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2021年2月13日 (土)

今週の読書は経済の学術書『日本経済の長期停滞』のほかは新書ばかりで計4冊!!!

今週の読書は、本格的な経済学の学術書のほかは新書ばかりで計4冊読みました。以下の通りです。なお、新書といえば、話題の『人新世の「資本論」』がそろそろ予約が回ってきそうで、私はマルクス主義経済学にはまったくシロートなんですが、それでも楽しみです。

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まず、小川一夫『日本経済の長期停滞』(日本経済新聞出版) です。著者は、大阪大学をホームグラウンドとしていた研究者ですが、すでに定年退職しているようです。本書は、2部構成となっており、第1部では供給サイドから、また、第2部では需要サイドから、それぞれ、タイトルである日本経済の長期停滞について分析しています。なお、決して、一般のビジネスパーソン向けの経済書や教養書ではありません。かなりレベルの高い学術書です。おそらく、学部学生のレベルを超えて大学院の教科書として採用してもおかしくない水準であると考えるべきです。ということで、第1部の供給サイドでは、企業の設備投資が停滞している原因として先行きの不透明さ、あるいは、悲観的な期待の役割が大きいとの結果が示されており、その期待形成には需要、とりわけ消費の伸びが低いことが大きな原因となっている、と指摘しています。逆からいって、巷間よくいわれるような生産性の伸びの鈍化は日本経済の長期停滞の要因としては否定されています。私のように適当な直感ではなく、本書で展開されている緻密な計量分析の結果として、供給サイドの生産性が日本経済の停滞の要因ではなく、需要、特に消費が停滞の大きな要因との分析結果を得ています。ここまではOKだという気がします。ただ、第2部の需要サイドに入って、その消費の停滞の原因として、年金の不足が原因として上げられています。第7章では家計調査のデータを基に、家計の消費行動について、その基礎となっている所得や資産・負債までスコープに入っていながら、そこから大きくスライスしてしまって、なぜか、第8章から家計が公的年金制度をどう見ているか、に分析を進めています。とても不可解です。消費を決めるのは、所得とマインドであり、その消費をダイレクトに決める要因の分析がなされて然るべきなのですが、消費の裏側で決まる貯蓄の決定要因の方に分析を進めてしまっています。おそらく、何らかの強い思い込みが基礎にあって、それに引きずられたのであろうと想像しますが、消費の低迷が設備投資の停滞の原因となり、日本経済が長期停滞に陥っているというのであれば、消費を正面から分析すべきです。そうすれば、年金なんて迂遠な原因ではなく、日々の生活費のもとになっている賃金・所得の要因が大きくクローズアップされると私は考えるのですが、その賃金・所得については分析対象とすらせず、なぜか、年金に分析を進めてしまっているのは、すでに結論を決めてからのあと付けの分析になっているような気がしてなりません。賃金・所得の要因と年金の要因の両方が分析された後の結論であればともかく、賃金・所得をパスした上で年金だけを分析対象にしたのは本書の大きな欠陥といわざるを得ません。ただ、夫婦ともに正規雇用であれば貯蓄取崩しに抵抗低いので、雇用面での政策の必要性だけはまあ、いいような気はします。年金については同意しかねます。私のような研究者には、読んでいて勉強になったことは確かです。途中までの生産性要因を否定して需要要因を分析し始めたところまではいいんでしょうが、途中から大きくスライスして、結論においてはOBゾーンに落ちてしまった気がします。クオリティの高い分析だけに、とても残念です。

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次に、野口悠紀雄『リープフロッグ』(文春新書) です。著者は、財務省出身のエコノミストであり、私なんぞよりもずっと名が売れていますので、紹介の必要もないと思います。リープフロッグとは、その名の通り、カエル跳びであり、経済的には遅れた状態から一気に歴史的な段階を経ずして先に進む、ということです。本書冒頭では中国の例を引いています。すなわち、通信においては、固定電話に必要な基地局とかをパスして、固定電話の段階をすっ飛ばして携帯電話に進んだり、あるいは、金融においては、銀行網を構築した上で決済システムを形成するという段階をすっ飛ばして、いきなり、現金流通が不十分なままの段階でキャッシュレス決済の段階に進んだり、といった点が指摘されています。我が日本では、通信も金融も歴史的に欧米先進国がたどった段階を経つつ、いわゆるキャッチアップを果たしていますが、中国やほかのいくつかの新興国などでは、日本を含む先進国のたどった経済発展段階をすっ飛ばしたリープフロッグで進んでいる場合が少なくありません。そういった歴史を、近代少し前の大航海時代のポルトガルから始まって、ラテンアメリカに大きな植民地を築いたスペイン、さらに、短いオランダの覇権を経て、英国、そして、20世紀に入って第1次世界対戦後の米国と、まあ、リープフロッグで説明できる範囲は限られているような気もするものの、経済分野に限定せずに覇権国家の変遷を歴史的に、かつ、経済的な基礎を持ってあと付けています。その上で、キャッチアップならざるリープフロッグによって、我が国経済が世界のトップに躍り出る可能性について考えています。結論として、とてもありきたりで月並みなのですが、既得権をいかに乗り越えるか、という課題があることが示唆されています。しかし、最後に私の付足しながら、これら覇権国の交代模様を見ていると、トゥキディデスの罠よろしく、ホントに戦争で決着をつけたのはアテネとスパルタ以降ではスペインと英国ぐらいのもので、米国から中国にもしも覇権が移行するとしても、武力による決着ではないような気がします。

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次に、中野敏男『ヴェーバー入門』(ちくま新書) です。著者は、東京外語大学などに在籍した研究者であり、当然ながら、ヴェーバー社会学が専門です。ヴェーバー社会学を理解社会学と位置づけ、いくつかのヴェーバーの代表的な成果、すなわち、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『経済と社会』などから、少しだけ宗教社会学までスコープを広げつつ、入門書として取りまとめています。私は『プロ倫』くらいしか読んだことはありませんが、本書でも指摘されているように、大塚教授のような目的論的関連の因果関連への組みかえ、という視点しかありませんでした。本書で批判しているように、資本主義の起源論なわけです。もちろん、資本主義の精神がプロテスタンティズム、特にカルバン派の倫理にとても良くフィットしたのは当然ながら、それら市民階級の専制に寄与したという視点はまったく持ち合わせていませんし、本書を読み終えた後でもまだ疑わしく感じています。というのは、私はマルクス主義的な史的唯物論が世界の歴史にはよく当てはまり、それ故に正しいと考えていますから、経済的な土台の上に上部構造が乗っかっている、というのは、とてもよく現実を説明していると考えており、ヴェーバー的なその経済的土台と上部構造の関係だけに還元できない文化・思想領域における相対的に独立した展開は、歴史的に無視できる範囲と考えています。欧州中世の宗教戦争、もちろん、カトリックとプロテスタントとの争いの中に、こういった視点を見出そうとする向きもあるようですが、ルターがそもそも反対したのは免罪符の販売という宗教的というよりは経済的な行為に対してですし、その昔のキリスト教はいうまでもなく、21世紀の現在における新興宗教はほぼほぼ経済の原理に従って動いていると私は考えています。最後に、とても興味本位な読み方ながら、p.171に『宗教ゲマインシャフト』の構成について、ヴェバーの妻マリアンネの手になる編集に対して、本書の著者が考える構成が示されています。私くらいのシロートがどうこういう見識は持ち合わせていませんが、よく知られたようにマルクスの『資本論』は第1館飲みがマルクス本人による編集であり、第2巻と第3巻はエンゲルスによる編集です。少なくとも私の恩師は、第3巻の最終章が三大階級で終わっているので、エンゲルスの編集は正しい、と考えていたように私は受け止めていえるんですが、アノ当時はこういった形でパーツを書き散らしておいて、最後に編集するというスタイルだったのだろうか、とついつい考えてしまいました。

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最後に、坂井孝一『源氏将軍断絶』(PHP新書) です。著者は、創価大学の研究者であり、専門は日本中世史だそうです。本書では、源頼朝が開いた本格的な初めての武士政権である鎌倉幕府について、2代目の頼家と3代目の実朝が指導者としての資質に欠け、あるいは、京の公家のように蹴鞠や和歌に目が行った惰弱な性格で、源氏将軍が途絶えて、摂家将軍から親王将軍と名目的な将軍を北条執権体制が補佐する、といいつつ、実は、北条家が実質的な支配を強める、と中学校や高校の歴史では習っています。私もまったくの専門外ですので、そのような考えを持っていたりします。それに対して、本書では、蹴鞠や和歌などは京の朝廷や公家との交渉に当たるに必須の嗜みであり、決して「惰弱批判」は当たらず、実朝は武士であるとともに、治天の君である後鳥羽院の従姉妹を御台所に迎えた公家でもあることから、そもそも、実朝が自分の後任将軍に親王を要請し、後鳥羽院も実朝が後見する親王将軍の可能性を肯定していた、という視点を提供しています。逆に、実朝が暗殺されたがゆえに、後継将軍は親王ではなく摂関家から出す、ということしか認められなかったのではないか、と指摘しています。後鳥羽院が深く信頼する実朝が後見するから、京と鎌倉の二重政権になる恐れなく、親王を鎌倉に将軍として送り出すことが可能と後鳥羽院が考えたわけで、実朝なき鎌倉に親王将軍は許可できなかった、という見立てです。実朝が後継たる嫡子を得られなかったにもかかわらず、妾を取らなかったことも補強材料とみなされています。ただ、それにしては、もう少し後になれば親王将軍がでているわけですから、やや疑問が残らないわけではありません。いずれにせよ、古典古代の奈良時代や平安時代から中世をつなぐ重要なポイントにある鎌倉期については、私はまったくのシロートですが、というか、日本史一般にシロートなんですが、シロートなりにも興味を引き立てられる歴史書でした。

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