今週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!
今週の読書は、昨日ポストした森達也[編著]『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2021年前半』(論創社)も含めて、経済書が2冊、小説が1冊、新書が3冊の計6冊ですが、昨日1冊取り上げていますので、恒例の土曜日の読書感想文で本日紹介するのは以下の5冊となります。そして、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、昨日と今日に取り上げた5冊を含めて7~9月で59冊、これらを合計して171冊になりました。今年2021年の新刊書読書はほぼほぼ確実に200冊を超えるものと予想しています。なお、来週の読書は、経済書を差し置いて、東野圭吾『透明な螺旋』、ガリレオ・シリーズの最新巻をすでに購入してありますので楽しみです。
まず、山形浩生『経済のトリセツ』(亜紀書房) です。著者は、クルーグマン教授らの著作の邦訳者として有名なんですが、他方で、本書の冒頭にもあるように、途上国や新興国の経済開発のコンサルタントでもあり、というか、ソチラが本業となっています。本書はご本人のブログ、その名も「山形浩生の『経済のトリセツ』」やその他のメディアで明らかにされてきた小論を取りまとめています。そして、エコノミストとして、というか、経済学の観点からは、本書の著者はクルーグマン教授の影響もあって、完全にリフレ派ですし、財政政策についても反緊縮の考えを展開しています。もっとも、最近のバズワードである「反緊縮」という言葉は使っていなかったように記憶しています。特に、成長と格差については秀逸な指摘があります。私は日本はまだまだ経済大国である必要があると授業などで力説するのですが、そのココロは伝統的に米国がラテンアメリカの地域利益を代表し、時に、欧州がアフリカの利益を代弁するのに対して、我が日本はアジア、特に東南アジアのまだ外交力が十分でない国に代わって国際舞台で外交力を発揮する必要があるからです。余計なお世話かもしれませんが、中国が東南アジアの利益を代弁するどころか、東南アジアに対して海洋進出をしているような現況では、まだまだ、日本が成長をストップさせて国際舞台の後景に退くべきではないと考えています。まあ、大国主義というか、覇権主義的な趣きがあるような気がするのは否定しませんが、そうだったとしても、たとえそうだったとしても、少なくとも軍事力や何やではなく、経済規模が日本のもっとも大きな外交力のバックグラウンドとなっている点は忘れるべきではありません。その点は本書でも視点を共有しているような気がします。加えて、格差についても、Googleの生産性高くてお給料も高いSEでも、自分1人で生産性を高めているわけではないと本書でも主張されています。スタバのコーヒーが生産性の基だったりしますし、時には、ジョークながら、メイド喫茶で気分転換を図るのも高生産性を支えているかもしれません。いうまでもなく、清潔で快適なオフィス環境は、おそらく低賃金なエッセンシャルワーカーが支えています。こういったスピルオーバーの大きな、というか、それだけではないにしても、生産性高くてお給料も高い人は、低賃金労働者によって支えられているわけであり、現在のような格差は私にも容認できません。その点でも秀逸な「雑文集」だという気がします。
次に、ジョン・コナリー『キャクストン私設図書館』(東京創元社) です。著者は、アイルランド出身のホラー/ファンタジー小説家で、邦訳作品はかなり少ないのではないかと思います。本書の英語の原題 Night Music: Nocturnes Volume 2 はであり、2015年の出版です。英語のタイトルに"2"がついていますが、この前作の『失われたものたちの本』除くへ、というか、スピンオフ作品のようです。前作は私も読んでいて、ホラー、というか、冒険譚の色彩の強いファンタジーであるのに対して、本書はホラーの要素はそれほど強くない短編集です。特に本書のタイトルとなっている短編「キャクストン私設図書館」はフィクションである小説の登場人物が実在する図書館、あるいは、アーカイブという設定です。図書館に、アンナ・カレーニナ、オリヴァー・ツイスト、ハムレットなどが暮らしているわけです。もちろん、タイトル通りに、本にまつわるトピックが満載であり、私のような読書好き、本好き、物語好きにはとても心地よい仕上がりになっています。日本の古い物語ですが、「うらしまたろう」なんて、玉手箱を開けておじいさんになった後、どうなるのだろうか、と小さいころに気にかかった記憶がありますが、「うらしまたろう」に限らず、完璧に物語が終わることはあり得ないわけで、物語や小説の「その先」というのは常に気にかかるところです。最後に置かれた短編の「ホームズの活躍: キャクストン私設図書館での出来事」は、とても不可思議なできごとのひとつとして紹介されていて、名探偵シャーロック・ホームズを中心にした作品です。もちろん、相棒のワトソンも出てきて、ホームズとワトスンが実体化したがゆえに、図書館がピンチに陥る、というストーリーです。その間に置かれた「裂かれた地図書 - 五つの断片」はややホラー色を持っていて、それ故に、ブラム・ストーカー賞も受賞しているそうです。繰り返しになりますが、本や小説に関わる物語が多く収録されていて、それでも、決してありえないようなファンタジーないし怪奇小説の趣あるものもあり、日本の日常を離れて非日常の世界に遊ぶことの出来る短編集です。やや、とりとめなく収録されているのは気にかかりますが、短編集としてオススメです。
次に、井上文則『シルクロードとローマ帝国の興亡』(文春新書) です。著者は、早大の歴史研究者です。紀元前後のローマ帝国や中国の漢も含めて、シルクロードからその興亡や歴史的な変遷を説き起こしています。歴史研究者の中には、古くからの支配層の交代の歴史を重視する向きも少なくありませんが、本書は、ある意味でマルクス主義的な観点かもしれませんが、経済や公益を重視して、それが「上部構造」である文化や政治を決める、に近い視点を持って歴史を解説しています。すなわち、当時のシルクロードの両端は、繰り返しになりますが、ローマと漢であったわけですが、通常の歴史で注目されるこの両国が当時の先進国であったわけでも何でもなく、ペルシャのような西アジアこそが当時の先進地域であり、漢の中国は先進地域に輸出するものが絹と金銀しかなく、前者はシルクロードの語源となり、後者の貴金属の流出により漢が、というか、その後の中国が経済を衰退させて、いわゆる暗黒の中世の時代に入っていった、と指摘しています。他方、ローマについては、やはり、貴金属の流出もあったとはいえ、ササン朝ペルシャの勃興により、シルクロードの交易がもうからなくなり、国家としての関税収入も減少し、傭兵に支払う年金の原資が細ったことが「蛮族」の反乱を招いた、と主張しています。本書でも触れているように、ローマ帝国の滅亡はイスラム勢力によって商業が衰退して農業に頼らざるを得ないアウタルキー経済に陥った、すなわち、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」とするピレンヌ・テーゼが有名なのですが、私は本書の指摘はそのバリエーションの一つという受け止めている一方で、著者は異なる主張のように考えているようです。いずれにせよ、イスラム勢力の関与の程度に差はあるとはいえ、ローマ帝国の興亡が、漢と同じく、シルクロードに依存していることは興味ある主張だという気がします。
次に、小塩海平『花粉症と人類』(岩波新書) です。著者は、医学ではなく能楽の研究者であり、専門は植物生理学だそうです。タイトルの並列されたうちの「人類」のサイドの専門家ではなく、「花粉」の方の専門家といえます。本書は岩波書店の月刊誌『世界』の連載を新書で出版しています。ということで、私自身は15年前の40代後半に花粉症を発症して、年々重篤化して現在ではほぼほぼ通年性の花粉症、すなわち、2月から4月までのスギとヒノキに限定せずに、他の多くの植物の花粉にアレルギーを持つに至っています。知り合いの医者によれば、年齢とともに免疫作用が低下して、同時に花粉症も軽症化するといいますが、花粉症の影響を逃れるのは95歳くらい、と聞き及んでおり、そこまで私は長生きする自信がありません。歴史を振り返ると、上の画像にもあるように、ネアンデルタール人は現生人類であるホモサピエンスではないのですが、すでに花粉症を患っていた可能性を本書では指摘しています。ただ、日本では、せいぜいが1980年代から花粉症が広く認識され始めたに過ぎないようですが、ギリシア・ローマの古典古代からそれらしき症状はあった、という歴史がひもとかれています。日本ではせいぜいさかのぼっても、1961年にブタクサ花粉症、1964年にスギ花粉症が報告されているに過ぎないと本書では指摘しています。そして、歴史的な観点からは、英国が全盛期を迎えたヴィクトリア朝のころには、むしろ、貴族のステータス・シンボルとみなされていたらしく、私もそのころに生きていれば今と違って尊敬を勝ち得たかもしれないと、ついつい、考えてしまいました。花粉症リゾートを楽しんでいたかもしれません。また、我が阪神タイガースの田淵選手の引退も花粉症が原因のひとつであった、と指摘しています。そうかもしれません。
最後に、加藤久典『インドネシア』(ちくま新書) です。著者は、中央大学の研究者です。我が家は2000年から2003年まで、一家4人でジャカルタの海外生活を送っていたことがあり、いろんな意味で関係の深い国であろうと考えて読んでみました。ただ、上の表紙画像にも見られるように、副題が「世界最大のイスラームの国」となっていて、ほぼほぼイスラム教の観点からだけ取りまとめられていて、とてもがっかりさせられました。インドネシアという国は本書冒頭にもあるように、とても多様性に富んだ国なのですが、その多様性を少なくとも宗教に関してはまったく無視して、イスラム教からだけインドネシアを論じていて、私から見れば、とても残念です。そして、極めて単純化すれば、イスラム教発祥の地である中東のイスラム教は、神政主義国家もあったりして原理主義に近くて、まあ、何と申しましょうかで、ある意味で、先鋭的であるのに対して、インドネシアのイスラム教はマイルドで穏健である、という結論に終止しているような気がします。それはそうでいいのかもしれませんが、インドネシアを取り上げる際の着眼点として、イスラム教の一本足打法でいいのかどうか、私には疑問です。気候や国民性、産業や日本との関係、などなど、宗教以外にも、あるいは、宗教でもイスラム教以外にも、いろんな着眼点があるにもかかわらず、イスラム教一本槍の本書は誠に残念極まりありません。
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