今週の読書は経済書に直木賞受賞の『熱源』もあり計5冊!!!
今週の読書は、大学の図書館で借りた経済書に加えて、前から買ってあったものの、大阪の大学生の倅に貸していた直木賞受賞作『熱源』を読みました。これはなかなかの歴史小説で感動しました。ほかに、日本史を取り上げた新書と時代小説の文庫本を合わせて以下の計5冊です。何となく、週に5冊読むその昔のペースに戻りつつあるのかもしれません。もっとも、週5冊がいいのかどうかは定かではありません。
まず、大橋弘[編]『EBPMの経済学』(東京大学出版会) です。著者は、各チャプターごとに、東大を中心とする研究者が本論のペーパーを書いて、それに対して政策を所管する役所からコメンテータを出す、というシステムになっています。EBPMとは Evidenced Based Policy Making の頭文字を取っているわけですが、実は、私は少し前に授業向けの動画をキャンパスで撮影した際に、この通りに発言したところ、、最後の"M"は"Making"ではなく"Management"ではなかったか、と後ほど自信がなくなったんですが、ちゃんとあっていました。でも、しつこいようですが、その昔は"Management"で「証拠に基づく政策運営」だったんですが、今では"Making"で「証拠に基づく政策立案」になったような気がします。なお、本書では「基づく」ではなく「重視する」の方が適当としています。なお、エビデンスに基づかない、あるいは、重視しない、その昔の政策立案は何だったのかというと、エピソードに基づいていたりしたわけです。ということで、本書は6章立てで、教育、労働、医療・介護、交通・インフラ、課税、エネルギーの6分野を取り上げてEBPMを論じています。何らかの意味で市場の失敗が生じている分野といえますが、その原因は、情報の非対称性だったり、公共財だったり、限界費用低減産業だったりします。私も公務員としてのキャリアの最後の方で、このEBPM重視への転換を経験しましたが、もちろん、基本的な方向としては大賛成ながら、いくつか問題点がまだ残されていると感じていました。そして、本書を読んでもその問題点は解消されませんでした。第1に、評価関数の問題です。例えば、単純なコスト-ベネフィットを考えるとしても、政治的なプロセスで利権をどう評価するのかがまったく考慮されていません。GoToキャンペーンだって、どなたかの観光利権だと密かに報じられていましたし、交通インフラについて建設費はコスト計上されるだけで、利権として誰かのポケットに入る分はカウントされていません。第2に、経済学の研究者が多いにもかかわらず、あまりにも部分均衡的な思考でEBPMを実行しようとしている点です。限られたスコープで見る限り、それはそれでいいのかもしれませんが、エコノミストこそより幅広く一般均衡的な視点を主張すべきではないかと感じています。特に、映画の「マネーボール」ではないのですから、新自由主義的な市場での評価にすべて還元する味方には賛成できません。最後に、第2の点とも共通しますが、EBPMの先進例がすべて英米から取られていて、ほぼほぼ新自由主義的な政策決定を代表しているようにしか受け取れない点です。その昔、エスピン-アンデルセンは福祉国家/福祉レジームの類型として、アングロサクソン的な自由主義レジーム、スカンジナビア的な社会民主主義レジーム、大陸ヨーロッパ的な保守主義レジームを提示し、本書や他の文献でもアングロサクソンの英米自由主義、というか、新自由主義以外の分析がどこまで進んでいるのか、極めて疑問です。英米的な新自由主義の研究に終止していると、かつての徒花だったNPM=New Public Managementのような上滑りな議論で終わる可能性が高い、と心配するのは私だけでしょうか。もしも、こういった上滑りな議論だけで終われば、統計やデータの整備にEBPMを換骨奪胎して、役所の予算獲得、ポスト獲得に終わってしまうような気がします。でもまあ、ホンキになって新自由主義的なEBPMが進んでしまえば、市場で評価されないながらホントに国民生活に重要な政策がビシバシと切り捨てられるような気がしますので、上滑りな議論で終わって役所や公務員の焼け太りで済むのも一案、というか、ひょっとしたら、その方が国民にはいいのかもしれません。
最後に、どうでもいいことながら、上の画像は、本書p.47でも引用されていますが、三菱UFJリサーチ&コンサルティングのリポート「エビデンスで変わる政策形成」(2016年2月) p.4 の 各種手法のエビデンスレベルと具体例 です。まだデータが集まっていないとはいえ、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に関するエビデンスは、まだもっとも質が低いと見なされているレベル4にとどまっているんでしょうか。
次に、神野真敏・安岡匡也 [編著]『歴史と理論で考える 日本の経済政策』(中央経済社) です。編者は、経済学の研究者であり、基本的に、大学の学部レベルの経済政策のテキストを目指して編集されています。2部構成となっており、第1部が基礎的分野として主として所得格差を取り上げ、第2部で応用分野として財政政策、金融政策、労働政策、年金政策、環境政策、の各分野については、本書のタイトルに沿って、歴史と制度、そして、理論の2章に分けて解説し、医療・介護政策と児童福祉政策については章を分けずに歴史・制度と理論を論じています。経済政策ですから、その昔は市場の失敗から始まって、外部経済、情報の非対称性、公共財、などなどが論じられていたんですが、最近では電力などの費用逓減産業は入らないようです。また、基礎的分野として所得格差が冒頭に置かれているのはかなり画期的で、私は大いに支持するんですが、やや戸惑う先生方もいる可能性はあります。また、冒頭に社会的厚生関数として経済学で伝統的に暗黙の前提となっているベンサム的な功利主義的な厚生関数とサンデル教授の議論で取り上げられたロールズ的な厚生関数が示されています。これはいいんではないかという気がします。ただ、アロー的な不可能性定理による推移律の不成立による社会的厚生関数の不可能性についても取り上げておきたいところです。というか、熊谷先生の議論(熊谷尚夫, 1973「経済学の範囲と方法」、『季刊 理論経済学』第24巻第1号)でも示されているように、あくまで教育的な目的である点はもう少し配慮して欲しかった気もします。さらに、加えてよければ、本書のスコープがやや狭い気がします。すなわち、これだけの執筆陣を集めて200ページあまりで終わるのもやや期待外れです。せめて、農林水産政策と貿易政策は歴史的な経緯も含めて取り上げておくべきではないかと感じました。
次に、川越宗一『熱源』(文藝春秋) です。ご存じ、第162回直木賞受賞作品です。地理的には日本名樺太、ロシア名サハリンを、そして、アイヌ民族を、舞台の中心に据えて、とても時間的スパンの長い雄大な小説です。樺太とアイヌに対比させて、祖国を失った時代のポーランドとリトアニア生まれのポーランド人も、見事に対比させています。たぶん、歴史小説といってもいいくらいのタイムスパンであり、加えて、地理的な広がりも素晴らしく、別の観点からは、司馬遼太郎翁の後を継ぐような雄大なスケールの小説です。タイトルは「生きるためのエネルギー」くらいの意味でしょうか。主人公はアイヌ人ヤヨマネフクであり、サブとしてポーランド人ブロニスワフ・ピウスツキが配されていると私は考えているんですが、もはや、時代的にも地理的にもスケールが大きすぎて主人公を特定することも難しい気がします。明治維新後の日本は、熱に浮かされたように近代化=西洋化を進め、同時に、帝国主義的な時代背景もあって、近隣の朝鮮、台湾、樺太にも日本と同じように近代化を押し付けて回ったりしたわけですが、そういった歴史の流れを、社会的・民族的・地理的な広がりだけで学問的にペダンティックに語るのではなく、その時代を生きた個々人の視点から捉えようと試みています。さまざまな要素が盛り込まれていますので、読者の読み方もさまざまでしょうが、教師の私には教育の大切さを訴えている点が印象に残りました。もちろん、主人公に据えた無名のアイヌ人やポーランド人もいれば、時の総理大臣まで務めた早稲田の大隈重信、言語学者の金田一京助、南極探検の白瀬中尉、ロシア革命の主導者であるレーニンなどなど、実在した歴史上の人物も実に巧妙に組み合わせながらストーリーが展開されます。表現はまだ荒削りで、長いストーリーだけに、一部に雑な展開も見受けられますし、第三者の視点なのか、誰の一人称なのか、などなど、読みこなす方にもそれなりの読解力が求められますが、アイヌというカギカッコ付きの「滅びゆく民族」を一方の主人公に据えながらも、決して、物悲しい小説ではありません。力強く、その時その時を精一杯生きる人々を称える物語です。ただし、繰り返しになりますが、それなりの長さの難しげな歴史小説ですし、読みこなす読解力も必要です。ある程度は上級者向けの読書となることは覚悟すべきかもしれません。でも、さすがの直木賞受賞作で、オススメです。
次に、本郷和人・井沢元彦『日本史の定説を疑う』(宝島社新書) です。著者は、東大史料編纂所の研究者と作家です。古代編、中世編、近世・近代編の3章構成で、卑弥呼から始まって明治維新で終わっています。著者のお二人が何度か強調しているのは、「史料絶対主義からの決別」めいたお考えなんですが、まあ、判らなくもありませんが、史料を解明するのが歴史学の真髄なのではなかろうか、という気もしますので、史料ではなくご自分の判断が優先するのであれば、研究者レベルのお話ではなく、まさに、フィクションとしての小説家レベルになってしまう気がします。歴史は、あくまで、時系列的なイベントの流れを同時代的なリンケージとともに分析し、出来る限り、その時代の解明だけでなく将来予想にも役立つような研究が求められます。とはいえ、新書の歴史モノですから、そこまで追求するのも野暮かもしれません。新しい視点を提供いただいただけで十分なのでしょう。いくつか注目の論点はありますが、やっぱり、NHK大河ドラマではないですが、日本史最大の謎は本能寺の変なんでしょう。定説すらないので、思い切った見方が示されるかと期待しましたが、やっぱり、難しいんでしょうね。
最後に、佐伯泰英『おこん春暦』(文春文庫) です。新・居眠り磐音シリーズの4冊目であり、磐音の妻となるおこん、その今津屋に奉公に出る前の時期にスポットを当てた中編くらいの長さの小説2篇を収録しています。ただ、第1篇の「妹と姉」は新たに書き下ろされたようですが、後半の「跡継ぎ」はその昔の『居眠り磐音 江戸双紙読本』に収載されていた同じタイトルの短編を少し改変してあるだけで、特にどうということもなく、私は買うほどのことはないと判断して借りて読みました。もっとも、今日の読書感想文に取り上げた5冊のうち買ったのは『熱源』だけで、あとの4冊は図書館で借りています。新・居眠り磐音シリーズはこの読書感想文でも取り上げた通り、『奈緒と磐音』、『武士の賦』、『初午祝言』と読み進んできましたが、悪いですが、ハッキリいって、段々とレベルが落ちてきた気がします。磐音の嫡男である空也を主人公に据えた空也十番勝負シリーズも当初の予定の10冊に達しないうちに取りやめになったようですし、私もそれほど面白くもないので読み進みませんでした。そろそろ、この作者の限界なのかもしれません。
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