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2021年7月17日 (土)

今週の読書は経済書なしでサンデル教授の話題の新著をはじめとして計5冊!!!

今年度前期授業の終盤を迎えて、リポートや何やと少し忙しくしていた今週の読書は、久し振りに経済書なしで、サンデル教授の話題の新刊をはじめ、小説も含めて以下の通りの計5冊です。それから、毎週アップデートしていますところ、今年に入ってからの読書は、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月で56冊、今日取り上げたものを含めて7月で17冊、これらを合計して129冊になりました。来週は、すでに手元に、東大大橋教授の『競争政策の経済学』を借りて来ており、ほかにも何冊かあります。もうすぐ夏休みも始まることから、いろいろな本を読むべく読書の時間を確保したいと考えています。

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まず、マイケル・サンデル『実力も運のうち』(早川書房) です。著者は、「ハーバード白熱教室」でも知られる米国の政治哲学の研究者です。コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者であり、私は、この著者の代表作である『これからの「正義」の話をしよう』と『それをお金で買いますか』を読んだ記憶があります。英語の原題は The Tyranny of Merit であり、2020年の出版です。なお、東大本田由紀教授が最後の解説を書いています。ということで、「メリット」という用語は、日本ではデメリットと対にされて「長所」とか「美点」のような使われ方をしますが、巻末のホンダ教授の解説にもあるように、本書では多くの場合「能力」と訳されており、「功績」にも近いとされています。ですから、本書では邦訳タイトルにあるように、運をはじめとして自分ではどうしようもない宿命のようなものに対して、自分で努力すればなんとかなる能力や実力のようなものを指していると考えられます。そして、大学卒の学歴をはじめとしてサンデル教授は幅広くこういった実力主義に疑問を投げかけています。私も大学の教員の端くれですので、少なくとも、貧困からの脱却においては大学卒の学歴は有効だと何度か主張したこともありますし、今でもそう考えています。ただ、サンデル教授の考えもわからないでもなく、特に、学歴エリートを重用した米国オバマ政権が、それらのエリートから見下されていたように感じた白人労働者階級などから反発を受けてトランプ大統領の当選につながった、という視点は、ある程度理解できます。学歴主義、特に大学の学歴、さらに、大学院での学士号を超える学位の取得により、いわゆるアメリカン・ドリームの達成が近づく可能性が大きいものの、逆に、そこから取り残された階層が格差や不平等に不満を持つ可能性も高いわけです。そして、そういった学歴に基づく格差は「努力の賜物」として肯定される可能性が高くなるものの、サンデル教授から見れば、少なくとも実力100%ではなく、運の要素もかなりの程度に混入しており、そういった世間一般で肯定される格差も含めて是正する必要がある、というのが本書の主張です。実は、昨年2020年11月21日付けの読書感想文で取り上げたコリアー教授の『新・資本主義論』も、本書ほどではないにしても、大学卒のテクノクラートの所得増という意味で格差が広がっているとして、かなり似通った主張をしています。そして、結論の最後のパラグラフで自分の「才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない」としています。私もかなりの程度に同意しますが、それでも日米の違いについて2点指摘しておきたいと思います。まず第1に、米国での格差拡大はICT関連のスキル偏重型の技術革新にも支えられて、所得階層の上位層がさらに所得や富を増やすことによって深刻化しています。オキュパイ運動の99%なんかに典型的に現れています。しかし、日本では賃金が伸び悩む中で所得階層がさらに所得を減少させることにより格差が拡大しています。非正規雇用に典型的に現れています。ですから、所得階層から、あるいは、貧困からの脱却のためには、私の見方のように、大卒の学歴は有効であり、もちろん、格差を拡大する可能性は否定しないにしても、米国ほどの深刻さはないものと考えるべきです。第2に、運とか宿命を強調する際、例えば、パットナム教授の『アメリカの恩寵』ではありませんが、米国のように極めて宗教色の強い社会では、それなりの受容度がある一方で、欧州や、ましてや日本のような神や宗教の役割をそれほど認めない場合、混乱を来す可能性が米国より強い可能性があります。すなわち、運命を認識すれば、より謙虚な態度が生まれるとサンデル教授は指摘していますが、その運命が神によってもたらされたと考えない日本人は、どう考えるべきなのか、やや迷う人もいるかも知れません。あるいは、神の存在を否定する私のような人間は、運の占める比率を過小に評価する可能性もあります。このあたりを注意して読むとさらに、サンデル教授の指摘がクリアになるように私は感じています。

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次に、斎藤文男『多数決は民主主義のルールか?』(花伝社) です。著者は、もう90歳も近い憲法学の大御所であり、九州大学の名誉教授です。とても端的に、多数決ではなく、民主主義の方を多数の支配か、あるいは、人民の統治かで考えており、やや単純化が過ぎるような気もしますが、後者の方を推奨していることはいうまでもありません。私の知る限りでも、英国のサッチャー元首相を礼賛するマルキストの経済学者が知り合いにいるんですが、そのエコノミストからすれば、民主主義は決定の方法であり、むしろ、サッチャー元首相が重視した自由のほうが重要、というものです。サッチャーらいさんとともに、本書の多数決と民主主義の定義については、私は少し違和感があり、むしろ、多数決の方が決定方式とか、多数の支配ではないのか、と受け止めています。逆に、民主主義は1人1人が主体的に決定に参加するとともに、その決定の結果において1人1人が平等に尊重されることである、と考えています。まあ、後者の1人1人が等しく尊重されるというのは、多数の支配の否定に近い気もしますが、やや違うと私は考えています。ですから、本書に戻ると、多数決の限界として人権の否定は多数決ではなし得ない、としています。加えて、国会で頻発する強行採決は、もちろん、多数の支配として本書では否定的に取り上げられています。ただ、本書の論法も極めて混乱しており、ルソーやロックといった民主主義に関する人類の大いなる遺産と呼んでもいいような研究をひもとく一方で、タイトルにある疑問文について、本書冒頭(p.3)で早々に「多数決は民主主義に固有のルールではありません。万能でもありません。人権保障の限界があります。」と結論を述べており、それでは本書タイトルの疑問はお終い、ということになりかねません。しかも、むすび(p.166)では「結論はどうなんだ」と自らに問うと、「わたしたちは問いの立て方を間違えたようです。問題の核心は、なにごとも多数決できめてよいのか。多数決に限界がありはしないか、ということだったのです。」と、大きなちゃぶ台返しを演じています。ただし、私の目から見て、このむすびの問であれば第4章の多数決の限界-人権保障で尽きているわけで、何をどう論じようとしていたのか、著者にも大きな混乱があるように思えてなりません。加えて、第5章で人民の多数決、すなわち、直接民主主義の危険性をヒトラーの例を引きながら指摘するのはまだいいとしても、ご自分の経験からか、地方公共団体における政治倫理条例制定運動に関しては、かなり脱線がひどいと私は感じました。「90歳に近い大御所」と年齢的な指摘を冒頭でしましたが、本書のご指摘はそれなりに私も受け入れられる部分が多いと感じていますし、前の安倍内閣や今の菅内閣のように強権的な決定方式を多用する印象ある内閣がはびこる中で、とてもタイムリーな内容なのですが、それ相応に十分に警戒心を持って読みこなす必要がありそうです。

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次に、桐野夏生『日没』(岩波書店) です。著者は、直木賞作家です。この作品は、岩波書店の雑誌「文学」と「世界」に掲載されたものを単行本としています。ということで、とてもショッキングな内容です。女性作家のもとに、総務省文化文芸倫理向上委員会と名乗る政府組織から召喚状が届いたため、出頭先に向かった作家は断崖に建つ海辺の療養所へと収容され、そのまま「診療」と称して幽閉生活を余儀なくされる、というストーリーです。そして、その療養所での生活を克明に綴っています。要するに、政府によって「表現の自由」が奪われるとすれば、こういったことなのだろうと想像させるに十分なSF小説ともいえます。そもそも、セックス描写があからさまだとか、差別的な表現があるとかで、決して権力批判ではなく、そういった形で、割合と社会的にも受け入れられやすい理由で療養所に収容され、そこでは、スマホはつながらず、電話や手紙も禁止され、新聞やテレビなどの外からの情報も得られず、所長から「社会に適応した小説」を書けと命ぜられたりして、徐々に作家としての見識が鈍化させられます。もちろん、生活としても、食事の貧しさや入浴時間や回数の制限など、いかにも刑務所を思わせる待遇です。その上、高速技を着用させられる罰則などもある上、精神科医の診断でいかようにも待遇が変化しかねません。中には、密告者も配置されており、徐々に主人公が精神を蝕まれてゆくさまが克明に描写されています。実際の我が国では、ここまでの表現の自由を制限されていないのではないか、という意見はあり得ると思います。しかし、前の安倍内閣では「特定秘密保護法」と「共謀罪」が成立しましたし、地方公共団体によってはヘイトスピーチ条例などが制定されているところもあります。ポリコレも装いつつ、こういった形で、徐々に表現の自由が制限されている恐れすらあると考えるべきではないでしょうか。他方で、政府の重要な文書も自分たちに都合の悪いものは改竄されています。官僚は人事権を官邸に握られ、過剰なまでの忖度をし、メディアは首相や官房長官と食事をして情報を流してもらって、同時にコントロールもされていることに気づきません。そういった現実を考えるにつけ、本書の表現の自由の制限は、決して誇張されているわけではなく、現在の方向をそのまま将来に引き伸ばせば、こういった事態につながりかねないと警告しているようでもあります。オーウェルの『1984』にも匹敵するディストピア小説です。今週の読書の中では、私として多くの方に読んでほしい作品のナンバーワンなのですが、それだけに、心して読みたい小説です。

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次に、藤崎翔『あなたに会えて困った』(双葉社) です。著者は、お笑い芸人として活動した後、エンタメ小説家に転身し、デビュー作の『神様の裏の顔』は私も読みました。ということで、この作品では、刑務所から出所したばかりの空き巣は、初恋の人と再会して、懐かしい過去を思い出すとともに、この昔の恋人を窮地から救うために、いろいろと策動する、というストーリーなのですが、最後に大きなどんでん返しが待っている、ということになります。これから先は、ある意味で、この作品もミステリですので、口をつぐみたいと思います。ただし、1点だけ明らかにしてもよかろうと思うのは、本書は叙述トリックによるミステリです。ですから、表現によって読者をミスリーディングしながら、書き進められています。そして、よくあるように、最後まで読んでからもう一度最初から2度読みする、のが、まあ、謳い文句になっていたりするのですが、残念ながら、この作品にはそこまでのクオリティはありません。悪いですが、「ふーん、そうなの」で終わりです。私はそれほど多くの作品を読んでいるわけではありませんが、例えば、乾くるみの『イニシエーション・ラブ』、我孫子武丸『殺戮にいたる病』、綾辻行人『殺人鬼』などが私の読んだ叙述トリックの中で出来のいいものですが、これらの作品までの高い完成度は求めない方がいいと私は考えます。しかも、最後の方で、いかにもといった形で、不必要なまでのクドクドと種明かしがされます。これも、初心者向けの趣を持っていたりします。この作品では、叙述トリックで読者をミスリードするために、現在の出来事と過去の高校生であったときの出来事が交互に進行しているように書き分けられていて、そのあたりは、まずまず考えられた構成であると私も思います。ただ、主人公の視点からだけ書き進められていて、その主人公が誰であるのかをしっかりと把握していれば、大きなサプライズはなくラストまで読み進めるような気もします。我孫子武丸『殺戮にいたる病』では3人の見方が交錯するように書き進められているのですが、ここまでの高度な描写を求めるのは少しムリがあるのかもしれません。読者をミスリードすることに集中するあまりストーリーの本質の面白さを少し軽視したのかもしれません。ミステリとしてはまずまずの出来だといえますし、時間潰しにはもってこいですが、大きな期待は慎むべきであると考えます。

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最後に、太田肇『同調圧力の正体』(PHP新書) です。著者は、同志社大学の研究者で、組織学を専門としています。タイトル通りに、日本社会の窮屈さを同調圧力の観点から解き明かそうと試みています。そして、極めて単純化すれば、組織には2種類あり、第1に、地域社会や、特に、家族・親戚といった自然発生的な共同体、そして、第2に、何らかの利害の一致する人々が意図的に構成する組織、ということになりますが、利害関係者で集まったドライであるはずの組織が、日本では共同体的な親密な関係で構成・運営されているから、どうしても同調圧力が高くなる、ということになります。しかも、構成員が同質的で同調しやすければ、組織は超過的な貢献を求めることが可能になり、例えば、企業では利益を出しやすくなる、とういうことになります。ですから、企業も体力ある限り、あるいは、社員の賛同が得られる限り、本来の企業活動以外の活動、社員旅行を企画したり、運動会を開催したりといった活動に力を注ぐことが合理的となるわけです。そうすれば、本来の合理的な部分を超える貢献が期待できるわけで、社員のサイドからは非合理的なのかもしれませんが、企業経営の方から見れな合理的なわけです。それが、私の解釈する限り、いわゆる「義理と人情」の世界だと思います。そして、コロナ禍の中でさかんになったテレワークについては、この日本的な同調圧力が非生産的な方向で作用している可能性も示唆しています。すなわち、アドビの調査によれば、米国ではテレワークの生産性は以前の形態の仕事と比べて同等か生産性が上昇したとの回答が多いのに対して、日本では生産性が下がっているようなのです。これは私が見た範囲でも、経済産業研究所のペーパーでも生産性が⅔程度に一たという結果が示されていますし、妥当なところと受け止めています。従って、対面による暗黙の了解といった日本的な生産性の上げ方がテレワークでは失われている可能性を本書では示唆しています。加えて、オフィシャルな仕事だけでなく、いわゆる自粛の動きでもって、強権的なロックダウンを必要とせず、日本では第1波のコロナ感染拡大を乗り切ったわけですが、それについても、「自粛警察」的な動きとともに、やはり、日本的な同調圧力の強さが関係していると指摘しています。そうかもしれません。この同調圧力をはねのける方法も3つほど示されていまう。私自身は、役所という対面かつ同調圧力の強い職場から、大学教員というより独立性の高い職場に再就職しましたが、やっぱり、それでも同調圧力は強いです。たぶん、東京という大都会から関西の片田舎に引越したという地域性もあるんだろうとは思いますが、組織がフラットであるにもかかわらず、たぶん、人に押し付ける圧力の異常に高い人々が集まっているせいでもあろうかと考えて、ブツクサと文句をいうばかりです。

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