今週は、やや異端的ながら注目されつつある現代貨幣理論(MMT)を平易に解説した経済書をはじめ、ポストトゥルースに関する教養書も含め、以下の通りの計8冊です。本日はいいお天気の土曜日でしたので自転車にうってつけですでに図書館回りを終え、来週も数冊の読書を予定しています。
まず、中野剛志『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』(KKベストセラーズ) です。著者は評論家となっていますが、まだ、経済産業省にお勤めではなかったかと私は記憶しています。本書の続編で、『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』もすでに同じ出版社から上梓されており、今日の段階では間に合いませんでしたが、近く借りられることと期待しています。本書は基礎編として、現代貨幣理論(MMT)に基づくマクロ経済学を展開しています。そして、その基礎となっているのは信用貨幣論です。すなわち、その昔の金本位制などの商品貨幣論ではなく、現代的な銀行が信用創造をして貨幣を作り出す、というMMTの基礎となる理論です。まだ読んでいないのであくまで私の想像ですが、続編の『【戦略編】』はこのMMT理論を普及させるために戦略が展開されているんではないかと思っています。現代貨幣理論(MMT)ですから、自国通貨建てで発行される国債で財政破綻に陥ることはなく、デフレ解消のためには金融政策ではなく財政政策により需要を拡大する必要がある、というのが肝になっています。私は直感的にはMMTは正しいんだろうと理解していますが、そう考えるエコノミストはとても少ないのも体験的に理解しているつもりです。そして、MMTにしたところで、財政破綻がまったくあり得ないわけではなく、インフレが高進すれば財政破綻のサインですから、財政を引き締めるべきであるとされています。繰り返しになりますが、本書では、信用貨幣論とそれに基づくMMTに関する議論を展開していますが、売り物として、「世界でもっともやさしい」といううたい文句がついています。ですから、逆から見て、私にはバックグラウンドとなっているモデルが判然としません。むしろ、数式を並べ立ててゴリゴリとモデルのプロパティを示してもらった方が、私には有り難かったような気すらします。ただ、おそらく、従来の伝統的経済学のモデルと比較して、かなりの程度に非線形かつ非対称な作りになっているような気がします。まあ、それはいいとしても、少なくとも、すでに破綻したリアル・ビジネス・サイクル(RBC)理論に基づき、いわゆるミクロ的な基礎付けあるDSBEモデルなどよりは、より現実に即しているような気がします。ただ、財政政策があまりに大きな役割を背負うだけに不安もあります。というのは、デフレを脱却してインフレになると財政赤字の削減に走らないといけないわけですが、出口論はまだまだ早いとはいいつつ、それだけに、ヘタな財政リソースの使い方ができません。例えば、津波対策の堤防などを作っていて、経済がデフレを脱却してインフレに入ったため、津波対策を急にヤメにする、というわけにはいかないような気がするからです。医療や年金や介護といった社会保障にも使いにくそうです。景気の動向に応じて増やしたり減らしたりがごく簡単にできる使い道ということになれば、どこまで財政政策で対応できるのかはやや疑問が残ります。ただ、直感的に理論的正しさを感じているだけに、とても魅力が大きくて、基礎的な勉強を進めつつ、何とか実践的に使える政策にならないものかと考えているところだったりします。
次に、ミチコ・カクタニ『真実の終わり』(集英社) です。著者は、名前から理解できるように日系人であり、ながらくニューヨーク・タイムズの書評を担当するジャーナリストを務めて来ています。というか、今でも現役でそうなのかもしれません。英語の原題は The Death of Truth であり、日本語タイトルはほぼ直訳と私は受け止めています。2018年の出版です。ということで、言葉としては本書には登場しませんが、ポストトゥルースの時代にあって、米国にトランプ大統領が誕生して、フェイクニュースもまき散らされている現在、真実は終わった、死んだのかもしれません、という観点からのエッセイです。2010年代に入って、本日の読書感想文でも後に取り上げる安倍総理の本でも同じように取り上げられていますが、政治的な指導者が真実や事実をとても軽視し、まさに、ポストトゥルースの本義に近く、真実や事実に基づく考察を行うことなく、感情的に訴えるような、あるいは、その場の雰囲気に流されるような意見が政治的に重視されかねない状態が続いています。その結果として、ポピュリスト的な選挙結果が、特に、2016年に示され、BREXIT、すなわち、英国のUE離脱は現在のジョンソン首相の下で、何ら合意なく実行されそうな予感すらしますし、すでに次の大統領選挙モードに入った米国のトランプ大統領はツイッターでいろいろな情報を流したりしています。大陸欧州でも、過半数はまだ取れていないものの、ポピュリスト政党が支持を伸ばしていることは広く報じられている通りです。私が公務員だったころには、EBPMなる言葉が役所でも重視され始め、何らかの統計的あるいは定量的なエビデンスに基づく政策立案や執行が求められるようになって来つつありました。ポストトゥルースとはその真逆を行くものです。そして、事実や真実を重視することによってではなく、ホントのことに対しては斜に構えつつ、反対派との議論で熟議する民主主義のスタイルを放棄して、あくまで自派の意見を通すべく数を頼んで押し切る、あるいは、やや妙ちくりんな理論でも、適当に反対派を論破してしまう、という政治スタイルが増えたのは事実かもしれません。もちろん、民主主義では数は力であって、そのために選挙で各政党は自分たちの政策を訴えて支持を得ようとするわけですが、大くん国民がごく簡単に意見が一致するわけではありませんから、何らかの議論が必要とされるケースが多いわけですが、そこでの熟議を省略ないし無視して非論理的な論法や事実ではない感情的な見方などに基づいて数で押し切るわけです。そして、私が読みこなした範囲では、著者はその原因を、ハイデッガー的な表現を使えば、ポストモダニズムの「頽落」に求めているように私は読みました。まあ、ポストモダニストたちはマルクス主義的な一直線に進む歴史とか、普遍的でメタなナラティブとか、近代的と称する西欧中心的なものの見方、などなどをかなりシニカルに否定したわけですが、私はそこまでの見方が成り立つのかどうかは自信ありません。というか、特に、米国を例に取れば、黒人の大統領を選出するというかたちで、ある意味、究極的なポリティカル・コレクトネスを実現しきってしまった米国市民、あるいは、米国政治の振り子が揺り戻されているだけなのではないか、という気がするからです。もちろん、振り子がもう一度揺り戻されて、真実や普遍性や共感や常識といったものに価値を認める社会が半ば自動的に時間とともに取り戻される、と主張するつもりは私にはありません。こういった社会は闘い取らねばならないのかもしれません。
次に、デービッド・サンガー『サイバー完全兵器』(朝日新聞出版) です。著者は、カクタニ女史と同じくニューヨーク・タイムズのジャーナリストであり、専門分野はAIなどのテクノロジーではなく、国家安全保障のようです。何度かピュリツァー賞も授賞されています。英語の原題は The Perfect Weapon であり、2018年の出版です。今週になって、AIの戦争利用に関する国際会議のニュースをいくつか見かけて、法的拘束力ないながら、AIに攻撃の判断をさせることを回避するような結論が出されそう、という方向に進んでいるような印象を私は受けています。ただ、これらの報道はリアルな武器を用いた伝統的な攻撃に関する判断項目であり、本書では物理的な、という表現は正しくないんですが、核爆発を含む通常兵器あるいは核兵器による攻撃ではなく、サイバー空間において電力の供給とか、カッコ付きながら「敵国」のシステムに侵入してダメージを与えることを指します。分野が安全保障でありかつサイバー攻撃という技術的な内容も私は専門外で、本書を読んだうえで、どこまで理解が進んでいるかははなはだ自信ないんですが、核兵器の相互確証破壊(MAD)による抑止力と違って、サイバー攻撃はすべて水面下で実施され、そういった攻撃があったかどうか、もちろん、誰からの攻撃か、などがまったく不明の場合も少なくないようで、その上に、核兵器のバランスと比べて、大きな非対称性が存在するわけですから、それはそれで恐怖のような気がします。もちろん、攻撃されているかどうかに確信ないわけですので、戦時か平時かの仕分けも判然としません。ですから、ジュネーブ条約による何らかの制限を課すことは、おそらくムリで、たとえ出来たとしても、技術的に日進月歩の世界ですので、アッという間に有効性が大きく低下することは想像できます。章別に取り上げられている国は、米国はもちろんとして、ロシア、中国、北朝鮮などなどで、サイバー攻撃の対象となったのはイランの核濃縮設備、ソニーピクチャーの例の風刺映画などです。IoTという言葉をまつまでもなく、あらゆるモノがインターネットに接続されており、防御サイドのセキュリティは攻撃サイドのレベルにはなかなか達しませんから、どこででも何が起こっても不思議ではありません。また、物理的に何かを破壊したり、システムをダウンさせたりするだけでなく、何らかの風説を流して世論を誘導する攻撃も含めれば、とても防ぎようがないような気が私はします。というか、防御のコストがやたらと高そうです。本書を半分も理解できた自信ないですが、一気に恐ろしい気分にさせられました。そべからく、ほとんどの技術は民生向けと軍事とデュアルユースが可能だと思いますが、なんでも軍事利用を進める志向が私には理解できませんでした。また、個別企業についてはiPhoneのロックを解除しなかったアップルの考え方は理解できるものの、ファーウェイの通信機器にバックドアがあって中国に通信内容が筒抜けではないかという米国などの疑問については、理解がはかどりませんでした。最後に、どうでもいいことながら、今週の読書で取り上げたうちで、本書はボリュームがあって中身が難しいことから、もっとも読了に時間がかかった本でした。
次に、アンドリュー・フェイガン『人権の世界地図』(丸善出版) です。著者は、英国エセックス大学人権センターの副所長であり、人権に関する refereed encyclopaedia の編集者です。英語の原題は The Atlas of Human Rights であり、邦訳タイトルはほぼほぼ直訳のようで、2010年の出版です。150ページ足らずのボリュームなんですが、8部構成となっており、第1部 国家、アイデンティティ、市民権 では、政治的権利や市民権とともに、経済的な富と不平等さらに生活の質や健康も取り上げています。第2部 司法侵害と法規制 では、拷問や死刑制度などに焦点を当て、第3部 表現の自由と検閲 では、表現や言論の自由だけでなく集会や結社の自由も忘れてはいません。第4部 紛争と移住 では、戦争や戦争に関連するジェノサイド(集団殺害)とともに、難民にもフォーカスしています。第5部 差別 では、少数民族と人種差別さらに障害と精神保健にハイライトしています。第6部 女性の権利 では、家庭内暴力も取り上げており、第7部 子どもの権利 では、児童労働や教育にもスポットを当てています。最後に、第8部 国のプロフィールと世界のデータで締めくくっています。私もすべてのページを通してじっくりと読んだわけではないので、出版社のサイトにある画像を例示としてお示ししておきたいと思います。本書が、人権を尊重して自由を守るリファレンスであることがよく理解できると思います。
次に、望月衣塑子 & 特別取材班『「安倍晋三」大研究』(KKベストセラーズ) です。著者は、東京新聞のジャーナリストであり、本書では現在の安倍内閣に対する強い批判を展開しています。その批判については、私は少し疑問があるんですが、政策の内容に及ぶ部分がかなり少ないような印象を受けました。現在の選挙制度に基づく我が国の民主主義では、多くの場合、政策を展開したマニフェストなどを参考に投票し、その選挙結果に基づいて総理大臣が選出され内閣を構成し政府として政策を実行するというシステムになっています。ですから、決して内閣の首班たる総理大臣の人格を軽視するつもりはないんですが、本書のように、家系までさかのぼって総理の人格を執拗に批判するのは、やや現時点での我が国民主主義にとってどこまで有益かは考える必要があるかもしれません。しかしながら、何かの折に触れてこのブログでも申し上げている通り、内閣の最高責任者としての総理大臣はいうまでもなく公人そのものであり、本書のような批判はアリだと私は思っています。前言をいきなりひっくり返すようなんですが、総理大臣たる人物は人格的にももちろん問題なく、表現は自信ないものの、その「人格力」も動員して選挙で示された政策を実行すべき存在ですし、ジャーナリストとは選挙の結果だけを尊重するという観点からは少し違った角度から、民意の反映や政策の検証ができる存在ではないかと私は考えています。ついでながら、森友事件の報道に接して考えると、総理夫人も役所から秘書役をつけるほどの公人であり、総理本人と同じレベルとは思いませんが、公人としてこういった批判はあり得るものと私は考えています。まあ、冒頭100ページ余りがマンガで始まり、しかも、まんがの最後の部分に「フィクション」である旨を明記するのは、確かに、本書の著者が安倍総理を批判するようなタイプの嘘ではないんですが、ややミスリーディングであると受け止める向きがなきにしもあらず、という気がしないでもありません。本書でも感じたのは、先にカクタニ女史の『真実の終わり』で取り上げたポストトゥルースの問題は同じことであり、必ずしも真実・事実である点が重要なのではなく、感情に訴えたり、その場の議論の雰囲気に流されるような意見が支持されかねない、あるいは、決して熟議されるのではなく、数を頼んで押し切る、といったような風潮が世界的に広がっているのも事実であり、我が国だけが例外ではあり得ないということです。ただ、ポストトゥルースの時代であるからこそ、「フィクション」と断りを入れないといけないようなマンガでポストトゥルース的な政治を批判するのではなく、「フィクション」でない事実と真実に基づいた批判を展開してほしいと願う人は決して少なくないと思います。ポストトゥルース的に、というか、何というか、事実に基づく議論より感情的な意見を大きな声で押し通そうとする複数のグループが正面切ってぶつかり合うことは、ある意味で、避けるべきというような気がしないでもありません。その意味で、第3章の内田樹氏へのインタビューが普遍的な真理や社会的な常識に裏打ちされた見解のような印象満点で、とても読み応えありました。最後に、何度でも繰り返しますが、内閣総理大臣やそれなりの最高権力に近い公人に対しては、どのようなものであれ、とは決していいませんが、相当に激しい批判も十分アリだと私は思います。
次に、トム・フィリップス『とてつもない失敗の世界史』(河出書房新社) です。著者は、英国のジャーナリスト・ユーモア作家です。英語の原題は Humans であり、2018年の出版です。全国学校図書館協議会選定図書に指定されているようで、私の目を引きましたので借りて読んでみました。読んでいて、私は元来明るくて笑い上戸だったりするんですが、電車の中の読書で笑い出したりして、ややバツの悪い思いをしたりしました。ということで、第1章 人類の脳はあんぽんたんにできている から始まって、環境や生態系に対する無用の干渉がとても不都合な結果を招いた例、専制君主でも民主主義でも、あるいは、そういった政治の延長上にある戦争でも大きくしくじって来た例、自国を離れた慣れない植民地経営や外交での失敗の例、また、科学の発見がとんでもない勘違いだった例などなど、面白おかしくリポートしています。ただ、語り口はユーモアたっぷりであっても、その失敗の中身や内容が決して笑って島せられることではない例がいっぱいあります。典型例は、第5章で民主主義からアッという間に独裁体制を構築してしまったナチス、というか、ヒトラーのやり口ではないでしょうか。やり方とともに、その後のナチスの蛮行まで含めて、人類史におけるもっとも大きな悲劇のひとつであったと考えるべきです。また、テクノロジーを取り上げた第9章でも、X線に対抗して見えないものが見えるといい張ったN線の「発見」については、単に「バカだね」で済むのかもしれませんが、アンチノッキングのために自動車のガソリンに人体に有害な鉛を混入させて広めたのと、冷媒のフロンを工業的に広めたのが同一人物とは、専門外とはいえ私はまったく知りませんでした。その昔に『沈黙の春』を読んだ際にも感じたことですが、科学の分野では、特に化学や生物学では長い長いラグをもって何らかの影響がジワジワと現れることがあります。まあ、経済学でもそうです。そういった長いラグを経て現れる好ましくない影響について、どのように評価して回避するか、それほどお手軽に解決策があるわけではありませんが、科学がここまで進歩した現代であるからこそ考慮すべき課題ではないかと思います。本書に盛り込まれた多くの失敗談は、それだけでユーモアたっぷりな語り口でリポートされると、読んで楽しくもありますが、そういった失敗談の背景には、決して笑って済ませられない重大な影響が隠されている場合も少なくなさそうな気がします。最後に、本書冒頭で考察されていた確証バイアスとか、何らかのバイアスによる失敗の原因追及がもう少し欲しかった気もします。
次に、玉木俊明『逆転のイギリス史』(日本経済新聞出版社) です。著者は、京都産業大学の研究者であり、専門は経済史です。実は、私も大学の学生だったころは経済史を専攻していたんですが、著者は、経済学部ではなく文学部の歴史学から経済史に入ったような経歴となっています。ということで、本書は100年と少し前まで世界の覇権国であった英国につき、その歴史を振り返って覇権国となった歴史を分析し、従来の通説である産業革命による工業生産力ではなく、海運をはじめとするロジスティックやその海運を支える保険業などが覇権の基礎であった、とする逆転史観を展開しようと試みています。でも、経済史というよりは、著者も明記しているように、政治史を中心に\展開しているから、という理由だけでなく、私の目から見て逆転史観が成功しているとはとても思えません。本書では、当然ながら、英国が覇権国となる前の段階、すなわち、オランダが覇権を握っていたころから歴史を解き明かします。オランダはスペイン王政の下にあって独立国ではありませんでしたから、細かい点ですが、ここで「覇権国」という表現は使えません。でも、スペインの支配下にあったからこそ、大航海時代に、スペイン+ポルトガルの植民地であった米州大陸からの貴金属をはじめとする物資、あるいは、アジアからの香辛料などをアントウェルペンやアントワープが欧州の海運のハブとなって、商業的な成功をもたらして覇権を確立した、という本書の分析はある意味で私は正しいと受け止めています。ただ、本書の著者はご専門が輸送史のように私は記憶しており、輸送中心史観でもって判断するのは疑問が残ります。前資本主義時代に商業的、というか、問屋制家内工業が欧州で広く普及して、プロト工業化と呼ばれたのは広く知られているところであり、そこに、新大陸から大量の貴金属が欧州に流入して、いわゆる「価格革命」とともに、流動性の過剰供給でそれなりに需要もジワジワと拡大し、製造業=工業の生産性向上の素地が出来上がっていたのも事実です。そして、新大陸やアジアを欧州勢力が支配したのは、本書でも指摘しているように、基礎的な生産力に基づく武力ですが、前近代的かつ前資本主義的な経済段階では、市場取引ではなく単に武力で略奪することも交易のひとつの形態であったかもしれませんが、少なくとも中国を視野に入れた国際化が進んだ段階では、何らかの売り物が交易には必要となり、その矛盾を解決する方法のひとつがアヘン戦争であったことは明らかです。もうひとつ、著者が製造業ではなく海運や保険をもって英国覇権の基礎とする根拠は、財の貿易赤字とサービス収支の黒字でもって、英国製造業には国際競争力なく、むしろ、海運や保険といったサービス業に競争力があって、これが覇権国となる基礎だった、という点なんですが、製造業から生み出される製品が国内で需要されただけのことであり、根拠に乏しいという気がします。私が考える英国覇権の基礎は、内外収支の差額ではなく付加価値の総額であり、その意味で、「世界の工場」と称された英国製造業である点は揺るぎありません。あわせて、現在21世紀において米国の覇権に挑戦する中国国力の基礎も製造業であることは誰の目にも明らかではないでしょうか。
最後に、有栖川有栖・磯田和一『有栖川有栖の密室大図鑑』(東京創元社) です。著者の有栖川有栖はご存じ関西系の本格ミステリ作家で、磯田和一は本書で挿絵、というか、イラストを担当しています。本書は、上の表紙画像の帯に見えるように、1999年に単行本として発行されたものを、一度新潮文庫で文庫本化され、さらに、上の表紙画像の帯に見られるように、今年の著者デビュー30周年を記念して創元推理文庫から復刊されたのを借りて読みました。ひょっとしたら、以前に読んでいたのかもしれませんが、私の短期記憶はすっかり忘却していて、まったく新刊読書のような印象でした。ということで、本格ミステリのうちから密室モノを内外合わせて40本ほど選出し、海外蒸す手織りから国内ミステリの順でイラストを付して解説を加えています。ただ、よくも悪くも、ミステリの伝統的な形式にのっとっており、すなわち、結末には言及していません。まあ、未読のミステリであれば、結末を知らされるのを回避したい読者もいるでしょうし、逆に、すでに読んでいれば結末を書かない論評にも理解が進む可能性はありますので、それはそれで理解できる方針ではあるんですが、やっぱり、私は違和感を覚えました。文庫本の解説で「結末に触れています」という警告付きの解説をたまに見かけますが、本書でも、結末を明らかにした方が論評としての値打ちが上がったような気もします。私の読書の傾向からして、海外ミステリよりも国内ミステリの方に既読が多かったんですが、やっぱり、海外ミステリで未読のものには親近感がわかなかったような気がします。イラストも結末を悟られないようにするという制約は、少しキツかったんではないか、と勝手に想像しています。まあ、密室とアリバイはミステリのお楽しみの重要な要素ですから、本書を読むことにより原典に当たろうという読者も少なくないでしょうから、判らなくもない方針なんですが、私という個人においては少し物足りない、ということなんだろうと思います。
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