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2018年3月17日 (土)

今週の読書は小説まで含めて5冊にペースダウン!

図書館での予約の巡りの関係で、先週、先々週と2週続けて9冊を読んでしまいましたが、今週はなんとか正常化が図られて、以下の通りの計5冊でした。これくらいが適当なペースではないかと思いますが、以下の5冊のうち、最初の2冊はかなりのボリュームです。実効状は6冊分近かった気がします。

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まず、田中洋『ブランド戦略論』(有斐閣) です。著者は中央大学ビジネス・スクールの研究者なんですが、それよりも実務面で電通マーケティング・ディレクターをしていたことで有名かもしれません。なお、同じ出版社から数年前に似たタイトルで『ブランド戦略全書』という本が出版されており、コチラでは編者となっています。ということで、サバティカルの期間を利用して本書を取りまとめたようで、全体は理論編、戦略編、実務編、事例編の4部構成となっていますが、私がついて行けたのは第Ⅰ部だけでした。後はせいぜい第Ⅳ部の個別の会社のサクセス・ストーリーを面白く読んだだけです。本書の冒頭に、スティグリッツ教授のテキストから引用があり、「経済の基本モデルに従えば、ブランド名は存在してはならない」とあります。市場における完全情報が前提されている合理性あふれる伝統的な経済学ではブランドなんてものは存在する余地がありません。でも、実際にあるわけですから、経済主体の合理性が限定的であり、市場の情報が完全ではない、ということをインプリシットに含意しているんだろうと私は理解しています。ですから、昨年のノーベル経済学賞は行動経済学・実験経済学のセイラー教授に授与されましたが、経済学者がエラそうに限定合理性を前提に行動経済学や実験経済学を論じるよりも、実務的なマーケターの方が実際の価格の値付けや量的な需給を表現する売れ行きをよく知っているような気がします。そして、ブランドとは市場の情報に関していえば、不完全な情報を補完するものであり、限定合理性に関していえば、需要曲線を上方シフトさせる要因です。重ねて強調しておきますが、経済学者が行動経済学や実験経済学を新しい試みとして有り難がっている一方で、実務的なマーケターはより実践的にブランドなどを活用して売上を伸ばして利益を上げているんだろうと思います。その点を考慮すると、経済学で行動経済学や実験経済学を限定合理性の下で理論的に精緻化するのは、それほど大きな意味があるわけではないのかもしれません。私はよく若い人に例として持ち出すんですが、内燃機関の理論を知らなくても、最低限、ブレーキとアクセルとハンドルの働きを理解していれば自動車の運転はできなくもありません。工学研究者とドライバーは違うのだと理解すべきです。

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次に、ニック・ボストロム『スーパーインテリジェンス』(日本経済新聞出版社) です。著者はスウェーデン出身の哲学者であり、現在は英国オックスフォード大学の教授を務めています。私の限られた知識の中では、人工知能(AI)脅威論をもっとも強烈に提唱している最重要人物のひとりです。英語の原題は SUPERINTELLIGENCE であり、2014年の出版です。タイトルも、そして、表紙デザインも、邦訳書は原書とほぼ同じです。ということで、本書はAIをコントロールできるか、そして、その上で、人類はAIの脅威から逃れること、すなわち、絶滅を回避することができるかどうかを論じています。最終的には、観点相対的な視点で考えると、AIに職を奪われるどころか、今後100年で人類は絶滅する、という結論に達しています(p.519)。原注、参考文献、索引まで含めて700ページを超える本書の結論を手短に書けば、そういうことになります。私は本書の著者ほどAIの進歩と人類の絶滅に関しては悲観的ではないんですが、別の面からさらに悲観的な見方をしています。すなわち、本書の著者は人類vsAIという意味で、観点相対的な視点から議論を進めているんですが、実は、人類の敵は人類なのではないかと私は考えています。すなわち、AIが人類には向かうのではなく、というか、その前に、一部のグループの人類がAIを悪用して、別のグループの人類を抹殺に取りかかることがリスクであって、それはAIの発達段階にもよりますが、かなりの程度に成功する可能性が高いのだろうと私は考えています。おそらく、悪意を持った攻撃サイドのグループの人類によって操られたAIと、防御サイドのAIが攻防を繰り返しつつ、同等の技術ないし知識水準に達するんではないかと思いますが、ヒトラーの電撃作戦のように奇襲を用いれば攻撃サイドの方が有利になる可能性が高いんではないかと思います。本書の著者が考えるように、AIが一致団結して人類に攻撃を加える可能性よりも、その前の段階で、すなわち、AIが人類に対して悪意も善意も持っていない段階で、悪意ありげな攻撃サイドの人類のグループにAIが悪用されて、別のグループの人類が絶滅、とまで行かないとしても、大きなダメージを受ける可能性の方が大きいし、より早期に実現されてしまうように理解しています。そして、最悪の場合は現在までの文明を失う可能性がある、と考えています。一例としては、北朝鮮ではないにしても、サイバー攻撃を考えれば明らかです。もっと身近なレベルではコンピュータ・ウィルスとワクチン・プログラムもそうかも知れません。サイバー攻撃に関しては、私の認識する範囲では攻撃側がかなりアドバンテージがありそうな気がします。ただ、コンピュータ・ウィルスについては、まだ防御サイドのほうが圧倒的なリソースを持っていますから、防御サイドに有利に展開しているのが現状です。いずれにせよ、本書でも同じような問いかけがなされていますが、2007年にノーベル経済学賞を授賞されたハーヴィッツ教授の有名な論文に "But Who Will Guard the Guardians?" というのがあります。フクロウに守ってもらおうとしたスズメの例は示唆的ですが、たとえフクロウがスズメを守ってくれたとしても、そのフクロウは誰が守るのか、という問題は永遠に残ります。最後に、繰り返しになりますが、本書の著者の結論は2点あり、第1に、AIは極めて大きな人類に対する脅威となり、人類はおそらくAIにより絶滅する、第2に、それでもAIの進歩を止めることは出来ない、ということであり、私はおそらくどちらも合意します。ただし、第1の結論に達する前に人類感の争いが生じる可能性が高く、その場合、現在の文明が滅んで、あるいは石器時代くらいの文明レベルの逆行する可能性があるんではないか、という気がします。ガンダムの世界のように、もう一度人類史のやり直し、になるのかもしれません。

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次に、ジュールズ・ボイコフ『オリンピック秘史』(早川書房) です。著者は米国の政治学の研究者で大学教授なんですが、元プロサッカー選手であり、米国代表メンバーとしてオリンピック出場経験もあるという異色の存在です。英語の原題は Power Games であり、リオデジャネイロ五輪開催の2016年の出版です。何かもう、近代オリンピックに対して、あらゆる角度から批判を加えたみたいな論考で、まあ、どんなに立派なイベントでも、文句の付け方はあるものですし、オリンピックくらい問題あるイベントなら、右からでも左からでも、上からでも下からでも、前からでも後ろからでも、何とでも批判のしようはあると思います。逆に、何とでも称賛のしようもあるような気がします。本書の著者は、商業化が進みプロの参加が促進される前の段階のオリンピックについては、性差別や原住民への差別、人種差別などを上げて、オリンピックの非民主主義的な側面を批判していますが、ベルリン五輪におけるナチスのオリンピック政治利用に関しては、むしろ記録映画について容認的な態度をとっているとすら見え、やや私のような単細胞な見方をする人間は戸惑ってしまいます。最近、1980年代以降くらいの商業化が進み、プロフェッショナルなアスリートにも門戸を開いたオリンピックについては、施設のムダや華美な設備などに対する批判があり得ます。しかしながら、本書でも認めている通り、オリンピックとは所詮はエリートのためのイベントであり、スポンサーにしても大企業しか貢献し得ない大規模な催しとなっているわけで、それを分割して複数国で開催したりしても、見る方も楽しくないだろうし、参加するアスリートにもインセンティブが大きく低下しそうな気がします。要するに、それほど意味のないイベントにするのが本書の著者の目論見なのかもしれませんが、私のような一般ピープルのこれ代表のような人間にまでオリンピックが開かれている必要はないわけで、何らかのオリンピック改革がなされたところで、それなりの閉鎖性や選別された選良意識のようなものは残る可能性が高いんではないでしょうか。いずれにせよ、本を出版したり、テレビで自分の意見を述べたり、ましてやオリンピックに出場したりということになれば、一般ピープルの域を大きく超えるわけで、いくら批判したところで、特権階級のイベントであることは認めざるを得ないのではないでしょうか。

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次に、橋本素子『中世の喫茶文化』(吉川弘文館) です。著者は京都府茶業会議所勤務の研究者です。本書はタイトル通り、平安末期ないし鎌倉期から織豊期までの期間の喫茶文化に着目しています。著者に従えば、この期間で喫茶文化は寺院から出て、茶の湯の文化にまで達します。実は、私は京都は伏見の産院で生まれたんですが、たぶん、物心つく前の2歳くらいの時に宇治に移り住み、以来20年余り、大学を出るまで両親とともに宇治に住んでいましたし、親戚筋にはお茶屋さんもいます。私の代になると血縁も薄くなるんですが、私の父親の従兄弟が伝統ある宇治茶の茶園を経営していました。その一代前はというと、私から見た父方のばあさんの姉がその茶園に嫁いでいるわけです。私の父の従兄弟に当たる茶園経営者は当然ながら地域の名士であり、私の通う小学校のPTA会長さんでした。その名門茶園では代々京都大学農学部を出た経営者なんですが、私と同じ代になると、京大農学部出身の兄の方は伏見の酒造会社の研究者になってしまい、弟の方の一橋大学OBが後を継いだと記憶しています。いずれにせよ、私が今年還暦で同じ小学校に通っていたんですから、似たような年齢に達しているハズです。まあ、どうでもいいことです。本書とは関係薄い我が家の血縁について長々と書いてしまいましたが、要するに、私は平均的な日本人よりも喫茶文化に親しみがある、と言いたいわけです。私は宇治市立の小学校を卒業していますので、例えば、p.31に見える明恵の駒の蹄影伝説なんぞも知っていたりしますし、また、これも現地生まれの私には明らかな事実なんですが、宇治茶とは宇治で栽培されたお茶ではなく、もちろん、宇治で栽培されたお茶っ葉も含むのは当然ながら、おそらく、宇治から南の奈良との県境くらいにかけての地域で栽培されたお茶っ葉であって、宇治で製茶されたものの呼称だと考えるべきです。宇治は栽培後というよりは製茶業の地であるわけです。ただ、よく知られている通り、また、本書でも明らかにしている通り、中世初期の茶の産地でもっとも名高かったのは栂尾、特にその中心地の高山寺の寺域であり、宇治が茶生産の一番と目されるようになったのはせいぜいが室町期、15世紀以降くらいではないかと考えられます。いずれにせよ、私はきれいに整地された茶畑を周囲に見ながら小学校の子供時代を過ごしましたし、季節になれば母親は茶摘みのアルバイトに出たりもしていました。ですから、前世紀末から我が家が暮らしたインドネシアに行って、実に人工的に整備されたココヤシやゴムなんかのプランテーションを見て、京都南部の茶畑と同じ雰囲気を感じて、ある意味で、懐かしさを覚えたのも事実です。

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最後に、牛島信『少数株主』(幻冬舎) です。著者は弁護士であり、コーポレート・ガバナンスやM&Aなどに詳しいようです。この作品では主人公が2人いて、高校の同級生だったりするんですが、バブル期に不動産で大儲けをした企業家と弁護士です。ともに70歳の少し前ですから、まあ、後者の弁護士は作者自身をモデルにしているのかもしれません。ということで、この作品は株式が未公開というか、非上場企業の株式を保有していながら、いわゆるオーナー経営者が過半数ないし⅔の株式を保有しているため、実質的に経営に関して何の権利も発揮できない少数株主をテーマとしています。ほぼほぼ同族会社であるために経営に加われずに、わずかな配当しか得られない株式を、多くの場合は相続によって保有してる少数株主なんですが、本書の主人公の1人である弁護士によれば、経営している同族者の1人と認定されれば、配当のディスカウント・キャッシュ・フローからではなく、会社の保有する資産額の比例配分で株価が算定され、場合によってはとんでもない相続税が課される場合がある、ということで、大日本除虫菊の判例などが引かれています。ただ、私のようなサラリーマンと違って、同族会社の経営者はいろんな場面で公私混同が許容されている場合も少なくなく、自動車は社有車で、専務の社長夫人の毛皮のコートも社員の制服で、ともに経費で落とし、自宅は何と社員寮で固定資産税も払わず、やりたい放題にやっている経営者像が本書では浮き彫りになっています。ただ、私なんぞの平均的なサラリーマンから見れば、たとえ少数株主であっても、生涯の長きに渡って得られる所得階層からすれば、かなりの富裕層であり、しかも、経営者の同族と見なされるほどの近親者であれば、本書で保有している少数株を「解凍」してもらって、その株を会社に買い取らせることにより、さらに億単位の収入を得ることに、「よかったね」と共感する読者は少なそうな気もします。そういう意味で、極めて限定的な読者層を対象に考えているのか、それとも、作者ないし編集者が何か勘違いをしているのか、私にはよく判りませんでした。

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