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2019年12月 8日 (日)

先週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!

先週の読書は、いろいろ読みました。昨日の土曜日に米国雇用統計が割り込んで、少し多めの印象かもしれません。今週の読書の本もおおむね借りてきており、いつも通りの数冊に上る予定です。また、今週ではありませんが、そろそろ、来週かさ来週あたりにジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』上下の予約が回って来そうです。

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まず、曾暁霞『日本における近代経済倫理の形成』(作品社) です。著者は、中国の研究者です。特に、邦訳者のクレジットなどがないので、著者が日本語で書いたのではなかろうかと私は想像しています。とても外国人の日本語とは見受けられませんでした。ということで、西欧におけるウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のプロテスタンティズムに当たる近代資本主義的な倫理を我が国に求めた研究成果です。そして、結論としては渋沢栄一が上げられ、まあ、当然というか、平凡極まりない結果なんですが、その方面での渋沢の代表作である『論語と算盤』を持ち出して、江戸期の儒者2人にその源流を見出しています。これも、平凡極まりない結論なんですが、荻生徂徠と海保青陵です。どこまで肯んずるかは個人的な見方も関係するとは思いますが、大量の書物を残した2人ですので、著者が見出したような個人的な利得を許容するようなテキストも残っているんだろうと思います。まあ、有り体にいえば、ほかの、場合によっては儒学者でない文筆家の著書からも、同じような表現は見つかる可能性は高そうな気もします。近松門左衛門や井原西鶴なんて、とても確率が高そうな気がします。ですから、ここは、荻生徂徠と海保青陵が渋沢栄一に先立つ江戸期の近代的経済倫理の源流と同定するのは疑問が残ります。ただ、本書がすぐれている点もあります。それは、荻生徂徠と海保青陵が江戸期において、明治以降の近代的経済倫理の源流となった経済的な背景をキチンと押さえている点です。単に、個人的な資質やあるいは育った家の特性などから導き出しているわけではなく、江戸期の経済動向を把握した上で荻生徂徠や海保青陵の倫理的思想の意味を考えようとしています。中国の研究者ですから当然かも知れませんが、マルクス主義的な上部構造と下部構造を意識しているのかもしれません。ただ、経済の専門家ではなさそうに感じた点が2点あり、第1に江戸期の支配階層であった武士が米価に経済的に依存しているのと、江戸期の「士農工商」は実は現在でもいくぶん姿を変えて残っていることです。米価の動向に武士が依存していたのは当然です。俸給を武士は米でもらうわけですから、極端にいえば、米が割高で高く売れて、相対価格として米以外が安ければ、武士の生活水準は上がります。もうひとつの「士農工商」については、本書で指摘するように、渋沢は「官尊民卑」を強烈に否定ないし批判したわけですが、それだけ、明治期には広く残存していたわけで、今でも見受けられるのは異論ないものと考えます。ですから、今でもお役人の官が上に来て、農はかなりシェアが小さくなったので脇に置くとしても、工商の順は今でも維持されている場合が少なくありません。例えば、我が国を代表する経済団体のひとつである経団連の会長は製造業からしか選出されず、銀行や保険、もちろん、小売を始めとするサービス業などの非製造業から会長は出ません。ただ、これは西洋でも同じことであり、キリスト教文化の下で利子が否定されたことから派生して、商業がいくぶんなりとも地位を貶められているのは事実ではなかろうかという気がします。ですから、本書では、米によって年貢が収められる税制から明治期に地租という金納制が開始された点を持って、近代資本主義の幕開けとしていますが、実は、講座派の議論を待つまでもなく明治期の日本には広く半封建的な残滓が見られ、さらに現在に至るまで、すべてが払拭された独立した資本主義経済かどうかは疑わしい、と考えるのもひとつの見識であろうと私は受け止めています。

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次に、アニー・ローリー『みんなにお金を配ったら』(みすず書房) です。著者は、アトランティック誌の寄稿編集者を主としてこなしているジャーナリストであり、本書の英語の原題は Give People Money で、2018年の出版です。タイトルから容易に想像されるように、ユニバーサル・ベーシックインカム (UBI=Universal Basic Income) についてのリポートです。全10章のうち終章をコンクルージョンとして、第1章から第9章までが3章ずつのグループをなしており、最初の3章がUBIの原理原則や理論的な背景などを取り上げ雇用との関係を解明を試みており、次の3章では貧困削減という切り口からUBIを論じ、最後の第3部では社会的包摂という観点からUBIの導入につき議論しています。基本的に、UBI導入に向けた賛成論を展開しているわけですが、統計的なエコノミストの分析も豊富に当たっていて、もちろん、ジャーナリストらしい現地取材も十分で、説得力ある議論を展開しています。UBIについては、まず、日米欧の先進国経済で観察されるように、雇用者の賃金がかつてほど上がらなくなった、という事実があります。スキル偏向的な技術進歩が進み、いわゆるスーパースター経済が成立した技術的背景がある一方で、スキルが2山分布のように高スキルと低スキルに分裂し、低スキル雇用がますます増加しています。同時に、低賃金だけからというわけでもなく、低開発国におけるものも含めて貧困問題をUBIが解決の一案となることも確かです。加えて、UBIで最低限の生活が保証されれば、芸術などのハイカルだけでなくボランティア活動に時間的な余裕ができるのも事実です。すなわち、エコノミストの目から見て、現在の市場に基づく雇用の配分は大きく失敗しているわけで、社会的に必要な分野への人間労働の配分が賃金という価格シグナルに従ってなされると、まったく最適化されない、ということです。ですから、私はUBIを強力に支持します。ただ、その支持するという前提で、疑問をいくつか上げると以下のとおりです。すなわち、本書の著者などは、UBIによる勤労意欲の低下を取り上げる場合が多いんですが、私は逆で、雇用主の賃金支払へのインセンティブへの影響を考えるべきです。要するに、UBIの金額だけ賃金カットされれば、何もなりません。現在までのUBIの社会的実験では、地域的に切り離されたりして、あるいは、ランダム化比較試験(RCT=Randomized Controlled Trial)が実行されたりする場合には、賃金差は生じないでしょうが、全国一律でUBIが導入されれば、雇用主の方で賃下げのインセンティブが出るのではないかと考えないでもありません。UBIで人々が働かなくなるのではなく、賃金を支払わなくなるんではないか、という恐れはいかがなもんでしょうか。次に、話題の現代貨幣理論(MMT)との関係で、UBI導入には財源が必要です。インフレになった折にUBI財源はカットできないからです。特に、最初の賃金への影響については、まだ、正面から取り上げた議論に、私は不勉強にして接していませんので、ぜひ考えを深めたいと思います。

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次に、ダレン・マクガーヴェイ『ポバティー・サファリ』(集英社) です。著者は、小説家・ノンフィクションライターです。英語の原題は Poverty Safari であり、2007年の出版です。ということで、「サファリ」とは動物を自然に近い形で見学するためのアミューズメントパークであることはいうまでもありません。要するに、「貧困層を見学する」ということなのでしょう。本書では、著者の実体験から、アルコールや薬物の乱用、犯罪歴、多額の負債、破壊的・暴力的な行為、子供のころ保護者からうけた虐待やネグレクト、教育の不足、若年からの喫煙習慣、総選挙での投票経験の欠如、などなど貧困層、特にイングランドでCHAV、本書の著者のホームグラウンドであるスコットランドでNEDと呼ばれる暴力的な傾向のある貧困層の特徴がよく出ている気がします。なお、約2年前の2017年12月16日付けの読書感想文でオーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』を取り上げています。父親が犯罪で服役する中、母親はアルコールやドラッグに溺れて子供をかまわず、子供は学校にも行かずに小さいころから喫煙して暴力行為を繰り返す、といった印象です。なかなか、日本の、あるいは、古典的な貧困とは様相が違っていて、単純な解決方法などないように思えてなりません。左派的に行政的に財政リソースを配分しても酒代に消えるだけかもしれませんし、右派的な自己責任論を展開しても何にもなりません。私はある程度長期戦を覚悟して教育から始めるしかないような気がします。これは、開発経済学の観点から途上国を見たときと同じ感想なので、なかなかに自信がないんですが、少なくとも「特効薬」的で短期に解決する政策手段は思いつきません。古典的な貧困であれば、それこそ、ベーシックインカムが有効かもしれませんし、そこまで進歩的な政策手段でなくても財政リソースをつぎ込めば何とかなるような気がします。でも、アルコールや薬物の乱用、さらには、英国ですからこの程度ですが、米国になれば銃の問題も生じるような暴力の問題もあります。何とも、根深い貧困問題ですが、何らかの解決方法はあると私は楽観視しています。でも、右派的に自己責任論で押し通すのは何の解決にもなりません。金銭的な裏付けを持って、さらに、ケースワーカーなどの優秀な人材を適切に配置し、子供達はしっかりと教育を受けられる環境に置き、様々なきめ細かい方策を地道に続けていくことにしか解決の道はないのかもしれません。著者のいうように、左派的に社会的問題であり、ネオリベラル的な政策の犠牲者というのも、一面ではそうなのかもしれませんが、社会的な責任とともに、ある程度は自己責任も併せて問題として取り上げる必要があるのかもしれません。エコノミストとして、いささか自信のない分野かもしれませんが、エコノミストこそもっとも力を発揮すべき分野である、と思わないでもありません。

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次に、ポール・モーランド『人口で語る世界史』(文藝春秋) です。著者は、英国出身であり、ロンドン大学気鋭の人口学者だそうです。英語の原題は The Humman Tide であり、2019年の出版です。ということで、マルクス主義的な上部構造と下部構造で経済原理主義的な論調はいくつか見て来ましたが、本書では人口動態原理主義が展開されています。でも、歴史の根本に置けるのは、確かに、経済か人口動態くらいかもしれません。人口が歴史を形作る場合、常に参照されるのはマルサスであり、本書では常識的に、マルサス主義は2度転回した、と結論しています。すなわち、科学技術の発展、本書では産業革命における生産力の大きな伸長をもって、マルサス的な食料生産の限界を超えたことが指摘され、さらに、それにもかかわらず、女性教育の普及や女性の労働市場への参加などから、生産面から支えられるだけの人口増加が見られないようになる、というか、むしろ逆に生産が増える一方で人口が減少に転ずる、という2度の転回を明らかにします。第1の転回は決して農業生産の増加ではなく、むしろ、工業生産の増加やそれに伴う交易の広がりにより、海外からの食料調達が可能になった、と描かれています。その後、英国人研究者ですので英国中心史観でもないのでしょうが、産業革命を真っ先に達成した英国、というか、イングランドから始まって、イングランド以外の英国諸国、大陸欧州、そして米国に視点を変えつつ人口を論じています。さらに視野を広げて、東欧からロシアを論じ、アジア、中南米、アフリカと議論を展開します。人口の増減については、本書冒頭でも指摘されていますが、出生率と死亡率、そして、移民などの人口移動で説明できますが、本書では明記していないものの、出生率の上昇により人口増加がもたらされると、人口構成は若くなり、逆に、死亡率が低下すると人口の中で高齢者の比率が上昇します。この人口構成について、本書では決して無視されているわけではありませんが、やや量的な人口の規模に重点を置くあまり少し軽視されているような気がしなくもありません。エコノミストにはそのあたりが銃と考えられます。すなわち、人口と生産のマルサスの罠を脱すれば、ある意味で、相乗効果があり、人口と生産が手を携えて車の両輪として増加を続ける、という局面があります。出生率が上昇するとともに、死亡率が低下します。日本の戦後の高度成長期などが典型といえます。そして、次の転回に従って、出生率が低下し始め、死亡率の低下も頭打ちとなります。極めて例外的な国を除いて、前者の出生率の低下が始まれば、もう一度出生率が上昇するケールはほぼありません。我が国人口の現状を見れば明らかです、おそらく、これは出生率を引き上げるおいうよりも、その現状を受け入れて対応する、というしかないのかもしれません。最後に、2019年出版の原書1年もたたずに翻訳したのは、たいへんな生産性の高さだという気もしますが、国名の邦訳がややひどい気がします。ひょっとしたら、原書で書き分けられていない気もしますが、USとアメリカ合衆国は大きな違いないと思うものの、イングランドはまだしも、ブリテンとグレート・ブリテンとUKはどう違うんでしょうか。訳者あとがきで、誇らしげに「イギリス」という国名は使わなかった、と邦訳者が自慢していますが、原作者に質問するなりして、もっとキチンと書き分けて欲しかった気がします。

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次に、将基面貴巳『愛国の構造』(岩波書店) です。著者は、オタゴ大学の研究者だそうですが、私は不勉強にしてオタゴ大学というのを知りませんでしたから、ネットで調べるとニュージーランドにあるそうです。本書でいう「愛国」とは、上の表紙画像に見えるように、英語のpatriotismです。最近、ネトウヨの本などを読んでいるんですが、その中では愛国というよりは、反日に対する嫌悪感が充満しているという印象があります。在日はもちろん、外国人は無条件で反日と認定されるようですし、日本人でもリベラルな方向性はあまり親日とは見なされないようです。その中で、反日と親日を分けるものとは少し異なる次元ながら、愛国を考えたのが本書です。ただ、言葉遊びではなく、国という場合、民族を主たる構成員と考えるnation、出身地の地理的な位置関係を重視するcontry、政府とほぼほぼ同じ意味で使われる国家などのstate、の少なくとも3つの概念があり、本書では丹念にひとつひとつ論を進めています。ただ、我が国でいう「国」については私は異論があり、我が国での「国」は統一国家としての日本ではなく、むしろ、その昔の人の表現かもしれませんが、「お国はどこですか」とか、もっと昔の「国持大名」などのように、関西でいえば、河内、摂津、丹波、丹後、大和、紀伊、といったその昔の大名の領域に近い概念ではなかろうかという気がします。もちろん、「国持大名」という表現があるように、大名のすべてが国を持っていたわけではありませんし、島津のように薩摩と大隅の2国を持っていた例もありますが、現在の都道府県よりももう少し細かい単位ではないか、という気がしないでもありません。米国も連邦制の国家であって、よく似た印象を私は持っています。少なくとも、ヤンキーの北部と貴族的な南部は大きく異なります。私は京都南部の小領主や旧貴族の荘園などが点在していた地域の出身ですから、余りそういった気分は理解できなかったのですが、10年ほど前に長崎大学に出向した際に、九州ではそういった「お国自慢」が幅広く言い伝えられており、逆に、自分の出身地についてなーバスである、という気もしました。それはともかく、本書では国家という政治共同体にアイデンティティの基礎を置くことの問題点、特に、国家による聖性の独占の問題をひも解こうと試みています。1890年に明治期の日本では「教育勅語」を明らかにし、このことが大きなターニングポイントであったと指摘しています。その後、天皇の神格化が進み、愛国心の名のもとに青年の命をムダに消耗する戦争へと投入していく、というのが歴史的な事実です。ですから、愛国を持ち出されると私なんぞは懐疑的なメガネを取り出して着用する場合が少なくなく、愛国を唱えるグループはそれだけで損をしている気もしますが、それでも教育現場に「愛国心教育」を持ち込もうという動きは跡を絶ちません。単なる無条件の自国礼賛に陥った愛国に代替するアイデンティティが必要だと私は考えていて、官庁エコノミスト経験者としてだけでなく、大学教員経験者としても、教育の重要性は十分認識しているつもりであり、エコノミストとしての専門性を生かして教育の現場に戻る道を模索しているところです。最後は、少しヘンな話になりました。ご容赦ください。

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最後に、橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書) です。著者は、作家・ノンフィクションライターといったところです。私は、たぶん、この著者の本を読むのは初めてです。本書は、結論からいえば、上級国民とは団塊の世代で高度成長期を満喫して正社員でがっぽり稼いだ既得権益者であり、下級国民はその犠牲になって正規雇用を得られなかったりした若者、ということなんだろうと思います。私自身が団塊の世代の10年後の生まれで、団塊の世代の恵まれた状態をつぶさに見てきた経験があります。とても卑近な例ですが、国家公務員でも団塊の世代までは問題なく「天下り」で再就職したのに対して、私なんぞはものすごく苦労させられているわけです。それを、能力の問題とか、自己責任とか、そういったものにすり替える議論がまかり通っているわけで、正社員になれない若者の能力不足とか、ましてや、自己責任なんてとんでもない、という主張を私もこのブログで繰り返していたりするわけです。経済学的な実証研究の成果として、たとえ正社員であっても、景気後退期に就職した世代は生涯賃金で損をしていることは明らかな事実として確立しており、しかも、米国の場合では就職してから数年でこの賃金格差が縮小する一方で、日本の場合はかなり長期に影響が残る、というのもスタイライズされた事実です。ですから、私は決して国民相互間の分断を煽るつもりはありませんが、引退世代と現役世代の格差は明確に存在し、しかも、それが投票行動に基づいていることから、政治レベルでは解消することが困難である、という事実は十分に認識される必要があると思っています。本書の内容はやや誇張されている部分もあるように見受けますし、一部にあるいは不正確な内容も含まれているかもしれませんが、大筋では恵まれた団塊の世代とその犠牲になった就職氷河期世代、という構図は大きくは間違っていないんではないか、と考えています。それだkらこそ、政府でも就職氷河期世代対策を今さらのように打ち出したりしているわけです。繰り返しになりますが、本書の内容をすべて肯定するつもりもありませんが、世代間格差というものは現に存在し、それは解消されるべきであり、自己責任や能力の問題ではない点は理解されて然るべき、と私は考えています。

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