるべきではないと指摘しました。もっとも重要なのは、社会保障の緊急性としては、私は子供や若者に軍配を上げるべきではないかと考えています。もちろん、余命の問題はありますが、高齢者は10年後も高齢者である一方で、小学生は10年後は義務教育期間を過ぎているおそれが高く、適切な時期に教育や訓練を受ける必要があります。加えて、私は決して重視するつもりもないんですが、あえて世間の潮流に乗れば、自己責任は引退世代の高齢者にこそ問うべきであり、若い世代については、特に子供は自己責任ではなく親をはじめとする家族や親戚縁者の責任である場合が圧倒的に重いと考えるべきです。企業が暴力的とも見える『資本論』的な剰余価値の生産にまっしぐらで、しかも、内部留保という形で労働者にまったく還元しないわけですから、本書の結論の第1に上げられている労働組合の役割は重要であると私も同意します。同時に、本書の第4章でも強調されているように、住宅政策も重要です。2009年の総選挙による政権交代では大いにコケましたが、住宅政策であれば、かつての京と・大阪・東京などの都市部での革新自治体による政策でも大きな転換が可能です。そういった形で、中央政府だけでなく地方政府の役割も社会保障や社会福祉の観点から考える必要を感じます。

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