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2020年12月26日 (土)

今週の読書は経済書や専門書とともに生誕250年のベートーヴェンの新書も含めて計4冊!!!

今週の読書は、今週の読書は経済書や専門書とともに生誕250年のベートーヴェンの新書も含めて計4冊、以下の通りです。

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まず、井上哲也『デジタル円』(日本経済新聞出版) です。著者は、日銀出身で今は野村総研(NRI)に転じています。本書では、タイトル通りに、スェーデンのデジタル・クローナなどの先進例を引きつつ、日銀が中央銀行としてデジタルマネー、暗号通貨を発行することについて論じています。「中央銀行デジタル通貨」というのは、英語の頭文字を取ってCBDCなる用語も使われているほど、かなり一般的になっています。ただし、本書でも指摘されているように、あるいは、私も授業で学生諸君にいったことがありますが、M0=ハイパワードマネー、すなわち、キャッシュと日銀当座預金については、日銀の負債である一方で、M1から先の預金通貨については、同じようにマネーや通貨と呼ばれ、円単位でカウントされるものながら、実は、発行した民間銀行の負債であって、中央銀行の負債ではありません。ですから、ペイオフの際に1000万円まで預金保険機構で保証されるとしても、銀行が倒産すれば、というか、支払不能に陥れば、銀行預金は価値を失います。もちろん、現金は中央銀行の負債ですから強制通用力があります。現時点で、紙幣やコインは誰でもが受け入れることが出来ますし、逆に、強制通用力が付与されている法貨でもあります。逆に、預金通貨や、あるいは、クレジットカード、電子マネー、いわんや、QRコード決済などは受け入れてくれない経済主体があるのは、広く知られた通りです。しかし、暗号通貨としてのデジタル円が強制通用力を持たせられると、受け入れざるを得ません。お店によって、あるいは、個人によって、受け入れない場合がある、というか、受け入れ体制が整っていない場合にどうするのか、という問題は残ります。従って、本書では二段階導入を提唱していて、まず大口決済で用いた上で、小口も含めた一般的な流通を図るという方向性を打ち出しています。その上で、金融政策を始めとする経済政策へのインプリケーションを最後に提示しています。通常考えられる通りに、マイナス金利の深堀り、あるいは同じことながら、ゲゼル的なスタンプ貨幣の実用化も視野に入ります。金融政策は、通常、合理的な民間銀行の行動を通じて、かなり長いタイムラグを伴いつつ波及し、しかも、財政政策と違って全国一律のユニバーサルなインパクトを持つ、という性質がありましたが、後者のユニバーサルな効果を保ちつつ、さらに、前者のタイムラグの短期化や各種政策の有効性を高める、ということが可能であると私も考えます。加えて、より経済活動の透明性を向上させ、脱税やマネーロンダリングなどの防止にも有効です。ロゴフ教授などはまず高額紙幣の廃止を提唱していますが、その先には、こういったデジタル通貨の導入があるのかもしれません。なおついでながら、私は、経済書を読む際には参考文献が示されている場合には、興味あれば、pdfなどでダウンロードするんですが、本書はかなりダウンロード件数も多くて、勉強になった気がします。

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次に、小熊英二・樋口直人[編]『日本は「右傾化」したのか』(慶應義塾大学出版会) です。編者は慶應義塾大学と早稲田大学の研究者であり、編者も含めた著者は、社会学や政治学などの研究者が多くを占めています。出版社からも完全な学術書といえます。本書は3部構成となっており、第Ⅰ部は国民一般の意識、第Ⅱ部はメディアの論調、第Ⅲ部は政治、をそれぞれ取り上げています。私は長らく公務員をしていて、国会議事堂や総理大臣官邸にもほど近いオフィスに勤務する日々が長かったものですから、ついつい政治レベルで考えてしまいがちですが、明らかに、日本は右傾化しており、さらに、2000年代に入ってからの小泉政権から右傾化が始まったと考えています。本書では政治レベルでは、小泉政権から右傾化が始まったとしつつも、2008年の政権交代を期に、ライバルの当時の民主党が左派なのであれば、政権党を目指す自民党や公明党が対抗する意味で右傾化が強まった、というのはかなりの程度に理解することが出来ます。加えて、地方政治レベルでも大阪維新の会などという右派政党が、何度も否定される「大阪都構想」を持って地方政治に参入し、すでに除名されたとはいえ、北方領土を戦争で取り戻すことを主張する議員もいたわけですから、中央・地方とおしなべて政治レベルでは右傾化が進んだ、と考えるべきです。その上で、いわゆる「上からの右傾化」であって、政治レベルの右傾化が市民レベルまで浸透しているかというのは、少し違う結論を本書でも提示していて、国民連ベルでの右傾化は進んでいない、と結論しています。私はこの結論にやや疑問で、確かに、安保法制や検察法案などで大衆運動が盛り上がって、それに連動する形で世論調査などの結果も左傾化したように見えるかもしれませんが、いわゆるサイレント・マジョリティは右傾化しているのではないか、という危惧を持っています。現在の日本で極めて大雑把に誤解を恐れずに定型化すれば、団塊の世代がヒマになって時間を持て余してその昔の全共闘型の学生運動よろしく世論をリードして、逆サイドでは、常識的な反レイシズムy反ヘイトの意識が高まったのは事実としても、ネトウヨなんぞに集う若者はかなり右傾化している可能性が高い、しかも、それは世論調査などの数字に現れていない可能性が十分ある、と私は考えています。他方、政治レベルに戻ると、本書でも参照されているようなダウンズ型の、あるいは、中位投票者定理の成り立つような政党の中道化が日本では見られていない可能性があり、さらにいえば、日本だけでなく米国のトランプ大統領の当選時の選挙とか、BREXIT投票や大陸欧州における右派ポピュリスト政党の伸長などを見るにつけ、分極化がますます進んで、一方からは左傾化、他方からは右傾化、という政治的な動きが何らかのサイクル的に循環する可能性もあるような気がします。もしそうであれば、もう少し長い目で見る必要もあるかもしれません。

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次に、磯田道史『感染症の日本史』(文春新書) です。著者は、国際日本文化研究センターの歴史学の研究者であり、映画化もされた『武士の家計簿』で有名になった気がします。ついでながら、私も読みました。ということで、歴史学者、というか、経済史の研究者として著者に強い影響を与えた慶応大学の速水教授による『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』を引きつつ、また、歴史人口学の観点からの分析を加えて、タイトル通りに感染症の日本史を解き明かそうと試みています。もちろん、感染症とは新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が念頭に置かれていることはいうまでもありません。ほかにも、欧米先進各国と比べて我が国のCOVID-19感染状況がそれほどでもなく、死亡率も低いなどの点に関して、歴史をひも解くふりをして、みそぎ、きよめ、とか、穢れを嫌う歴史を提示する怪しげな歴史書や歴史的観点を提供する見方もありますが、本書は違います。キチンと過去の我が国における感染症に対する対応を歴史的に考察しようと試みています。ただ、その中で、私が疑問に感じたのは、加持祈祷などの宗教的な医療から、隔離を主張する医師が出たのを19世紀初頭と同定しているのは、やや疑問が残ります。というのも、英語の検疫 quarentine の語源はラテン語の40であり、おそらく、私の直感ながら古典古代の遅くともローマ時代には検疫が隔離の方法で、たぶん40日間くらい、実施されていた可能性が高いと考えられるので、中国や日本でももっと早くから検疫や隔離が始まっていたのではないか、と私は考えています。それはともかく、本書の読ませどころは第5章であり、歴史から見た感染症対策は素早くて確実な交通遮断にある、経済やオリンピック・パラリンピックを気にして中途半端な対策ではいけない、と結論しています。まったく、私もその通りと考えます。本書で明記されているわけではありませんが、東京オリンピックは中止すべきと私は強く訴えたいと思います。それはともかく、第6章では京都の街中の女学生の日記をひも解いて、1918年から1920年にわたって万円した当時のインフルエンザの感染拡大、また、中央・地方政府の対策や一般市民の対応など、極めて興味深い100年前の日本における感染症パンデミックの実態が明らかにされています。ほかに、皇室や総理大臣もそのインフルエンザに罹患した事実など、「穢れを嫌う清潔な日本」論を否定する材料もいっぱい収録されています。日本のCOVID-19感染の低さに関するXファクターを求めるには適しませんが、歴史的な観点から現時点のCOVID-19感染症について考えるのには、とても科学的にも史学的にも正しい見方が提供されていると私は感じました。

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最後に、中野雄『ベートーヴェン』(文春新書) です。著者は、音楽プロデューサーという肩書で紹介されています。本書で取り上げるのが楽聖ベートーヴェンです。本書の帯にあるように、今年2020年はベートーヴェン生誕250周年であるとともに、私の愛聴するジャズの世界では、チャーリー・パーカーの生誕100周年だったりもします。どうでもいいことながら、山中千尋の最新アルバム「Rosa」では、なぜか、ジャズの世界ではコルトレーンの演奏で有名な My Favorite Things から始めて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番 第3楽章や交響曲第5番が収録されており、もちろん、ジャズ・ミュージックからはパーカーの Donna Lee や Yardbird Suite も入っています。ただ、私はまだアルバムとしては聞いていません。交響曲第5番をはじめ、いくつかの曲を拾い聞きしただけです。どうでもいいことを続けると、山中千尋は以前のアルバム「モルト・カンタービレ」に「エリーゼのために」を入れていたと記憶していますし、上原ひろみも何かのアルバムにピアノ・ソナタ第8番 Pathetique を入れていたと思います。ということで、前置きが長くなったのは、私の場合、ベートーヴェンよりもジャズの方に圧倒的に親しみがあるからですので悪しからず。まず、上の表紙画像にあるベートーヴェンの肖像画はかなり美化されているのではないか、という疑問は本書でも記されています。しかし、私からすれば、ベートーヴェンの革新的な役割は判らないでもないんですが、ロマン主義としての位置づけがもう少し欲しいところだった気がします。ベートーヴェンに続くワグナー、ブルックナー、そして、マーラーのロマン主義の特徴を、私が不案内なだけに、もう少し詳しく解説して欲しいところでした。でも、ベートーヴェンの生きた時代というのがピアノという楽器の進歩の最中であり、楽器としてのピアノの進歩に従ってベートーヴェンの音楽も進化していった、というのは私は知りませんでした。とても勉強になりました。当時のピアノはかなり音階が狭かったのも初めて知りました。いまは88鍵でフルスケールと呼ばれていて、私がチリに持っていったのも88鍵でした。でも、当時のピアノは5オクターブ半くらいの音階ですから、私なんぞにすれば十分という気もしますが、革命的な作曲家には音階が増えていくのは嬉しかったに違いありません。ピアノはドイツ語で Klavier だったと思うのですが、ドイツ語でvは清音で、英語のfに当たるハズなのに、濁ってドイツ語の中ではwと同じ発音になるのは不思議な気がして、知り合いに聞いたところ、外国語だから、という回答でした。私はピアノはドイツやオーストリアが本場ではないのか、と思っていました。でも、確かに、Steinway もそのままドイツ語読みしているわけではない、ということに気付かされました。いろいろと、ベートーヴェン以外の話題で大部分を終えてしまいました。

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