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2021年2月27日 (土)

今週の読書は経済書のほか文庫本の小説とややペースダウンして計3冊!!!

今週の読書は、エプシュタイン教授の現代貨幣理論(MMT)への批判的な解説書とともに、文庫本の小説2冊と、ややペースダウンしています。税金の確定申告の時期に入り、少し小説を読んでリラックスしたいと考えないでもありません。

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まず、ジェラルド A. エプシュタイン『MMTは何が間違いなのか?』(東洋経済) です。著者は、マサチューセッツ大学アマースト校の経済学の研究者であり、ポスト・ケインジアンの非主流派に属しているらしいです。本書の英語の原題は What’s Wrong with Modern Money Theory? であり、2019年の出版です。ということで、タイトルこそ勇ましくて、正面切ってMMTを批判しているように見えますが、最終章第8章の冒頭にあるように、著者は政策目標の多くをMMT派と共有しているように見えます。加えて、私は、基本的に、自分自身を主流はエコノミストと位置づけていますが、政策目標についてはよく似通っているつもりです。ただ、本書の著者は主流はエコノミストは、米国では民主党リベラルの均衡予算≅緊縮財政、物価安定、中央銀行の独立などのいわゆる新古典派経済学とみなしていて、むしろ、増税回避の観点から共和党は緊縮財政とは親和性ない、とみなしています。そして、著者が批判してようとしているのはMMT派経済学の否定ではなく、むしろ補足的な役割のような気すらします。結論として、私が重要と考える本書のポイントは、MMTが前提とする変動相場制について、ハードカレンシーを持たない途上国へのMMT派的な政策の適用が難しい、従って、MMT派の制作がかなり適用できるのはむしろ米国という基軸通貨国である、という点と、もうひとつは、これは私も同じで、政策適用の現実性、すなわち、MMT派経済政策をフルで適用すると需要超過からインフレになるんではないか、という恐れです。ミンスキー理解などの理論的な指摘もありますが、私は、この最後の財政政策だけで需要管理が適切にできるか、という疑問がもっとも大きいと考えます。現実に、多くの先進国では需要管理は金融政策に委ねられており、財政政策はファインチューニングには向かないと考えられています。むしろ、課税政策を特定の財の消費抑制に当てたり、歳出・歳入ともに格差是正に割り当てたり、という形です。というのは、本書では取り上げられていませんが、私が授業なんかで大きく強調するのは、金融政策はかなりの程度にユニバーサルである一方で、財政政策はそうではありません。すなわち、日本の場合を例にすると、九州で高速道路を建設しても関西の私の便益はそれほど大きくない可能性がありますし、保育所を建設しても一部の高齢者には迷惑施設と見なされる可能性も排除できません。ですから、金利やマネーサプライを市場を通じて操作するのは、全国一律で地域差はなく、年齢海藻屋職業別などの偏りも少ない一方で、財政政策は地域性や年齢や職業・所得階層別に細かな効果の差が生じ得ます。その意味で、マクロ経済安定化政策には私は金融政策が向いているような気がしてなりません。加えて、本書の観点では、詳しくは触れられていないものの、MMT派政策のひとつの目玉であるジョブ・ギャランティー・プログラム(JGP)はむしろ需要超過のバイアスがかかる可能性があると指摘しています。私自身は、MMT派政策を日本に適用する限り、それほどインフレの可能性が大きいとは考えませんが、米国ならそうかもしれません。いずれにせよ、私はMMT派が理論的なバックグラウンドにあるモデルの提示に失敗している現状では、何とも評価できかねるものの、実際の政策適用については、インフレの可能性については保留するとしても、金融政策よりも財政政策でマクロ安定化を図るほうが好ましいとはとても思えません。その意味で、私はまだリフレ派なんだろうと、自分自身で評価しています。加えて、本書で何度か指摘されているように、MMT派は租税回避の政策提言から富裕層、というか、超富裕層のウォール街の金融業者やシリコンバレーのGAFA経営者などの支持を取り付けています。これも、私は、ホントにそれでいいのか、と疑問に思わざるを得ません。これも、私をMMT派から少し距離を取らせている一因です。最後に本書に立ち返れば、貨幣と信用の区別なんて、ほとんど意味のない観点を持ち出してきたりして、ややMMT派経済学に対する無理解があったりして、ちょっとピンとこない点もいくつかあります。繰り返しになりますが、MMT派の背景となるモデルが不明である現時点では、私はマクロ経済安定化政策としての財政政策の適用可能性が最大の論点となると考えています。念のため。

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次に、浅田次郎『地下鉄(メトロ)に乗って 新装版』(講談社文庫) です。作者は、幅広くご活躍の小説家であり、本書はもともと1990年代半ばに単行本として出版され、本作品で吉川英治文学新人賞を受賞し、ついでながら、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞を受賞しています。この2作品はどちらも映画化されており、『地下鉄に乗って』は堤真一主演となっています。なお、本書は単行本の後、文庫本化され、さらに、昨年2020年10月に新装版が出版されていて、私はその新装版を借りて読みました。たぶん、確認はしていませんが、中身は同じだと思います。高倉健主演で映画化された『鉄道員』は、完全なファンタジーというよりも、主人公が幻想を見るという解釈も可能なのですが、コチラの『地下鉄に乗って』はタイムスリップですので、完全なファンタジーです。戦後闇市から大企業を育て上げた立志伝中の財界人の3人の倅のうち、次男を主人公とし、この主人公が愛人とともにタイムスリップを繰り返し、高校生のころに自殺した長男の自殺を食い止めようと試みつつ、父親が満州に出征するところ、同じく父親が闇市で精力的に活動するところ、などなど、さまざまな場面を目撃し、最後は驚愕の事実に遭遇する、というストーリーです。私のように、地下鉄で通勤する人間にはそれなりに興味を持って読めました。

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最後に、佐伯泰英『幼なじみ』(講談社文庫) です。著者は、スペインの闘牛の小説などを手がけつつも、ソチラはまったく売れず、時代小説で名の売れた小説家です。この作品は、長らく双葉文庫から出版されていた「居眠り磐音」シリーズが講談社文庫に移籍し、そのスピンオフ作品の5作目にして最終作です。なお、同じく「居眠り磐音」シリーズから、磐音のせがれの空也を主人公とする「空也十番勝負」もスピンオフしているんですが、当初予定の10作に満たずにすでに終了していますので、この作品がスピンオフも含めた「居眠り磐音」シリーズの最終作ということになります。スピンオフですので、主人公は坂崎磐音ではなく、鰻処宮戸川に奉公する幸吉と縫箔師を目指し江三郎親方に弟子入りしたおそめの2人です。小さいころから、磐音の媒酌により祝言に至るまで、本編では明らかにされていなかったトピックも交えつつ、幸吉中心の第1部と遅め中心の第2部に分けて語られています。おそらく、シリーズは武者修行を終えた空也がお江戸の神保小路の道場に戻って、この先も続くんでしょうね。私は引き続き買うのではなく、図書館で借りて読み続けるような気がします。

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