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2021年5月15日 (土)

今週の読書は社会保障論などの経済書をはじめ計5冊!!!

今週の読書は、社会保障や女性視点のマーケティングに関する経済経営書、あるいは、最近でも総務省の接待疑惑などで炸裂した「文春砲」を取り上げたジャーナリズムのドキュメンタリーをはじめ、新書も含んで計5冊です。以下に取り上げたほかに、数年前に出版された福永文夫『日本占領史』(中央新書)も読んだのですが、新刊書ではないのでFacebookでシェアしておきました。今年に入ってからの新刊書読書は1~3月に56冊、4月に18冊、そして、5月に今日取り上げた9冊と、計83冊となっています。

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まず、香取照幸『民主主義のための社会保障』(東洋経済) です。著者は、総理大臣官邸勤務も長く、厚生労働省の官僚から、退官後の現在は上智大学の研究者に転じています。現在の菅内閣のキャッチフレーズのひとつに「自助、共助、公助」がこの順番、というのがありますが、本書は真っ向からこれを否定しています。すなわち、憲法で定める文化的な生活、とまでいわないにしても、その昔の孟子の「恒産ありて恒心あり」にもあるように、キチンとした生活が保証されることが民主主義の基礎である、という思想が流れています。その昔は、「土建国家」という言葉があり、国民から集めた税金をインフラ整備などの土木事業、公共投資によって土建業などを通じて国民に還元しようというルートが主をなしており、不平等な還元に見えるために、その財源となる税に対する拒否感の源泉ともなっていました。他方で、西欧先進国などにおいては「福祉国家」が標榜され、税金を社会保障によって国民に還元するルートが取られています。本書では、そこまでの普遍的な国民還元策が議論されているわけではありませんが、私の目から見て、そこまでの踏み込んだ議論がこの先必要になる可能性が十分あると考えるべきです。ほかにも、社会保障に関する議論はついつい制度論に傾きがちなのですが、もっと本質的な議論が必要であると感じました。例えば、経済学では有名なモディリアーニ=ミラーの法則があり、資金調達は債券や株式による直接金融と銀行借入れとは無差別、というのがありますが、もちろん、税制などの歪みがないという前提ながら、社会保障、特に、年金制度については積立方式と賦課方式の差はなく、すなわち、無差別であり、いうれにせよ、現役世代から引退世代への所得の移転であることに変わりはないとか、健康寿命をいくら伸ばしてみたところで、終末ケアに必要な費用は変わらない、とか、「基本のキ」のような部分がキチンと押さえられています。その一方で、社会保障と財政収支のサステイナビリティの議論では、現代貨幣理論(MMT)の考えにも、チラリと触れていたりしますし、いくつかの目配りも配慮されています。ただ、本書の主要な部分である第4部の民主主義との関連では、確かに経済の重要性はいうまでもありませんし、分厚い中間層も必要なんでしょうが、日本経済の現状と技術の問題については、私は少し疑問を覚えました。すなわち、その昔にあった誤解のように、大雑把な雰囲気で「高付加価値産業」とみなされている産業を重視するのは私には疑問です。周辺アジア各国をはじめとする世界経済の中の我が国産業の位置づけを明確に考えた上で、比較優位にある産業を主とした世界経済の中での分業体制を志向すべきです。なんか、漠然とした高付加価値産業志向でIT産業やハイテクな最先端技術を用いた産業、あるいは、闇雲に金融業を持ち上げるのではなく、ホントに地に足のついた産業・経済を議論する段階に来ている気がします。その一方で、私は、世界的な外交や政治の局面で、欧州がアフリカを、北米が中南米を、それぞれの利益を代弁する役割を果たしている中で、アジア、特に東南アジアの地域的な関心を世界で代弁するのは日本であると私は考えています。その意味で、あくまでその意味では、日本は大国であることをやめるべきではありません。

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次に、日野佳恵子『女性たちが見ている10年後の消費社会』(同文舘出版) です。著者は、主として女性の意見を企業に具申するマーケティング・サービス会社の起業者です。ということで、本書のテーマは「女性視点マーケティング」です。特に、我が国の場合、西欧近代でジェンダーとしての女性の財産保有がほぼ否定され、経済活動がジェンダーとしても男性の役割となった一方で、日本では前近代におけるジェンダーの役割分担、すなわち、女性もそれなりに財産を持って、家の中で、特に、家業で占めるべき位置がある、そのため、女性が経済に果たす役割は近代西欧よりもずっと重要である、という点を裏打ちしてくれた気がします。本書では、女性は世帯消費の8割を決め、9割に口を出す、と指摘されています。我が家ではもっと比率が高いかもしれません。ただ、男女で大きな違いないにもかかわらず本書でやや過大に評価されていると私が感じたのは流行です。私は流行については男女で大きな差はないと考えています。例えば、統計局で消費統計を担当していたころ、もちろん、消費は所得とマインドで決まるとはいえ、基礎的な経済や所得とは必ずしも関係のない流行に左右される部分がかなり大きいと考えていました。基礎的な消費は無視できないものの、また、長期に基礎的なトレンドを決めるのは所得や経済的な諸条件であるとはいえ、短期に変動するのは流行に左右される部分ではないか、ということです。その意味で、ここ数年で女性消費の中で私の大きな気づきを感じたのは、国連のSGDsに関する女性の関心の高さです。経済週刊誌だけではなく、女性向けの月刊誌などの雑誌媒体でSDGsが特集として取り上げられています。その昔のMDGsは政府向けの色彩が強かった一方で、SDGsについては企業活動への影響力も強く、一般消費者の行動も大いに関係します。本書でも、男女でSDGsに関して認識としては男性の方が高いものの、実際の消費活動ではより女性の消費行動に影響を及ぼしている、と指摘しています。その意味で、本書ではファッション重視から機能性重視へのトレンドを取り上げていますが、同様の解釈がなされるべきです。本筋ではないかもしれませんが、やや個人的な経験ながら、私の知る女性でやたらと「かわいい」を連発する人がいます。そのうちに、わたしについても「かわいい」といい出したので、「かっこいい」にしてくれと指摘すると、ジェンダー・バイアスであると反論されました。男=かっこいい、女=かわいい、と感じたようです。私はシニアがかっこいいで、ジュニアがかわいいという年齢バイアスであると再反論しました。本書では、女性が発する「かわいい」は赤ちゃんを連想させる要素に対して発せられると指摘しています。私の年齢バイアスに近い見方だと受け止めました。個人的な見方は別にして、最後に、本ょ氏ではその目的からしてどうしようもないのですが、男女の差を強調しすぎているキライもあります。男性の目的脳と女性の共感脳というのは、私はやや違和感を覚えました。ほかにもありますが、全体として、コンサルらしく一般受けるするいろんな論点が詰め込まれている興味深いマーケティング本でした。

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次に、柳澤健『2016年の週刊文春』(光文社) です。著者は、ノンフィクション・ライター、ジャーナリストであり、『週刊文春』の編集者の経験もあります。『週刊文春』の編集長としては、もっとも名が売れているのは、先ごろ亡くなった半藤一利だと思うのですが、本書では、花田紀凱と新谷学の2人の『週刊文春』編集長を軸に、菊池寛による文藝春秋社の成り立ちから説き起こして、最後に、タイトルである2016年とその後まで、延々と文藝春秋社と『週刊文春』の現場での取材や編集作業、あるいは、取材と編集に携わった人間模様を収録しています。繰り返しになりますが、菊池寛によす文藝春秋社の創設という歴史的な事実から始まり、途中から、おそらく、実体験が加わるあたりから著者の1人称による語りになります。そして、そうなった後でも、3人称と1人称による文体がゴチャゴチャだったりしますので、やや読みにくくもあるのですが、まあ、盛り込まれた内容が500ページを超えるボリュームに比例して、とても盛りだくさんなので、仕方ないのかもしれません。『週間文春』は文字通りに週刊誌なのですが、会社としての文藝春秋社の看板雑誌は、もちろん、より歴史の長い月刊誌の『文藝春秋』であり、芥川賞が全文掲載されたりもします。そして、月間『文藝春秋』がそれなりのクオリティ・マガジンとして一定のポジションを占めている一方で、『週刊文春』は、私なんぞの俗物からは、ほかとよく似た週刊誌の扱いではなかろうかという気がします。というのも、日本では新聞や地上波テレビに対して、週刊誌一般のメディアとしての信頼度が低いという意味です。例えば、欧米では私が毎週見ている The Economist をはじめとして、Time とか、いわゆるクオリティ・ペーパがいくらでもありますが、日本では、一般週刊誌がこのクラスのクオリティ・ペーパーとみなされることは少ないように思います。経済週刊誌であれば、私も『エコノミスト』、『東洋経済』、『ダイヤモンド』などのクオリティは高いと評価しますが、一般週刊誌、本書で名前を上げられているような『文春』、『現代』、『ポスト』などは新聞よりも評価が低いような気がします。でも、本書で指摘しているように、2016年にはベッキーや甘利大臣のスキャンダルを明らかにして社会的な影響も小さくありませんでしたし、今年に入ってからでも、総務省の接待問題とか、それまで言を左右にしていた政治家や官僚が『週刊文春』のスクープがあった後で、大きく発言を修正したりという例は私ですらいっぱいみました。それだけの影響力を『週刊文春』は持っているというわけです。その内幕をいくぶんなりとも明らかにするのが本書なのだろうと思います。ただし、私の勝手なゲスの勘ぐりかもしれませんが、ホントにディープな部分は本書ですら明らかにされていない可能性があるんではないか、と思わないでもありません。

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次に、佐藤千登勢『フランクリン・ローズヴェルト』(中公新書) です。著者は、筑波大学の歴史の研究者です。歴史の研究者ですから、経済学でも政治学でもありません。その点は念頭に置いて読み進むこともアリだと思います。テーマというか、タイトルとなっているのは、20世紀前半にもっとも印象的な存在であった米国大統領であり、1930年代の大恐慌から1945年まで続いた戦争という危機の時代の米国の舵取りを成功させたリーダーです。米国大統領を務めたローズヴェルト家出身者はもう1人いて、セオドア・ローズヴェルトです。もちろん、セオドアとフランクリンは同族であり、ともにオランダからの裕福な移民一家に生まれています。ただ、ローズヴェルトには住んでいた地名に従って2系統あって、セオドアはオイスターベイ系、フランクリンはハイド・パーク系だそうで、フランクリンの妻となったエレノアはオイスタベイ系の出身だそうです。まあ、このあたりは適当に飛ばして読んでも差し支えなさそうな気がします。フランクリン・ローズヴェルト大統領の場合、世界的な大不況と第2次世界対戦の2つの危機に直面した大統領であり、本書の最後の方でも指摘されている通り、独立戦争を勝ち抜いた初代ワシントン大統領、奴隷解放とその後の南北戦争を指導したリンカーン大統領とともに、米国市場でビッグスリーに上げられ、歴史に残る大統領であることはいうまでもありません。ただ、この3人の中では大不況への対応として、不徹底なニュー・ディールにより、結局、不況からの本格的な脱出のためには戦争を待つしかなかった、という点は差し引いて、ローズヴェルト大統領はワシントン大統領やリンカーン大統領の後塵を拝する、という議論はその通りかもしれません。

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最後に、宝島社皇室取材班『天皇家の家計簿』(宝島新書) です。天皇家や宮家の経済的な基盤となる皇室費と宮内庁費を各種資料から明らかにしようと試みています。もちろん、宮内庁や天皇家・宮家に直接取材するわけには行きませんから、間接的に公表資料から追っています。主として、野党の国会銀の国会質問に対する宮内庁の回答や、同じように、質問主意書に対する政府の回答をていねいに集めています。最近では、こういったものはデジタルのドキュメントで入手可能なんでしょうから、検索なんかも役立つのであろうと勝手に想像しています。繰り返しになりますが、皇室費と宮内庁費のうちの前者の皇室費には3カテゴリーがあり、内廷費、皇室費、宮廷費となります。内廷費は天皇や上皇などの天皇一家の家計費であり、皇室費は天皇一家を覗く宮家の皇族方のか経費であり、ともに公金として宮内庁が管理するものではありません。しかし、宮廷費は公務活動に必要な経費であり、公金として宮内庁が管理するそうです。まあ、内廷費と皇室費は、いわば、カギカッコ付きの「国家公務員」としての天皇家や宮家の生活費といえます。額も厳密に決まっています。ですから、公務員のお給料といっしょで渡し切りとなるわけです。どう使うかは「お気の召すまま」ということです。ただ、日本国の象徴たる天皇、その天皇の親族として、これもカギカッコ付きの「品位」を維持するに足る額となっています。眞子さまがそう大した収入や財産のなさそうな小室さんと結婚する障害がこの「品位」ではないかという気もします。私は、基本的に、天皇制には賛成しかねる部分が大きく、できれば、こういった天皇一族や宮家の「品位」を維持するのに公金を支出するのはヤメにしたいとすら考えるのですが、自分でも少数派であることは自覚しています。しかし、反対であるだけに、その実態を知っておきたいのは事実です。

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