いろいろ回って京都生活40年近いブランクは埋められるか?
緊急事態宣言が5月いっぱいに延長され、引き続き、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大防止のために、平日は在宅勤務が続き、今日までのゴールデンウィークは外出自粛が要請されていましたが、まあ、三密にはまったく当たらない自転車でのツーリングについては許容範囲ではないか、ということで、アチコチ自転車で走るとともに、ガイドブックや地図も買い込んで補強して、京都生活の40年近いブランクを埋めようと努めています。
まず、公共交通機関、というか、鉄道について、私の京都大学入学当初は京都駅から市電で通っていました。すなわち、路面電車です。ギリギリまだ市電が走っていて、北大路、西大路、九条大路と東大路=東山通と、東山七条から京都駅前にも伸びていました。京都大学のキャンパスは東山通沿いに展開していますので、まったく不便はなかったです。今は市営地下鉄になっています。私が大学を卒業した後に、まず、南北に走る烏丸線が開通し、その後、御池通りなどを走る東西線ができました。私の新しい住まいは現在この市営地下鉄が最寄駅となっていたりします。加えて、京阪電車についても出町柳まで延伸された鴨東線はありませんでした。当時、京阪は三条駅が北の終点で、その先は山科まで東に路面電車が通っていました。京阪電車については、さらに、三条から南の駅はそっけなく四条、五条、七条だったんんですが、いまでは祇園四条、東山五条となっています。
街中のお店については、まず京都駅周辺について、駅ビルのJR伊勢丹も、八条口のアバンティも、烏丸口のポルタも、私が大学を卒業してから出来たものです。もちろん、いくつかあるイオンモールもそうです。四条河原町の阪急百貨店はマルイに代わっていました。それから、あくまでご参考なんですが、梶井基次郎の「檸檬」に登場するお店について、レモンを買った方の八百卯は閉店したようですし、置いた方の丸善はまだありますが、私の大学在学中にはすでに「檸檬」オリジナルの場所ではなかった記憶があり、さらに、私の大学在学中の場所からさらに移っていた気がします。神社仏閣などの観光スポットでは別にして、相変わらず、河原町通り沿いの三条から四条あたりにかけてと京都駅前が、おそらく、地元民にとってのショッピングや外食などのお出かけスポットである点はおおむね変わりないと思いますが、私の大学在学中から北山通り沿いが脚光を浴び始めたように記憶していますが、その昔と同じく京都南部に新しい住まいを構えたため、まだ足が伸びていません。伏見に関しては、丹波橋から中書島にかけての酒どころは、大学在学中どころか、私の小さいころからも大きな変化内容で懐かしい気がします。
最後に、京都のミニ知識を2つほど披露してゴールデンウィークで回った京都の印象についての雑感を締めくくりたいと思います。まず、京都でもっとも有名なお寺のひとつである清水寺の宗派について知っている人は極めて少ないと思います。もちろん、wikipediaなどで調べればすぐに出てくるんでしょうが、実は、北法相宗という宗派です。「北」のつかない法相宗は阿修羅像などでも有名な奈良の興福寺を大本山とする宗派で、清水寺ももともとはそうだったんですが、戦後になって「北」をつけた北法相宗を開宗したと記憶しています。そしてもうひとつは、四条通りや五条通りで鴨川にかかる橋は四条大橋や五条大橋と呼ばれる理由です。その理由は、小橋があるからです。鴨川にかかるのは大橋で、その西側にある高瀬川にかかるのは小橋です。このため、高瀬川が流れ始めるのは丸太町通りと二条通りの間ですから、丸太町橋は大橋と小橋の区別はありませんが、二条から五条くらいまでは大橋と小橋の区別があります。なお、どうでもいいことながら、四条と五条の間にある団栗橋は鴨川にだけかかっていて、高瀬川にはかかっていませんから、大橋と小橋の区別はありません。ただし、今出川通りの加茂大橋だけは小橋がないにもかかわらず、大橋という名称になっています。昔は小橋があったのかもしれません。謎です。
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