今年初めてのブログ投稿は4冊分の読書感想文から!!!
昨夕にようやくインターネットが開通しました。引越しを機に回線業者を変更し、とても快適なネット環境を手に入れることができました。
ということで、今週、というか、2022年が明けて最初の読書感想文は以下の通りです。この私のブログの土曜日の恒例の読書感想文です。いつもは午前中の早い時間帯にポストするのですが、今日は実は、通常出勤日でした。大学生という20再前後の若者を相手にする大学教育ですので、明後日の「成人の日」は重要なイベントです。その月曜日の授業を本日の土曜日に代替して出勤する、というか、正確には私の場合は出勤したわけではなく、オンライン授業を行ったわけです。まあ、そこそこお給料はくれるのですが、人使いの荒い職場だという気がしないでもありません。この3連休は軽いウォーミングアップの期間とし、来週火曜日からは本格的にブログを復活させるべく計画しています。
まず、小倉義明『地域金融の経済学』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、早稲田大学の研究者です。本書は7章構成となっていますが、第3章まではたいとるのような地域金融機関ではなく、ゼロないし低金利下で利ざやが極めて薄くなった金融機関の経営分析などに当てられており、地域金融機関だけではなく、ほぼほぼすべての金融機関に当てはまる分析となっています。著者も十分認識しているようで、第4章の冒頭にはその旨の断り書きがあったりします。それはさておき、私は今回の引越しでもまとまった額の住宅ローンを組んだのですが、地元の地銀から借りました。大学の給与振込も同じ地元地銀です。実は、東京で初めて買ったマイホームはメガバンク系列の信託銀行から住宅ローンを借り入れたのですが、ハッキリいって、かなり大きな差を感じました。今度の地銀のようなビジネスをやっていては顧客が逃げます。私自身も出来る限り早くローンを返却して、ローンを返却し終えた暁には、給与振込も別の銀行に変更して、早々に口座を解約したいと考えています。それほどひどいビジネスをやっています。私も実体験をしてびっくりしました。ですから、昨年2021年12月11日付けの読書感想文でも、平凡社新書の高橋克英『地銀消滅』を読んで取り上げましたし、もう少し専門的な本書を大学の図書館から借りてみました。本書でも、金融の大幅緩和下で利ざやが縮小し、リスクテイクに走る地銀の姿が定量的に浮き彫りにされています。ただ、本書では、地域経済の困難を人口減少の観点からだけ捉えて、それを指標とした定量分析を行っています。確かに、都道府県別で地域経済衰退のひとつの指標としては考えられるところであるものの、ほかの代理変数はなかったのだろうかと思わないではいられませんでした。私も長崎という高知などとともに地域経済の衰退の激しい県で大学教員をしていた記憶がありますし、人口というのもいいような気もしますが、最大の懸念は人口がそれなりにキープされている沖縄県が特殊な例外になりそうな気がする点です。もう一つは、私の実体験に基づく実感で、人口減少との関連性低く地銀ビジネスの展開が極めて低レベルである点です。この地銀ビジネスのクオリティの低さが、ひょっとしたら、低金利下の利ざや縮小や人口減少とは関係なく地銀経営悪化の大きな要因なのではないか、と思わなくもありません。
次に、フィリップ・コトラーほか『コトラーのH2Hマーケティング』(KADOKAWA) です。著者は、現在のマーケティング界の大御所といえる存在であり、長らく、米国ノースウェスタン大学の研究者でした。でも、本書については、私のクレジットでは「ほか」で済ませてしまったのですが、ファルチ教授とシュポンホルツ教授の2名の共著者がいるようで、実は、この2名のドイツ語の出版が元になっているようです。英語の原題は H2H Marketing であり、2020年の出版です。ということで、本書第5章のpp.308-09の2ページに渡って、戦後の学術的なマーケティングの歴史がコンパクトなテーブルに取りまとめられているのですが、本書はその流れから大きく外れて、H2H、すなわち、Human to Human、人と人を結ぶマーケティングがクローズアップされています。そして、今までのマーケティングは、私が行動経済学と対比させているように、いかに消費者、あるいは、他企業の購買部門を「騙して」とまではいわないまでも、「丸め込んで」自社の製品やサービスを購入させるか、という点に重点が置かれていたマーケティングを大きく転換し、「愛される企業」=Firms of Endearmentを目指すか、を目標に掲げています。私は経営学や、ましてや、マーケティングについてはそれほど専門的な知識も経験もありませんが、伝統的な経済学では、企業とは利潤最大化を目標とするgoing-concernの経済主体であると考えられています。そして、企業においては資本ストックと労働力を組み合わせて、付加価値を生み出す生産関数を基に活動を行っていると私は理解しています。ですから、本書の「愛される企業」と伝統的な経済学の両方が正しいとすれば、企業が愛されるようになれば利潤も増加し、最終目標である利潤最大化に対する目先の第1次目標が「愛される企業」である、と、理解することが出来ます。しかし、私は自信がありません。違っているような気もします。というのは、本書で、マーケティングについて論じている一方で、ユニバーサルなベーシックインカムについても取り上げていたりします。ホンの少しだけ言及している程度ですが、マーケティングの学問領域を大きくはみ出している気がします。もはや、マーケティングというよりは大きなく、ウリでの経済社会の哲学を論じているような雰囲気すらあります。決して、「オススメ」とまではいいませんが、とても興味深い議論の展開で、私自身も共感できる部分が少なくありませんでした。
次に、山口薫・山口陽恵『公共貨幣入門』(インターナショナル新書) です。著者は、同志社大学から、現在はトルコの国立アンカラ社会科学大学の研究者と日本未来研究センターの研究者です。タイトル通りに公共貨幣ということで、中央銀行から発行される負債証券としての貨幣ではなく、政府が発行する資産としての貨幣に置き換えることを主張しています。日銀は廃止されて貨幣発行に関する政府部門となり、銀行のプルーデンス規制は字部分準備制度から100%準備を要求され、決済機能に特化したナローバンキングとなることを想定しているように私は読みました。そもそも、そんな貨幣制度改革が可能か、あるいは、必要かという議論が完全に抜け落ちていて、著者2人の信念を延々と展開しているだけですので、それほど判断材料がありませんでしたが、この公共貨幣システムに移行すれば、現在の日本経済が成長を取り戻すというロジックは、頭の回転が鈍くて私には理解できませんでした。おそらく、リフレ派と同じように、公共貨幣に切り替えた上で、ジャカスカ貨幣供給を増加させる、そして、財政資金はマネタイズして財政からも高圧経済を目指す、ということなのだろうと想像しています。他方で、現代貨幣理論(MMT)は激しい批判の対象となされています。直感的な私の理解によれば、公共貨幣論者は私のようなリフレ派よりも、そして、ついでながら、MMT)論者よりも、さらに左派の経済学ではないかと思うのですが、伝統的、というか、現時点での主流派的な私の経済学の理解では、本書をキチンと評価することは難しいような気がします。お手上げです。
最後に、武井彩佳『歴史修正主義』(中公新書) です。著者は、学習院女子大学の研究者であり、専門はドイツの現代史、特に、ホロコースト研究だそうです。本書では、決して学術的ではなく、科学的な歴史学ではない「歴史修正主義」、そして、その歴史修正主義にすら入らないホロコースト否定論について議論を展開しています。日本でも、1995年2月に文藝春秋社が発行していた雑誌『マルコポーロ』がホロコーストを否定する記事を掲載して自主廃刊したこともありますし、ナチスやアウシュビッツなどのホロコーストに焦点を当てた本書のスコープの外ながら、日本でも侵略戦争を美化し、アジア四国を欧米の植民地から「解放」した、とする論調の歴史修正主義もまだまだ見受けられるところですから、こういった本書のようなキチンとした論者による解説は有益であろうと私は考えます。欧州でもネオナチのようなポピュリスト政党が支持を伸ばし、フランスでも右翼政党が大統領選で得票を上げるなど、ポピュリスト化や右翼化が進む中で、政治的な思想信条の自由、あるいは、表現の自由から大きくはみ出した形での歴史改竄の形を取る歴史修正主義に対しては、フェイクニュースなどのチェックとともに、ポストトゥルースの時代にあって、正しい対応を身につける必要があるといえます。
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