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2021年5月22日 (土)

今週の読書は経済書や教養書など計4冊!!!

今週の読書は、日本経済学会の春季と秋季の退会発表論文からよりすぐった最新経済学の論文集をはじめとして、教養書、小説、新書と計4冊、以下の通りです。なお、今年に入ってからの新刊書読書は1~3月に56冊、4月に18冊、そして、5月に入って今日までに取り上げた13冊と、計87冊となっています。これに加えて、Facebookでシェアした旧刊書などを含めれば、半年足らずで100冊くらいのペースではないかと想像しています。今年の予想、目標ではなくあくまで予想は、新刊書で年200冊くらいのペースの読書だったりします。今はまだフルタイムで働いていますが、本格的に隠居したら年300冊くらいのペースの読書を目指します。もう指折り数えてあと数年です。

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最初に、宇井貴志ほか[編]『現代経済学の潮流 2020』(東洋経済) です。編者は日本経済学会の役員ではないか、という気がします。よく判りません。というのは、本書は2019年度の春季と秋季に開催された大会で報告された論文からピックアップしてあり、学会の公式刊行物だそうです。ですから、完全な学術論文であり、一般ビジネスパーソン向けではありません。4本の論文とパネル・ディスカッションのプロシーディングを収録しています。第1章は地方と中央の政府間の財政関係について、浩瀚なサーベイをしています。特に、国内というよりも国際的な租税協力に関して、OECDのBPESについての主要な議論がほどよく取りまとめられています。第2章は日本ではライフ・サイクル仮説が他国以上に明らかに成立しており、逆にいえば、遺産動機は希薄であり、とても利己的な貯蓄行動といえると結論しています。同時に、公債に関するリカード中立命題は成立せず、それだけに、ケインズ的な財政政策が有効である可能性が示唆されています。第3章では、企業内で意思決定をする際の情報伝達について理論的な研究、例えば、分権型と集権型などについて展開しています。第4章では、働き方改革の定量的な経済分析を行い、ダイバーシティなどが企業収益率にどのような影響を及ぼすかを実証しています。最後のパネル・ディスカッションでは企業内でのエコノミストの活動・活躍について、サイバーエージェントやZOZOの実例の報告を含めて議論しています。私は特に最後のパネル・ディスカッションが参考になりました。ここで議論されているのは、おそらく、博士号を持ったエコノミストであり、どこまで企業内での養成が可能かどうか、本書の議論ではできる可能性が示唆されていますが、私には疑問です。というのは、日本企業のひとつの特徴として、リカレント教育なんかではなく、OJTによる企業内のスキルアップを伝統的に重視していることなんですが、ハッキリいって、企業内OJTで出来ることは限られています。今までは、その程度のスキルで十分だったのかもしれませんが、グローバルな競争が激化し、生産技術が高度化するに従って、スキルの獲得にはコストがかかるようになります。ですから、社内エコノミストも例外ではなく、それなりの訓練を社外で受ける必要があるような気がします。米国の場合など、例えば、Googleのチーフエコノミストのハル・ヴァリアン教授などは、明らかに外部から招聘されているわけですが、日本の場合、金融機関やシンクタンクで働くエコノミストも、大卒一括採用の後で社外でのトレーニングを受けている場合が多いのではないでしょうか。例えば、私が官庁エコノミストをしていたころに、銀行などの金融機関から出向して、いっしょに計量経済モデルを回していたこともありますし、ほかにも、白書なんかを取りまとめる部署にシンクタンクなどからの出向者お受け入れていた場合も見てきました。実は、日本企業でエコノミストが経済学を生かした仕事をするケースは、少し前までほとんどなかったんですが、今後、エコノミスト的な仕事が必要とされるとすれば、生産ライン的なOJTだけで社内エコノミストを養成するだけでなく、ホントに必要なケースは社外でのトレーニングが必要になりそうな気がします。

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次に、森本あんり『不寛容論』(新潮選書) です。著者は、神学・宗教学の研究者です。本書では、特に宗教諸色の強い米国を題材に、タイトル通りの寛容論・不寛容論を展開しています。もちろん、寛容・不寛容と強くリンクするコンセプトとして、良心とか、正義の問題も取り上げています。特に、17世紀における北米植民地のロジャー・ウィリアムズという人物に焦点を当てて、北米植民地で英国国王の特許状が現地民の土地所有との関係でどこまで有効かと行った議論も含まれています。ですから、寛容・不寛容について宗教的な観点からの捉え方を本書ではしていますが、私はこの点には疑問を持っています。というのは、最初に提示されている通り、寛容とは一面で「嫌いだが仕方ない」、逆に、不寛容とは「嫌いだからダメだ」ということであり、直ちに、宗教的な寛容・不寛容とは関係がないからです。ただ、逆から見て、本書でも容認しているように、実利の観点からの寛容・不寛容はあり得るわけで、そうすると、寛容・不寛容ではなく許容の問題になります。しばしば、エコノミストが依拠するようなベンサム的な功利主義の観点からすれば、99損しても100得すればOK、ということで、我が国の言葉でいえば「肉を切らせて骨を断つ」ということです。相手の骨を切るチャンスがあるのであれば、自分の肉を切らせるコストは容認する、というわけです。自分自身がまったく評価しないにもかかわらず、それを容認することが「寛容」であり、逆に、自分が評価しないものは受け入れず排除する、というのが「不寛容」です。ある面からいえばガマン強さにも関係します。イヤなのに、どこまでガマンできるか、許容できるか、切れずに済ませられるか、ということです。ですから、切れやすい人は、当然に、不寛容であるということになります。日本語でいえば「懐が深い」ということになります。寛容とは、包容力のことでもあるわけです。でも、まあ、映画の世界ではありますが「男の優しさは全部下心なんですって」というのもあるわけで、まったく表裏のない人には寛容とか不寛容は関係なさそうな気もしますし、むしろ、表面を取り繕った寛容よりも、ある意味で、正直な不寛容のほうが清々しさを感じる場合もありそうな気がします。少し宗教=キリスト教との関係で私の理解がはかどらない部分もありましたが、エコノミストである私自身は寛容・不寛容と良心の問題は、宗教的・哲学的というより、もっと実務的な損得の観点から見ているような気がします。

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次に、宇佐美まこと『羊は安らかに草を食み』(祥伝社) です。著者は、それなりに売れているホラー作家・ミステリ作家です。出版社による本書の特設サイトも開設されています。ということで、本書は、認知症を患った80代半ばの女性の半生をたどる物語です。特に、10歳過ぎで経験した当時の満州からの終戦に伴う日本への引上げ体験の過酷さには、到底戦後世代の私なんかの及びもつかないものがあります。舞台は旅する3人の老女、それぞれ異なるバックグラウンドを持った70代後半から80代半ばまでの3人の老女の旅の大津、松山、佐世保から離島の五島列島となります。そして、いくつかの章の後半部分には、認知症を患った80代半ばの老女の終戦時における満州からの引揚げの過酷な体験が挿入されます。ですから、ある意味で、読者は神の視点を持つことになります。そして、最後には、満州からいっしょに帰国した仲間の女性と分かち合った大きな秘密が明かされ、もちろん、フィクションの小説のことですからハッピーエンドで終わります。やや出来すぎの嫌いすらあります。私のようなひねくれた読者からすれば、最後のソリューションはご都合主義とも受け取れます。しかし、それはそれとしても、戦後80年近くを経過し、それでもまだ戦争を記憶に留める世代も少なくない中で、戦争と軍隊というものの罪深さを改めて確認させる小説であり、近代日本の歴史を思い起こさせる重い小説でした。あまりにも重すぎて途中からは実感も失い、まるでSF映画を見ているような感じで、感情移入すら忘れる部分も少なくありませんでしたが、もちろん、小説としてのデフフォルメはなされているとしても、現実の歴史からそう大きくは離れていない気もしますし、単に、満州からの過酷な引揚げ物語というだけでなく、戦後の国民生活も含めて、考えさせるところの大きい小説です。渡しの場合は、母親が1930年生まれで終戦時に10歳であり、ほぼほぼ、この小説の86歳の認知症の老女に重なる部分があります。その母親の生命力の大きさにも思いが至りましたし、単に個人的な物語だけでなく、近代日本という国家のあり方にも思いを馳せることが出来ました。その意味で、いろんな読み方のできる小説だと追う気がします。ただ、重いテーマの小説です。ひたすら重いです。その点は重々認識して読み進むことが必要です。私はいつも通りの読書をしてしまいましたが、もう少し覚悟を持って読み始めた方がよかったかもしれません。

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最後に、松本佐保『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』(ちくま新書) です。著者は、国際政治史の研究者です。本書では、米国のトランプ政権を支えた福音派をはじめとする米国の宗教活動体を主に分析しています。すなわち、2016年の米国大統領選挙でトランプ大統領を支持したのはラストベルトに住む職を失った白人、特にやや下層の白人である、との分析が主流でしたが、そのトランプを支持した白人は宗教的には福音派などであり、ニクソン政権を支持したサイレント・マジョリティのように、行き過ぎたポリコレに対する批判が出たのではないか、という趣旨だと私は受け止めました。パットナム教授の『アメリカの恩寵』にもあるように。米国民というのはピューリタンが建国したという歴史的な経緯もあるのでしょうが、日本や欧州ななよりもすぐれて宗教的に敬虔です。ある意味で、イスラム教徒的な宗教的敬虔さというものを持っています。これは、パットナム教授やm本書で指摘されるまでもなく、その通りです。そして、その宗教的な情熱が米国政治を動かしている面も否定できません。例えば、本書で指摘しているように、現在のバイデン大統領は、ケネディ元大統領についで米国政治史上2人目のカトリック教徒なわけですが、こういった大統領の宗教的なバックグラウンドが注目される国はそう多くありません。しかし、他方で、宗教が政治に何らパワーを持たない国というのも考えられません。例えば、欧州ではキリスト教政党がそれなりの地位を占めていますし、政権に参加しているキリスト教政党も少なくありません。宗教的に無宗教に近いと考えられている我が国にしても、実は、宗教政党が与党の一角を占めています。ですから、宗教が政治に及ぼす力といっても、そこは程度問題であり、ゼロから100の間にあるわけで、米国の宗教パワーの力は欧州や日本より大きいとはいえ、宗教だけが米国政治を決めているわけではないことは誰しも理解していることでしょう。米国では、ホンの2~3パーセントしか占めていないイスラム教やユダヤ教の政治力というのは、例えば、我が国の浄土宗仏教の政治力とは比べものにならないことは私も認識していますが、だからといって、宗教的な観点で政治的な決定がなされるわけでもないと思います。やはり、米国に限らず欧州でも、あるいは、もちろん、日本でも政治的に共感を集めるのは、"It's the economy, stupid!" ではないのでしょうか?

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