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2017年10月28日 (土)

今週の読書は話題の小説を含めて計6冊!

今週は経済書を含めて、計6冊でした。それなりのボリューム感だったんですが、先週末に台風21号の関東接近で自転車で図書館を回れなかったため、予約しておきながら引き取りに行けずにキャンセルされてしまった本が何冊かありました。

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まず、ジョセフ E. スティグリッツ/ブルース C. グリーンウォルド『スティグリッツのラーニング・ソサイエティ 生産性を上昇させる社会』(東洋経済) です。著者の1人とタイトルに冠されたスティグリッツ教授はノーベル経済学賞受賞のリベラル派の経済学者です。英語の原題は Creating a Learning Society であり、2015年の出版です。完全版と縮約版があるような書き振りですが、邦訳は後者のようです。というのは、完全版にあるハズのパートがいくつか見受けられないからです。ということで、本書にいう「ラーニング」というのは、日本では馴染みのない用語かもしれませんし、私も戸惑っているんですが、まあ、正規の学校教育ではなく、むしろ、企業内におけるOJT、あるいは、イノベーションの基となるようなR&Dも含めた幅広い概念のような気がします。そして、読み始めは先進国における経済成長の底上げに関する議論かと思っていましたら、最後の方では、著者自身も「すべての国にあてはまるが、おそらく特に関係するのは発展途上国」(p.426)であろうと認めていて、ほぼ、私の専門分野である開発経済学とも重なります。すなわち、新自由主義のようなトリクルダウン経済学を否定し、かつてのワシントン・コンセンサスが機能しなかったと結論し、包括的(たぶん、inclusive)な経済発展・成長を目指すものとなっています。その対象は工業(あるいは、製造業?)であり、農業ではないとし、現在の自由貿易への過度の信頼、過重な知的財産権保護、金融の自由化をはじめとする行き過ぎた規制緩和、などなどを構成要素とする市場による経済問題の解決への期待をかなりの程度に否定して、より積極的な政府の市場への介入を求めています。その上で、ラーニングという動学的な比較優位の理論を再定義し、スピルオーバー(外部性)を十分考慮しつつ、開発戦略や成長戦略の練り直しを議論しています。例えば、かつての日本のもあった幼稚産業論ではなく、より動学的な意味でスピルオーバーの大きな幼稚産業保護論を展開し、為替政策や産業政策の導入を正当化し、また、景気変動を安定化させることによるラーニングの強化とイノベーションの促進の重要性などを論じています。そこに、独占の功罪の再考察も含まれます。それらの考察の結果として、米国型の競争的市場経済ではなく、北欧型の政府が大きな役割を担い、競争ではなく社会的な保護を提供し、その結果として格差が小さく寛大な経済モデルの優れた点を強調しています。500ページ近いボリュームがあり、しかも、かなりレベルの高い内容を含む質・量ともに上級のテキストですので、なかなか、短い読書感想文では書き切れませんが、pp.419-21の箇条書きされたサマリーを立ち読みして、買うか、借りるか、諦めるか、を決めればいいんではないでしょうか?

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次に、板坂則子『江戸時代 恋愛事情』(朝日新聞出版) です。著者はややご年配の専修大学の研究者であり、専門分野は江戸後期小説や浮世絵、江戸期のジェンダー論だそうです。ということで、タイトル通りの本なんですが、上の表紙画像を見てもある程度は理解できるように、カラーを含めてかなり図版、おそらくは半分近くが浮世絵、が挿入されており、かなり豪華本の印象を受けます。しかし、中には、電車などの不特定多数から覗き込まれる可能性ある場合には、やや気まずさを覚えるものも含まれていたりするので注意が必要です。というのは、著者が冒頭に書いている通り、江戸期の恋愛とは、いわゆる「惚れた腫れた」ばかりではなく、ほとんどが肉欲に基づく性愛、すなわち、セックスだからです。しかも、ヘテロの男女間だけでなく、ほぼ同等に近いスペースを割いてホモセクシュアルの男色についても本書では取り上げています。著者は明記していませんが、おそらく、江戸期のしかも将軍のおひざ元である江戸という当時の世界でもまれな大都会における恋愛事情ですしょうから、どこまで日本全国に拡張できるのかは不明、というか、疑問なんですが、私のような極めて無粋な田舎者には理解できない世界が展開されていたようです。私は関西人ながら、浅草近くの下町に住んでいた経験もあって、やむなく、それなりの江戸趣味、すなわち、相撲や歌舞伎などのたしなみを身につけているつもりだったんですが、とうていかなわないと感じました。単なる興味本位では読み解けない謎かもしれません。でも、私のような一般人には決して表芸にはならないような気もします。むしろ、BLに興味を示す「腐女子」向けかもしれません。

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次に、宮部みゆき『この世の春』上下(新潮社) です。著者はご存じの売れっ子作家であり、我が国でも五指はともかく、十指には入りそうな気がします。出版広告に「作家生活30周年記念作品」と銘打たれており、それなりのボリューム、重厚な内容であることはいうまでもありません。現代を舞台にしたミステリからゲームの原作、あるいは、時代小説なども含めて、幅広い作品を執筆していますが、まず、表紙画像でも理解できる通り、この作品は時代小説です。しかも、非現実的な要素を含むという意味でファンタジーに近く、その意味では、『孤宿の人』が同じ作者の作品の中で、というか、私が読んだ宮部作品の中では最も近い気もします。なお、出版社では「ファンタジー」ではなく、サイコ&ミステリーと称しています。でも、最近の作品の中では、『荒神』のように、非科学的な要素がそれほど大きな役割を果たしているわけではありません。ということで、舞台は江戸時代の比較的初期であり、八代将軍吉宗のかなり前で、北関東の小藩を舞台に、若い藩主の押し込め、すなわち、家臣・重臣による藩主の強制的な隠居、代替わりに始まり、その前藩主の闇の部分の究明、すなわち、ネタバレですが、隠居させられた藩主の多重人格の原因探しとなります。御霊繰と呼ばれる死者の霊との交信を司る一族の皆殺し、10歳を超えたあたりの少年のかどわかし、英明な名君主とされている押し込められた前藩主の父親に対する疑念、そして、藩内に暗躍する忍者、というか、闇の集団の存在とその悪意、そして、それらを利用するつもりで逆に祟られ呪われていた藩主一族、などなど、この作者の作品に特徴的なストーリーの運び、すなわち、1枚1枚の薄皮をむいていくように、決してどんでん返しなどなく、ほぼ一直線に一歩一歩謎の解明に向かいます。ですから、謎解きという点では途中でほぼほぼ明らかになりますので、その点では物足りないと感じる読者もいるかもしれませんが、このような謎の解明プロセスはこの作者の作品の特徴のひとつと私は受け止めています。それにしても、ボリュームにふさわしい複雑怪奇なプロットを易々と書き上げている作者の筆力、力量には相変わらず敬服しかありません。素晴らしい作家としての能力だという気がします。売れっ子作家の安定した作品ですし、私を含めたこの作者のファンは買って読む読書子が多そうな気がしますが、時代小説という点を加味しても、私はこの作者の最高傑作は『模倣犯』であるという信念は揺らぎませんでした。

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次に、伊坂幸太郎『AX アックス』(角川書店) です。同じ著者の『ホワイトラビット』も新潮社から出版されたばかりですが、出版順従って、コレから読んでみました。たぶん、『ホワイトラビット』も読むんではないかと思います。ということで、著者の人気シリーズのひとつの殺し屋シリーズの流れの作品です。すなわち、『グラスホッパー』や『マリアビートル』に連なる作品です。ただし、以前の殺し屋シリーズで登場した殺し屋の中で、この作品にも登場するのは槿だけで、そういえば、私のような記憶力に難のある読者にはやや複雑すぎるストーリーなのですが、最初に登場した蝉や鯨はもう死んでしまっているのかもしれません。なお、この作品の主人公は兜といい、子煩悩な恐妻家だったりします。これも、同でもいいことなのかもしれませんが、シリーズ前作の『マリアビートル』では槿が最強の殺し屋、と宣伝されたいたように記憶している一方で、この作品では新登場の兜が最強と宣伝されています。まあ、どうでもいいことです。それから、内科の医者が黒幕、というか、ストーリーに登場しないホント黒幕からの連絡者の役割を果たしており、兜は殺し屋の業界から引退したがっている、という設定です。アルファベットのAからFで始まる6章から成る連作短編のような仕上がりで、繰り返しになりますが、主人公の殺し屋である兜は引退したいんですが、他方、引退するにはもう少し義理を果たして、引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けねばならないという、まるで、芸能プロダクションの移籍問題のような展開があり、兜は仕方なくいくつかの仕事を請け負い、同時に、別の殺し屋からターゲットにされたりして、お話は進みます。同時に、ひとり息子を愛する子煩悩な父親であり、かつ、恐妻家である家庭人としての顔も余すところなく作品に盛り込まれており、それはそれで興味深く、殺し屋と恐妻家の2つの人格を使い分けている主人公のキャラの立て方には感心すると同時に、さすがの作者の力量をうかがわせます。ただ、主人公が殺し屋ですので仕方ないんでしょうが、一介の公務員である私から見て、世の中にはやたらと殺し屋がいるんだという誤解をしてしまいそうな密度で殺し屋が登場します。兜の家族以外の一般人の登場も望みます。ラストはさすがに伊坂流の心温まる(?)終わり方をします。

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最後に、天野郁夫『帝国大学』(中公新書) です。著者は東京大学教育学部をホームグラウンドとする研究者の大先生で名誉教授だったと記憶しています。2009年に同じ中公新書で『大学の誕生』上下を出版しています。そして、この本ではタイトル通りに戦前を中心に少しだけ戦後も含めて帝国大学を取り上げています。もちろん、帝国大学以外の大学や大学予備門としての旧制高等学校にも触れています。東京、京都に続いて、各地域の事情に応じて設立・拡充される歴史、帝大学生の学生生活や卒業後の就職先、教授たちの研究と組織の体制、大学入学準備の予科教育の実情、太平洋戦争へ向かう中での帝大の変容など、「学生生徒生活調査」などの豊富なデータに基づき活写しています。明治期から昭和戦前期にかけての建学から戦後、「帝国」の名称を外して国立総合大学に生まれ変わるまでの70年間を追い、大正期の大学令で確立し現在まで続くエリート7大学の全貌を描いています。はばかりながら、私もその7大学のうちのひとつの卒業生ですし、それなりの興味はあります。私の学生時代まで明らかに東大は官僚養成の一翼を担っていましたし、官界だけでなく、政財界、教育・文化界に多くの卒業生を送り出し、「近代日本のエリート育成機関」だった戦前期の帝国大学を明らかにしています。米国東海岸にはハーバード大学やイェール大学をはじめとして、いわゆるアイビーリーグと呼ばれる一群の大学があり、集合的な大学の存在とみなされていますが、日本でも「早慶」という呼称があったり、入試の偏差値のくくりでMARCHと呼ばれる一群の大学がありますが、現在の日本の大学で集合的に取り扱われるのは東京6大学とこの本で取り上げられている旧制帝国大学7大学くらいではないかと思います。前者は地域的な集合体、後者は学術レベルも含めたエリート排出機関としての集合体、という特徴があります。卒業生のひとりとしては、先輩方のご活躍を含めて興味深く読めました。

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