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2018年12月 9日 (日)

先週の読書は経済・金融の専門書や話題の海外ミステリをはじめ計7冊!

昨日に米国雇用統計が割り込んで、読書日が1日多くなったこともあり、先週の読書は計7冊です。経済や金融の専門書に歴史分野などの教養書、さらに、話題の海外ミステリなどなど、盛りだくさんに以下の通りとなっています。今週もすでに図書館回りを終え、経済書や金融専門書など数冊を借りてきています。

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まず、馬奈木俊介[編著]『人工知能の経済学』(ミネルヴァ書房) です。経済産業総研(RIETI)に集まった研究者による研究成果であり、タイトルといい、馬奈木先生の編著であることからも、かなり期待したんですが、さすがに、せまいAIだけの研究はまだ成り立たないようで、かなり広くICT技術の進歩に関する経済学の論文集と考えるべきです。特に、最後の第Ⅳ部のAI技術開発の課題に含まれているICT技術と生産性については、まだ、生産工程にAIがそれほど実装されているわけではなく、チェスや囲碁といったボードゲームやクイズ番組でチャンピオンを破ったからといっても、特定の産業の生産性が向上するわけではありません。もちろん、AIならざるICTばかりが取り上げられているわけではなく、ドローンや自動運転技術の開発なども含む内容となっています。英国オックスフォード大学のフレイ&オズボーンによる有名な研究も着目されており、AI導入に伴う雇用の喪失についての結果は、極端であると結論しています。また、第Ⅱ部のAIに関する法的課題といったタイトルながら、選択理論においてはゲーム理論のナシュ均衡をはじめとして経済学の思考パターンが応用されており、タイトル通りの狭義AIだけでなく、AIをはじめとする幅広いICT技術の経済学と考えた方がよさそうです。

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次に、ジョナサン・マクミラン『銀行の終わりと金融の未来』(かんき出版) です。著者にクレジットされているジョナサン・マクミランとは架空の存在であり、実は2人の人物、すなわち、マクロ経済学者と投資銀行家という意外な組み合わせと種明かしされていますが、誰かは明記されていません。英語の原題は The End of Banking であり、2014年の出版です。ということで、本書の定義する「バンキング」とは、信用からマネーを作り出すこと、と定義し、産業経済時代には小口の短期的な流動性高い預金から大口の貸付を行って資本蓄積を進める必要あったものの、デジタル経済時代には、本書でいうソーシャルレンディング、我が国では一般にクラウド・ファンディングと呼ばれる手法により、金融機関に小口の預金を集中させることなく資金調達が可能となっており、本書で定義するバンキングなしの金融活動は可能であるし、望ましい、と結論しています。そして、そのひとつの方法としてナローバンキング、すなわち、投資行為なしに決済だけを業務とする銀行・金融機関などを提唱しています。私はなかなか理解がはかどらなかったんですが、現時点の金融システムは、ある程度は、政府や中央銀行がデザインしたものも含まれるとはいえ、それなりに資本制下で歴史的な発展を遂げてきたものであり、政府や中銀の強力な規制により著者の目論むようなバンキングのない金融システムを構築する合理性が、単に、金融危機の回避だけで説明でき、国民の納得を得られるのか、という疑問は残りました。さらに、その上で、金融機関による決済業務の重要性について、キチンとした分析ないし説明がなされるべきではないか、と思いますし、自己資本比率の引き上げによりマネーの創造の上限を抑制できるわけですから、自己資本比率の引き上げとの違いについてももう少し詳しい議論の展開が求められるような気がします。とても良い目の付け所なんですが、少し、そういった点で、手抜きではないにしても、説明不足あるいは不十分な考察結果のような気がします。

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次に、スティーブン・レビツキー & ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』(新潮社) です。著者は2人とも米国ハーバード大学の研究者であり、英語の原題は How Democracies Die となっていて、2018年の出版です。タイトルからも明らかな通り、最近におけるポピュリズムの台頭を民主主義の危機と受け止め、特に米国トランプ政権が多様性を認め寛容な米国民主主義に対する大きな挑戦をしている点を、いかに米国の伝統的な民主主義を守るか、という観点から考察を進めています。そして、ひとつのゲートキーパーとして、以前は政党やその指導者が過激勢力を分離・無効化、ディスタンシングし、インサイダーが査読していたのが、シチズンズ・ユナイテッド判決以降に少額寄付も含めて外部からの政治資金が膨大に利用可能となり、その昔の大手新聞やメジャーなテレビなどの伝統的なメディア以外のCATVやSNSなどの代替的なメディアで知名度を上げる道が開かれた点をあげています。トランプ政権の戦略について考察を進め、司法権などの審判を抱き込み、主要なプレーヤーを欠場に追い込み、対立勢力に不利になるようなルール変更を行う、の3点の戦略で典型的な独裁政権と同じと結論しています。さすがに、あまりに刺激的と著者が考えたのか、授権法によるナチスの独裁体制の確立やイタリアにおけるファシスト政権などを引き合いに出すことはためらっているように見えますが、戦後のマッカーシーズムはいくつかの点で参照されており、米国的な寛容な民主主義を取り戻すための一考にすべきような気がします。

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次に、氏家幹人『大名家の秘密』(草思社) です。著者は我が国近世史を専門とする歴史学者だそうですが、国立公文書館勤務とも聞いたことがあります。私は詳細を知りません。本書は上の表紙画像に見られる通り、江戸期の大名家、特に、水戸藩と高松藩の藩主について記した小神野与兵衛『盛衰記』を中心に、その後年に『盛衰記』について徹底的に検討を加えて削除と加筆をほどこした、というか、主君に対するやや冒涜的な内容を徹底的に批判した中村十竹『消暑漫筆』、加えて、『高松藩 盛衰記』などの類書を読み解いた結果を取りまとめています。私は、フィクションの時代小説ながら、かつて冲方丁の『光圀伝』を読んだことがありますので、光圀とその兄の間で子供を交換した、などの水戸藩と高松藩の歴史については、それなりに把握しているつもりでしたが、なかなか、高松藩の名君藩主の動向など、興味深いものがありました。基本的に、戦国期を終えて3代徳川家光くらいからの文治政治下では、武士は戦闘要員たる役割を終えて役人化している中で、さすがに、大名=藩主だけは役人が成り上がるのではなく、代々家柄で決まるものであり、圧倒的に家臣団から超越した存在ですから、現在の公務員の事務次官とは大きく異なるわけで、もっと大胆、というか、当時の時代背景もあって独善的に決断を下していたものだと私は想像していたんですが、名君とはこういう思考パターン、行動様式を持つのかと感心してしまいました。そして、部下たる侍も武士道や忠義一筋、といったステレオ・パターンと異なり、かなり実務的、実益本位の面があったというのも、薄々知識としては持っていたものの、歴史書に触れて感慨を新たにした気がします。第3章の子流しと子殺しについては、必ずしも大名家をフォーカスしたものではなく、ややおどろおどろしい世界ですので、読み飛ばすのも一案か、という気がします。

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次に、鹿島茂・井上章一『京都、パリ』(プレジデント社) です。著者は明治大学の仏文学者と京都の建築史の専門家で『京都ぎらい』がベストセラーになった井上先生です。共著というよりは、対談を収録しています。タイトル通りに、パリと京都だけでなく、フランスと日本を対照させた文化論なども展開しています。私が印象的だったのは第5章の食文化で、食べ物、というか、食文化については京都ではなく大阪、パリではなくローマ、というのがおふたりの共通認識で、なかなか参考になりました。また、鹿島先生が最近のフランス語の変化について判りやすく、ガス入りの水がかつての eau gazeuse から eau pétillante が主流になった、とのことで、私が大昔に読んだスタンダールの『赤と黒』にムッシュ95という人が登場し、どうしてこんなあだ名かというと、95をquatre-vingt-quinze(4x20+15)というその時点、というか、今現在そうである表現ではなく、nonante-cinq(90+5)という昔ふうの表現をするそうで、フランス語とは数の数え方という基礎的な表現ですらかなり短期間に変化する言語である、という印象を受けた記憶があり、それを思い起こしてしまいました。もっとも、ベルギーではまだ90をnonante-cinqで表現する、ということはEU勤務の経験ある友人から聞いたことがあります。といったことを早くも始まった忘年会でおしゃべりしていると、日本でも100年ほど前に「ひい、ふう、みい」から「いち、に、さん」に変更されたんではないのか、と反論されてしまいました。それはともかく、第2章から第3章にかけては、フェミニストにはそれほど愉快ではない論点かもしれませんし、かなり「下ネタ」的な内容もあったりするという意味で、品位に欠けると見なす読者もいるかも知れませんが、私が読んだ範囲でも、井上先生の『京都ぎらい』はかなり斜に構えた本でしたので、そういった観点で文化論とかいうのではなく半分冗談のつもりで軽く読み飛ばすべき本なのかもしれません。

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最後に、A.J.フィン『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』上下(早川書房) です。著者はエディタから本作品で作家デビューを果たしています。英語の原題は日本語訳そのままに、2018年の出版です。ということで、主人公のアナ・フォックスはアラフォーの精神分析医であるものの、夫と娘の生活と離れて暮らし、広場恐怖症のためにニューヨークはハーレムの高級住宅街の屋敷に1年近くも閉じこもって暮し、古いモノクロ映画のDVDを見て、ワインを浴びるほど飲み、そして、隣近所を覗き見して場合により一眼レフのデジカメに収める、という生活を送っています。そして、そのご近所で1人の女性が刺殺されるのを偶然にも見てしまいます。いろんな物的証拠が主人公の精神異常性を指し示していながら、実は、最後にとても意外な殺人犯が明らかになる、というストーリーです。決して、本格推理小説のような謎解きではありませんが、ミステリの範疇には入りそうな気がします。私は精神状態の不安定な主人公の動きの中で、デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』と同じプロットではなかろうか、と考えながら読み進んだんですが、最後の解説ではギリアン・フリンによる『ゴーン・ガール』との比較をしていたりしました。『ゴーン・ガール』では妻が夫を殺人犯に仕立てようとする中で、最後のどんでん返しは、何と、この夫婦が仲睦まじく夫婦生活を再開する、というところにオチがあったんですが、本書はそういったオチはありません。ただひたすら意外などんでん返しが待っていて、サイコパスの犯人が明らかになるだけです。その分、やや『ゴーン・ガール』から見劣りすると受け止める読者もいそうな気がします。実は、私もそうです。出版社の謳い文句ながら、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに初登場で1位に入る快挙を成し遂げ、その後も29週にわたりランクインした、とか、英米で100万部以上の売り上げを記録した、とか、早くも映画化されて来年2009年の封切り、とか、宣伝文句に大いに引かれて借りて読んでみたんですが、少し、私の期待するミステリ小説とは違っているかもしれません。なお、どうでもいいことながら、上巻巻末に主人公などが見ているモノクロの古いフィルム・ノワールのリストが収録されていますが、加えて、本書で言及されている処方薬の効能書きなんぞも必要ではないか、と私は感じてしまいました。

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