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2017年12月30日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!

恒例の土曜日の読書感想文のブログも、今回が今年の最終回です。経済書はあまり読まなかったんですが、以下の通りの計6冊です。今日から年末年始休みの読書として、修正後の予定通り、二階堂黎人の『人狼城の恐怖』を読み始めました。

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まず、アル・ラマダンほか『カテゴリーキング』(集英社) です。著者はコンサルタント会社の3人とジャーナリスト1人の計4人で、私のような単純な考えをもってすれば、コンサル会社の幹部3人がてんでバラバラにしゃべった内容をジャーナリストが上手に文章に取りまとめたんではないかという気がします。コンサル会社の名称が Play Bigger らしく、英語の原題はこの会社名の Play Bigger となっています。出版は2016年です。いろんな表現は自由ながら、経済学に根差した私の解釈によれば、シュンペーター的なイノベーションのうちの新製品のイノベーションをプレイアップし、そこから新たなカテゴリーを生ぜしめ、要するに独占利益を享受せよ、ということになります。イノベーションに関する経営学の指南書は大体そういったものだという気がします。フォードの言葉を借りれば、顧客の声を聞くと「もっと速い馬が欲しい」ということになって、better を追及することになる一方で、different である新たなカテゴリーを生み出すべく自動車を考案するのがイノベーション、ということになります。そして、私が常々不思議に思っているのは、本書で取り上げられているような Facebook や Google や Airbnb といった成功した企業の裏側に、どれくらいの失敗企業が存在するか、ということなんですが、本書では赤裸々に、2000年から2015年まで創業した数千のスタートアップを著者らのコンサル会社は分析した中で、そこから35のカテゴリーキングを見出したということのようです。0.5%とか、そんなもんでしょうか。そして、p.120 にある三角形のプロダクトデザイン、企業デザイン、カテゴリーデザインの3点の重要性を強調しています。私の下種の勘繰りですが、申し分なくこれら3点を重視しながら失敗したスタートアップが大量に存在する気がします。イノベーションを人為的に作り出すことが不可能とは思いませんが、本書のレベルで Facebook や Google や Airbnb といった成功企業がポンポンと飛び出すとは、私にはとても思えません。

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次に、宮本太郎[編著]『転げ落ちない社会』(勁草書房) です。編著者は格差や不平等、あるいは、貧困問題などについて発言の多い政治学の研究者です。本書はリベラルな立場から貧困や不平等の問題について論じていますが、論点はいくつかあって、貧困層に対する社会政策としての選別主義を取るか、国民一般に対する社会保障としての普遍主義を取るか、がまずあります。本書でも指摘している通り、最近の傾向としてアングロサクソン的な選別主義よりも北欧的な普遍主義が志向される場合が多いのは確かなんですが、その普遍主義の極みであるベーシック・インカムについては、本書では最後の鼎談で少し話題として出ているだけで、ほぼほぼ無視しているような気がします。人工知能(AI)やロボットの台頭と人間労働への大体がアジェンダに上ってきている段階ですので、ここはもう少し着眼点を考えて欲しかった気がします。また、日本的な社会保障政策については、もっと包括的な見方が必要です。すなわち、我が国では、4人家族の核家族をモデルケースとして考え、父親=夫が一家の大黒柱として正社員勤務で無限定に会社のために働いて一家4人を養う給料を得る一方で、子どもや往々にして別居している老親の介護などがインフォーマルに母親=妻に委ねられる、というかたちで社会保障と労働政策が相互に補完する政策体型を取ってきています。それが、最近時点では高度成長の終焉から続く日本的雇用慣行の崩壊の中で、非正規雇用の拡大が見られることから、父親=夫が一家を養うに足るお給料を得ることが難しくなり、さらに、労働力不足の現状もあって、母親=妻も働きに出たり、あるいは、そのために子供の保育や老親の介護についてはインフォーマルに家庭内で完結するのではなく、社会的に何らかの施設で行う必要が出たりするわけです。ですから、政府においても労働省と厚生省を一体化させて施策を検討したりしているわけで、研究者の側でも包括的な解決策の提示が求められるような気がします。加えて、コトは私のようなエコノミストの考える経済学の範囲でとどまるわけもなく、例えば、我が国の痛税感については徴収した税金を社会保障で普遍的に国民に還元するのではなく、選別主義的に還元したり、あるいは、公共事業で土建国家のように還元したりすることが要因との分析もありますが、こういった社会保障を取り巻く国民文化の問題も同時に解決すべき課題ではなかろうか、という気がします。

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次に、木下光生『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院) です。著者は日本近世史の研究者なんですが、本書のあとがきで論文査読者をジャッジと記すなど、大丈夫なのか、と心配になるレベルのような気もします。なお、私は査読論文は1本しかない不勉強なエコノミストですが、査読者は通常はレフェリーといわれるものと理解しています。ということで、おそらく学術書ながらやや不安含みで読み進みましたが、まずまずの貧困史の出来ではないかという気もします。でも、一部に史料の独断的な解釈もあって、私は同意しかねる点もありました。本書の特に冒頭部分は奈良県の片岡彦左衛門家文書を史料とし、かなり綿密に世帯ごとの所得と支出を推計しています。第2章の最後に置かれた作物の出来高を中心とする40ページほどの表は、読み飛ばす読者も多いものと私は想像しますが、しっかりと読むべき部分です。というか、本書の中心をなす部分であると考えるべきです。その結果として、本書の著者は、赤字世帯の原因は租税の重さなどではなく、主食食糧への支出と消費活動を営むための支出であり、それなりの水準の消費活動の必要があった背景を解き明かしています。ただ、本書本来の貧困研究としては、貧困ラインの設定、計測をいとも簡単に諦めたのは、研究者としての姿勢が疑われます。経済学的に、貧困指標は山ほど提唱されており、私も地方大学出向時に紀要論文として取りまとめた経験があります。学際的に経済学と歴史学の文献をキチンとサーベイすべきではないかという気がしました。単に、今までの歴史学研究で格差指標とされてきた石高や持高に対して否定的な見解を述べるにとどまっているのは残念としかいいようがありません。さらに、貧困救済に際して、その後の返済を必要とする貸付やそれなりの対価を要求される安値販売に対して、対価なしの施しについてはかなり厳しい制限が課される、というのは常識的に理解できるとしても、制限を課される救貧行為とそうでないものの線引を明らかにした上で、その差の原因や要因を何らかの方法で探ることも必要かと思います。違いがあれば、もちろん、その違いの存在自体が発見として意義あることは認めるものの、さらに、歴史的に発生とその後の消長を探るだけでなく、社会的なバックグラウンド、そして、その歴史的な意味を明らかにすることが求められる可能性は認識しておくべきです。貧困シ研究は我が国でも、イングランドやドイツなどの他の先進国などでもそれなりの研究の蓄積があることから、単に新発見の史料に基づく定量的な把握だけでなく、もう少し突っ込んだ分析的な視点も必要ではないかと思います。

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次に、クリストフ・ガルファール『138億年宇宙の旅』(早川書房) です。著者はフランス人のサイエンス・ライターであり、英国ケンブリッジ大学にてホーキング教授の指導により博士号の学位を取得しています。約100年前の1915年のアインシュタイン博士の相対性理論などから始まって、最新の重力波やマルチユニバース理論などまで、幅広く宇宙に関する物理学を解説しています。まあ、私のような専門外のエコノミストには判る部分と判らない部分があるのは当然としても、文語体ではなく口語体で平易な語り口により解説してもらうと、何とはなしに判ったつもりになるのは不思議なものです。読者がイメージしやすいような語り口というのは、書き手がホントの意味で十全な理解に達していないと難しい気がしますが、それだけ練達のライターなのだろうと思います。私のイメージではフランス人というのは、経済学の分野も典型的にそうなんですが、やたらと哲学的に考えようとするきらいがあり、私は苦手だと思っていたところ、本書ではそんなに、というか、まったく哲学的な志向はなく、よく訳の判った大人が子供の読者に語りかけるような内容で宇宙について論じています。もちろん、シュレディンガーの猫とか、得体の知れないダークマターやダークエネルギーなど、経済学と違って、なんとも解説のしがたいいろんな有象無象が物理学にはありそうな気がするんですが、割合とスンナリ受け入れられそうな論点を中心に、幅広い解説を心がけているような気がします。ガチガチに実利を追求するような錯覚を持たれている経済学に対して、ロマンを感じさせる宇宙物理学の中で、重力と時空の関係を実用的に利用しているのがGPSなんですが、本書でもGPSニツイテハ「チラリと触れている一方で、物理学の中でも特に最先端であるがゆえに理解不能な量子物理学を応用した量子コンピュータなんてのの解説も欲しかった気がします。ついでながら、本書の著者の指導教員であるホーキング教授のブラックホールの蒸発に関する『ネイチャー』の論文へのリンクは以下の通りです。

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次に、ティム・スペクター『ダイエットの科学』(白揚社) です。著者は英国の医師・医学研究者であり、双子の研究で有名です。英語の原題は The Diet Myth であり、2015年の出版です。私は今までダイエットらしいダイエットをしたこともなく、来年の還暦を前に何とかBMIで23を少し下回る体重をキープしています。本書では、そもそもダイエットに関する疑問を表明しつつ、科学の立場からダイエットにまつわるいくつかのテーマの真偽を著者なりに明らかにしています。そして、著者の結論は、というと、万人に適用可能なダイエット方法なんてものはありえない、という点に尽きます。すなわち、カロリーの収支すら体重への影響を否定しているに近い印象です。要するに人によって違うということです。でも、いくつか注意すべきポイントはあり、やっぱり、砂糖の取り過ぎはよくないようです。ジャンクフードは肥満や体重過多につながります。このあたりは常識なんですが、「判っちゃいるけど止められない」の世界なんだという気がします。他方、カロリー収支をはじめとして疑問を呈されたり、実証的なエビデンスはないとされたり、あるいは、ハッキリと否定されたりしたものの中で、私の印象に残っているのもいくつかあります。何よりも、朝食を抜くことはそれほど悪いわけではないという著者の主張には少し驚かされました。実は、私は今年に入って、というか、昨年くらいから仕事が忙しくなってしまった際には、昼食を抜くことが少なくなく、週に1回や2回はあります。朝食ではなく昼食だから、まあ、いいんだろうと思いつつ、1日3食をきちんと食べることの重要性も同時に頭をかすめますが、本書の著者は、適当に食事の間隔を開けることは決して悪くない、と主張しています。そして、「朝食は必須という定説もやはり、ダイエットの神話として葬り去るべきだということだ」との意見です。ほかは、まあ、そうだろうな、という常識的な結論だったような気がします。繰り返しになりますが、砂糖の摂取過多、あるいは、ジャンクフードが肥満につながりやすく健康によくないのは常識でしょうし、スーパーフードは「詐欺同然のマーケティング」と切り捨てています。ビタミンのサプリメントも効果は疑問、というか、ビタミンに限らず、チビチビと摂取していたものを、1日の必要量の半分くらいを一気にサプリメントのカプセルや錠剤で飲み込んだところで、体が適切に反応して吸収できるかどうかは、専門外の私でも疑問に思います。ですので、私も貧血でしたので鉄分のサプリメントを取っていた時期があるんですが、今は止めてしまいました。糖質を制限して肉食中心の食事にするパレオ・ダイエットについても、いかにも米国人が好きそうなんですが、怪しげであることは常識的に理解できます。最後に、痩せていて運動しない人と、太っていて定期的に運動する人とでは、後者の方が健康である、と結論しています。私も定期的な運動を心がけたいと思います。

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最後に、奥野修司・徳山大樹『怖い中国食品、不気味なアメリカ食品』(講談社文庫) です。著者はジャーナリストであり、週刊「文芸春秋」に2013-14年に掲載された記事を収録しています。特に、隣国の中国と対米従属のもとになっている食糧につき米国、ということで2国に的を絞って、食の安全について問うています。特に、中国については前近代的な衛生管理、食品製造に関する倫理観の欠如、果てしないインチキの系譜、などなど、とてもまともに輸入食品を作れる国ではないと実感しました。本書では明示的には取り上げていませんが、いわゆるサプライ・チェーンが長く複雑になり、我々が口にする食品がどこでどうして作られているのかが、必ずしも明確でなくなっています。実は、私自身はもう還暦を迎えることもあって、食の安全製に関してはかなり無頓着になって来つつあるんですが、本書でも指摘しているように、学校給食で中国由来の食品をコスト安であるという理由だけで用いるのは、とても不安です。私のように老い先短い人間は何を食べても、例えば、30年先にガンになるとしても、ほとんど影響ないんですが、小学生はそういうわけにはいきません。そうでなくても少子化が進む我が国で、子供達の食の安全について深く考えさせられる1冊でした。

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