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2020年2月 1日 (土)

今週の読書は経済書や大学改革の本まで読んで計7冊!!!

いろいろあって、読書だけは進みました。以下の通り、7冊読みました。

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まず、岩田一政・日本経済研究センター[編]『2060デジタル資本主義』(日本経済新聞出版社) です。著者は日銀副総裁を務め、現在は日本経済研究センターの理事長です。本書では、その著者はもちろん、定年退職して60歳を過ぎた私ですらも生き長らえていないような40年後の2060年のデジタル経済について、いくつか、あり得るシナリオ、冒頭に停滞、改革、悪夢の3つのシナリオを置いて始まります。ということで、従来の経済学的な生産関数の変数となる労働や資本は、特に、資本は物的な生産設備を意味する場合が多かったんですが、本書でいうところのデジタル資本主義では無形資産が中心となるような、実例でいえば、GAFAのような企業が生み出す価値を中止とする資本主義経済を念頭に置いています。さらに、その無形資産とは、情報通信(ICT)技術とそれにより収集したデータをいかに活用できるかの能力にかかっているわけです。その点で、いくつかのシナリオでは、特に、日本企業のマネジメント上の能力的な限界により生産性を高めることに失敗する可能性にも言及しています。他方で、人口の少子高齢化は目先ではとてつもなく進み、社会保障の改革なども待ったなしの状況、ということになります。その情報通信などのデジタル技術と、とても牽強付会ながら少子高齢化による社会保障給付の抑制、さらにCO2排出までを両天秤、というか、考えられる大きな現代日本の諸課題を分析の対象にしていて、やや強引な議論の運びと感じないでもないですが、はたまた、その解決策のひとつが雇用の流動化、といった、なかなかに多面的、というか、わずか200ページ少々のコンパクトなボリュームで思い切り詰め込んだ内容、それなりに強引あるいは無謀な議論を展開しているような気もします。ただ、コンパクトですので、あまり多くを期待せずに、手軽に短時間で方向性を把握するには適当な気もしますし、本書を足がかりにして、さらに詳細な情報を求めるきっかけにもなりそうにも思います。なお、雇用流動化については、あくまで雇用を守ろうとする労働組合的な左派と雇用者全員を非正規にしたいが如きネオリベな右派の議論の中間を行こうとするかのように、10年くらいの中期的に保障された雇用、という、何とも中途半端なプランを提示しています。どこまで本気なのか、アドバルーンを上げただけなのか、もう少し詰めた議論を待ちたいと思います。

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次に、若奈さとみ『巨大銀行のカルテ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン) です。著者は、興銀を降り出しに、いくつかの金融機関や格付け機関での勤務経験があり、研究者というよりも金融業界の実務者なんだろうと思います。リーマンショックが2008年9月にあって、その後の約10年を振り返っているわけですが、特に目新しさがあるわけではありません。交換言い尽くされた金融機関、というか投資銀行を含めた外資の銀行に関する会社情報、というあ、まあ、『四季報』を詳しくしたもののように考えておけばいいような気がします。繰り返しになりますが、特段の目新しい情報もなければ、鋭い分析があるわけでもありません。各種の情報をコンパクトにコンパイルしたという入門書という受け止めです。大陸欧州から始まって、第1章でドイツのドイツ銀行、第2章でフランスのBNPパリバ、第3章では極めて浅く広くリーマンショックが米銀に与えた影響を概観した後、第4章で米国の4大金融機関であるJPモルガン・チェース、バンク・オブ・アメリカ、シティグループ、ウェルズ・ファーゴに着目し、第5章でゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーを取り上げています。最終章はコンクルージョンです。各金融機関の財務に関する簡単な紹介や創業者から最近の経営トップまでの経営陣の流れ、さらに、金融業界における評価や社風などなど、なかなかのリサーチ結果だという気はします。特に、ライバル関係にある競合同業者との対比はそこそこ面白く描き出されており、時々のマーケットの状況や各社のポジショニングなども調べ上げています。事実関係を事実として情報収集した結果であり、力技でマンパワーを投じれば出来る仕事のような気もしますが、そういった情報収集をしっかりマネージすることもお上手なんだろうとは思います。ただ、そのリサーチ結果を積み上げた上で示されても、「だから何なの?」という気はします。特に、私ががっかりしたのは第3章で、リーマンショックの影響、欧米銀行に及ぼした影響を事実関係を積み上げて分析しようと試みているんですが、ハッキリいって、失敗しています。モノになっていない気がします。広い四角い部屋の真ん中あたりを丸く掃くようなお掃除の結果で、取りこぼした内容が多すぎます。著者の力量からしてやや手に余る課題を取り上げてしまった気がします。でも、それがなければ、まったくモノにならないという事実を認識していることは立派だと思います。著者がそうなのか、編集者がそうなのかは私には判りません。

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次に、岡本哲史・小池洋一[編著]『経済学のパラレルワールド』(新評論) です。編著者をはじめ、各チャプターの執筆者は経済学の研究者です。タイトルからは判りにくいところですが、副題の方の「異端派総合アプローチ」が判りやすいと思います。というのは、本書では、主流派経済学に対抗して、「異端派」の経済学を各チャプターで取り上げているからです。ただ、その昔に、サムエルソン教授なんかが新古典派総合を提唱したのには、それなりに理由があるような気がするものの、非主流派ないし異端派を「総合」することはムリがあるような気がします。ということで、もちろん、いの一番の第1章はマルクス経済学です。どうでもいいことながら、私自身は「主義」を付けて、マルクス主義経済学と書くことが多いんですが、もちろん、同じです。マルクスの『資本論』を基にして発展してきた経済学です。ただ、本書では主流派経済学がスミス以来の古典派ないし新古典派のマイクロな経済学とされていて、その意味から、ケインズ経済学やシュンペタリアンもやや異端に近い位置づけがなされていたりします。本書冒頭 p.3 で経済学史とともに図で展開されているところですが、ちょっと注意が必要かもしれません。というのも、私の長い官庁エコノミストの経験からして、マクロなケインズ経済学やマネタリスト経済学は、多くの場合、十分、主流派経済学の範囲に入る、と考えられるからです。加えて、出版社のサイトなんかでは、「社会人・学生・初学者に向けて平易に説く最良の手引き」なんてうたい文句があったりするのですが、それ相応に内容は難しいと考えるべきです。冒頭のマルクス経済学では、置塩の定理、すなわち、企業が正の利潤を上げているならば、搾取が存在する、という基本定理をかなり正確に解説しているんですが、私も経済学部の学生時代に一応、理解したつもりになっていましたが、現在でははなはだ怪しい理解しか持っていないと告白せざるを得ません。しかし、マルクス経済学をはじめとして、本書でスポットが当てられている非主流派、というか、異端の経済学も、主流派経済学の暴走を食い止める、あるいは、特にマルクス経済学は資本制経済の暴走やその先の崩壊を阻止する、という重要な役割があり、例えば、ネオリベ的な格差拡大に対する抑止能力が問われている、という本書の立場はその通りだと思いつつ、それでも、主流派経済学に対する抑止力だけでなく、現実の経済政策への働きかけももっと欲しい気がするのは、私だけなのでしょうか。

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次に、ケント E. カルダー『スーパー大陸』(潮出版社) です。著者は、長らく米国プリンストン大学で研究者をした後、現在では、米国ジョンズ・ホプキンス大学の研究者であり、国際政治学分野でのビッグネームをといえます。英語の原題も Super Continent であり、2019年の出版です。上の表紙画像にも見えるように、スーパー大陸とはユーラシア大陸のことであり、日本の読者からすれば「当然」という受け止めがあるかもしれませんが、著者は本書の中で少し前までのスーパー大陸は米州大陸だったと考えているような示唆をしていたりします。そして、その議論を地政学ではなく、地経学的な観点から進めています。そのバックグラウンドは、もちろん、中国の経済的な巨大化にあります。ですから、圧倒的な人口と石油を始めとする巨大な天然資源の潜在的な賦存からして、ユーラシア大陸をスーパー大陸と考える意味は大いにあるわけです。その上で、著者の地経学的な観点から連結や統合といったキーワードを駆使して議論が進みます。いくつかの要素を本書でも取り上げており、途上国感のいわゆる南南貿易、中国の主導する一帯一路構想による経済的な結びつきの強化、エネルギー開発を通じた中国・ロシアの蜜月関係、などなどです。他方で、かつてのスーパー大陸だった米州謡力では、特に、米国のトランプ大統領による米国第一主義、というか、伝統的なかつてのモンロー主義的な孤立主義により、世界的なプレゼンスが低下しているのも事実であり、それが、逆にユーラシア大陸の「スーパー性」を高めているわけです。中国に加えて、インドの発展もユーラシアのど真ん中である国としてプレゼンスを高めており、決して無視できる存在ではありません。むしろ、ロシアの方の比重が石油価格の低迷ととともに下がっているような気がします。通常、派遣外交する場合には、いわゆるツキディディスの罠といわれて、大規模な戦争が生じる可能性もあったりするんですが、米国から中国への派遣の移行、あるいは、スーパー大陸が米州大陸ではなくユーラシア大陸となる際に置いては、ひょっとしたら、大規模な武力行使なしに終わる可能性もあると、私なんぞは楽観的に予想しており、従来とは様変わりのスーパー大陸の移行が生じる可能性もあるんではないかという気がします。ですから、本書では共同覇権はありえない、としていますが、ひょっとしたら、米中のG2の共同覇権も従来にない形でありえるような気もします。いずれにせよ、日本国内にいては把握できないような国際情勢の変化をより大きなスケールで感じ取ることが出来る読書でした。

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次に、吉田右子・小泉公乃・坂田ヘントネン亜希『フィンランド公共図書館』(新評論) です。著者は、図書館学の研究者ないし本書のタイトル通りにフィンランドの図書館勤務者となっています。全編、ほぼほぼフィンランドの公共図書館の事実関係などの紹介にとどまっており、私は図書館学というのはどういう学問分野なのか、よく知りませんが、図書館運営に関する学術的な分析とは見えません。学術的というよりも、謝名リスト的に事実関係を幅広く情報提供している、というカンジです。私も地球の裏側のチリという小国に経済アタッシェとして3年間駐在し、日本国内にチリの経済情報がほとんど注目されたりしていない中で、経済統計をそのままローデータとして外務省本省におくるだけで、それだけで十分な役割を果たすことが出来た時代があり、フィンランドの公共図書館についても、ある意味で、日本国内ではそういった位置づけなのか、と思わずにはいられませんでした。従って、おそらく、実際の国内図書館運営には何の示唆にもならないような気がしてなりません。単に、「うらやましい」で終わりそうな気すらします。どこかの低所得国に国民に対して、我が国の国民生活や経済社会を伝えるようなものです。電気や水道が行き渡り、舗装された道路を自動車が走り、ビジネスマンはパソコンを相手にデスクワークにつき、高校生はスマホでゲームする、という事実を、片道数キロを水汲みに行く子供がめずらしくないどこかの低所得国の国民に伝える、それが経済学の役割だとは私は思いません。開発経済学ばかりがすべてではありませんが、低開発国経済の経済発展に寄与するような経済学が求められるわけです。その意味で、本書については、完全に踏み込み不足であり、我が国の図書館、特に私が利用している東京都内の公共図書館は、かなりの程度に民間企業に運営委託し、その結果として、おそらくご予算削減には役立ったのでしょうが、専門性低く意識はもっと低い図書館員の割合が増え、従って、図書の管理も利用者の利便性も落ちている可能性が高い、という現状をどのように打破するかを、フィンランド公共図書館をお手本にしつつ、幅広く議論して欲しい気がします。例えば、本書でも、フィンランドのいくつかの図書館では、フローティング・コレクションがなされているとの記述がありますが、日本でフローティング・コレクションが採用されていないのはなぜなのか、あるいは、日本でフローティング・コレクションを行えば、どのようなメリットやデメリットが図書館サイドと利用者サイドにあるのか、などなど、ご予算増額を別にしても、議論すべきトピックは尽きないように思う私なんぞにとってはやや残念な読書でした。

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次に、ジル・ルポール『ワンダーウーマンの秘密の歴史』(青土社) です。著者は、ハーヴァード大学の歴史学研究者であり、専門はアメリカ合衆国史で、雑誌『ニューヨーカー』のスタッフライターも務めています。本書の英語の原題は The Secret History of Wonder Woman であり、ハードカバーが2014年、ペーパーバックが2015年の出版で、邦訳書は2015年のペーパーバックを底本としています。ということで、著者は、ワンダーウーマンをフェミニズム運動の観点から説き起こそうと試みて、主として原作者である心理学研究者のパーソナル・ヒストリーから解明を試みています。すなわち、現在の21世紀では単なるフェミニズムではなく、移民を主たる論点としつつ、性別だけでなくエスニックな多様性が議論されていますが、20世紀には男女の性差別の観点から20世紀初頭のファーストウェーブのフェミニズムと1970年代のセカンドウェーブのフェミニズムがあり、前者は女性参政権運動やそのやや過激な形のサフラジェットなどがあった一方で、校舎は米国におけるベトナム反戦運動の盛り上がりとも呼応しつつ進められたわけですが、その間のミッシング・リンクを埋めるアイコンとしてワンダーウーマンがどこまで重要化、といった観点です。出版社の宣伝文句には、第2時大戦期にワンダーウーマンが枢軸国のアチスドイツや日本をやっつける、なんて謳い文句もあったようですが、アッサリと、そのあたりは無視してよさそうです。さらに、戦後の黄金期ないし我が国で言えば高度成長期になりますが、この時期は同時に米ソの冷戦期でもあり、戦後期のアカデミズムないしハイカルチャーとポップカルチャーないし、我が国でいうところのサブカルチャーとの間の架け橋として、ワンダーウーマンがどこまで位置づけられるのか、も考察の対象となっています。それを、原作者であり、嘘発見器の開発者でもある心理学研究者のマーストン教授とその家族の歴史もあわせてひも解こうと試みています。ファーストウェーブのフェミニズム期における産児制限の展開もあわせて、それなりに貴重な歴史的考察なんですが、本書でも取り上げられているように、DCコミックの中で、少なくとも我が国においてはスーパーマンやスパイダーマンほどの人気がワンダーウーマンにあるとも思えず、どこまでフェミニズムとあわせて興味を引きこすことが出来るかは、私はやや疑問に感じています。ただ、極めて大量の史料と資料に当たって、さらに、関係者へのインタビューも含め、貴重な歴史的事実を引き出している点は、極めてニッチな米国現代史のトピックながら、さすがに学識を感じないでいられません。

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最後に、佐藤郁哉『大学改革の迷走』(ちくま新書) です。著者は、一橋大学などを経て、現在は同志社大学の研究者です。タイトルはとても正確で、今年に入って、1月4日付けで広田照幸『大学論を組み替える』を取り上げ、4月から教員として大学に復帰するに際しての準備の読書を進めているところだったりするんですが、本書もその一環だったりします。ただ、前の『大学論を組み替える』より数段落ちる内容です。単に、現在の大学改革の進行を批判するだけで終わっています。そもそもの大学改革の必要性が論じられた背景などに目が行くわけでもなく、現在の日本の大学に何らかの改革が必要かどうかに対しても、著者には十分な見識ないように見受けられますし、さらに踏み込んで、大学改革がどうあるべきかについても定見あるようには見えません。確かに、本書で議論されているように、文科省という役所の無謬主義がネックになって大学改革が迷走しているのは事実ですし、文科省の思惑とはズレを生じつつも一部の大学が予算獲得に走っているのも事実です。かつての国会論戦における万年野党のように、ひたすら反対を繰り返すだけで、積極的な対案も持たず、大学の現状に対しても、あるべき大学論や必要な大学改革も、何も論ずることなく、現在の大学改革の動きを批判するだけなら誰にでも出来ますし、本書の場合は、単に著者の「気に入らない」で済ませるような論調も気がかりです。日本の将来がどうあるべきか、あるいは、どうしたいか、の大きな議論から初めて、それに貢献する大学の教育と研究とはどういうものかを考えた上で、現状の大学を分析し、あるべき大学像を明らかにし、それに向けた改革の方向を探る、というのが大学論の目指すべき方向だと私は考えます。まるで民主党政権時のように、ひたすら、文科省と財務省などの役所を敵役にし、逆に、著者サイドの大学を免責にしている印象です。やや期待はずれ、というよりも、まったく的外れの議論を展開している新書でした。

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