今週の読書は話題のハラリ教授の新刊書をはじめとして計3冊!!!
ようやく、今週に入って、新刊読書がはかどり始めました。もちろん、世間から遅れていることは明らかなんですが、もともとの私の人生がそうである上に、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大防止のために、非常事態宣言の上にも特定警戒都道府県に住んでいるもので、図書館サービスが順調でなかったのも響いた気がします。在宅勤務はそれなりに多忙を極め、読書ペースを維持するのがどこまで可能かは未知数です。取りあえず、今週の読書は以下の3冊です。
まず、ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons』(河出書房新社) です。英語の原題は 21 Lessons for the 21st Century であり、2018年の出版です。なお、著者はイスラエルの歴史研究者ですが、もう私なんぞが紹介するまでもなく世界的ベストセラーを次々に上梓しています。私も、『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』は読みました。本書は5部21章構成で400ページ余りのボリュームながら、それなりにスラスラと読めた気がします。冒頭に著者自身が書いているように、『サピエンス全史』が過去の歴史を振り返り、『ホモ・デウス』が先行きの見通しを語っているのに対して、本書は今現在を対象にしています。ただ、2016年のトランプ米国大統領の当選などに象徴されるように、ポピュリズム的なイベントに対して批判的な見方を展開していることも事実です。これも自由主義のセットメニューと題して、国家レベルでも国際レベルでも、自由は経済と政治と個人の3分野でセットであって、ひとつだけを欠けさせるわけには行かない、という主張にも現れています。サンデル教授のように正義の分野まで哲学的に解明しようと試みているかのようですが、少なくとも歴史学の観点からは私は難しそうな気がします。実は、正義や倫理については経済学が早々に放棄しているのも事実です。では、歴史学者としてはどの観点かというと、私はこの著者の進歩史観に信頼感を感じています。ほぼほぼ私と同じ理解で、保守派は歴史の流れを押し止めようとし、保守派に対する進歩派は歴史を前に進めようとする。あるいは、歴史を逆転させようとするのは反動的である、などなどです。もっとも、米国の例を引きつつも、地球温暖化が進む歴史を押し止めようとするのが進歩派で、もっと温暖化の歴史を進めようとするのが保守派だとか(p.284)、テクノロジーの過度な進み過ぎには悲観的な味方をする場合とかはありそうです。私もAIを含めて、テクノロジーの過度な進展には悲観的だった時期があるのですが、今ではそれが人類の幸福に寄与する可能性のほうが大きいと考えています。最後に、p.61にある「最低所得保障」というのは、かなりベーシックインカムに近い制度のように私の目に映るんですが、そうなんでしょうか?
次に、友原章典『移民の経済学』(中公新書) です。著者は、世銀などの国際機関で開発に関するコンサルをした後、今は国内の大学で研究者をしています。基本は、タイトル通りの経済学ですので、労働経済学の観点からの雇用に対する移民の影響とか、経済成長や財政に移民はどのような影響を及ぼすのかが定量的な研究成果をサーベイして示されています。ただし、本書でもやや批判的に示されていますが、研究者によって少なからぬ研究成果のバイアスが見られます。移民に関する経済学研究で著名であるとともに、自身もキューバから米国への移民であるボージャス教授(私は、スペイン語読みで「ボルハス」の方が馴染みがあったりします)は移民に関しては否定的な研究成果を示しがちである、などです。私は移民の経済学を展開するに当たって、2つの問題点があると考えています。ただ、この2点は基本的に同じコインの裏表であって、おそらく同じ問題だろうという気がします。すなわち、ひとつには経済学がまだ未熟な科学である、という点で、もうひとつは、経済学的な表現ですが、すべてを部分均衡により分析していて、移民のような広範な影響を及ぼしかねない重要な分析であるにもかかわらず、一般均衡的な分析ができない、もしくは、していないことです。「群盲象を撫でる」結果に終わっているわけです。幅広く十分な範囲から視覚を活用した観察が、現在の経済学の到達水準ではできない、ということだろうと思います。従って、本書のように、得する人と損する人という分析も、どこまで信頼性あるかはやや疑問です。部分均衡分析では得するように見えても、回り回って損する場合もあるからで、それは経済学的にはモデルの構築次第、すなわち、言葉を変えれば分析者の「思惑次第」ということにもなりかねません。結論がある程度決まっていてモデルを構築しデータを集める、ということも可能なわけです。最後に、私自身の移民に対する直感的で決して定量的でない意見は、ややネガティブというものです。おそらく、移民は経済学的には生産要素の多様性に大きく寄与し、従って、サプライサイドからは成長にも貢献します。ただ、日本は、韓国とともに、先進国の中で、文句なしの「人口大国」である中国に隣接しているという地理的条件から、どこまで移民を受け入れるかには覚悟が必要です。現状の数百万人を超えて、1000万人単位で中国からの移民を受け入れれば、もはや国家としてのアイデンティティをなくす可能性も視野に入れるべきです。でも、そこまでして企業は安い労働力を欲しがるんだろうな、という気はします。強くします。
最後に、斉藤賢爾『2049年「お金」消滅』(中公新書ラクレ) です。著者は、専門分野はそれほど意味ないとしても、デジタルマネーやコンピュータエンジニアリングの研究者であり、何となくタイトルにひかれて読んでみましたが、とても興味深い論考でした。ひとつだけ注意すべきは、タイトルの「お金」とは、あくまでマネーであり、紙幣やコインという実態ある貨幣がなくなって、デジタルマネーに置き換わる、という主張ではありません。デジタルマネーまで含めてマネーが不要となる経済社会が実現する、というのが著者の主張の肝です。ということで、著者は、基本、エンジニアのようですから、経済学的な「希少性」という言葉はまったく出現しませんが、要するに、供給面では社会的な生産力が大きく拡大され、需要面では財やサービスに希少性がなくなり、別の表現をすれば、限界費用がゼロとなることから市場での価格付けが最適配分に失敗し、従って、市場における交換が社会的な欲求を満たすために行われなくなり、結果として、贈与経済に近い経済社会が出現する、それも、今世紀半ばにはそうなる、という近未来の将来社会の姿を描き出そうと試みています。一言で表現するつもりが、ついつい長くなりましたが、そういうことです。そして、19世紀的には多くのマルクス主義者がこれを「社会主義」と読んでいたような気がします。私は20世紀ないし21世紀のエコノミストですが、同じように、この本書で描写されている経済社会は現代的な意味でのマルクスのいう社会主義だと思います。ただし、著者が否定しているように、社会主義的な経済計画や中央政府からの司令に基づく資源配分が実行される経済システムである必要はサラサラありません。そして、本書のような社会主義経済ではマネーは確かに必要なくなりますし、著者はご自身で気づいていないかもしれませんが、まったく同じ意味で所得も必要ありません。ですから、本書で著者が強調しているように、ベーシック・インカムの議論はまったく意味をなしません。私は進歩派のエコノミストとして、著者の主張するような経済社会が、今世紀半ばに誕生するかどうかはともかく、そう遅くない未来に現れるものと期待しています。ただ1点だけ、本書のスコープのはるか外ながら、その際に金融資産、あるいは、実物資産、例えば土地や不動産がどのように評価されるのかは興味あります。生産されない資産は希少性が残る気がします。おそらく、生産される財とサービスに希少性がなくなるので、その生産要素たる資産には希少性が認められないと思うのですが、生産要素ではない資産はどうなるのでしょうか。
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