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2020年10月21日 (水)

ケルトン教授の『財政赤字の神話』を読む!!!

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ステファニー・ケルトン『財政赤字の神話』(早川書房) をご寄贈いただきました。より正確にいうと、大学の同僚教員を通じて暗に要求したら、出版社の方で気を利かせてお送りいただいた次第です。ご寄贈いただいた本はていねいに読んで、貧弱なメディアながら書評をブログで明らかにすることを旨としております。なお、本書の英語の原題は The Deficit Myth であり、後で章別構成を見るように、特に財政赤字に限定したわけではなく、貿易赤字も含めて、その昔の「双子の赤字」といった感じで取り上げています。また、英語のdeficitは「赤字」という訳だけではなく、「欠乏」という意味もありますので、財政赤字を生じてでも、本当に解決すべきdeficitがある、という点を取り上げていて、最終8章がconclusionとなっています。ただし、邦訳タイトル通りに、圧倒的な重点は財政赤字にあります。
というこで、神話として以下の6つを上げています。すなわち、(1)政府の財政収支は家計と同じように考えるべきである、(2)財政赤字は放漫財政による支出過剰の表れである、(3)財政赤字は将来世代への負担となる、(4)財政赤字は民間投資をクラウディング・アウトし長期的な成長を損なう、(5)財政赤字を補填してもらうために海外への依存を高める、(6)政府の社会保障給付が諸悪の根源であって財政赤字を発生させている、という6点です。この6点で最初からの6章が構成されていて、なかなか判りやすくなっています。ただし、5点目の第5章では赤字は赤字でも、財政赤字ではなく貿易赤字のお話ですので、あまりMMTとは関係なく、ほぼほぼ主流派経済学と同じ論点が示されています。
第1章では、家計は通貨の利用者であるのに対して、中央銀行を含む統合政府は通貨の発行者であり、その意味で、通貨主権を有する政府には支払い能力に限界はない、という点はまったくその通りだと私も合意します。ただ、支払い能力に限界がないという点はいくらでも支出していい、というのとは異なります。その点が第2章であり、放漫財政の指標は財政赤字ではなく、インフレであると主張しています。これもまったく、その通りです。第3章では、従って、財政赤字が将来世代への負担となることはない、と結論しています。これも、まったくその通りです。そして、第4章あたりから少しスジが悪くなり始めます。すなわち、第4章では財政赤字が貨幣的に資金を吸収することから利子率を引き上げて民間投資を阻害することはない、と主張しています。これはその限りでは妥当かもしれませんが、ここから貨幣的な現象と実物的な現象を都合よく使い分け始めるような気がします。貨幣的には政府赤字が利子率上昇を通じて民間投資をクラウディング・アウトすることはないのはその通りながら、実物的には政府が一定のリソースを入手するわけですので、民間部門でスラックがあるという前提が必要です。そうでなければ、例えば、完全雇用でなくても政府が購入しようとする物品に供給余力なければ、価格上昇を生じて民間部門から一定のリソースを奪うことにつながる可能性があります。この貨幣的取引と実物取引の混同、というか、おそらく著者は私なんぞよりもよっぽど頭のいいエコノミストでしょうから、意図的に使い分けているのかもしれませんが、第5章でも続きます。バケツの例がバランスシートと同じように出て来て、前のp.146の例では、政府と民間部門との間の取引で、政府が民間部門から100ドルで自動車を買って、90ドルの税を徴収すれば、政府部門に▲10ドルの赤字が、そして、非政府部門に+10ドルの黒字が残る、とされていました。今度は、p.178の例では、民間部門が海外部門から5ドル輸入して、逆に、3ドル輸出すれば、海外部門に+2ドルの黒字が残るが、2ドル分の実物リソースが海外から国内に入ってくる「黒字」である、と説明されています。このあたりは、貨幣的な赤字と黒字の符号を変えたものが実物的な赤字と黒字になるわけですので、どうとでもいえるような気がしてなりません。ただし、最後の第6章の社会保障給付が財政赤字の原因ではない、というのはまったくその通りです。日本ではその昔に、狐や狸しか通らないような農道や林道を作って、それが財政赤字の原因、なんぞと称されたこともありましたが、この論点も神話であるのは当然です。第7章ではdeficitを「欠乏」と見なして、米国経済を切り口に貧困や不平等の問題を解決するために政府が財源を気にせずに支出できる重要性を議論しています。基本的に、著者の視線は米国にあるものの、日本など他の先進国にも当てはまる論点が少なくありません。特に、民主主義がカネの力で動かされかねないという点が各国共通のような気がします。最後の解説に駒澤大学の井上先生が、本書だけではなく一般的な広い意味でのMMTの論点を、事実と仮説と提言に分けて示しています。とても要領がいいと感心しました。全体を通じて指摘しておきたいのは、MMTの財政赤字の考え方については、無制限の政府支出、というか、同じことですが、財政赤字を容認するものという印象がありますが、まったくの間違いです。インフレを指標にしたきめ細かい財政オペレーションを目指すものです。
最後の最後に、2点指摘しておきます。いわゆるマルクス主義経済学を別にすれば、私はおそらく主流派経済学を大学で教えている教員の中でも、かなり最左翼に属しているものと自覚していて、それだけに、第1に、MMTの財政支出に対する基本的な考えは理解できるものの、本書のスコープ外ながら、どこまで現実的な財政政策としてオペレーションが可能かには少し疑問があります。すなわち、金融政策が市場の合理的な行動を前提に金利や貨幣供給などを政策手段として用いて、ユニバーサルな全国一律に近い効果を有するのに対して、財政政策はかなり個別的な効果を発揮します。例えば、九州で高速道路を作っても東北や北海道の人には特に便益を感じない、あるいは、保育所の増設は高齢の引退世代には便益を及ぼさない、ということがあり得ます。ですから、その財政オペレーションは単純ではありません。しかも、インフレをひとつの重要なターゲットにした財政運営が必要なわけですから、同時にマクロ経済も慎重に見極める必要があります。ひょっとしたら、中央銀行以上に財政当局に独立性が必要になるのかもしれません。それを本書では、国会議員が適切に運営できるかのような期待を表明しているかのような部分がありますが、私には疑問です。ただ、他方で、長らく役所に勤務してきた私の経験から、MMT的なきめ細かな財政のオペレーションを実行する能力は、ひょっとしたら、日本の財務省の官僚がもっとも優秀そうな気すらします。実務的に、日本でMMTの財政オペレーションを出来なければ、他の先進国で出来る国はそう多くないように感じるのも事実です。第2に、私は財政の持続可能性に関する紀要論文を取りまとめたりしていますが、財政の持続可能性について、MMT的な政府に無制限の支払い能力があるから、という、ある意味で極めて単純な見方はしていません。おそらく、動学的非効率に陥っているからだと考えています。このブログでは詳しく議論しませんが、理論的には関西学院大学の村田先生の論文が学術的には重要であり、また、昨年の American Economic Review に掲載された Blanchard 論文でシミュレーション結果が示されています。Blanchard 論文については本書でも指摘していますが、否定されています。ここではひとまず、動学的非効率、ないし、動学的効率性の喪失、とは、成長率が国債利子率を上回っている状態である、とだけ指摘しておきます。

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