今週の読書は経済書に歴史書にミステリに新書といっぱい盛りだくさん!!!
今週の読書は、経済書に歴史書にミステリに新書といっぱい盛りだくさんです。でも、そろそろ、多読を終えようかと考えています。
まず、レベッカ・ヘンダーソン『資本主義の再構築』(日本経済新聞出版) です。著者は、英国出身で現在は米国ハーバード・ビジネス・スクールの研究者です。本書の英語の原題は Reimaging Capitalism であり、2020年の出版です。現在の世界を見渡して、我が国をはじめとして、いわゆる先進国はほぼほぼ例外なく政治的には民主主義、経済的には資本主義のシステムを基本としています。政治的には、言論や集会結社の自由がなかったり、野党指導者が帰国すると空港で逮捕されたりといった形で、民主主義ならざる権威的な体制を取っている国は、先進国以外では見かけなくもないですが、他方で、おそらく、経済的に市場における資源配分を基本とするという意味で資本主義以外の、例えば、中央司令経済のような社会主義とかのシステムを取っている国は、先進国はもちろん、途上国や新興国も含めて、私は寡聞にして知りません。まあ、世界のどこかにはあるのかも知れませんが、私は知りません。ということで、本書では、その世界にほぼほぼ普遍的な経済システムとして普及している資本主義について再考を促しています。その理由として本書冒頭で3点上げられており、環境破壊、経済格差、社会の仕組みの崩壊、です。ただし、経済学的に成長を意図的に抑制することにより、これらの課題を達成しようとするのではなく、経営学的に企業行動を変化させることを眼目としています。企業行動の変容を求める論調は決してめずらしくありませんが、かなり包括的で取りまとめているという意味では私には目新しい、というか、初めての読書でした。ESG投資という言葉があり、本書でも取り上げられていますが、決して、伝統的な経済学の見方である企業が利潤を最大化するという経済主体であることを外すことなく、利潤の最大化≠株主価値の最大化である、との観点からの議論を進めています。ついでながら、企業活動の目的を「株主価値の最大化」であるという考えを広めたのは、フリードマン教授であると本書では指摘されています。そして、資本主義の欠点としても3点上げており、外部生の価格づけの失敗、機会の自由を活かすスキルの欠如、企業によるルールの書き換え、を指摘しています。ただ、その昔のバブル経済期に日本企業の強みとしてあげられていた長期的な視点というのは、それほどの力点は置かれていません。リプトンのサステイナブルな紅茶の成功、ナイキのスウェットショップへの批判、あるいは、繰り返しになりますが、投資家のESG投資の重視による金融経済の変容、などなど、本書で展開されている資本主義をよりよくするための萌芽はアチコチに見られます。本書がとても優れているのは、これらについて、共有価値の創造、共通の価値観に根差した目的(purppose)・存在意義主導によるマネジメント、会計・金融・投資の仕組みの変革、個々の企業の枠を越えた業界横断的な自主規制、中央及び地方政府と企業の協力、などなどが必要であることを説き、しかも、必要性を強調するだけではなく、こうした企業行動が結局は企業収益にプラスになるという意味で十分な経済合理性があることを明らかにしている点です。ただ、物足りないのは、現在の資本主義で何が悪いのか、という現状分析が不足している点です。加えて、些末な点で著者が悪いわけではありませんが、p.272のシティズンズ・ユナイテッド判決の訳注は、明らかに問題があります。最後に、本書に触発された私の希望なのですが、1930年代の世界恐慌の中で、当時としては極めて新しいケインズ経済学が現れたのと同じように、現在の21世紀の閉塞感の中で、誰かケインズと同じような才能と意欲にあふれるエコノミストが新しい経済学を提案してくさないものかと期待しています。現在の経済はいわゆる「長期不況」secular stagnation にあり、そういったブレイクスルーが必要な段階に達しているような気がしてなりません。
次に、浅川雅嗣『通貨・租税外交』(日本経済新聞出版) です。本書は、財務省キャリア官僚として次官級の財務官まで上り詰め、昨年からアジア開発銀行(ADB)の総裁に就任した著者に対して、日経新聞の記者がインタビューをした口述記録という形で取りまとめられています。とても異例な回顧録です。文章を書くのは官僚のお仕事の重要な部分を占めますので、著者の方で文章が苦手であるということは考えられませんので、新たな試みか、何らかの意図があるのであろうと想像しています。財務官の在任は本書にあるように4年に及びましたが、キャリアの官僚としては極めて異例の長さといえます。比較するのに適当な例ではないものの、私の場合、海外勤務では3年間が通常としても、国内勤務では内閣官房の官邸スタッフで3年、統計局勤務で2年半あまり、というのが長い方です。ただ、著者の場合、前任の山崎財務官(当時)がアジアインフラ投資銀行(AIIB)への英国をはじめとする欧州諸国の参加を見誤った懲罰人事で、急遽財務官に上がったとの誠にまことしやかな説がありますから、もしもそうだとすれば、前任者の任期も含まれてしまったのかもしれません。ということで、タイトル通りに通貨=為替と租税の大きな2部構成で、全8章構成のうち前半5章が通貨に当てられ、後半3章が租税に当てられています。ただし、通貨=為替については、日々刻々のニュースで取り扱われて、最新情報が明らかにされる一方で、水面下の交渉の経緯などはまったく明らかにされませんから、それなりに私は興味を持って読み進んだのですが、さすがに、「口が堅い」というか、いくつか、交渉のカウンターパートの固有名詞が明らかにされたり、SDRに中国の人民元を組み込む比率について、中国がやたらと高い比率を持ち出した、といったことくらいで、特に、為替市場介入については、聞き手の方で各章の最後に置かれている部分で、官邸とのやり取りが憶測で語られているだけで、目新しさはありませんでした。逆に、租税についてはアジアから初めてのOECD租税委員会議長に就任したということをはじめとして、リポートがいっぱい出版されていますし、制度論なんかも複雑で説明の甲斐があるのか、かなり内容が豊富です。特に、デジタル課税にも対応したOECDのBEPS(Base Erosion and Profit Shifting)については、私のこのブログでも昨年2020年10月15日付けの記事で、OECDとG20の共同提案を取り上げていますが、とても詳しく紹介されています。税の世界は制度をはじめとしてホントに専門家でないと理解が及ばない場合が少なくないわけで、なかなかに興味深い内容でした。ただ1点だけ、私の知りうる範囲で補足すると、GAFAのホームグラウンドである米国がデジタル課税にやや不熱心、という趣旨の記述がありますが、他方で、米国の国外軽課税無形資産所得合算課税(GILTI)制度については何ら言及がなく、やや片手落ちな気もしなくもありません。最後に、通貨=為替については、エコノミスト的な解説はいくらでも出てくるような気がしますが、著者はそのエコノミスト的な見方はほとんど示していません。例えば、最近の日本ではかつてと違って円高に振れにくい状況になっているといわれていますが、その要因については、p.82で一般的によく上げられるいくつかのポイントに言及しているだけで、こういった点にはやや物足りないと感じる読者もいるかも知れません。でも、本書はそういうエコノミスト的な見方を展開する目的は持っていない、と考えるべきです。ですから、悪くいえば、新聞記者の提灯記事を拡大したものとの見方もあり得ようかという気はします。
次に、森安孝夫『シルクロード世界史』(講談社選書メチエ) です。著者は、長らく大阪大学に在籍した歴史の研究者です。本書では、ご専門のシルクロードの中でも中央アジアに関する歴史をひも解いています。そして、本書のタイトルは、著者によれば、前近代のユーラシア大陸を中心に見た世界史、ということになります。その上で、歴史学としては近代的な西欧中心史学を否定し、アジア・ユーラシアこそが世界の中心であって、4大文明や古典古代のギリシア・ローマすら中央アジアからすれば周辺、ということになるようです。そして、この「周辺」という概念は、もちろん、ウォーラーステイン流の近代世界システム論から取られています。私は歴史については、基本的に、マルクス主義的な歴史観=唯物史観に立脚して、エコノミスト的に生産力中心主義であり、原始共産制、奴隷制、農奴制(中世)、資本制(近代)、といった発展段階を取るものと考えています。もっとも、その先が社会主義・共産主義に進むかどうかは、少なくとも現時点では実証されていません。これに対して、著者はp.42で展開するような8段解説、すなわち、(1)農業革命、(2)4大文明の登場、(3)鉄器革命、(4)騎馬遊牧民集団の登場、(5)中央ユーラシア型国家優勢時代、(6)火薬革命と海路によるグローバル化、(7)産業革命と鉄道・蒸気船(外燃機関)の登場、(8)自動車・航空機(内燃機関)と電信の登場、を取っています。地域的には、まさに、中央アジアというのは(4)や(5)の時代における中心的な役割を果たすわけです。また、この地域で中心になるのは、民族としてはウイグルとソグド、宗教としてはマニ教になります。本書でも指摘されている通り、いわゆる史料として現在に伝わる文書は、権力者あるいは政府や統治者の残した行政記録、宗教の記録、そして、公益というか商業の記録が主です。そして、著者の指摘に従えば、中央アジアは乾燥しているがゆえに紙や木簡・竹簡といった文書の記録媒体の保存状態がいいということらしいです。そうかも知れません。民族のウイグルとソグドについては、中国の元朝で「式目人」として重用されたわけですし、マニ教は今ではすっかり消滅した宗教ですが、ローマ初期にはキリスト教の最大のライバル的な勢力があり、カレンダーの日曜日を赤くするのはマニ教の影響ではないか、と指摘されたりしてます。お恥ずかしいことに、私の知らないことばっかりでした。最終章では、シルクロードと日本、と題して我が国をシルクロードの終着点と位置づけ、前近代の日本文化では、中国から伝わった稲作と発酵食品と漢字を別にすれば、青銅器・鉄器も、車輪も馬も、仏教はいうまでもなく粉食文化も、すべてシルクロードによって中国に伝わり、それが中国から直接あるいは朝鮮半島を通じて日本にもたらされた、と指摘しています。私自身がそれなりに歴史の興味あるとはいえ、分野も地域も不勉強で、知らないことがいっぱい詰まったいい読書だった気がします。
次に、ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』(文藝春秋) です。作者は、どんでん返しのミステリで有名な米国人のベストセラー作家です。本書の英語の原題は The Nevew Game であり、2019年の出版です。この作者の作品では、ニューヨークを拠点とするリンカーン・ライムを主人公とする物的な微細証拠を集めまくるのと、カリフォルニア州警察に所属してキネクシスというボディランゲージ分析を駆使する人間嘘発見器のキャサリン・ダンスを主人公とするシリーズを中心に私は読んでいて、特に、この作者を代表する前者のリンカーン・ライムのシリーズはすべて読んでいると思います。ということで、この作品はそのどちらでもなく、懸賞金ハンターを職業とするコルター・ショウを主人公としています。新しいシリーズです。というのも、通奏低音となっているのが、この主人公の家族、特に、15年前に亡くなった父親であって、警察では自殺とされたんですが、おそらく、何らかの陰謀が進んでいた結果の謀殺ないし殺人ではないか、と強く示唆されていて、主人公のところにその証拠を隠滅するためにゴロツキが送り込まれてきたりするわけです。ですから、本来のゲームに見立てた事件の解決も、それなりに面白くはあるんですが、この父親の事件の解決というのが、ひょっとしたら、永遠に終わらないテーマなのかもしれません。「エール」でやっていた「君の名は」で主人公の男女が永遠に出会えないのと同じです。それはさておき、私はやっぱりリンカーン・ライムが魅力的に見えます。ダンスの尋問も魅力的なんですが、どうしようもない個人的な能力で事件を解決するのに対して、ライムの方はさまざまなハードウェアを駆使しつつ地道に事件解決を図るからです。その上、私自身の人生経験と照らし合わせて、年齢とともに酒が飲みたくなるなんてのは、実に理解がはかどります。それから、作者のディーヴァーといえばどんでん返しのツイストな謎解きなんですが、段々と加害者、というか、犯人の方からのミスリードではなく、作者自身が勝手にミスリードされているようなストーリーが増えた気がします。その意味で、私はこの作者の作品の中では、『ウォッチ・メーカー』が最高傑作だった気がします。その後は必ずしも作品として質が上がったかどうかは疑問です。加えて、犯罪としてとても手が込んでいるのは認めますが、現実味が薄れていってきている気がしないでもありません。作家としては手の込んだプロットを考えて努力しているのには違いないのですが、現実からますます離れていって、地に足のつかないストーリーになっています。日本では綾辻行人の館シリーズのうちの『時計館』がもっとも壮大なトリックだったのですが、現実にはあり得ません。私が年取ったのだろうという気もしますが、もう少しライトなミステリに興味が移りつつあるのを実感しています。
次に、菅義偉『政治家の覚悟』(文春文庫) です。著者は、流石に紹介するまでもなく、我が国の総理大臣です。私は単行本ではなく、上の表紙画像にあるように、文春新書で読みましたので、時事通信のニュースなどで指摘されているように、例の民主党政権時の東日本大震災対応に関係した公文書の重要性を指摘する記述は削除されています。その代わり、といっては何ですが、前の安倍内閣の時の官房長官として受けたインタビューがいくつか収録されています。どうでもいいことながら、私は京都府立図書館の公立図書館横断検索で前の2012年出版の単行本バージョンの『政治家の覚悟』を検索してみましたが、文春新書は13館が所蔵している一方で、旧版は何と所蔵はゼロでした。ついでに、使い慣れた東京都の公立図書館横断検索も試みましたが、ヒットしたのは都立図書館の1冊だけで、区立や市立の図書館からは一掃されているようです。ご参考まで。ということで、副題は「官僚を動かせ」となっています。私は政治家の経験はありませんが、公務員であれば定年まで長らく勤めていました。本書では、当然のことながら政治家の視点ですから、完了は新規の提案に否定的で、それを政治家として実現した、しかも、スピード感を持って実現した、というお話がオンパレードになっています。ですから、なかなか興味を引き立てるものがありません。おそらく、インタビューの内容を文章化したのではないか、と想像しますが、少なくとも、口述筆記そのままの印象が強く、それを基にそれなりのゴーストライターがまとめれば、もう少し読者の興味を引き立てる内容に取りまとめてくれるのではないか、という気すらします。おして、私の興味を引き立てない一因は、他の読者は違う観点を持つ可能性は否定しないものの、官僚を動かすやり方がほぼほぼムチを使っていることです。通常、「アメとムチ」と対にして使われますが、ほぼほほことごとくムチで官僚を動かそうとしているような例ばかりが取り上げられています。典型は、第6章 「伝家の宝刀」人事権の章であり、冒頭に総務大臣のころにNHK担当課長をう更迭したことを自慢話として書いています。というか、全編自慢話ばかりのつもりなんでしょうが、読む人が読めば背筋の寒くなるような強権的な行政運営であると受け止める向きもいっぱいある可能性を私は否定できません。その、「伝家の宝刀」を抜きまくって内閣総理大臣として人事権を官僚だけでなく閣僚にまで及ぼしているのですから、S.キングのホラー小説よりも怖い話です。公務員をバッシングしておけば国民の支持を得られるというのは、その昔の民主党政権の末路に示されているように私は考えるのですが、公文書の保管が十分でないので忘れ去られているのかもしれません。
最後に、高嶋哲夫『「首都感染」後の日本』(宝島社新書) です。著者は、フィクションのパニック小説を数多く出版している小説家であり、本書のタイトルから用意に想像される以前の作品の『首都感染』は2010年に出版されています。当時の感染症の主たる注目だったH5N1などの鳥インフルエンザを取り上げています。コロナ前には3万部あまり売れた一方で、コロナ後は14万部あまり売れたと本書で紹介されています。私のこのブログでも2011年5月29日付けの読書感想文で取り上げています。ついでながら、本書でも触れられている『首都崩壊』も私は読んでいます。首都圏直下型地震に備えて、首都移転を模索する人々の心理や活動を描写しています。2014年3月21日付けの読書感想文です。ということで、タイトルに入っている『首都感染』を現在の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックと関連させつつ、実は、著者の主張の主眼は『首都崩壊』にあるんではないか、と感じさせたりもする内容です。というのも、ノッケからコロナ禍よりも、次なる災害、すなわち、首都圏直下型地震と南海トラフ地震であると高らかに宣言されており、少なくとも、昨年2020年4~5月の緊急事態宣言によるロックダウンは過剰であったといった趣旨で書き始められています。著者の主張も、私からすれば、もっともな部分もあります。それは、あまりに東京中心の視点でCOVID-19パンデミックが取り沙汰されている点です。まあ、判らないでもないですし、私も長らく役所に努めて東京に住んでいましたから、その時点では東京に特化した視点は特に違和感なかったんですが、京都に移り住んだ今となっては、日本人の残りの大部分は東京中心の視点を疑問に思っているかもしれません。例えば、日々のテレビニュースでは、東京については時系列のグラフで感染者数がプロットされているのに対して、そういった扱いを得ているのはほかには大阪府くらいのもので、京都府については日本地図で本日の感染者数のみが数字で示されるに過ぎません。その点から、著者が首都移転、あるいは、首都機能分散を危機管理の一環として主張するのも、パニック作品を多く手がけてきた作家らしいと感じてしまったりします。ただ、私自身はパーマネントな首都移転は問題の解決にならないような気もします。というのは、移転先は地震のリスク低い場所を選ぶとしても、東京の密さ加減が新首都に移ってしまえば、結局、感染症のリスクはそれほど変化ないことになるからです。その点で、私は東京が機能不全に陥った場合の首都機能の受け皿を形成することこそが必要そうな気がしています。更地に新首都を建設するのではなく、おそらく、実際的には大阪と名古屋くらいしか候補がなさそうですが、東京の機能をスムーズに受け継ぐことができる都市機能の整備が必要ではないでしょうか。ただし、本書の主張とは違って、それは大阪都構想ではなさそうに私は受け止めています。
| 固定リンク
コメント