今週の読書は経済と中国について考えさせられる本をはじめとして計4冊!!!
今週の読書は、ノーベル経済学賞受賞者による経済学に関するエッセイと中国経済についての評価に関する経済書、ほか新書2冊の計4冊です。このブログで取り上げる経済書は難しいという意見もあって、また、大学生諸君にもっと手軽に読めるようにという配慮もしつつ、最近では新書を多く取り上げるように心がけています。
まず、アビジット V. バナジー/エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学』(日本経済新聞出版) です。著者は、ともにマサチューセッツ工科大学の研究者であり、いうまでもなく、昨年2019年ノーベル経済学賞受賞者です。英語の原題は Good Economics for Hard Times であり、Good Economics の方はともかく、Hard Times の方はディケンズを踏まえているのは明らかでしょう。それはともかく、2019年の出版です。私の感覚では、スティグリッツ教授やサックス教授の一連のリベラルな経済書、あるいは、おそらく、直接には2018年10月7日の読書感想文で取り上げたティロル教授の『良き社会のための経済学』、あるいは、2019年7月13日に取り上げたバルファキス教授の『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』などのラインと同じにあるような気がします。ただ、途上国を専門領域とする開発経済学者ですので、ついつい、移民のお話からはじめてしまい、結論が出ないという経済学特有のわかりにくさを露呈してしまっていて、もう少しスパッと割り切れるお話から始めるという戦略を取った方がいいんではなかったか、という気がします。いずれにせよ、ティロル教授やバルファキス教授の本からは、やや落ちるのは確かです。開発経済学にもそれなりに関心ある私の直感からすれば、この著者の両教授は開発経済学に大きな貢献をして、ノーベル機材楽章を受賞したのは当然なんですが、やっぱり、RTCやそれを適用するマイクロな開発経済学の方に注目を集め過ぎたきらいがあるような気も同時にします。経済学の研究では、経済社会や国民生活にとって意味あるテーマよりも、手法で研究テーマを志向するエコノミストは少なくないわけですが、開発経済学ではジャーナルの査読を通るために、ものすごくRTCを採用するエコノミストが多くなった印象を私は持っています。当然ながら、マクロの経済状態はRCTには乗らず、実験的な手法は取れない可能性が高いことから、マイクロな開発経済学で、表現は申し訳ないながらチマチマした開発が主流になってしまいそうで、私はやや心もとない感覚を持っています。ということで、こういったラインの経済書は、年末のベスト経済書に入りそうなんですが、本書はそれほど高いランクではなさそうな気がします。
次に、芦田文夫・井出啓二・大西広・聽濤弘・山本恒人『中国は社会主義か』(かもがわ出版) です。著者は、日本共産党の幹部経験者のほかは、ほぼほぼ経済学者のようで、しかも、過半は我が母校の京都大学経済学部のOBのように見受けられます。本書は、著者たちが見解書を出した上で、シンポジウムで意見を交換し合った上で、その見解書や議事録を基に作成されているようです。私は同じように京都大学経済学部のOBで、経済学を専門としているにしても、まったく専門外で理解ははかどりません。ただ、社会主義化資本主義化はあくまで生産関係により識別することが必要であり、中国のように核保有したり、拡張主義的で、まるで資本主義の帝国主義段階にあるような軍事行動を取るのかは、生産関係の下部構造から、時々の、あるいは、周辺事情により、同じ下部構造でも上部構造は異なることがあるわけで、上部構造まで含めて社会主義か資本主義かを問うのは、少し趣旨が違うような気もします。その上で、社会主義と資本主義を識別する大きな判断基準は、私は資源配分のあり方だと考えています。すなわち、中央司令に基づく計画経済か、それとも、分散型の市場による資源配分か、です。それに付随する上部構造で、所得再配分とか軍備への考え方などは、市場経済の資本主義社会でも社会主義よりも、国民本位の所得再配分とは核廃絶により熱心だったりする可能性があります。一例を考えると、我が日本の所得配分のジニ係数が中国よりも小さくて、格差が小さいのはよく知られている通りです。その上で、専門がいながら私の目から見て、中国では資源配分は中央司令に沿って実施されているわけではなく、おそらく、市場で配分がなされているように見えます。その意味で、中国は少なくとも社会主義ではないような気がします。自信はありません。
次に、エマニュエル・トッド『大分断』(PHP新書) です。著者は、ベストセラーを何冊か生み出している知識人で、人類学者という触れ込みです。ここ2-3年のインタビューを基にした本書では、地域的な分断ではなく、もっとマルクス主義的な階級分断が教育に応じて引き起こされる、と主張しています。ただし、私が読んだ範囲では、それほどの論理的な立論がなされているわけではありません。教育を受けたエリートが経済格差が拡大する中で有利になることはいうまでもありませんが、そのエリートが社会の分断を進めているという主張には、私は同意しません。本書の見方からすれば、それなりの名門大学を卒業して上級職の公務員や大学教授をしている私なんぞは、まさに、エリートに入りそうな気がしますが、決して経済的に格差の上に位置しているわけではないように実感しています。まあ、個人的な見方はさて置き、繰り返しになりますが、本書では、教育の有無がマルクス主義的な生産手段所有の有無と同じように階級分断をもたらすと指摘しています。可能性は否定しないものの、土地や生産手段とは違って、教育の場合は、特に日本では、それなりに万人に門戸が開かれているような気がするだけに、少し違うとも感じます。英国などでは、貴族に男の子が生まれるとイートン港に手紙を書いて入学の「予約」をする、という都市伝説を聞いたことがありますが、日本ではむしろ貧困から脱出する手段としての大学進学を、私なんぞは推奨しています。ただ、日本の出版社に対するインタビューから構成されていて、それだけに、教育による分断はともかく、家族構造に起因して日本では女性の地位が低くなりがちで、それが人口減少に直結する、との指摘は考えさせられるものがあります。日本と同じような家族構造のドイツではせっせと移民を受け入れており、日本も移民受け入れを推奨していて、天皇陛下が移民についてスピーチを行い、東南アジア諸国からの移民を積極的に受け入れる、なんてのは実現性が極端に低いだけに、無責任な発言とも取られかねないリスクがあります。でも、欧州人の著者は日本が世界最大の人口大国にとても近くて、日本が移民を受け入れた途端、かの人口大国から大量の移民が押し寄せかねないリスクを無視しているような気がします。
最後に、吉田敦『アフリカ経済の真実』(ちくま新書) です。著者は、基本的に開発経済学の研究者なんではないかと見ていますが、むしろ、経済に限定されずに、アフリカ地域の専門家なのかもしれません。というのは、タイトルにひかれて読んでみたんですが、それほど経済の話題を取り上げているわけでもなく、アフリカの政治や社会も含めて幅広く解説しています。実は、私も南米チリの日本大使館で経済アタッシェをしていた際に感じたことで、平均的な日本人はチリの経済事情には関心ないのもさることながら、ほとんど情報がなく、現地の一般情報、テレビや新聞で当たり前に報じられている情報を日本に伝えるだけで、それなりの仕事になったりします。チリよりもアフリカはもっとかもしれません。恥ずかしながら、本書で展開されているアフリカ事情は、私なんぞはほとんど知らないことばっかりでした。伝統的に、地域的な距離感からして、日本はアジア、米国は中南米、そして、アフリカは欧州が開発に協力する場面が多そうな気がします。私自身はアフリカに足を踏み入れたことはありませんが、アジアの中のジャカルタではそれなりの経済開発への貢献をしてきたつもりです。ただ、本書を読んでいると、アジアは中国をはじめとしてそれなりの経済開発に成功し、所得の増加を見せていますが、資源大国でありながら経済開発からは取り残されたアフリカに対する強力に、我が国もさらにリソースを投入する必要があるのかもしれません。でも、よく判りません。
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