今週の読書は歴史書を中心に計7冊!
先週は、それほど経済書は読まず、話題の歴史書を中心の読書でした。以下の7冊です。今週も昨日の日経新聞の書評欄で取り上げられていた『金持ち課税』など、経済書を中心に数冊借りて来ています。また、そろそお盆休みですので、夏休みには『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』のシリーズを読もうと、すでに手元に借りて来たりしています。
まず、関辰一『中国経済成長の罠』(日本経済新聞出版社) です。著者は日本総研のエコノミストであり、中国出身のようです。本書では、中国経済の現状を日本のバブル期と極めてよく似た状況と分析し、日本のようなバブル崩壊とは表現していませんが、p.46にて「中国で5年以内に景気失速が見られる可能性は40%」としています。私はブレマー称するところの国家資本主義であろうとも、5年以内の中国の景気後退入りならもっと確率が高そうな気もしますが、繰り返しになるものの、決して「バブル崩壊」という表現は使っていません。日本ではモラル・ハザードもさることながら、いわゆる「土地神話」によりユーフォリアが形成された面があるんですが、中国では国営企業に対する救済措置の存在がモラル・ハザードとなって過剰なリスクテイクを生じる可能性を本書では指摘しています。ただ、解明されていない点もあり、それは、中国のような国家資本主義に関して先進国と同様な資本主義観で評価していいのかどうか、という点です。著者は無条件で先進国並みの資本主義観、例えば、モラル・ハザードや中央銀行の独立性などを肯定しているように私には読めましたが、国家資本主義の中国で同じ評価基準が適用できるのかどうか、そこはもう一度振り返って考える必要があるかもしれません。
次に、ジャレド・ダイアモンド & ジェイムズ A. ロビンソン『歴史は実験できるのか』(慶應義塾大学出版会) です。歴史学や社会科学については、ランダム化比較試験(RCT)を行うことが出来ないか、極めて困難なため、いわゆる自然実験のようなケースを利用することがありますが、本書は歴史学だけでなく、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学など幅広い専門家たちが、それぞれのテーマに基づいて自然実験の手法により比較史を分析した論文を集めています。すべてが興味深い研究成果なんですが、特に、ダイアモンド教授による第4章のイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国の比較、さらに、アセモグル教授等による第7章のドイツにおけるナポレオンによる制服地域と非征服地域の比較が、私のようなエコノミストから見て判りやすかった気がします。もちろん、それ以外の論文についてもかなりの水準に達しており、別の観点から、これだけ多彩な研究内容を、自然実験というテーマで横ぐしを刺して統一感を持たせ、一冊の読み物としてまとめあげた編者の力量には恐れ入ります。出版社から考えても、完全な学術書です。読みこなすには歴史学などのそれなりのリテラシーが必要です。
次に、デイヴィッド W. アンソニー『馬・車輪・言語』上下(筑摩書房) です。著者は米国の考古学者であり、原著は2007年の出版です。本書では、基本的に前文明史の考古学について、日本語のようなウラル・アルタイ系の言語ではなく、印欧語族というグループを分析の中心に据えて、ポントス・カスピ海ステップから青銅文明が東西両脇の中国とギリシアに漏出した、という歴史を跡づけています。同時に、世界最古の文明のひとつであるメソポタミアについても、農耕文明以外に産出がないことから、ステップからの資源の持ち込みを想像させ、逆方向の拡散も言語によって確認されており、馬や車輪による世界、とはいわないまでも、ユーラシア規模の交易の可能性を示唆しています。本書も基本的に学術書な上に、歴史言語学の説明において見慣れない印欧祖語の横文字が頻出するので、一見読みにくい本なんですが、文字を追うのではなく、豊富に挿入されている図版を追うことにより、理解はかなり捗るような気がします。もちろん、印欧語という共通のルーツで一括りにしていますから、中国まではいいんでしょうが、その先の日本は域外の蛮族、という扱いなんだろうか、という気にはさせられます。
次に、武邑光裕『さよなら、インターネット』(ダイヤモンド社) です。著者はドイツ在住のメデイア美学者であり、今年2018年5月にEUで施行された「一般データ保護規則(GDPR)」をひとつのキーワードにしつつ、ビッグデータの名の下に個人情報を縦横無尽に活用して収益を上げるインターネット企業を断罪し、真に民主的な個人情報の扱いについて論じています。ただ、私の見方なのかもしれませんが、本書ではプライバシーは1種類しか考えておらず、私はプライバシーや個人情報は何種類かあると理解しており、典型的には市場へ参加する際、すなわち、市場からの調達と労働力としての投入の際には、私はプライバシーは決してフルで認められるべきではないケースがあり得ると考えています。他方、市場参加とは関係のないベッドルームのプライバシーは、個人としての尊厳の観点を含めて、保護される必要があります。前者のプライバシーについては、市場経済への参加だけでなく、公衆衛生の観点からの伊藤計劃の『ハーモニー』のような世界、と考えることも出来ます。ですから、無条件のプライバシーを基本にした本書の見方には疑問を感じないでもありません。すなわち、EUのGDPRとかのプライバシー保護をもって、GoogleやFacebookの個人情報収集活動に何らかの規制を加えようとすると、大義名分、というか、目的が不十分で失敗する可能性が高まるような気がします。より広範な経済社会に通底する理由をもって個人情報を基に利益を貪り続けるインターネット企業への何らかの、あるいは、広い意味での規制が経済学的に必要であることを、キチンと正面から主張することが必要だと思います。
次に、佐藤順子[編著]『フードバンク』(明石書店) です。その名の通り、フードバンクに関する教養書です。場合によっては学術書と受け止める読者がいるかもしれません。本書にもある通り、我が国のフードバンクは米国に本部のあるセカンド・ハーベストの支所(?)として2000年に活動を開始したのが始まりのようですが、その源流はさらに20年ほどさかのぼって、1980年前後に英国サッチャー内閣や米国レーガン政権をはじめとして、いわゆる新自由主義的な右派経済学の実践が始まり、格差が急速に拡大したことを背景としています。経済社会全体の格差拡大や貧困の増加に政府による社会福祉政策が追いつかず、チャリティ精神が旺盛な英米社会でその受け皿的にフードバンクの活動が始まっています。ですから、政府の役割を軽視しかねない、という意味でフードバンクに批判的な目を向ける向きも少なくありません。もちろん、逆サイドの食品廃棄やフードロスを減少させようとする試みとともに車の両輪を形成しています。チャプターごとの執筆ですので、単なる活動報告的な章から学術的で分析内容豊富な章まで、精粗区々という気はしますが、私のようなシロートにも判りやすく解説してくれています。
最後に、吉野精一『パンの科学』(講談社ブルーバックス) です。著者は辻製菓専門学校の製パン特任教授だそうで、ブルーバックスから出版されている点で理解可能なように、かなり理系の内容の本でありながら、最後の方はおいしく食べるためなど、一般向けにもなっています。コメを炊いたご飯と小麦粉をイーストの発行も利用しつつ焼いたパンの大きな違いは、勝手ながら私はメイラード反応の有無ではないかと考えていて、例えば、少しくらい時間がたった後でも、焼きオニギリにすると風味がよくなると感じる人は少なくないような気がします。ということで、コメのご飯を擁護するつもりは毛頭なくて、私も朝食は手軽なパン食で済ませています。本書は、大昔の大学生のころに女子大の、それも家政学部なんぞの食物科に在席していたガールフレンドが、新しいお料理などに夢中になっておしゃべりしてくれた、でも、私は半分も理解できなかった、青春時代を思い起こさせてくれる面もあります。基本的に、私は美食家でも食いしん坊でも何でもないんですが、ファッションの衣には何らセンスなく、住の方もウサギ小屋とまで称された日本の住居についても見識なく、衣食住のうち残るのは食だけですので、ブルーバックスでもビールやパンやといった本を読んでいたりします。
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