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2020年10月17日 (土)

今週の読書は経済書がなく経営書だけながらも充実の計5冊!!!

早川書房からステファニー・ケルトン教授の『財政赤字の神話』をご寄贈いただいたようで、本日、自宅に届きました。できるだけ早く読んで、来週早々にでも読書感想文をアップしたいと思います。ということで、今週の読書は、専門分野である経済書がありません。一応、最初に経済書に近い経営コンサルの本を置いておきます。そして、小難しいと評判の悪い読書感想文をもっと判りやすくすべく、新書も3冊読んでいます。

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まず、冨山和彦『コロナショック・サバイバル』(文藝春秋) です。著者は、司法試験に合格していて、ボスコンに勤務していた経験を持つコンサルです。本書に続いて、『コーポレート・トランスフォーメーション』という本も2部作後編として出版していて、ソチラの方が本編のようですが、それだけにまだ予約の順番が回って来ず借りられていません。まず、本書では、コンサルらしく判りやすい表現で、第1波のローカル・クライシスが観光、宿泊、飲食、エンターテインメント、(日配品や食料などの生活必需品以外の)小売に打撃を与え、第2波のグローバル・クライシスでは自動車や電機といった我が国のリーディング・インダストリーもサプライ・チェーンの切断で打撃を受け、さらに、第3波のファイナンシャル・クライシスで金融危機の可能性まで言及した第1章が印象に残ります。でも、私はむしろ第1章から第2章の流れを見るべきと考えます。すなわち、コロナ・ショックの最大の危機は売上の消滅であって、キャッシュ流入の消滅であると分析した上で、資金繰りの流動性問題がソルベンシー問題に転化する危険を指摘します。エコノミストは「通商白書 2020」でも取り上げられた Guerrieri et al. (2020) "Macroeconomic Implications of COVID-19: Can Negative Supply Shocks Cause Demand Shortages?" のように、需要ショックか供給ショックか、なんてことを気にしますが、経営学や企業経営を指南するコンサルでは違うんでしょう。従って、「修羅場の経営の心得」なるものがいくつか指摘されていて、キャッシュ流入の危険があることから、迅速果断なトリアージの必要性、捨てる覚悟の重要性が主張されています。ここまではエコノミストとしては物足りないんですが、そこから敷衍して、経済政策でも捨てずに守るべきは「財産もなく収入もない人々」と「システムとしての経済」であると第2章で指摘します(p.73)。私は圧倒的に同じ考えを持っています。専門分野が経営学なのか、経済学なのか、でかなり受け取り方が違う気もしますが、コロナ・ショックで格差がさらに広がったと私も実感しており、エコノミストとしてはこの格差拡大に対処し、金融的なシステミック・リスクも含めて、経済システムの維持を図る必要性を指摘している点は重要だと受け止めています。続編の方は、まあ未読だけに何ともいえないながら、タイトルだけからすればもっと経営学の方に偏っている印象があり、本書も十分オススメです。

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次に、長谷部恭男『戦争と法』(文藝春秋) です。著者は長らく東大法学部の研究者を務めた憲法学者です。私は法律や政治学については専門外なのですが、戦争を法で縛る有効性が理解できません。本書の内容は極めて明快であり、リベラルな議会制民主主義のもとでの常識と呼ぶにふさわしいものであり、戦争を国家間の「決闘」であり、相手国の憲法秩序を破壊しようと試みるものである、という点は然るべし、と私も感じます。ただ、そうだからこそ、戦争に関してはリベラルな議会制民主主義で縛れないものがあり、結局は、「勝てば官軍」で、勝った方が負けた方を一方的に法的な秩序も何もなしに屈服させて支配するだけ、というような気もします。典型的には、ケインズが「平和の経済的帰結」を書いた第1次世界対戦終了後のフランスと英国のドイツに対する態度がそうだと私は考えています。加えて、戦争中の行為については一般的な法律で、これまた、どこまで縛れるかは疑問です。本書の最後の方にもありますが、平時であれば、鉄砲で人を撃ち殺すことは重大な犯罪ですが、戦争で敵国の兵士を殺すことが命令されたりするわけです。ですから、私は国際法にはまったく詳しくないのですが、広島・長崎への原爆投下も含めて、核兵器の使用についてはその人道的観点から反対するものの、兵士を鉄砲で殺すのと、市街地に爆撃を加えて兵士でない一般市民を殺害するのと、どこまで区別すべきなのかという疑問は残ります。そうでなければ、かつて、イラクのフセインが取ったような一般市民や外国人の人質を「人間の盾」とする防衛が有効になってしまう恐れがあると私は危惧します。加えて、世界中でリベラルな議会制民主主義の国はまだ少数派であり、中には、内戦を戦っている国もあるわけで、本書はあくまで国家間の戦争だけがスコープであるとしても、大規模な武力行使と戦争の実態的な違い、少なくとも、国際法上の違いよりは、より実践的な違いはどこに置かれるのかも疑問です。おそらく、米国や英国などの成熟した議会制民主主義国が、それなりの法的手続きに則って戦争ないし大規模な武力行使を始める大きな要因は、私はそれを始める時の政権が国民の支持を取り付けておく必要を感じるからではないか、と想像しています。国民の支持への必要性が大きくない権威主義国家で得あれば、そこまでの法的な手続きを踏まない可能性が高まるような気がします。従って、私の眼前で繰り広げられている非常に困った事象は、現在の日本の政権が国民からの支持を取り付ける必要をそれほど大きく感じていないからではないか、と想像しています。国民の関心が日本学術会議とはまったく別のところにあって、毎日の生活さえそれなりに保証しておけば、後はやりたい放題、ということなのではないか、という気がしないでもありません。その意味で、日本はまだ成熟した民主主義ではないのかもしれませんし、米国も2016年から退化してしまったのかもしれません。

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次に、原彬久『戦後日本を問いなおす』(ちくま新書) です。著者は、東京国際大学名誉教授であり、専門分野は国際政治学や日本政治外交史、安保改定の政治過程をめぐる先駆的研究で知られているそうです。本書の基本認識は我が国の対米従属ないし対米依存をどう考えるかであり、上の表紙画像に見られる「日米非対称」というのはそうういう意味です。その上で、戦後日本の3つの基層を天皇制、憲法、日米安保条約として論考を進めています。私はこの日本の対米従属や対米依存から脱却して、真の独立ないし自立を回復する点について、なぜ必要かをもっと掘り下げて欲しかった気がします。もちろん、本書では、対米従属せざるを得なかった、その要因を分析しているところもあり、地政学に基づく軍事的な要因よりみ、むしろ、「ビンのふた」的な強すぎる日本の回避、2度と対米戦をを指向しない日本のために、米国の方が日本の対米従属や対米依存を必要とし、日本ないし日本の支配層がそれを受け入れた、という分析結果のように私は受け止めています。もちろん、バックグラウンドには本書で指摘するような国民性=強者へのへつらいなどもあるのかもしれません。逆に、こういった日本の対米従属を押し付ける米国の意向を拒否するのは、日本にとってどういうメリットがあるのかに私は興味を持ちます。まあ、もう一度対米戦を戦って勝ちたい、という願望は荒唐無稽であるとしても、単なる「気持ち悪い」論とか、米国のポチを脱したい、だけではない何かがあるんではないでしょうか。強者へのへつらいを克服すれば気持ちいいのは、そうなのかもしれませんが、具体的な利益が見えずにインセンティブもないような気がします。もちろん、講座派的に2段階革命の第1段階として対米従属を打破して民主主義の徹底を図る、というのは重要な論点ですが、本書ではまったく現れません。私は少なくとも、現行の安保条約はあまりにも米軍に有利になっていて、これは廃棄ないし改定すべきと考えていますし、安保条約への態度が日米非対称解消への第1歩と考えますが、他方で、現実的に、オーストラリアのように日米安保条約のような片務的条約なしでも、ほぼほぼ無条件な対米従属を見せる国もあります。エコノミストとして、対米従属するインセンティブと、対米従属から脱するメリットをもう少し考えてみたい、という気にさせる読書でした。

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次に、山岡淳一郎『感染症利権』(ちくま新書) です。著者は、ノンフィクション作家です。明治・大正期の山岡新平と北里柴三郎、さらに、戦中の731部隊や戦後のハンセン病対策まで含めて、幅広く取材した結果が盛り込まれています。ただ、本書のタイトルである「感染症利権」は戦後の段階に達するまで、決して着目されているようには見えませんでした。加えて、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に関する利権はまったく現れません。その意味で、少しガッカリなんですが、戦後、731部隊の流れで戦犯訴追を免れて、ミドリ十字を設立して利益を得、厚生省にも影響力を拡大して利益を貪ったストーリーなどは読み応えがありました。その意味で、陰謀論は少し出て来るにしても、何だか告発本とかの印象はなく、いたってマジメな取材に基づくマジメな内容です。明治・大正期から大規模な検疫を実施した歴史とか、広く公衆衛生や防疫に関わった医師や役人の活躍も取り上げられています。ただ、そういった歴史に関係なく、というか、過去の成功と失敗には何の関係もなく同じたぐいの過ちが繰り返されている、というのも事実かもしれません。医薬業界が感染症とは関係なく、昔から貪欲に利益追求を繰り返してきたのは明らかですし、それを米国などが「知的財産権」の御旗のもとで守り続け、支払い能力にかける先進国内の非富裕層や途上国で、失われなくていい生命が失われていっているにも目を向ける必要があります。やや専門外の私の能力を超える読書だったかもしれないと反省していますが、たぶん、もっとしっかりした興味を持つ読書家や私よりももっと専門的知識ある読書家には、ちゃんと役立つような気がします。ということで、しっかりした書評を見たい方には出版社のサイトにある池田教授の書評をオススメします。

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最後に、ヤマザキマリ・中野信子『パンデミックの文明論』(文春新書) です。著者はイタリア人の亭主を持ってイタリア在住の漫画家と脳科学者で、対談を収録しています。マンガの方は私は『テルマエ・ロマエ』を部分的に読んだことしかないながら、映画の方は第1作だけ見ました。脳科学についてはまったく専門外ながら、いずれも新書で『サイコパス』と『シャーデンフロイデ』を読んだ記憶があります。典型的なラテン人であるイタリア人と日本人で共通点と相違点を考えた文明論です。というか、イタリアで日本を遥かに超えて新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が大流行してしまったのは、「ハンカチで洟をかむから」というのは、文明論というよりは生活実践論のような気もします。いずれにせよ、両国の国民性がよく理解できます。対談ですから、一種の「掛け合い」なんですが、ヤマザキマリが歴史上から取り上げた事象に中野信子が脳科学の見地から解説する、あるいは、逆に、中野信子が脳科学の見地から取り上げた事実にヤマザキマリが歴史的な観点から解説を加える、といったカンジで進みます。一神教と八百万の神々の対比は、私はそれほど説得的に受け止めませんでしたが、アントニヌスのペストのパンデミックの中でそれまでカルトとしか見なされていなかったキリスト教が広く受け入れられるようになった、という視点は新鮮に感じました。今回のCOVID-19パンデミックでは、さすがに、「天罰」的な発言はそれほど見かけませんでしたし、カルト的な宗教や民間療法的なCOVID-19予防法も出回らず、私の印象では少なくとも日本国民はかなり理性的な対応に終始した気がしています。まあ、その意味で、「民度が高い」というのも高位高官の発言としては気にかかるものの、実感としては決して的外れではないと感じます。これだけ、政府がゆるゆるの対応であり、緊急事態宣言が遅れた言い訳で東京都知事に責任転嫁するほどの見識のなさを露呈していながら、少なくともイタリアほどの大流行にはならなかったのは、「自粛警察」なんて存在を度外視するにしても、流動性の低さに起因する生活習慣を含めた国民の対応の成果であるのは、本書を読んでも明らかです。

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