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2020年9月 5日 (土)

今週の読書は後期授業のテキストの通読など計4冊!!!

今週の読書は、やや反則気味ながら、後期の授業で取り上げる予定の教科書、ほか、新書が3冊と計4冊です。亜紀書房からご寄贈いただいて、水曜日に取り上げた『教養のための経済学 超ブックガイド88』は別勘定です。今週から本格的に大学に通い始めて、後期の授業の資料作成、あるいは、大学院生の指導のためにプログラミングを始めたりと、やや忙しくなり始めましたので、読書量は少なめな気がします。悪しからず。

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まず、浅子和美・飯塚信夫・篠原総一[編]『入門・日本経済[第6版]』(有斐閣) です。後期の授業で使う予定なので通読してみました。10年ほど前に長崎大学で同じような授業をしていたころは本書の第3版を教科書として指定して使っていて、今年に入って1月か2月にシラバスを入力する際に、第5版を教科書として指定したところ、3月に第6版が出てシラバスを書き換えたところです。大学の授業ですから、大雑把に、15回の授業で全体を終えるように編集されています。オンライン授業になりますし、私自身は新任教員ですから、どれだけの受講者が集まるかは未知数ですし、さらに、その中で教科書を買う学生がどれだけいるかはさらに未知数です。でも、私は、文科大臣の「身の丈」発言とは違う意味で、大学生はそれなりに本を買って読むべきだと考えています。もちろん、教科書もそうです。大学の授業では、教員がレジュメを配布する場合も少なくなく、それはそれで、授業をする教員自身がオーダーメードで作成するわけですから、私のようにレディメードの一般出版物を教科書に指定するよりも、授業にもっともよく合致する内容や順序ですので、学生にも有益だと考えなくもありません。でも、逆に、レジュメをもらってそれをファイルして授業を聞いたつもりになってしまう欠点もあります。もちろん、教科書を買って本棚にしまって授業を聞いたつもりになるリスクもあります。それではどちらがいいかというのは、一概には判断できませんが、少なくとも私のように、大学生はもっと本を読むべきと考える教員は一定数いるものと私は考えています。私自身は、学生諸君の、というか、親御さんの金銭的な負担に応えるだけの教科書を指定しているつもりです。

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次に、Voice編集部[編]『変質する世界』(PHP新書) です。月刊誌『Voice』の編集部がインタビューしたり、寄稿を求めたりした、悪くいえば、細切れの原稿をつなぎ合わせています。ですから、論者によっては相矛盾する内容が含まれていたりしますし、編集が雑だと感じさせる部分も少なくありません。でも、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が、政治経済、国際関係、人々の価値観にどのように変質をもたらしたのか、について、可能な限り早い時期に様々な見方を1冊の本にして提供するという観点からは、容認できる欠点だという気がします。すなわち、インターネット上の情報が断片的にしか提供されないのに対して、書籍で提供される情報は体系的・網羅的・包括的である点に大きな特徴があると私は考えており、異なっていたり、相反する意見であっても、それを1冊の本に取りまとめるのは意義ある作業だと私は考えます。ということで、掲載順に、安宅和人、長谷川眞理子、養老孟司、デービッド・アトキンソン、エドワード・ルトワック、ダロン・アセモグル、劉慈欣、御立尚資、細谷雄一、戸堂康之、大屋雄裕、苅谷剛彦、岡本隆司、宮沢孝幸、瀬名秀明の各氏が、専門分野の観点から、あるいは、別の観点も含めて、さまざまな見方を提供しています。これからの世界、私は「ウィズ・コロナ」ではなく、ポストコロナ、ないし、アフター・コロナだと考えているわけですが、この先の世界をどう取り戻すか、あるいは、今までの世界からどう変質しているのか、変質しているとすれば、どのような対応が考えられるのか、などなど、あるいは、COVID-19に関連薄い点まで含めて、幅広い議論が展開されています。私自身はアセモグル教授のパートが参考になりましたが、多くの読者にも何らかの得るところがありそうな気がします。でも、それほど多くのものを期待するのは酷かもしれません。

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次に、藤原正彦『本屋を守れ』(PHP新書) です。著者は数学の研究者であり、お茶の水大学の名誉教授で、2005年の『国家の品格』がベストセラーになっていたりします。私自身は、この著者の論点の多くに反する意見を持っているんですが、本を読む重要性という論点はかなりの程度に賛同していますし、その観点から、ロードサイト店ではなく街中の、特に駅前通り商店街の本屋を守るという本書の論点は大賛成です。繰り返しになりますが、私のこのブログもご同様ながら、提唱者ご自身の裁量でアップしているインターネット上の情報が断片的で、時には不正確なものも少なくない中で、本というもは編集者のスクリーニングを経ているわけで、それなりの正確性が保証されている上に、断片的ではなく体系的・網羅的・包括的である点に大きな特徴があります。正確性という観点からは、編集者のスクリーニングだけでなく、専門家のピアチェック、すなわち、査読がある方がさらに正確性の向上に資するわけで、学術雑誌であっても査読がなければ「ソーカル事件」のようなお店もある可能性が残されます。ただ、本書に戻ると、随所に「自ら本に手を伸ばす子供」という言葉が出てきますが、それを実現させるための手段がスマホの禁止である点はお寒い限りですし、その他の著者の国家観や民族観などについては、私はまったく同意できません。ただ、本を読むという読書の重要性については著者の論点に賛成します。特に、私は日々接する学生諸君は、もっと読書すべきであると考えています。その点から、今週の読書で多く取り上げた新書をサラリと読むのも一案かもしれません。

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最後に、津堅信之『京アニ事件』(平凡社新書) です。著者は、アニメ史の研究者であり、この本のテーマである京アニ事件からいくつかのメディアへの露出が目立っていたことは私も記憶しています。ですから、第1章はいきなり著者のメディアへの露出についての言い訳から始まったりします。実は、私は関西に引っ越してから京都市営地下鉄の沿線に暮らしており、京アニ事件の現場からほど遠くないわけです。これも実は、で、結婚した25年前は杉並に住まいして、その後に建設されるジブリの森美術館の井の頭公園からそれほど遠くないところで新婚生活を始めたことも記憶しています。というわけで、私はそれほど京アニ作品に詳しいわけではなく、せいぜい、米澤穂信の古典部シリーズを原作とする『氷菓』しか見ていないんですが、私は原作を十分に読みこなしているので、ミステリとしか考えられなかったんですが、本書ではサスペンス作品として取り上げられています。それは無視するとして、本書では、アミニメファンらしく、映画のエンドロールに登場するアニメ作家の名前の重要性と京アニ事件での被害者の実名公表を考えたり、紙媒体にせよ、デジタル化されているデータにせよ、事件の火炎から逃れた作品や関連資料の重要性よりも、むしろ、それらを作成した被害者の命が戻らない点を何度も繰り返して指摘するなど、私には欠けている視点であろうと感じました。それなりに読み応えありますが、エコノミストとして、企業経営の観点から、京アニとパナソニックの類似性を感じるのは私だけかもしれません。

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