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2018年1月14日 (日)

先週の読書は大量に読んで計7冊!

先週の読書は私のとっても気にしている子供の問題に関する専門書をはじめ、京都本も含めて計7冊です。昨日、自転車で近隣の図書館を回って予約の本を回収に当たったんですが、今週の読書も1日1冊のペースくらいで、どうも大量になりそうな予感です。そのうちに、ペースダウンしたいと思います。

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まず、末冨芳[編著]『子どもの貧困対策と教育支援』(明石書店) です。編著者は日大勤務の研究者であり、京都大学教育学部の出身ですから、たぶん、教育関係がご専門だと受け止めています。本書は、研究者と実務者の合計十数名からなる執筆陣により、タイトルの通り、子どもの貧困に対する対応策としての教育支援をテーマに議論を展開しています。2部構成であり、第1部が教育支援の制度・政策分析をテーマとし、主として研究者の執筆によっており、第2部では当事者へのアプローチから考える教育支援をテーマとして取り上げ、主として実務者の視点から議論しています。どうしても第1部と第2部で差があって、第2部は物足りない、というか、やや視野の狭さを感じてしまうんですが、それはそれで、現場の実情を把握するという意味もあるような気がします。ということで、我が国に置いてはいっわゆるシルバー民主主義のために、社会福祉の財政リソースが大きく高齢者や引退世代に偏っており、家族や子供に対する社会福祉の政策がそのしわ寄せを受けているのは広く知られています。特に、子どもの貧困については親の責任のように主張されることも少なくなく、高齢世代への手厚い社会保障給付の言い訳にされたりしています。私の従来の主張ですが、平均余命を考えても考えなくても、貧困な高齢者は社会保障で支援されても10年後も貧困な高齢者のままである可能性が高いのに対して、貧困な子どもはしっかりと支援すれば10年後は納税者になることができます。本書では生活面というよりは、学習面、特に学校に子どもたちを包摂する先進的な事例や最新の取組みも紹介し、子どもの貧困に関する多角的な視点を提供してくれています。最後に、日経新聞に掲載された斯界の権威である阿部彩教授による本書の書評へのリンクを置いておきます。

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次に、デヴィッド・ハーヴェイ『資本主義の終焉』(作品社) です。著者は英国生まれで米英の大学で研究者をしていた地理学者なんですが、明確にマルクス主義に基づく研究を行っています。2008年には『資本論』の講義の動画がアップされ、世界中からアクセスが殺到したと記憶しています。なお、私は2012年のゴールデンウィークに同じ出版社から邦訳が出ている『資本の<謎>』を読んで、このブログに読書感想文らしきものをアップしています。ということで、かなりしっかりしたマルクス主義経済学による現在の資本主義の分析といえます。3部構成となっており、第1部が資本の基本的な矛盾、第2部が運動する資本の矛盾、第3部が資本にとって危険な矛盾、とそれぞれ題されています。見ても明らかな通り、「矛盾」がキーワードとなっており、本書の冒頭でマルクス主義的な矛盾や物心論に関する簡単な解説がなされています。そして、私にとって感激的であったのは、フランス的なポスト構造主義が階級構造の分析を避けているとして批判されている点です。ソーカル事件を持ち出すまでもないでしょう。ただ、矛盾をキーワードとし資本の運動をひも解こうとしているんですから、マルクス主義経済学の視点から何が最大の矛盾であるかについては指摘が欲しかった気がします。すなわち、マルクス主義的な唯物史観において最大の矛盾とは、生産様式が生産力の桎梏、ないし、制約条件となる、というのが最大の矛盾と私は考えています。奴隷制から農奴による封建制へ、さらに、資本制へと生産様式を進化させてきたのは、それぞれの生産様式が生産力を制約するようになったからであり、その意味で、さらに生産力を資本制の制約から解き放つのが次の段階と考えるべきです。そして、その段階は19世紀的には社会主義ないし共産主義であろうと想定されてきたんですが、ソ連型社会主義の崩壊から生産手段の国有化と市場ではない中央司令型の資源配分による計画経済は資本主義の次の段階としては想定されなくなりました。マルクスやレーニンなどの想定ではなく、何らかの新しい生産様式が必要とされ、その生産様式を下部構造とする上部構造のあり方が議論される必要があります。私ごときでは計り知れない未来が待っていると期待しています。

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次に、永江朗『ときどき、京都人。』(徳間書店) です。著者は編集者であり、東京と京都の両方にお住まいを持つお金持ちのようです。ただ、ご出身はどちらなのか、明記はされていませんが、何かで旭川出身との略歴を見た記憶があります。ということで、上の表紙画像に見える副題に「二都の生活」とありますが、本書の中身に東京はまったくといっていいほどかんけいしません。すべて京都だけの「一都物語」と考えるべきです。ただ淡々と京都の生活を追っているだけです。ですから、私が昨年12月に京都を訪れた際に気づいた東京の警視庁管内の自転車ナビマークと京都の府警管内のナビラインの違いについても、後者の写真が掲載されているにも関わらず、東京と京都の比較、というか、違いには一切触れられず、ひたすら京都事情だけに特化しています。それだけに、逆に、京都に関する記述は正確で豊富な内容を含んでいたりします。私も本書の著者とほど同様に今年還暦なんですが、人生の前半を京都で過ごし、後半は東京住まいです。ですから、35年以上も前の京都にしか住んだことがなく、本書絵及んで京都市動物園がリニューアルしたことを知ったりしています。年に何冊かは京都本を読んで京都に関する知識をアップデートしているつもりですが、なかなか追いつきません。昨年2017年は学会出席のついでと京大の恩師の偲ぶ会で2度上京しましたが、それくらいでは不足なんでしょう。最後に、本書を読んだ感想を2点だけ上げると、著者の京都通の度合いが本書執筆の間にも上昇しているのが手に取るように理解できます。例えば、前半では京都のお住いの近くらしいものの、「荒神口橋」なる珍妙な橋の名が出てきますが、終わり近くには正確に「荒神橋」と訂正されています。もう1点は京都の南が苦手そうだという点です。伏見こそ取り上げられていますが、天神さんの蚤の市は本書に収録されていても、東寺で開催されている弘法さんはご存じないようです。私自身は伏見で生まれて、宇治で育っていますので、鄙なる土地の洛外育ちで、中学高校と奈良の学校に通っていましたので南の方に親しみがあります。最後の最後に、本書でも触れられている井上先生の『京都ぎらい』には七条は「ひちじょう」である、と出て来ますが、本書では質屋の話題があり、京都人は「ひちや」と読みますし、少なくとも私の小学生くらいまでは質屋ののれんに平仮名で「ひちや」と書いてあるお店があったと記憶しています。何ら、ご参考まで。

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次に、辻村深月『かがみの孤城』(ポプラ社) です。何かのメディアで、『スロウハイツの神様』を超えた辻村深月の最高傑作、のように評価されていたので買ってみましたが、出版社の宣伝文句に踊らされただけなのか、やや物足りない思いをしました。私の感想としては、辻村作品をすべて読んでいるわけではありませんが、やっぱり『スロウハイツの神様』が現時点での最高傑作だと考えます。そして、それに次ぐのは『冷たい校舎の時は止まる』とか、『凍りのくじら』などの高校生から大学生にかけての青春小説だと思っています。もちろん、もっと小さい子が主人公ながら『ぼくのメジャースプーン』が捨てがたいのは理解しています。ということで、この作品では中学生が主人公です。そして、主人公の女子中学生と同じように、学校に行けない、というか、一般用語の不登校とは少し違うものの、要するに中学校に行けない子供達が鏡を通して移動して集まる、というストーリーです。私のような年齢に達した人間からすれば、不登校っぽく中学校に行っていない少年少女を主人公にしているだけで、少しばかり理解が届かなさそうな気もしますし、パラレル・ワールドでなくて、中学生たちの集められ方も不自然ですし、オオカミさまの正体や喜多嶋先生の実像などについても、なかなかよく考えられているとはいえ、ここまで作為的な構成やキャラの配置をしてしまうと、両極端の反応を生みそうな気がします。ものすごく感情移入が進んで感激して読むファンと、私のように辻村作品のファンでありながら物足りなさや違和感を覚える読者です。平たくいえば、当たり外れが大きい作品だと思いますし、それだけ何かを賭けているようにも感じなくもありません。デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』のように超常現象を盛り込んだファンタジーなんですが、不自然の度合いが大き過ぎるような気がします。この内容であれば、買うんではなくて順番待ちをしてでも借りておいた方がよかった気がします。期待が大きかっただけに、少し残念な読書でした。

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次に、貴志祐介『ミステリークロック』(角川書店) です。作者はなかなか売れているホラーやミステリの作家なんですが、我が母校の京都大学経済学部で私の後輩だったりします。それはさて置き、この作品は防犯探偵・榎本径のシリーズの最新中短篇集です。収録されているのは、「ゆるやかな自殺」、「鏡の国の殺人」、表題作の「ミステリークロック」、「コロッサスの鉤爪」の4作品であり、最初の短篇を除いて、残りの3作品は弁護士の青砥純子の視点からの記述となっています。すなわち、青砥弁護士がワトスン役を演じているわけです。ということで、まあまあの密室ミステリといえますが、実は、この作品も直前に取り上げた辻村深月『かがみの孤城』と同じく、借りたのではなく買いましたので、その意味では、少し物足りなかった気がします。特に、東野圭吾のガリレオのシリーズですっかり崩壊したノックスの十戒のうちの、一般にはそれほど理解されていない難解な科学的知識を要求する謎解きがいくつか含まれます。冒頭の短篇「ゆるやかな自殺」が飛び抜けて短いんですが、私は明らかに何かのアンソロジーで読んだ記憶があり、ミステリ作品の出来としては本書の中で最高です。この作品を読む限り、密室のトリックについては、この作家は限界という気がします。ですから、この榎本シリーズも最後に近づいているように思えてなりません。何だか、ミステリの謎解きというよりも、青砥弁護士のオチャメな仮説提示を笑い飛ばすコメディ小説のような気すらします。それなりに、榎本と青砥弁護士のかけ合いは小説としても楽しめるかもしれません。青砥弁護士はどんどんおバカになっていくような雰囲気で、私の記憶が正しければ、テレビドラマでは戸田恵梨香が配されていたわけですから、それはそれで合っているのかもしれませんが、弁護士なんですから、ペリー・メイスンのように、とまではいわないとしても、もう少し考えた方がいいように受け止めています。最後の最後に、どうでもいいことながら、一般の普通名詞のミステリー・クロックは、私はカルティエの時計しか見たことがないんですが、とても不思議なものです。ムーブメントなどの本体は下の土台部分に隠されているんでしょうが、どうやって針が、特に短針が動いているのか、文系の私にはまるで謎だったりします。

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次に、森博嗣『ダマシ×ダマシ』(講談社ノベルス) です。著者はご存じの新本格派のミステリ作家です。もっとも、新本格派は京都や大阪が拠点だと私は勝手に思っているんですが、この作品の作者は名古屋です。『イナイ×イナイ』、『キラレ×キラレ』、『タカイ×タカイ』、『ムカシ×ムカシ』、『サイタ×サイタ』と続いてきたXシリーズの第6話にして最終話になります。シリーズの主人公は本書でも小川令子という探偵社勤務の30代の女性探偵です。そして、この作品は結婚詐欺のお話です。で、今回のエピグラフがマインドコントロールについてみたいなことで、そこに書かれていることや作品に書かれていることから、人の心は難しいもので、どうしてもそうなっちゃうところはあるよね、とか、一般論ではなく結婚詐欺のお話に絞れば、他の人は騙されたけど、もちろん、私も騙されたけど、でもちょっぴり、あの人はまだ私を想ってくれていたかもしれない、みたいな話が書かれていて、私自身はバカなんじゃないの、と思ったりしつつも、女心の理解しがたさを思い浮かべたりしていました。シリーズ最終話ですから、いろいろとかっきてきなしんてんもあります、すなわち、椙田は小川に事務所を譲りますし、探偵社のアルバイトの留年大学生だった真鍋瞬市は大学を中退して、めでたくも就職し、そして、一足早く就職していた永田絵里子と結婚する予定です。オールスター・キャストで西之園萌絵も意味なく登場したりします。私はこの冊書の主要なミステリはすべて読んでいるつもりなんですが、こういったシリーズ最終話の終わり方は初めてではないかという気もします。もっとも、私のことですから忘れているだけかもしれません。


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最後に、伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書) です。著者は米国シカゴ大学に勤務する研究者であり、副題は『因果関係に迫る思考法』となっています。本書はサントリー文藝賞を授賞されています。以前にこの読書感想文のブログでも取り上げた中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』と重複しますが、因果関係について今さら、という気もしつつ読み進みました。もちろん、因果関係を考える上でとてもよい入門書なんですが、本書の読者のレベルを考えてか、操作変数法が取り上げられていないのはまあいいとしても、2点だけ補足しておきたい事実があります。まず、ビッグデータの時代にあっては因果関係よりも相関関係が重視される可能性が高いという事実です。詳しくは、例えば、 ビクター・マイヤー=ショーンベルガー/ケネス・クキエによる『ビッグデータの正体』などに譲りますが、悉皆調査に近いビッグデータの分析では相関関係で十分、というのも考えられます。もちろん、そうでなく、やっぱり、因果関係が重要、という説が成り立つこともあり得て、例えば、薬効や医学治療では相関関係では許されない場合も考えられますが、政策分析やマーケティング調査くらいでは相関関係で十分な気もします。もうひとつは、対象者の独立性についてもう少し詳細に検討して欲しい気がします。最後の付録には少しだけ触れられているんですが、例えば、マーケティングのシーンでは、カスケード現象やバンドワゴン的な大流行を引き起こそうとしている場合もあるわけで、マーケティングでは消費者間の影響力も無視しえない、特に、SNSでの拡散を視野に入れると、対象者間の独立性がどこまで確保されるかは疑問ですし、独立でなくして大流行を狙う、というマーケティングもありだという気がします。

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