先週の読書はいろいろ読んで計7冊!!
何だかんだといって、経済書は少ないながら、今週もそれ相応に読んだ気がします。先週だけはポッカリとあいた無職の時期で、今週に入って明日からは働きに出る予定です。週4日、逆から見て、週休3日制のパートタイムですが、オフィスワークでそれなりのお仕事です。ただ、公務員の定年間際の年功賃金が最高レベル近くに達した時期と比べれば、お給料は大きくダウンします。仕方ないと考えています。
まず、平沼光『2040年のエネルギー覇権』(日本経済新聞出版社) です。著者は東京財団の研究員であり、外交・安全保障、資源エネルギー分野のプロジェクトを担当しているそうです。本書では、やや大袈裟なタイトルなんですが、2040年までをスコープとして、タイトルにある「覇権」は忘れて、今後のエネルギー転換の方向を探ろうと試みています。まず、そのエネルギー転換の原因なんですが、温暖化防止対策としての二酸化炭素排出規制となっています。私のような1970年台の2度の石油ショックの記憶ある世代では、エネルギー問題とは石油問題であり、供給サイドの産油国側の要因、そして、需要サイドの先進国ないし新興国側の要因、これに加えて、金融面での金利や通貨供給の要因などを思い浮かべますが、この先は気候変動要因が大きく立ちはだかり、従って、石炭削減と再生可能エネルギーの大幅な普及を目指すこととなります。本書では再生エネルギー価格の大幅な低下により、2040年には欧州では再生可能エネルギーのシェアが50%のレベルに達することが目標とされており、天然ガスはともかく、電力用途としての石油は終焉すると見込まれています。これに加えて、エネルギー消費の一定の部分を占める自動車についてもその将来像が示されており、電気自動車は家庭向けの巨大な蓄電装置になる可能性を示唆しています。私は再生可能エネルギーの技術的な面、例えば、本書でも取り上げられている海洋温度差発電についてはサッパリ判りませんし、再生可能エネルギーの価格低下もすっ飛ばしますが、少なくとも、少し前までの我が国における太陽光発電などの再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度における価格が高すぎて、日本では再生可能エネルギーへの転換が進んでおらず、従って、国際規格の策定などで遅れを取り、ビジネスになっていない、というのはその通りと感じています。他方で、かなり進んでいる欧州に対して、本書でも米国は不確定要素が大きいと指摘し、トランプ政権になってからシェールガスやシェールオイルを含めた化石燃料の支配を通じて世界エネルギーのコントロールを覇権を目指すという形で、やや時代錯誤的ながら方針が定まったと受け止めているようです。なお、本書では原子力発電についてはほとんど言及がありません。最後に、私が大学で勉強した古い古いマルクス主義的な技術論からすれば、西洋の覇権を決定づけた産業革命におけるもっとも大きな発明のひとつが蒸気機関であることはいうまでもなく、さらにそれを敷衍すれば、要するに、水を沸かして上記にしてタービンを回し、その動力をそのまま、あるいは、電力に変換する、というのがマルクス主義的な視点でいうところの資本主義的なエネルギー観です。ですから、水を沸騰させるのは石炭・石油といった化石燃料を用いたニュートン力学的な方法であっても、核分裂や核融合を応用した相対性理論的な方法であっても、水を沸騰させてタービンを回す、という点については変わりありません。それに対して、水を沸騰させてタービンを回す部分をすっ飛ばす太陽光発電こそが、未来の社会主義的なエネルギーである、といった議論をしていた記憶があります。まあ、違うんでしょうね。
次に、ダグラス・マレー『西洋の自死』(東洋経済) です。著者は英国のジャーナリストであり、「スペクテーター」の編集者だそうです。英語の原題は The Strange Death of Europe であり、2017年の出版です。ということで、ある意味、とても注目の論考です。すなわち、欧州を代表する形で、難民受け入れや移民に強烈に反対の論陣を張っているからです。本書の著者は、欧州への難民はサブサハラのアフリカからが多いとされている一方で、そのほとんどをイスラム教徒と同定しているようで、しかも、政治的な難民かどうかは疑わしく、「経済的な魅力が主たる誘引」(p.452)と指摘します。そして、キリスト教的な欧州におけるイスラム教徒のテロ行為をはじめとし、国家財政的にも負担となっている点を強調しています。本書の論理にはやや疑問に感じる部分があるものの、私も基本的には移民受け入れには懐疑的です。純粋経済学的には、昨年2018年3月11日にボージャス教授の『移民の経済学』を取り上げていますので、「我々が欲しかったのは労働者だが、来たのは生身の人間だった。」というフレーズに象徴される通り、要するに、移民と競合し代替的な低賃金労働者などは移民受け入れによって損をする一方で、その低賃金労働力を豊富に使える企業経営者などは得をするわけです。ただ、本書ではイスラム教徒受け入れという宗教的な軋轢をかなり重視しており、私の場合はお隣の人口大国中国からの移民により、宗教的な面は抜きにしても日本的な何かが壊される恐れを直感的に感じています。そして、本書の著者とかなり似通った視点は、あくまで、大量移民の受け入れが国内的な混乱をもたらす可能性があるわけで、国民のコンセンサスに基づいて政府が移民受け入れをキチンとコントロールすれば、「同化」という言葉を使うかどうかは別にしても、それなりに問題の発生を防ぐことができそうな気もします。ただ、繰り返しになりますが、移民受け入れで損をするグループと得をするグループがありますし、一般的には後者のほうが政治的なパワーを有していると考えるべきですから、移民受け入れは格差の拡大につながりかねないデリケートな問題であることも確かです。その意味で、本書でも指摘しているように、国内の政治家などのエリート層やオピニオンリーダーが移民受け入れに賛成し、本書でいうところの大衆は懐疑的な視線を送る、というのは経済的にもその通りなんだろうという気がします。また、私の歴史観からして、世界経済のグローバル化は不可逆的な進み方をしており、従って、貿易の自由化や開放度の向上、資本移動の自由化とともに、労働力の移動たる移民も増加するのであろうと受け止めていますが、本書の著者はp.103からのパートでこの見方に反論しているところ、この部分については私はイマイチ理解がはかどりませんでした。最後に、中野博士が本書冒頭に解説を寄せています。実は、大きな声ではいえませんが、この20ページ余りに目を通しておけば、本書の80%ほどは読んだ気になれるんではないか、と私は考えています。いずれにせよ、耳を傾けるべきひとつの見識だと私は受け止めています。
次に、スティーヴン・ホーキング『ビッグ・クエスチョン』(NHK出版) です。著者は現時点で最も著名な宇宙物理学者といえ、昨年2018年3月に亡くなっています。21歳の時に発病したALSで余命5年といわれたことを考え合わせると、76歳の天寿を全うしたといえます。英語の原題は Brief Answers to the Big Questions であり、2018年の出版です。ということで、タイトル通りに大きな疑問に著者が答えようと試みています。すなわち、神は存在するのか? 宇宙はどのように始まったのか? 宇宙には人間のほかにも知的生命は存在するのか? 未来を予言することはできるのか? ブラックホールの内部には何があるのか? タイムトラベルは可能なのか? 人間は地球で生きていくべきなのか? 宇宙に植民地を建設するべきなのか? 人工知能は人間より賢くなるのか? より良い未来のために何ができるのか? の10の疑問です。私は不勉強にして、すでにホーキング博士が明らかにしている回答もあるようで、それも知りませんでしたが、私から見て興味深かったのは、7番目と8番目の問いに対して、ホーキング博士は従来から向こう1000年の間に人類は地球を出て宇宙に新たな生活の場を求めるべきと提言しているようです。その理由は何点かあり、かつて恐竜を絶滅させたような小惑星の衝突の可能性、人口の増加により地球のキャパを超過する可能性、さらに、核戦争の危機を上げています。ガンダムを見る限り、シャアの目論見の原点にある小惑星の落下衝突の可能性は否定しようもありませんし、恐竜が絶滅したというのも歴史的な事実なのかもしれませんが、1000年の間に起こるかどうかは別問題であり、そもそも、元エコノミストの私には1000年というタイムスパンは余りに長過ぎて、何とも想像のしようもありませんが、斯界の権威の従来からの変わらぬ発言ですから、そうなのかもしれないと思ってしまいます。それから、人工知能AIについては、私の懸念を共有しているような気がします。コンピュータが人類の知能や知性をエミュレートすることはそう難しいことではないと考えるべきです。その場合、AIが人類に接する態度は、我々人類はイヌ・ネコなどのペットを飼う際を大きくは異ならない可能性が軽く想像されます。ただ、神については、ホーキング博士はすべての事実は神抜きで科学的に説明可能、として神の存在や必要性を否定していますが、私は何か不可解な現象に遭遇した際に神の存在を仮定することにより個々人の心に安らぎをもたらすのであれば、神の存在を否定する必要性は小さいと考えています。いずれにせよ、ホーキング博士は人類の到達したもっとも上質の知性を体現する一人でしょうから、本書の主張が全て正しいと考えないとしても、こういった視点を共有しておくことは教養人として意義あることではないかと私は考えます。
次に、ヴァイバー・クリガン=リード『サピエンス異変』(飛鳥新社) です。著者は、英国ケント大学の研究者であり、専門は環境人文学だそうです。英語の原題は Primate Change であり、2018年の出版です。本書は歴史を分割した5部構成であり、第1Ⅰ部がBC800万年からBC3万年、第Ⅱ部がBC3万年からAD1700年、第Ⅲ部が産業革命から20世紀初頭の1700年から1910年、第Ⅳ部がそれ以降の現時点まで、第Ⅴ部が将来、ということになっており、出版社の宣伝文句では、15,000年前の農耕革命、250年前に英国で始まった産業革命、そしてスマホ・AI・ロボットなどの現代文明、などの人類が生み出した文明の速度に、人類の進化が追いついていないんではないか、という問題意識から始まっているらしいということで借りて読んだんですが、どうも違います。冒頭で、現代人はミスマッチ病で死ぬ確率が高いというお話から始まり、ミスマッチ病とは、要するに、進化の過程も含めてとはいえ、肉体条件と損周囲の環境とのストレスに起因する病気のことのようです。まあ、周囲の環境条件に進化が間に合わない、ということであれば広く解釈できるのかもしれません。でも、私のような健康に無頓着な人間からすれば、健康オタクのお話が続いていたような気もします。ということで、具体的に判りやすいのはギリシア時代からであり、奴隷が生産活動に励む一方で、本書では貴族とされていますが、私の認識に従えば、市民はスポーツに励んで健康を維持するわけです。しかし、本書第Ⅲ部が対象とする産業革命期には劣悪な労働条件と石炭などに起因する環境汚染により、本格的に一般市民の健康が悪化し始めます。それでも、伝染性疾患への対応から寿命が伸びる一方で、産業化が進んで農作業から向上やオフィスにおける椅子に座った仕事が大きく増加して、これが健康を蝕む、というのが著者の認識です。やや、一般の理解とは異なります。すなわち、私なんぞは、戸外の農作業に比べて、オフィスの事務作業はいうまでもなく、工場の流れ作業であったとしても、屋根のある雨露のしのげる環境での椅子に座った仕事というのは、健康にいいんではないか、そのために寿命が伸びたんではないか、と考えているんですが、著者は認識を異にするようです。第Ⅳ部冒頭の章番号なしのパートが著者の考えをエッセンス的に示している気がするんですが、私にようなシロートとはかなり理解が異なっています。米国で肥満や糖尿病が多いのは、私はかなりの程度に食生活に起因すると考えているんですが、著者は座った生活が原因と考えているようです。理解できません。エピローグで、著者の考える対策がp.299に示されていて、それは政府が運動不足と肥満対策に取り組む、ということのようです。それが出来ないからムダにヘルスケアに財政リソースをつぎ込んでいる現実を著者は認識できていないようで、少し悲しくなりました。最近の読書の中でも特に無意味に近かった本のような気がします。
次に、更科功『進化論はいかに進化したか』(新潮選書) です。著者は、分子古生物学を専門とする研究者であり、本書ではダーウィン進化論の歩みをひも解き、今でも通用する部分と誤りとを明らかにしようと試みています。まず第1部で、著者はダーウィン進化論のエッセンスは、進化+自然選択+分岐進化、の3本柱だと主張し、歴史的に見て、特に2番めの自然選択が人気なかったと指摘しています。まあ、今西進化論が共存を重視するのに対して、ダーウィン進化論は競争重視と解釈する向きもあるようですから、ひょっとしたらそうなのかもしれません。その上で、私のような元エコノミストにはかなり自明のことなんですが、ダーウィン的な進化とは進歩とか改良といった価値判断を含んでいるわけではないとの議論を展開します。当然です。私の理解では、環境の変化に対してショットガン的に何らかの突然変異的な形質の変化が生じ、その中で環境にもっとも適した自然選択が生き残る、ということになります。ただ、著者は生存バイアスについては少し配慮が足りないような気もします。すなわち、環境に適して生存が継続した生物については、生きていても化石になっても、かなり多くの観察記録が残るとしても、適していなかった変化を遂げた個体の観察例は多くない可能性が高いのは忘れるべきではありません。第2部では、生物の老化、ないしは死ぬことについて考察を進め、老化して衰えるというよりは、子孫の残すことができる年齢でピークを迎える、と考えるほうが正しい、という趣旨のようです。それはその通りということで、還暦を超えて定年退職した私も少し考えさせられるところがありました。鳥と恐竜についても、やや生存バイアスについて考えが不足しているような気がしました。鳥は生存している一方で、恐竜はジュラシックパークで復活させなければ死滅してしまったわけですから、恐竜から鳥への進化、と一般的に考えられるのは一定の理由があります。もちろん、著者の指摘するように、鳥と恐竜は同時に共存していたというのが正しいんでしょうが、そこは生存バイアスを考慮すべきです。最後の直立二足歩行で自由になった手の使い方については、私も大いに同意します。ただ、単婚と結びつけるのはやや不自然な気もしました。進化生物学は物理学などとともに、科学としての経済学との類似性が指摘される学問分野であり、なかなか興味深い読書でした。
最後に、アミの会(仮)編『怪を編む』(光文社文庫) と『毒殺協奏曲』(PHP文芸文庫) です。実は、アミの会(仮)編集の本としては、文庫本はすべて読んでいると思います。なお、順番からすれば、上の表紙画像の後の方の『毒殺協奏曲』はアミの会の2冊めに当たるんですが、文庫本になって最近の出版ですので読んでみた次第です。ある意味で当然でしょうが、登場人物に薬剤師が多かった気がします。『怪を編む』の方はほぼほぼ1年前の出版なんですが、ショートショートのホラーっぽい短編集で、霊的ながら現実的でない怖さとものすごく現実に即した怖さのどちらも楽しめます。2冊めの『毒殺協奏曲』は、女性作家の集まりではなかったかと記憶しているアミの会の編集本に2冊めにしていきなり男性作者が入っています。『毒殺協奏曲』はタイトル通りに毒殺の作品を集めており、本格ミステリとはいい難い作品ばかりですが、それなりに楽しめます。『怪を編む』は5部構成で、AREA ♥、AREA ♣、AREA ♦、AREA ♠、AREA ★となっています。私には後ろの方のAREA ♠とAREA ★の作品が印象的でした。
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