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2020年8月15日 (土)

今週の読書もいろいろ読んで計5冊!!!

今週の読書は、開発経済学の入門書のほか、冷戦史、また、社会心理学・教育研究の教養書に加えて、やや期待外れだったテクノロジーに関する新書まで、以下の通りの計5冊です。

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まず、大塚啓二郎『なぜ貧しい国はなくならないのか (第2版)』(日本経済新聞出版) です。数年前に出版された本の第2版です。著者は、かの速水祐二郎先生に連なる研究者で、いくつかの大学に所属した経験豊かなエコノミストですが、当然ながら、農業経済学ルーツのマイクロな開発が専門分野のようです。私も開発経済学を専門分野のひとつと考えているんですが、私の場合はマクロ経済学の応用分野のひとつと考えていますので、ランダム化比較試験(RCT)などについてはほとんど見識ありません。逆に、本書では開発の重点は開発戦略の策定と実行にあり、ほぼほぼそれがすべてとお考えのようです。本書でも議論されていますが、開発経済学のルーツを考える際、本書の著者のように典型的には農業経済学から入って、途上国の農業や他の途上国らしい産業の生産性向上ないし育成を考えるマイクロな見方と、私の場合のように、経済史から入って歴史の流れの中で大局的な経済発展を把握し、普遍的な経済発展から始まって個別国の開発に進もうとするケースがあります。どちらがいいとか悪いとかの観点ではなく、個別ケースの必要に従って考えるべきです。私はそう考えているんですが、本書の著者は自分の見方がすべて正しいとお考えのようで、アーサー・ルイス卿の二重経済における生存部門から資本家部門への労働の移動による経済発展まで否定されるのはいかがなものか、という気もします。経済学の基礎的な知識を不要とするという意味では、本書のようなアプローチも十分理解できるところですが、この方向を極めてしまうと、「開発とは途上国に行って井戸を掘ることである」という見方も成立しかねないので、やや心配ではあります。当然ながら、マイクロな経済学の最大の懸念である合成の誤謬も生じる可能性が排除できません。ただし、繰り返しになりますが、どちらがいいとか悪いとかの観点ではありません。ですから、誰か知り合いから聞いた記憶があるんですが、農業経済学的なマイクロな開発経済学はアフリカに適用可能な一方で、経済の普遍的な歴史の中で開発を考えるのはアジアに適用可能、という説があります。どこまで当たっているかは現時点で何ともいえませんが、本書を読んでいてついつい思い出してしまいました。

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次に、O.A. ウェスタッド『冷戦』上下(岩波書店) です。著者は、ノルウェー出身で現在は米国の大学の研究者をしている歴史学者です。本書の英語の原題は The Cold War であり、2017年の出版です。ということで、1990年前後に終焉を迎えた冷戦に関する世界史です。ただ、副題の「ワールド・ヒストリー」というのが、私にはイマイチ理解できていません。すなわち、通常、日本史とか、世界史という場合の世界史はワールド・ヒストリーなんですが、それに対置する形で、グローバル・ヒストリーとは、従来の王朝史ではなく、地球規模でのリンケージを視野に入れた相互連関を重視するという立場なんですが、本書では、ややそういったグローバル・ヒストリーの要素あるとはいえ、何せ冷戦なんですから、米国とソ連がそれぞれ東西の陣営の先頭に立って世界各国に覇権的な影響力を講師する、わけですので、当然といえば当然の地球規模でのリンケージは分析する必要があります。とはいえ、本書の歴史は極めて広範囲であることが特徴のひとつであり、地域も時代も従来の冷戦観からはかなり広がって理解できる気がします。もっとも、冷戦の終わり方の分析にやや不満が残ります。歴史であるからには何らかの時系列的な方向性ばかりではない因果関係の分析を期待するわけですが、ソ連崩壊とそれに続く東欧衛星諸国の共産党政権崩壊がややバラバラに記述されている印象があります。冷戦という二項対立が終わるとすれば、和解によす対立解消でなければ、とちらの陣営の崩壊しかないわけですが、私のようなエコノミストの理解からすれば、やっぱり、社会主義的なソ連経済の非効率の限界から、米国的な資本主義経済の生産性に敗北した、との理解となります。逆から見れば、生産性が低くてそれなりに非効率であっても、分配が優れていれば経済としてはOKではないのか、という見方がそれほど強力には成り立たなかったわけです。もちろん、北欧諸国の社会民主主義的な経済を見る限り、全体主義的あるいは強権的なやり方ではなく、国民的なコンセンサスに基づく分配重視という経済運営は、十分にサステイナブルとする見方も成り立ちますが、そこまで至るプロセスが各国で異なっていることも確かです。ロシアや東欧のように未発達な資本主義国だった地域においては、一度、強く左に振れてから社会民主主義的な分配重視の経済に戻る、というのが不可能だったのか、それななぜか、というのが私のひとつの疑問です。それからついでながら、日本語版への著者の序文にあるように、冷戦と、というか冷戦終了と我が国の経済的な停滞の間になにか関係があるのか、あるいは、ないのか、という疑問もなかなか興味あります。もちろん、著者のリップサービスですから、本書には何の記述も含まれていません。

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次に、クロード・スティール『ステレオタイプの科学』(英治出版) です。著者は、米国でも有数の社会心理学者・教育研究者であり、アフリカ系米国人です。英語の原題は Whistling Vivaldi であり、2010年の出版です。英語の原題は「ヴィヴァルディを口笛で吹く」くらいの意味であり、本書を読めばわかりますが、著者の出身地でもあるシカゴ近郊のエピソードで、暴力的と見なされて敬遠されがちな黒人男性が口笛でクラシック音楽をとても上手に奏でたところ、行き交う人々の警戒心が大きく減じたとの著者の友人の実話から取っているのではないかと私は想像しています。ということで、周囲からの差別や偏見がなくても、「女性は理数系に弱い」とか、「黒人男性は暴力的」とかの社会的な刷り込みがあると、無意識のバイアスが生じて、行為者本人のストレスとなって、ネガなステレオタイプの脅威によりいい結果が残せない、というケースを特に教育・学習で実証的に研究した成果を取りまとめています。繰り返しになりますが、「女性は理数系に弱い」といわれた上で、成績を出すということになれば、そのステレオタイプに近い結果が示されるのは、学校で示されるスティグマによる下層化圧力に起因するとの研究成果です。ですから、学力測定の目的と明示されると、そういうスティグマを持つグループの成績は低くなり、そうでなく、学力測定ではなく研究目的とされると、そういったスティグマはないわけですので、成績低下の効果はない、という例が多数示されます。ほかにも、マイノリティを克服するためにはクリティカルマスを満たすことが重要であり、そのためのアファーマティブ・アクションの重要性などにも言及しています。とても説得的な研究成果が多数示されています。その上、第9章ではそういったバイアスを減少させる方策がいくつか示されており、決して事実のファクト・ファインディングだけでなく、実践的な解決方法まで幅広く研究された成果が本書には含まれています。私もエコノミストとして現状判断は出来るものの、それに対する処方箋が書けない場合が少なくなく、現在の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)による経済のダメージからの回復もそうです。そういった意味で、処方箋の重要性も確認させられた気がします。

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最後に、山本康正『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』(講談社現代新書) です。著者は、よく判らないんですが、いくつかの先端技術会社での勤務経験があるようです。第1章がまるまるパーソナル・ヒストリーに当てられています。気軽な新書とはいえ、こんな構成はほとんど見たこともありません。「次のテクノロジー」として想定されているのは、上の表紙画像にあるように、5GとAIとクラウド・ビッグデータの三角形なんですが、「次」ではなく「今」ではなかろうかという気もします。本書で本格的に展開されているのはAI+ロボットくらいで、5Gとクラウド・ビッグデータはそのためのインフラといった位置づけのようです。ということで、気軽な新書とはいえ、かなり物足りない内容だったので、本書冒頭のはじめにと序章の50ページくらいをパラパラと立ち読みすれば十分、という気がしないでもありません。もちろん、私のように図書館で借りるのも一案です。

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