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2021年2月20日 (土)

なかなかペースダウンできずに今週の読書も経済・経営書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、モビリティ経済に関する経済・経営書2冊に加えて、マルクス主義の新しい見方を示した話題の新書、さらに、例の女性蔑視発言に触発されて女性差別に関する新書まで、いろいろと読んで以下の計4冊です。残念ながら、今週は小説はありませんが、来週は何冊か読む予定です。

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まず、深尾三四郎 & クリス・バリンジャー『モビリティ・エコノミクス』(日本経済新聞出版) です。著者2人はよくわからないのですが、モビリティ・オープン・ブロックチェーン・イニシアティブ(MOBI)の理事と共同創設者らしいです。本書のタイトルというよりも、むしろ、副題である「ブロックチェーンが拓く新たな経済圏」の方が中身をよく表している気がします。すなわち、自動車会社、というか、モビリティ産業の視点が十分ある一方で、ブロック・チェーンやより広い意味での分散台帳技術(DLT)が、さまざまな製造や流通上のブレイクスルーを準備している現状を紹介しようと試みています。冒頭では、取引コストの上昇とEVの価格低下から、自動車産業が規模の不経済に陥っていて、本書が示す解決方法は、現在の車両生産の自動車産業からデータを資源とするモビリティ産業への移行ということになります。すなわち、車両走行時に収集したデータを収益源とすることです。ですから、例えば、最後の方の両著者の対談では、EVのテスラにどうして世界が注目するかといえば、製品価値や技術ではなく、テスラがデータ企業とみなされているからである、と解説しています。要するに、トヨタなんかもこの方向を目指すべきである、ということになります。そして、その基礎となる技術がブロック・チェーンという位置づけです。ただし、本書のタイトルになっているモビリティ産業だけではなく、より幅広い産業で応用可能な技術である点も強調されています。モビリティ産業としては、電気自動車(EV)が走る蓄電池として社会的なインフラを構成する可能性を指摘し、そのためにはブロック・チェーンによる詳細な管理が必要、という指摘がなされています。ですから、インフラという観点から、単に技術面だけでなく、コミュニティについても本書では論じています。すなわち、ノーベル経済学賞を受賞したオストロム女史の研究成果、人間中心のコモンズ管理を引いて、いわゆるハーディン的な「コモンズの悲劇」を避けるサステイナブルな互酬の精神にも触れています。ただし、1点だけ、大学に再就職する前に役所でシェアリング・エコノミーを研究して、それなりの研究成果も得ている私としては、ブロック・チェーンによりシェアリング・エコノミーとコモンズの接点が得られるとは到底思えません。シェアリング・エコノミー、特に日本語の民泊でスペースを貸そうとしているのは、純粋な利潤追求の観点しかないと私は見ています。ただ、そういったコモンズの管理からアジア的なスマート・シティへ視点を広げるのは十分理解できる部分と考えます。繰り返しになりますが、自動車産業やモビリティ産業だけでなく、ブロック・チェーン技術を用いた幅広い産業の進化に関するなかなか興味深い読書でした。他方で、ブロック・チェーンで処理されるビッグデータについても、もう少し解説が欲しかった気もします。モビリティ産業の生み出すデータはどのように活用され、利益を生み出すのでしょうか?

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次に、デロイト・トーマツ・コンサルティング『続・モビリティー革命2030』(日経BP) です。著者のデロイト・トーマツ・コンサルティングはいわずと知れた会計事務所を基とするコンサルティング会社であり、10人を超える日本人スタッフが執筆に当たっているようです。なお、「続」のない方の『モビリティー革命2030』も同じ出版社から出ていて、私のこのブログでは2016年12月24日付けの読書感想文で取り上げています。ということで、『モビリティ・エコノミクス』よりも、より自動車産業に密着したコンサル本です。いずれにせよ、コストアップの割には製品価格の上昇が抑えられ、さらに、環境対応をはじめとしてコロナ禍もあって、自動車産業の先行きが不透明化する中で、産業としての生き残りについてコンサル的に考えを巡らせています。まず、環境をはじめとするESG投資が当然のように見なされるようになり、CO2のゼロエミッションなどの技術的なブレイクスルーが必要とされる中で、特に、私のようなシロートでも、我が国の自動車産業では川下のディーラーや川上の部品サプライヤーも含めたひざ詰めによる開発のすり合わせが、コロナ禍でどのように変化するのか、という疑問があります。加えて、MaaSによるサービス産業化がいわれて久しく、UBERはタクシーに近いサービスですので少し違うとしても、自動車のシェアリングが進む中で、モノとしての自動車の未来がとても不透明になっています。さらにさらにで、我が国でもJALやANAなどの航空産業はコロナ禍で需要が大きく減退し、輸送サービスとしても、輸送手段の自動車の販売も、新たなニューノーマルに着地するまで、どのような方向に進むのかは私ごときにはまったく判りません。ただ、本書ではラチ外のような気もしますが、自動車産業は我が国産業の中でも極めて重要なポジションを占めており、その先行きについては注目せざるを得ません。例えば、我が国産業構造は自動車産業のモノカルチャーとまではいいませんが、MaaSによって自動車交通があまりに効率的に再構成されて、その結果として、自家用車が公共交通機関に近くなれば、ひょっとしたら、自動車販売台数に影響を及ぼす可能性もあります。ただ、それにしては、産業としての重要性を無視しているとはいえ、本書の方向性はやや物足りないものがあり、海外展開とか、系列再編とか、あまりにもありきたりです。前の「続」のない方の『モビリティー革命2030』でも同じ評価を下しましたが、「迫力不足で物足りない」読書でした。

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次に、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書) です。著者は、大阪市立大学の研究者です。限られた範囲かもしれませんが、それなりに話題の書だと思います。我が家で購読している朝穂新聞に大きな広告が出ているのを見たことがあります。少なくとも出だしはとてもよかったです。外部化とか、外部経済を思わせるような用語を多用し、要するに、私が従来から主張しているように、資本主義が立脚している市場価格による資源配分が、実は、かなりの程度に外部性などによって歪んだ価格により資源配分がなされているような雰囲気を醸し出していました。第2章の気候ケインズ主義もまあ、許容範囲といえますし、第3章の資本主義を否定しないという意味で、改良主義的脱成長を批判するのもいいでしょう。しかし、第4章で未出版マルクス文書の発掘から、「晩期マルクス」に着目するあたりから話がスライスします。その後は、コモンの考え方なんかはいいとしても、史的唯物論の生産力増大の否定と脱成長なんかは、今までのマルクス主義観から大きく外れている点は著者本人も自覚しているようで、私からすればかなりOBに近いゾーンに落ちたような気がします。私は、繰り返しになりますが、資本主義社会とは市場による資源配分であり、それは価格をシグナルとしています。そして、モデルにおける価格はかなり非現実的な仮定から、現実にはあり得ないような前提が満たされる場合に、価格は効率的な資源配分を可能にします。しかし、現実には独占や外部経済により価格は大きく歪められており、ホントに社会的に正しい価格が市場で実現することはほとんどありません。エッセンシャル・ワーカーの賃金とブルシット・ジョブへの報酬が典型的です。その点は、著者が哲学の研究者であることを割り引いても、やや無理解に過ぎる気がします。その上で、私は、本書の著者の見方からすれば旧来マルクス主義なのかもしれませんが、生産力がほぼほぼ一直線に拡大する中で、商品の希少性が失われて社会主義ないし共産主義に到達するルートを無視することはできないと考えています。本書でも、ハーバー・ボッシュ法による廉価な化学肥料の大量生産が可能となり、『資本論』の指摘が当たらなかった点は認めていますし、従って、技術革新のパワーはマルクスの『資本論』でも見通せなかったことは明らかです。加えて、私が疑問に思うのは、「晩期マルクス」がどう考えていたかに、あまりに重点を置きすぎている気がします。有り体にいえば、マルクスがどういおうと、正しいことは正しいですし、間違っていることは間違っているわけです。まるで宗教の教祖の言葉を忠実になぞるようなことをするのではなく、時々の経済社会を正確に分析して把握した上で、その進むべき方向を科学的に明らかにする必要があるように思います。最後の最後に、本書では共産主義ではなく、「コミュニズム」という用語を多用しています。私の知る『ゴータ綱領批判』にある「必要に応じて」と定義される共産主義とは、異なるモノが想定されているのかもしれません。

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最後に、中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書) です。著者は、北海学園大学名誉教授の政治学の研究者です。女性差別の歴史について、第1部でイングランド、第2部で日本に、それぞれスポットを当てて、それなりに歴史的に解明しようと試みています。例の、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)の女性蔑視発言が話題になり、私の読書の手がこの本にも伸びた、というわけです。ということで、大きな枠組としてはケイト・ペイトマンのモデルが用いられています。家父長制の例でいえば、p.15にあるように、伝統的家父長制、古典的家父長制、近代的家父長制というカンジです。古典古代のアリストテレスから始まって、イングランドにおける女性差別の歴史、すなわち、ホッブズやロックの社会契約に基づいて女性の地位が低下してゆく経緯が明らかにされます。私は専門外ながら、ロックは女性君主を認めていて、それなりの男女平等論者ではなかったのか、と思っていたのですが、むしろ、無秩序な「自然状態」を考えるホッブズの方が男女平等に近い、という評価のように読めます。そして、産業革命によりミドル・クラス、すなわち、マルクス主義的に表現すればブルジョワジーが誕生し、男が外で経済活動という公的な役割を受け持つ一方で、女性は家庭を取り仕切る主婦という私的な役割が与えられることになります。それが最近まで続くわけなんでしょうが、ここでイングランドの歴史はブチ切れています。他方、日本では公と私という分類ではなく、江戸時代から家庭内の役割分担があり、家の原理である地位に基づく権限、という考え方があって、イングランドよりもある意味で男女平等だった、と評価しています。むしろ、明治維新以降の海外の民法を参照する際に、男性が生物的属性により権力を持つ、という思想が導入された、と指摘します。日本的な男女観では、福沢諭吉を引いて、かなりの平等観を示しています。さらに、日本的な家の中の役割分担は高度成長期まで残り、男性が外で稼ぐ一方で、女性は一家の財布の紐を握るという、「欧米の主婦に比べて居心地のいい立場にいた」(p.168)と指摘しています。我が家もそうです。ただ、私が決定的に物足りなく感じるのは、大きく欠落した部分がある点です。すなわち、結論として、著者は、世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数などに見る我が国の男女不平等は、欧米的な基準の見方であって間違っている、と主張したいのか、というとそうでもないようです。では、ジェンダー・ギャップ指数のような日本の女性差別があるとして、そうならば、明治期に欧米から民法を導入する前の日本に比べて、現時点では、ひどい男女不平等社会になってしまったのはなぜなのか、あるいは、欧米と日本が逆転したのはなぜなのか、という点が欠落しています。どうも、オススメできない女性差別論の読書でした。

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