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2018年9月29日 (土)

やや時間的余裕あった今週の読書はとうとう2ケタ10冊に達する!!

今週は偶発的な事情により、止むを得ず仕事が停滞し、その分、時間的な余裕が出来てしまい、大量の読書をしてしまいました。経済・経営に歴史に数学、宗教、さらに、ミステリなどなど、以下の通りの計10冊です。なお、台風到来前にすでに図書館を回り終えたんですが、来週もそこそこ通常通りに数冊くらい読みそうな雰囲気です。

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まず、小黒一正[編著]『薬価の経済学』(日本経済新聞出版社) です。編著者は財務省から法政大学に転じた経済学の研究者です。各チャプターごとに研究者が担当執筆しています。タイトルは薬価になっているんですが、さすがにそこまで狭い議論ではなく、幅広く社会保障における医療、その中の投薬や薬価や、その他、お薬に関する分析が集められています。本書にもある通り、国民医療費年間40兆円のうち約10兆円が薬に投じられており、ジェネリック薬普及のキャンペーンなどもあるものの、高齢化の進展が進む我が国経済社会ではすべからく社会保障関係経費が増加し、そうでなくても世界中を見渡しても我が国では例のない財政赤字が積み上がっている中で、単に国民の傾向に関する厚生労働省の製作というだけでなく、財政政策としても重要な論点です。ただ、本書はやや中途半端な議論に終始しているきらいは否めません。制度論も中途半端ですし、情報の非対称性に関する経済学的な議論も少なく、財政収支への影響の分析も物足りません。社会保障の経済学のうち、さらに狭い医療、さらに薬価の狭い分野の絞った議論を展開するのであれば、もっと突っ込んだ分析が求められると私は考えます。従来にこのような分析が決して多くはなかった、という意味ではそれなりの評価が出来る一方で、やや物足りない読後感も同時に持ってしまいました。

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次に、ダグ・スティーブンス『小売再生』(プレジデント社) です。私は専門外で詳しくないながら、著者は世界的に著名は小売りコンサルタントだそうです。アマゾンなどのネット通販の急成長を前にして、冒頭に、著名な投資家マーク・アンドリーセンの「もう小売店は店をたたむしかない」との発言を引くところから始まって、最後の結論ではこれを否定してリアル店舗の生き残りに関してご高説を展開しています。私もシンクタンクのマイクロな消費を見ているエコノミストなどから、ミレニアル世代の消費を見るにつけバブル期のような爆発的な消費ブームはもうあり得ない、といった意見を聞くこともあるんですが、私はこういったマイクロな消費動向を将来に単に外挿してマクロを判断しようとする見方には賛成できません。私が青山に住んでいたころには、アップル・ストアの行列を目の当たりにしましたし、あのアマゾンがシアトルにリアル店舗を構えたわけですから、本書で指摘する通り、五感すべてで商品やブランドを体験する、という意味で、リアル店舗の存在は消費には欠かすことは出来ません。同時に、英国などのミレニアル世代の消費動向の変化についても興味深い分析が紹介されています。

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次に、砂原庸介『新築がお好きですか?』(ミネルヴァ書房) です。著者は、神戸大学の政治学の研究者であり、副題は「日本における住宅と政治」となっており、経済学的な観点から中古住宅流通の問題もなくはないですが、副題に沿った中身と考えて差し支えありません。ですから、近代的な都市の形成と、特に、戦後の核家族化や地方からの労働シフトに起因する大都市での住宅不足の解消などのプロセスを、取引費用などの経済学的な観点を踏まえつつ、政治的な意思決定のプロセスに関する議論も重視して、解き明かそうと試みています。日本人が新築が好きな一方で、経済学的な選択の問題としても、終身雇用の下で社宅などの給与住宅から始まって、アパートを借りたり、公団住宅に入ったりした後、いわゆる「住宅双六」で最後の上がりに一戸建てを購入し、終の棲家とするというプロセスです。しかし、私が疑問なのは、従来の人生50年とか60年であれば、「住宅双六」の上りで終わったかもしれませんが、高齢化が進み、特に女性が配偶者を亡くした後に一定の単身時期を過ごすような人生を送る現在、郊外の一戸建てで「住宅双六」を上がりには出来ず、さらにその先があるんではないか、という気がする点です。我が家の私が定年近くに達し、給与住宅である公務員住宅を出てマイホームを購入したわけで、さらにその先を考える時期に差しかかった気もします。

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次に、高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』(平凡社) です。著者は、越前町織田文化歴史館学芸員を経て安田女子大学の研究者であり、日本中世・近世史が専門です。我が国の古典古代である奈良時代の和同開珎が国の手によって発行されてから、本書で対象とする織豊政権期から江戸期には、高額貨幣は国=幕府または藩から発行された一方で、銭については中国からの輸入や民間発行に任されていた、という事実があります。特に、江戸期は各藩の藩札などを別にすれば金貨、銀貨、銭の3種の貨幣が流通している中で、幕府では金貨と銀貨を発行し、庶民の使う銭は幕府ではほとんど発行していませんでした。その銭について、基準貨の移り変わりを論じた議論に興味を持ちました。すなわち、戦国ないし織豊政権期からタイトルにある撰銭が始まり、この時点では品位が高く、正貨と見なされる銭が基準貨となっていて、品位の低い銭、そのうち、もっとも品位が低いのがビタなわけですが、の正貨との換算比率などを領主が定めていたところ、時代を下るについて、ビタが基準貨になった、というものです。最初はビタに対して品位の高い正貨からディスカウントする、という方法だったんですが、グレシャムの法則よろしく、品位の高い銭をビタに比較してプレミアムを付ける、という方向に変更したわけです。とても合理的な方法だと私は受け止めました。

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次に、先崎彰容『維新と敗戦』(晶文社) です。著者は日大の研究者です。本書は第Ⅰ部と第Ⅱ部に分かれており、第Ⅰ部では福澤諭吉から始まって戦後の吉本隆明や最後の高坂正堯まで明治期以降のオピニオン・リーダー23人の人としての軌跡や論調を振り返ります。我が国の国のかたち、近代化とは何か、福沢は圧倒的に近代化とは西洋化であると考えていたのに対し、西郷隆盛は日本的な要素、アジア的な何かを大切にしていた、と著者は主張し、そこからナショナリズムの萌芽を認めています。第Ⅱ部ではテーマ別に、ナショナリズムとパトリオティズムの対比、水戸学の流れを明らかにしたりと、私のような官庁エコノミストにして左派を任じている視点からは、かなり右派的な観点からの論調が多いような気もします。ただし、本書のタイトルにあるような明治維新と終戦の対比はそれほどクリアではありません。産経新聞などに連載されていたコラムなどを取りまとめて単行本として出版したもののようですが、それほど矛盾、というか、違和感はなく、第Ⅰ部で取り上げるオピニオン・リーダーにより濃淡はもちろんあるものの、それなりに整合性は感じます。

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次に、山本義隆『小数と対数の発見』(日本評論社) です。著者は有名大手予備校に勤務だそうで、本書の著者略歴を見る限りでは、数学講師かどうかは明らかにされていません。決して学術書ではないんですが、読み進むに当たっては、それなりの数学的なリテラシーは要求されると考えるべきです。タイトル通りに、小数と対数をテーマにしていますが、小数が小学校レベルであるのに対して、対数は高校レベルですから、やや不思議な取り合わせで、この違和感は読後でも解消されませんでした。小数の60進数小数は、やや面食らいましたが、英語やドイツ語の12進数的な計数、すなわち、twelve の後に thirteen が来る、というのはよく知られた事実ながら、ラテン語系の言語、典型的にはスペイン語は15進数で計数する、というのも視野に入れて欲しかった気がします。対数については、自然対数のベースをネイピア数というがごとくにネイピアの貢献はとても大きいんですが、ネイピアは指数に至る前に対数の概念を得ていた、というのは私には大きな驚きでした。また、対数の発展におけるケプラーの貢献は、私も含めて知られていない事実かもしれませんが、ケプラーといえば何といっても天文学となり、天文学に対する対数の貢献なども議論を展開して欲しかった気がします。といった点からして、私はやや物足りない気がしました。

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次に、永野裕之『数に強くなる本』(PHP研究所) です。著者は大人のための数学塾の塾長だそうで、これだけでは何のことやら私は理解できません。ただ、タイトルにあるようにあくまで「数」であって、「数学」ではない点は注意すべきかという気はします。ということで、「数字を比べる」、「数字を作る」、「数字の意味を知っている」の3つのテーマを基に、数学を一部含みつつも、数に対するシテラシーについて論じています。友愛数や完全数といった整数論も少し出現しますし、ラングドン教授っぽい黄金比やフィボナッチ数列も登場しますが、やっぱり数を論じる時はフェルミ推定が欠かせません。私はこのフェルミ推定については、桁数であっていればいい、という観点は別にして、まるでミステリ作家が自分自身の作品の犯人当てをするようなインチキっぽさを感じてしまいます。答えを知っている人が推定しても仕方ないような気がするんですが、どうでしょうか。最後に、経済で把握しておくべき数字を4つ上げており、それらは、GDP、労働分配率、国家予算、出生率だそうです。なかなかイイセンいっているような気がしますが、経済部門では、数字そのものよりも系図的な複利の概念が重要ではないか、という気が私はします。

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次に、ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』(早川書房) です。著者は科学ジャーナリストであり、宗教的な出版はほとんどないと思うんですが、本書ではかなり日本人が考える仏教とは異なる仏教を取り上げている気がします。すなわち、著者はマインドフルな瞑想から仏教に入っていて、禅宗の座禅とも少し違っていて、やや原始仏教に近い瞑想観ではないかと思ってしまいました。さとりについて、輪廻転生からの解脱という観点はなく、瞑想からつながるさとりを論じています。仏教は、原始仏教のころから心理の体系、システムであり、それはキリスト教と同じだと私は考えていたんですが、より創始者のイエスに強く依存するキリスト教と、ブッダは崇めつつもそれほどの依存はなく、父なる神と子なるイエスと精霊の三位一体を説くキリスト教の一方で、仏と創始者ブッダが同じわけではない仏教の特徴かもしれません。人の心がモジュールで出来ていて、直観的な判断を下す点については、カーネマン教授のシステム1に近く、瞑想で熟慮するのがシステム2なのか、とエコノミスト的な見方をしてしまいました。

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次に、国分拓『ノモレ』(新潮社) です。著者はNHKのディレクターであり、南米アマゾン源流の秘境で未開の原住民を取材した記録を基にしたドキュメンタリーだと私は受け止めています。でも、ひょっとしたら、フィクションの小説として読むべき本なのかもしれません。タイトルの「ノモレ」とは、友人とか仲間とか、場合によっては家族などの極めて親しい間柄の人をア指す言葉だそうです。舞台はアマゾン源流とはいえ、我々文明人が引いた国境に従えば、ブラジルではなくペルーの施政下になります。本書での表現に基づいて、私なりの表現に従えば、我々文明サイドと未開の原住民サイドの交流をテーマにしています。表紙画像が雰囲気をよく表しています。主人公はペルー政府を代理して先住民との交流の最前線の役割を担う男性です。第2部では、接触先の原住民のクッカも登場します。開発経済学を専門分野とするエコノミストとして、私自身は西洋化あるいは近代生活化を進めるのが圧倒的な目標と考えていて、本書でもあるように、未開の原住民を現代人から隔離するがごとき政策はムリがあると考えています。ただ、それがホントに国民、というか、人々の幸福につながるかどうかはたしかに疑問が残ります。他方で、永遠にバナナをあげ続けることは出来ないような気もします。少し考えさせられるところのある議論展開でした。私なりに消化するのに時間がかかるかもしれません。

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最後に、島田荘司『鳥居の密室』(新潮社) です。著者は、我が母校の京大ミス研の綾辻行人や法月綸太郎などのいわゆる新本格派の生みの親といえるミステリ作家であり、本格派といえます。本書は謎解きの探偵役に御手洗潔を配し、1964年の東京オリンピックから10年後の1970年代半ばの京都を舞台に、東野圭吾のガリレオ張りの工学的、というか、自然科学的な要因も取り入れたミステリ作品です。経済社会の下層や底辺に位置する恵まれない階層に対する著者の温かい眼差しを感じることが出来ます。クリスマスとサンタクロースを隠しテーマに、心温まる物語です。

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