今週の読書も経済書などをついつい読んで計4冊!!!
本格的な読書は先週までと考えていたんですが、今週もついつい読み過ぎたような気がします。おかげで引越し作業がなかなかはかどりません。来週も、実は、話題のアセモグル & ロビンソン『自由の命運』がすでに図書館に届いており、また、ユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons』やウォルシュの『ポール・ローマーと経済成長の謎』なども予約順位が迫っており、ひょっとしたら、それなりの読書になるかもしれません。なお、本日の朝日新聞の書評欄を見ると、2月1日の読書感想文で取り上げた『ワンダーウーマンの秘密の歴史』とその次の週の2月9日に取り上げた『男らしさの終焉』の書評が掲載されていました。1か月以上も新聞に先んじるのはそれなりに気分がいいものかもしれません。
まず、ハロルド・ウィンター『やりすぎの経済学』(大阪大学出版会) です。著者は、米国オハイオ大学の経済学研究者です。英語の原題は The Economics of Excess であり、2011年の出版です。副題が、上の表紙画像に見られるように「中毒・不摂生と社会政策」とされており、古くは、ベッカー教授とマーフィー教授による "A Theory of Rational Addiction" なんて、画期的な論文もありましたが、もちろん、今どきのことですから、行動経済学の知見も取り入れて、非合理的な選択の問題にも手を伸ばしています。ただ、大阪大学出版会から出ているとはいえ、各章の最後に置かれている文献案内を別にすれば、決して学術書ではありません。一般ビジネスマンなどにも判りやすく平易に書かれていて、その肝は時間整合性に的を絞っている点だろうと私は理解しています。本書冒頭では、時間整合的でその点を自覚している人物、時間非整合でありながらそれを自覚していない人物、時間非整合でそれを自覚している人物、の3人の登場人物を軸にして、時間割引率に基づく時間整合性のほかの非合理性には目をつぶって、もちろん、誤解や認識上の誤りは排除して、さらに、喫煙、肥満、飲酒の3つのポイントだけを取り上げて議論を進めています。その上で、温情的=パターナリスティックな政策の効果などについても視点を展開し、価値判断ギリギリの見方を提供しています。薬物に関する議論を書いているのはやや物足りないと感じる向きがあるかもしれませんが、私は基本は喫煙の先に薬物中毒があると受け止めていますので、特に本書の大きな欠陥とは思えません。ただ、何せ10年近く前の出版ですので、セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞する前であり、最近の行動経済学の展開がどこまで反映されているかに不安を覚える向きがありそうな気もしますが、かなりの程度に一般向けですので、そこまで気にする必要はないように思います。
次に、ウルリケ・ヘルマン『スミス・マルクス・ケインズ』(みすず書房) です。著者は、ドイツの経済ジャーナリストです。本書のドイツ語の原題は Kein Kapitalismus Ist Auch Keine Lösung であり、巻末の訳者解説に従えば、日本語に直訳すると「資本主義を取り除いても解決にならない」という意味だそうです。2016年の出版です。ということで、かなりリベラルな立場から主流派経済学、というか、ネオリベ的な経済学を批判しており、その際の論点として、邦訳タイトルにある経済学の3人の巨匠に根拠を求めています。実は、すでに定年退職してしまった私なんですが、大学を卒業して経済官庁に、今でいうところの就活をしていた際に、「大学時代に何をやったか」との問いに対して、「経済学の古典をよく読んだ」と回答し、スミスの『国富論』、マルクスの『資本論』、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』を、リカードの『経済学および課税の原理』とともに上げた記憶があります。当然のリアクションとして、「マルクス『資本論』を読んだというのはめずらしい」といわれてしまいましたが、無事に採用されて定年まで勤め上げています。まあ、私の勤務した役所の当時の雰囲気がマルクス『資本論』くらいは十分に許容できる、というスタンスだったと記憶しています。でも、さすがに、私は役所の官庁エコノミストの中では最左派だったのは確実です。周囲もそう見なしていたと思います。本書の書評に立ち返ると、自由放任とか見えざる手で有名なスミスについても、著者の間隔からすれば十分に社会民主主義者であったであろうし、マルクスが実生活はともかく共産主義者であった点は疑いのないところですし、ケインズは逆に自分自身では保守派と位置付けていたにもかかわらず、ネオリベ的なコンテキストで考えると十分左派であるのもそうなんだろうと思います。本書では、格差の問題などの現代的な経済課題を取り上げ、副題にあるような危機の問題も含めて、資本主義経済の問題点をいくつかピックアップした上で、決して、資本主義が社会主義に移行することが歴史の流れではないし、資本主義経済の諸問題の解決にもならない、としつつ、ネオリベ的な市場に任せた処方箋を明確に否定し、3人の古典的なエコノミストにも依りつつ、解決策を探ろうと試みています。ただ、シュンペーター的な技術革新や独占化の進展、さらに、デリバティブ取引の拡大などを指して経済の金融化の進展、などなど、かなりいいセン行っているんですが、最後の結論は少し私には違っているように見受けました。
次に、デイヴィッド・スローン・ウィルソン『社会はどう進化するのか』(亜紀書房) です。著者は、米国ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の進化生物学の研究者であり、いわゆるマルチレベル選択説の提唱者です。英語の原題は This View of Life であり、2019年の出版です。がん細胞、免疫系、ミツバチのコロニーから、「多細胞社会」としての人間まで議論を進め、進化生物学の最前線から人間の経済社会活動のメカニズムを解剖しようと試みています。がん細胞はマルチレベル選択の実証的ですぐれた例を提供するとしています。経済学との関係では、特に、ノーベル経済学賞を受賞したエレノア・オストロム教授が提唱した失敗と成功を分かつ8つの中核設計原理(CDP)をベースにした解説はそれなりに説得力あります。8つのCDPとは、CDP1: 強いグループアイデンティティと目的の理解、CDP2: 利益とコストの比例的公正、CDP3: 全員による公正な意思決定、CDP4: 合意された行動の監視、CDP5: 段階的な制裁、CDP6: もめごとの迅速で公正な解決、CDP7: 局所的な自立性、CDP8: 多中心性ガバナンス、です。その上で、自由放任=レッセ・フェールとテクノクラートによる中央計画はどちらも機能しないといい切り、変異と選択の管理プロセスを機能する方法のひとつと位置付けています。典型的なマルチレベル選択説であり、社会的な協調が文化的な進化を進める原動力、ということなのだろうと私は受け止めています。ですから、望ましい経済社会を形成して維持し続けるための政策を立案するに当たっては、進化生物学の視点が不可欠、ということなんでしょうが、本書でも指摘しているように、進化と進歩は同一ではありませんし、進化とは望ましい方向という面はあるにせよ、実は、何らかの変化に対する適応のひとつの形式なんではないか、と私は思っています。がん細胞が正常な細胞を阻害するわけですから、進化生物学がよき社会のために、あるいは、安定した経済のために決定的に重要、とまでは断定する自信はありません。
最後に、アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(創元推理文庫) です。著者は、2018年の『カササギ殺人事件』で邦訳ミステリでミステリのランキングを全制覇し、一躍著名作家に躍り出ましたが、何と、本書で2年連続の邦訳ミステリのランキング全制覇だそうです。英語の原題は The Word Is Murder であり、2017年の出版です。『カササギ殺人事件』では、瀕死の名探偵アティカス・ピュントが謎解きを見せましたが、本書では刑事を退職したダニエル・ホーソーンが事件解決に挑み、何と、著者ホロヴィッツ自身が小説に実名かつ現実の作家や脚本家として、探偵のホームズ役のホーソーンに対して、記録者としてワトソン役を務めます。ということで、財産家の女性が、自分自身の葬儀の手配のために葬儀社を訪れた当日に絞殺されるという殺人事件から始まり、被害者の女性が約10年前に起こした自動車事故との関連が調査されるうち、被害者の女性の息子で有名な俳優も殺される、という連続殺人事件の謎解きが始まります。巻末の解説にあるように、すでにホーソーン探偵を主人公に据えた第2作の原作がすでに出版されていて、ピュントのシリーズも今後出版される予定だそうです。ミステリとしては実に本格的かつフェアな作品に仕上がっており、ノックスの十戒にも則って、犯人は実にストーリーの冒頭から登場します。いろんな伏線がばらまかれた上に、キチンと回収されます。我が国の新本格派も同じで、殺人まで進むにはやや動機に弱い点があったり、探偵役のホーソーンのキャラがイマイチですし、著者自身がワトソン役を務めるという意外性などは私自身は評価しませんが、ミステリとしてはとても上質です。ミステリファンであれば読んでおいて損はないと思います。
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