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2021年7月10日 (土)

今週の読書はノーベル賞クラスの経済書からラノベまで計7冊!!!

今週の読書は、ノーベル賞クラスのエコノミストの著作をはじめ、霞が関公務員の実態に迫るNHK取材班のルポやコロナ禍の貧困問題を取り上げたルポ、はては高校生向けと思しきラノベまで計7冊でした。それから、毎週アップデートしていますところ、今年に入ってからの読書は、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月で56冊、今日取り上げたものを含めて7月で12冊、これらを合計して124冊になりました。来週は、すでに手元に、サンデル教授の『運も実力のうち』を借りて来ており、ほかに、小説も何冊かあります。本年度上期の授業も終盤を迎えつつあり、いろいろな本を読むべく、読書の時間を確保したいと考えています。

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まず、ロバート J. バロー & レイチェル M. マックリアリー『宗教の経済学』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、ノーベル賞にも近いといわれるハーバード大学のエコノミストと倫理学者であり、ハーバード大学とフーバー研究所の研究者です。離婚していなければ、今でも夫婦かもしれません。慶應義塾大学の大垣教授が解説を書いています。英語の原題は The Wealth of Religions であり、明らかにスミスの『国富論』The Wealth of Nations を念頭に置いたタイトルです。2019年の出版です。ということで、第1章で『国富論』では市場として扱われ、著者たちが宗教を従属変数・内生変数として扱っている、すなわち、経済から宗教への因果関係を簡単にあとづけた後、第2章で宗教を「人の営みに干渉できる超自然的な存在を信じているならその人は宗教を持っているということになる。」(p.19)と間接的に定義しています。逆に、宗教を文化的な人間の営為の産物とか、原始的あるいは超現代的な迷信や心霊主義と受け取るのであれば、それは宗教が非合理的で経済とは独立の存在と考えていることになるわけで、著者たちの視点から大きく異なっているということが出来ます。ただ、宗教を独立変数・外生変数として扱っている、すなわち、宗教から経済への影響を考察している古典的な研究成果としては、本書でも何度か言及されているヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があります。私の大学のゼミでも取り上げる候補にしているくらいですから、いまだにそれなりの影響力を持っている可能性が示唆されています。ただし、本書でもしばしば引用されている Becker and Woessmann (2009) では、聖書を読むために学校をいっぱい設立して識字率が向上したのがプロテスタントの産業的な成功のバックグラウンドであった、という点については、私も含めて多くのエコノミストのコンセンサスがあるところです。すなわち、ヴェーバーの主張のように、宗教的なエートス、というか、勤勉や合理性などが近代産業的な成功の基となったわけではない、というわけです。もっとも、本書ではこの点について軽視しているわけではないとしても、深入りはしておらず、イアナコーンの主張するようなクラブ財としてカルト宗教を分析したり、国教を制定することと経済成長との関連、などなど、中世にさかのぼって統計などが把握可能な範囲で定量分析をしている部分が興味深いところです。ですから、ヴェーバーの研究にように宗教の教義まで分析を加えるのではなく、やや、私の目から見てバックグラウンドとなるモデルがあやふやなのですが、計測=mesurementに重きを置いている印象です。ただし、パットナム教授の『アメリカの恩寵』にもある通り、その建国の理念からして、米国は先進国の中では極めて異質ともいえる宗教的な国家である点は忘れるべきではありません。日本の場合は、従属変数・内生変数としては一定の経済的な影響が宗教に見られる可能性は私も否定しないまでも、おそらく、17世紀徳川期から現在までの期間であれば、独立変数・外生変数として宗教が経済に有意な影響を及ぼしたとは想像できません。

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次に、宮川努[編著]『コロナショックの経済学』(中央経済社) です。著者は、経済学を専門とするエコノミストばかりです。衛生や伝染病の専門家はいないように見えます。ということで、何人かのエコノミストによるコロナショックの経済的な影響に関する分析結果が示されています。手法としては、現時点でデータの制約がある中で、SIRモデルをいくつかの仮定を置いてシミュレーションするとか、限定的なものなのですが、それでも一定の考えられ得る結果が提示されています。今までのところ、コロナショックは供給ショックか、需要ショックか、という考えはそれほど有効ではなく、本書でも指摘されているように、東日本大震災が生産過程の比較的上流で切断されたのに対して、コロナショックの場合は対人接触の多いセクター、例えば、飲食とか宿泊とかですから、生産過程もさることながら、最終消費にかなり近いところでショックを生じています。ですから、割合と対応策は単純であり、そのセクターをシャットダウンして、そのセクターの事業者や雇用者の所得補償をすればいいわけですが、現在の政府はGoToイートとか、GoToトラベルとかの間違った方向での対処しか示せていません。加えて、政府の情報発信に対する懐疑的な見方が支配的になってしまい、ワクチンの供給制約とともに、ワクチン副反応に対する政府対応に対する疑念がワクチン接種の進展を鈍らせる可能性も本書では示唆されています。これだけ後手に回った対応について、ここまで強引に「先手先手で対応した」といい切るわけですから、もしも、副反応が出ても言葉の上で切り捨てられる可能性が十分あることを国民は認識してしまった可能性すらあります。産業連関分析で興味深かったのは、輸出の需要創出効果がいまだに大きいという点です。しかも、対策が後手後手に回ったものだから、米国などの先進各国とは景気局面の違いが明確になってしまい、輸出が日本景気の牽引役になってしまっている現状が浮き彫りにされています。雇用につても、在宅勤務の推進が必要なのですが、ショックが大きな飲食や宿泊の雇用者が情報通信業などに何の摩擦もなく労働移動できると考えているエコノミストは少ないのではないでしょうか。最後に、政策レジームについては、ユニバーサルな金融政策を中心とする政策運営、いわゆる「金融政策一本足打法」ではなく、リーマン証券破綻後の景気後退のあたりから、財政政策の出番も多くなり、ケインズ政策の復権とも称されたりし、その流れはコロナショック後にさらに強まっています。こういった経済的な見方がいろいろと示されており、なかなか手軽な読み物として、ビジネスパーソンも含めて役に立ちそうな気がします。

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次に、雨宮処凛『コロナ禍、貧困の記録』(かもがわ出版) です。著者は、作家であり、活動家で、貧困や格差の問題に取り組んでいます。本書は、「新型コロナ災害緊急アクション」での活動を中心に、著者が「マガジン9」で展開してきたコラムを、クロノロジカルに取りまとめて出版しています。非常に危機的な新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の経済的影響がとても生々しく描写されています。初期には、仕事や収入が減った、とか、家賃が払えない、などであった相談内容が、収入がなくなった、とか、家賃が払えないためにアパートを追い出されて野宿生活に入った、などとなり、深刻度が増しているのがよく理解できます。そして、餓死の例もいくつか報告されています。仕事がなくなった外国人研修生の例、フリーランスや非正規といった低賃金かつ不安定な雇用者の例が目につきます。特に、生活保護という最後のセーフティネットの利用に関する利用者サイドの心理的な抵抗感の高まりから、かつては安定的な収入を得ていた階層までがCOVID-19の経済的影響によって大きな収入源の影響を被っている点が強調されています。特に、「生産性のある/なし、あるいは、高/低」で人間が格付けされたり、また、そういった視点で生存の基盤が評価されたりといったことは、原始時代の大昔であれば仕方なかったかもしれませんが、現代社会においてはあってはならないことです。1人1人の生活者が尊厳をもって生活でき、民主主義に積極的に参加できる基盤を提供する義務が政府にはあります。その点は忘れるべきではありません。ただ、1店だけ指摘しておきたいのは、本書の場合は政策の根源を正すのではなく、窓口での対応の悪さなどが、第一歩のアプローチとしてクローズアップされている点です。これは、私自身は許容されるべきであると考えますが、やや踏み込み不足と受け取る向きもあるかもしれません。しかし、本書は政策論をバックグラウンドに持っているとしても、COVID-19の経済的影響により困窮した人々を実際に現場で支える活動を取り上げています。ですから、統計からは読み取れない現実の経済社会を知る上で、とても貴重な記録であると考えるべきです。もちろん、EBPM的な数量分析も必要ですし、フォーマルな理論に基づく政策というのは不可欠ですが、こういった本書のような地道な活動の中から、ホントに必要な政策立案がなされるべきだと私は考えています。

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次に、NHK取材班『霞が関のリアル』(岩波書店) です。2019年3月にスタートした NHK News web の「霞が関のリアル」を取りまとめています。最新記事は今年2021年6月7日付けの「官僚の劣化? 相次ぐ法案ミス」なんですが、更新頻度はかなり間遠になっているように見えます。ということで、私も定年まで霞が関のキャリア官僚をしていましたが、私の場合は平均レベルよりも出世しませんでしたので、ホントのエリートの世界は体験としては知りません。ただ、本書でも指摘されているように、長時間労働は今も昔も変わりないようですし、公務員は特別公法関係ですから一般の雇用関連法規による規制の対象外となっています。そして、私のころと違って、労働市場の流動化が、よくも悪くも進みましたから、国家公務員から転職する若手も少なくないのは事実です。私の場合は心身の健康にはまったく問題がなく、出世しなかったおかげで、特に中年すぎくらいから、それほどの長時間労働の必要もなくなり、あまり悪い思い出はありません。逆に、本書の第12章で取り上げられているような「〇〇官」といった盲腸のような存在にはならないように、それなりに努力してきたつもりです。転職が増えた背景には、労働市場の流動性とともに、変わらぬ待遇の悪さがあります。おそらく、全国一般の平均的な賃金と比較すれば、公務員のお給料が悪いハズはないのですが、2点理由があって、ひとつは特にキャリア公務員の場合、大学の同級生などと比べると低所得感が強まります。そして、残業というか、拘束時間の長さに比べれば払いが渋いと感じます。そして、私が見た範囲では、真面目に取り組むがゆえに鬱になってしまう人が少なくないという気がします。私のように「給料の範囲で十分に働いてます」とか、「出来ないことは出来ない」と主張して、どんどんとエリートコースから外れていった公務員と違って、真面目に仕事に取り組んで解決策を見出そうとするあまりに袋小路に入っていって、結局ふさぎ込んでしまう、というパターンがありました。これがすべてではないのでしょうが、適当に流す、というのは表現が違うかもしれませんが、要するに大きな期待はされていないと自覚するがゆえに、適当に出来る範囲で処理するというのが私の方針だった気がします。そこまで、当時、自覚していたわけではありませんが、今から考えればそうだったのかもしれません。話を本流に戻すと、仕事上の必要あるのであれば、予算や組織や人員を拡充して、十分課題解決に必要な体制を構築するべきであり、一般の民間企業と違って、歌詞味が席は国債を発行して日銀からマネーを受け取ることが出来るわけですから、ホントに処理すべき仕事であれば、そういった業務遂行体制の拡充が必要です。それが出来ないのであれば、何らかの優先順位で仕事を処理するほかはありません。

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次に、佐々木信夫『いまこそ脱東京!』(平凡社新書) です。著者は、東京都庁勤務を経て学界に転じ地方自治などを専門としつつ、今は大学も退職しているようです。私は昨年3月末に東京を脱出して京都に引越し「東京脱出」をしたわけですが、本書のタイトルの「脱東京」とは、私が1年余前に経験した「東京脱出」ではありません。本書を読み始めた途端に、その失敗に気づいてしまいました。本書の「脱東京」とは、正確には何ら定義されていません。要するに、「道州制」に近い「州制度」を日本に導入して地方分権を進め、その前提として東京へのアクセスを含めて地方間の高速交通網を積極的に無料化を視野に活用する、というもののようです。ややガッカリです。ですから、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックとは何の関係もありません。しかも、地方分権をすすめるのは、重複する地方行政のムダを省いて財政赤字を回避するためだそうです。ですから、維新が提起した大阪都構想が否決されたのが残念でならない様子です。より正確に私なりに翻訳すれば、維新と同じ方向であり、地方行政を削減して住民の負担により緊縮財政、そして、財政再建を成し遂げる、という内容です。その前提として、新幹線、高速道路、航空の高速移動手段をフリーパスにし、地方間、といいつつも、実態は東京都のアクセスをよくすることが必要不可欠のようですから、およそ、実効が上がりそうもありません。本書でも言及されている「神山の奇跡」は、こういった高速交通網がなくても実現していますし、何よりも雇用が生まれたことが大きな要因だと私は受け止めています。雇用を作り出すことに何ら有効な手段がない本書のような構想は、繰り返しになりますが、まったく実効が上がりそうもありません。2時間ほどで済ませられたのが幸いでしたが、今年一番の残念な読書でした。

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最後に、浅葉なつ『神様の御用人』第9巻/第10巻(メディアワークス文庫) です。著者は、関西在住のラノベ作家です。一応、新刊書読書ということで第9巻/第10巻だけを取り上げますが、当然ながら、第1巻から第10巻まで私は全巻を読んでいます。高校生とかに人気のラノベで、マンガ化もされているんですが、基本的な舞台は京都ながら、神様の御用人を務めるわけですので、その神様の御用人は全国を飛び回ります。その神様の御用人が主人公の萩原良彦であり、大学を卒業して野球の特別枠で実業団野球チームの会社に勤務し始めたものの、膝だかどこか足を痛めて野球ができなくなって会社を辞め、今はフリーターです。そして、ひょんなことから、宣之言書(のりとごとのしょ)を入手して、祖父の跡をついで神様の御用人となります。そして、方位神の黄金とともに神様の御用を遂行します。もちろん、他にも登場人物はいて、主人公の萩原良彦の高校からの友人で、神職の勉強を大学で終えて大主神社の権禰宜をしている藤波孝太郎、そして、藤波孝太郎の勤める大主神社の宮司の娘である吉田穂乃香などです。吉田穂乃香はいわゆる天眼であり、神様や眷属が見えます。どうでもいいことながら、一応、主人公の萩原良彦は御用を果たしている時だけ神様や眷属の姿が見えて、会話を交わすことが出来ます。眷属とは、この場合、稲荷神社のキツネのようなものです。最後の第9巻と第10巻は、東西で分かれた金龍と黒龍のうち、蝦夷の母となった東の黒龍が、既存秩序の大崩壊と新規の国造りを意味する「大建て替え」を試みるのを、人の子である主人公の萩原良彦が説得して止めさせる、ということになります。最初の柱は、一言主大神でした。ゲームに熱中する引きこもりの中学生という出で立ちで現れます。それ以来、多種多様な神様の御用を主人公の萩原良彦ガス移行します。特に、印象的な神様は、出雲の大国主神とその妻である須勢理毘売の夫婦神です。イケメンと美女の夫婦神であり、主人公の萩原良彦が彼らの御用を果たした後も、何くれとなく協力してくれたりします。作者の神社オタクもなかなかのもので、仏教徒、それも浄土真宗門徒である私なんぞの知らないことが満載でした。私のような年配者でも十分に楽しめる読書でした。このシリーズはここで完結するわけでもないようで、未知の領域ながら、今後の展開を含めてオススメです。

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