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2017年3月25日 (土)

今週の読書はまたまた少しオーバーペースで経済書など計8冊!

今週はついつい借り過ぎて読み過ぎました。話題の働き方改革の中で、同一労働同一賃金を正面から取り上げた経済書、WBCで侍ジャパンが準決勝で敗退した一方で、プロ野球の開幕も近づき、背番号にまつわるノンフィクション、さらに、やや物足りなかったものの、話題の作家による小説などなど、以下の通りの計8冊です。

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まず、山田久『同一労働同一賃金の衝撃』(日本経済新聞出版社) です。著者は住友系の民間シンクタンクである日本総研のチーフエコノミストであり、雇用や労働分野に強いと見なされています。本書では、その昔からスローガンとなっている「同一労働同一賃金」に関して、その実現はそう簡単なことではなく、雇用や労働のさらにさかのぼること社会政策まで含めた対応が必要と論じています。まず、エコノミストとして、当然ながら、生産性に応じた賃金が支払われるのがもっとも合理的であり経済社会においても効率性を維持できるんですが、日本に限らず実はそうなっていません。私が大学で日本経済論を教えていた時でも、本書でいうところの我が国のコア労働力が服している終身雇用制では、ピッタリ半々ではないものの、前半期は生産性より低い賃金が、逆に、後半期では生産性より高い賃金が、それぞれ支払われる、ということになっていました。生涯パターンに応じた生活給的な側面があるからです。本書では明示的に指摘されていませんが、我が気宇に労働市場の最大の問題はこの終身雇用にあります。もちろん、ホントに死ぬまでの終身雇用ではありませんので、正しくは長期雇用ということになりますが、我が国労働市場でも戦前まではまったくこのような慣行はなく、戦後の高度成長期の人手不足の下で、企業の人材囲い込みが始まり、汎用的な生産性を高めるOffJTではなく、OJTを重視し退職金を高額にし転職コストを高騰させるようなシステムが徐々に出来上がったわけです。その中で、男性正社員が無限定に会社に奉仕して、エコノミック・アニマルとか、モーレツ社員と呼ばれて、先進国でもまれな長時間労働に従事する反面、過程では女性が専業主婦として家事や子育てに専念する、というシステムが出来上がってしまいました。それが現在では働く人のダイバーシティが進み、さらに、長期停滞の中でコストカットの対象に労賃が目の敵にされて非正規雇用が増加し、ここまで格差が広がった時点では正規と非正規のよく似た労働については同じ賃金を支払うという原則が再浮上したと考えるべきです。ですから、欧州のような公平の観点だけではなく、日本では転職がまだ長期雇用的な慣行の下でコストが大きいわけですので、単に賃金だけでなくキャリアパスも含めて、どのような人生設計の下で働くか、雇用されるか、という点こそ重視されるべきではないでしょうか。ですから、賃金だけを労働実態に応じて同一にするのは、キャリアパスの観点がが無視されている限りは、私には片手落ちとしか考えられません。私の目から見て、そういった観点からは、本書はとてもいい議論を展開していると思います。オススメです。

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次に、ジョン・プレンダー『金融危機はまた起こる』(白水社) です。著者はファイナンシャル・タイムズでよく見かけるコラムニスト、ジャーナリストです。英語の原題は Capitalism というある意味で壮大なタイトルであり、2015年に出版されています。内容としては、資本主義の本質に迫ろうと試みているのはそうなのかもしれませんが、わずかこの程度のボリュームではそんなことは不可能なわけで、基本的な題材は2007-09年くらいまでのサブプライム・バブルとその崩壊に端を発する金融危機に取っており、最終章では資本主義の本質は不均衡だと結論しています。ただし、本書でもよく引用されるシュンペーターの時代との違いは将来像として社会主義・共産主義という選択足がなくなった点です。他方、著者はあえて避けていますが、均衡からの乖離を含めて資本主義の不均衡が、正と負のどちらのフィードバックを持ったモメンタムなのかは考えておく必要があります。繰り返しになりますが、著者はこの観点に気づいていないか避けているかどちらかであり、もしも、均衡から乖離して正のフィードバックを持つのであれば資本主義は立ち行きませんが、負のフィードバックであれば政策対応は必要ないともいえます。いずれにせよ、邦訳版の編集者がタイトルに選び、著者も本書の中で論じているように、金融危機はまた起こるでしょうし、問題は起こるか起こらないかではなく、どの時点でどれくらいの規模で発生するか、なんでしょうね。私もそう思います。ただ、最後に、金融危機をカギカッコ付きで「言い当てた」エコノミストの著者などからいくつか引用していますが、とても疑わしいと私は受け止めています。サブプライム・バブルとその崩壊だけを予言するのは、どちらかといえば、必然や偶然の要素よりも平凡なエコノミストが一貫して同じ向きの発言をしていれば可能なわけで、上向きと下向きのどちらも的中できなければ、いつものバイアスで予言しているだけのオオカミ少年、と見なされる恐れもあることは考慮すべきです。ついでながら、古今の西洋向けばかりで「東西」ではありませんが、著名なエコノミストに限らず教養人の文献が引用されているのも本書の魅力に数える人がいるかもしれません。著者が博覧強記なのか、それとも、ネット検索がうまいのか、どちらかだという気がします。私の目から見ても、ケインズとマルクスが並んで引用されている本は決して多くなさそうな気もします。

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次に、大内伸哉『AI時代の働き方と法』(弘文堂) です。著者は神戸大学の労働法学者であり、一応、タイトルや本書の冒頭でも人工知能(AI)に関連する労働法の考察に並々ならぬ意欲を見せていて、AIそのものに関してはどこからか引き写してきた解説はあるんですが、AIに関する労働法の整備に関しては羊頭狗肉であって、何ら中身はありません。私はそれなりの関心があったので、その点は期待外れでしたが、まあ宣伝文句ですからこんなもんでしょう。そして、その中身は現在の労働法制は正規社員の身分保障が強すぎて時代遅れ、の一点張りでした。トホホというカンジで、ほとんど何の論証もなく「時代遅れ」の一点張りで押し通しています。確かに、終身雇用、年功賃金、企業内組合の日本的な雇用慣行は高度成長期に人手不足が深刻化し、人材を囲い込むために発達した制度であり、高度成長期の人手不足に適合的な制度であるという意味で「時代遅れ」というのは、ある意味で、その通りです。ただ、第5章の特に終わりあたりで著者も意識的にぼかしていますが、企業の経済合理的な選択と集中のためには、雇用者の流動化も有効なんですが、企業そのものも流動化するという極めて有効な手段があります。米国の雇用は日本に比べてと絵も流動的なんですが、企業そのものも連邦破産法11章、いわゆるチャプター11によりかなり柔軟な対応が可能となっています。著者は労働法学者であって会社法学者ではないようですから、企業はあくまで going-concern であって、経済合理性の追求のために労働者にしわ寄せが来るのをいかに労働法という次元でさばくか、に関心があるのでしょうが、エコノミストの目から見れば、生産要素の柔軟で流動的な配置転換という意味では、資本も労働も同じ生産要素です。極めて単純化した見方ながら、経済合理性の追求のためには、労働者は会社の言いなりになるしかない、だから、正社員の身分保障は緩和すべき、というのは一方のイデオローグであり、他方、労働者の経済的厚生水準の維持強化のために企業活動に制約を加えることも必要、特に金融活動の規制は金融危機回避のために必要性が高い、というのも別のイデオローグかもしれません。

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次に、ジュリア・ショウ『脳はなぜ都合よく記憶するのか』(講談社) です。著者はロンドンの大学をホームグラウンドとする記憶研究者、というか、過誤記憶の研究者です。精神科の医者なのか、心理学の専門家なのかは私には不明です。英語の原題は The Memory Illusion であり、2016年の出版です。過誤記憶の研究者として犯罪事件の事実解明に加わっているそうですから、過誤記憶研究者は人権派弁護士と並んでカギカッコ付きの「犯罪者の味方」と見なされる場合もありそうな気がします。どうして記憶が間違っているのかは、いくつかの原因があるようですが、そのひとつに優越感情による認知の歪みがあります。要するに、自分が他者よりエラいと思っているので、過誤記憶を持ってしまうわけです。ですから、犯罪に近い状況では交通事故の状況の見方が、関係者間で大きく異なることもあり得るわけです。ただし、さすがに、現役の総理大臣夫人から100万円の寄付があったかどうかは、記憶に間違えようがない気がするんですが、いかがなもんでしょうか。そして、記憶に間違いがあって、議院証言法上の証人として国会で事実と異なる自分の過誤記憶を披露してしまえば、まあ、偽証罪に問われたりするわけです。この2冊前の本の感想文で、博覧強記とネット検索の補完性というか、代替性というか、についてやや揶揄するようなことを書きましたが、実は、私自身は自分自身の脳に収納しておく記憶容量にまったく自信がありませんので、出来る限り外部記憶装置に収納しておくようにしています。この読書感想文もその一環です。決して自慢でも何でもなく、これだけの読書量があれば、すべてを記憶しておくことはまったく不可能です。外部のサーバに出来る限り読んだ後に感想文を残しておくことにしています。最後に、本書では、フロイトの精神医学や心理学はまったくのエセ科学と喝破したり、睡眠学習の非現実性を明らかにしたりと、とても私の考えに近い著者の見方に好感が持てます。もっとも、そうでない人はそうでないかもしれません。

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次に、佐々木健一『神は背番号に宿る』(新潮社) です。著者はNHKの関連会社を振り出しに映像ジャーナリズムで活躍しており、本書はNHKの関連企画の取材を基にしているようです。なお、単に「背番号」というだけでは、多くの球技で採用されているシステムですが、上の表紙画像に見られる通り、野球、特にプロ野球に特化して背番号にまつわるエピソードを集めています。まず、何といっても、私が読もうと思ったきっかけは、最初に取り上げられている選手が江夏投手だからです。誌かもその次が村山投手です。江夏投手の背番号28については、本書でも触れらている通り、小川洋子『博士の愛した数式』で有名になった完全数です。約数を全部足し合わせると元の数になるという意味だそうです。江夏というのは、昨年逮捕された清原といっしょで、晩年に薬物で逮捕され有罪判決を受けましたので、その分、少年野球などからは距離を置いて見られていますが、本書でも指摘されている通り、すでに刑期を終えて出所し社会的な制裁を受けていますので、そろそろ過去のお話しにしてしまうのも一案でしょう。いくつかの名門球団で、いわゆる永久欠番とされた背番号の由来、あるいは、逆に、あれほど活躍したにもかかわらず永久欠番とならなかった背番号、例えば、今は2年連続トリプル・スリーの山田選手が引き継いでいるヤクルトの1番を背負っていた若松選手のケース、などを判りやすく興味深く展開しています。およそ、私なんぞのまったく知らない選手のエピソードまで含めて、いろんな背番号にまつわる話題を提供しています。プロ野球ファン、特に江夏投手を知る阪神ファンは必読かもしれません。

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次に、マリア・グッダヴェイジ『戦場に行く犬』(晶文社) です。著者は米国西海岸在住でジャーナリストの経験が長く、現在では愛犬家のブログ投稿サイトの運営などをしています。2012年の出版であり、英語の原題は Soldier Dogs です。私は本来こういった軍事関係は決して評価せず、逆に回避する傾向があり、例えば、小さいころからガンプラを与えてきた上の倅が中学に入って模型部に入って部活をする際も、プラモデルの中に頻出する軍艦や戦闘機や戦車などの兵器関係は「おとうさんは嫌いである」と宣言した記憶があります。ちなみに、倅が同じ趣旨の発言を部活でしたところ、「ガンダムって兵器じゃないの?」といわれたらしいですが、まあ別のお話しでしょう。ということで、兵器や軍事に否定的な感情しか持たない私がどうして本書を読んだのかというと、実は、歴史的に見て我が家では飼い犬だけが太平洋戦争の戦場に駆り出されているからです。すなわち、私の父親は昭和ヒトケタの1930年生まれで、終戦の1945年までに徴兵年齢に達せず、その私の父の父親である祖父は年齢が行っていて招集されず、結局、飼っていた犬だけが軍隊に引っ張られて「戦死」したらしいです。犬種について私はよく知りませんし、どこで何をしてどうして「戦死」したのかは、軍事作戦上の機密事項でもないんでしょうが、明らかではありません。さらに、このブログの読書感想文では取り上げませんでしたが、昨年、出版から2年近く遅れて『アメリカ最強の特殊戦闘部隊が「国家の敵」を倒すまで』を読み、それはウサマ・ビンラディンの追跡と奇襲を跡付けたノンフィクションで、本書にも何度も出て来ますが、カイロという軍用犬が登場します。米国ではとても有名な軍用犬で、当時のオバマ大統領がこの部隊をねぎらいに出向いた際に、"I want to meet that dog." 「あの犬に会わせてくれ」と言ったらしいです。軍用犬ではなく警察犬などでも同じようなストーリーは有り余るほど存在するんでしょう。さらに、私は軍事作戦についてはまったくシロートですし、一時流行した言い方をすれば、私自身は明らかにイヌ派ではなく、ネコ派なんですが、本書では人間と犬の絆について、そして、その昔には「犬畜生」という言葉もありましたが、犬という動物の評価について、考えさせられるものがありました。私は違いますが、愛犬家の中にはとても高く評価する人もいそうな本です。

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次に、真山仁『バラ色の未来』(光文社) です。作者は売れっ子のエンタメ作家であり、本書は、ズバリ、統合リゾート(IR)法案にからんで、利権渦巻く政治の世界を舞台にしています。すなわち、青森県の寒村の町長がホームレスとして東京で死を迎えるところから物語は始まり、その町長が誘致しようとしたマカオのカジノを経営する中国人女性、コンサルとして暗躍する広告代理店の男性、もちろん、総理大臣とそのファーストレディまでカジノに思惑を抱いて利権に漁ります。それを社会の木鐸として事実関係、特に、利権の構図とカジノの影の側面を明らかにしようとする名門新聞社の編集局次長まで上り詰めた女性記者と、同じ新聞社の幹部ながら時の政権のブレーンとして政権の暗部を報道するのを防止しようとする専務編集局長、などなど、羅列すれば複雑そうに見えますが、それはそれなりに単純な人間関係の中でストーリーは進みます。ただ、後半から失望する読者が多そうな気がします。第1に、カジノの負の側面を政治家の利権と国民のギャンブル依存症だけで済ませようとする作者のお手軽プロットです。反社会的組織の暗躍やその組織による薬物汚染をはじめ、いくらでもカジノ反対論の根拠はあるのに依存症だけで済ませようというのは手抜きに過ぎます。依存症であれば、本書で作者も何人かの登場人物に発言させているように、本人の問題とも言い逃れできます。第2に、ラストがお粗末です。メディアの記者が何を記事にして、社内政治の流れで何を記事に出来ないか、しかも、編集にはかかわらないはずの社主まで登場させた割りには、メディアの対応がお粗末としか言いようがありません。せっかく、話題のIRやカジノを題材にしながら、作者の力量不足、取材不足としか考えられません。この作品くらいの出来であれば、この作者は諦めて別の作者の手に委ねるのも文学界全体としてはよかった可能性すらあります。誠に、残念。

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最後に、赤川次郎『招待状』(光文社文庫) です。著者はよく知られた売れっ子のミステリ作家であり、三毛猫ホームズのシリーズなどは私も愛読しています。本書は通常の単行本と文庫本とで同時に発行されたんですが、私が読んだのは上の表紙画像の文庫本でした。中身は、ファンクラブ会誌「三毛猫ホームズの事件簿」で毎号書き下ろされているショートショートです。お題は読者から寄せられています。「再出発」から始まって、「シンデレラの誤算」、「父の日の時間割」、「封印された贈り物」、「幽霊の忘れ物」、「テレビの中の恋人」などなど、27のストーリーを収録しています。この作者本来のミステリーはもちろん、サスペンス、ファンタジー、ラブストーリーなどですが、さすがに、ショートショートの短い文章ですので、ひねりのある結末は少なく、基本的にストレートな内容に仕上がっています。この作者の作品らしく、ユーモアたっぷりで、表現は悪いかもしれませんが、時間潰しに最適です。

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