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2022年2月19日 (土)

今週の読書は最新かつ実証的な経済書2冊のほかミステリも含めて計5冊!!!

今週の読書感想文は以下の通りです。まず、宇井貴志ほか『現代経済学の潮流 2021』(東洋経済) では、2020年度に開催された春秋の日本経済学会の大会から会長講演論文、各賞受賞講演、特別報告、パネルディスカッションなどを収録しています。伊藤公二『グローバル化と中小製造業の選択』(京都大学学術出版会) では、著者が京都大学出向時の研究成果を取りまとめていて、メリッツ教授の新々貿易理論を我が国の中小製造業に当てはめた実証分析を展開しています。織守きょうや『花束は毒』(文藝春秋)は結婚直前に送られてくる脅迫状にまつわる謎が解き明かされます。田村秀男『「経済成長」とは何か』(ワニブックスPLUS新書)では、ジャーナリストの著者が、タイトルにとらわれずに幅広く経済社会を解説していますが、一般的なビジネスパーソンよりも少し経済学や経済の知識が不足していても十分読みこなせるようなレベルを目指しているのかもしれません。すなわち、一般的なビジネスパーソンにはやや物足りないかもしれません。最後に、中井治郎『日本のふしぎな夫婦同姓』(PHP新書) では、結婚した男女の96%が男性の姓に合わせている日本の夫婦同姓について、社会学の研究者であり、女性の姓に合わせた著者が自分の経験を含めて不思議かつ不可解なシステムを解明します。詳細は以下の通りです。
なお、これで、今年2022年に入ってからの新刊書読書は、本日の5冊を含めて計32冊となっています。それから、このブログでは取り上げませんが、高嶋哲夫『イントゥルーダー』が今年に入ってから新装版として文春文庫から出版されています。Facebookでシェアしてありますのでご参考まで。

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まず、宇井貴志ほか『現代経済学の潮流 2021』(東洋経済) です。著者は、日本経済学会の発行する『季刊理論経済学』のエディタであり、本書は2020年度に開催された春秋の日本経済学会の大会から会長講演論文、各賞受賞講演、特別報告、パネルディスカッションなどを収録しています。収録は、まず、第1章 「ナッジで人を救えるか」は大竹文雄教授の会長講演です。第1章については、第7章とともに、後ほど詳しく考えます。第2章 「経済理論と実証分析に基づく電力市場設計」では電力産業におけるマーケット・デザインに関して経済学研究の現状をサーベイしています。第3章 「社会・経済ネットワークの多様性は経済の発展や強靭性にどのように影響するか」では「よそ者」と「密」なつながりを区別しつつネットワークの経済分析をサーベイしています。第4章 「国際課税制度が企業活動に与える影響」では日本における2009年税制改正での国税額控除から国外所得免除方式への移行に際した実証分析です。第5章 「バイアスを持つ個人によるベイズ学習」では観察者ではなく、意思決定を行う経済主体が誤ったモデルスペックを適用することについての理論分析なのですが、恥ずかしながら、それほど私の理解が進んだとは思えません。第6章 「経済学を伝える」と第7章 「神経経済学」はともにパネルディスカッションであり、第6章では出版社やメディアなどの実務家が経済学の伝え方などについて議論しています。そして、第7章では行動経済学について神経医学、特に、fMRIの実験結果を基にした議論が展開されていて、実験経済学や行動経済学についても言及されています。なお、7章は英語で収録されています。ということで、行動経済学、あるいは、経済学に限定せずに行動科学について第1章と第7章を併せて論じたいと思いますが、私は第1章のタイトルに対する回答はyesだと思っています。ただし、ナッジで人を救うことが可能であるのと同時に、スラッジで人を陥れることも可能だと思います。第7章では、外国人研究者がかなり露骨に "Entire marketing science is about nudging." (p.238) と指摘しています。それに対して、日本人研究者から p.241 にて、マーケティングとナッジには2点違いがあり、企業による販売や利益と社会的厚生という "purpose" の違い、さらに、"cognitive bias" を "fix" することであると反論していますが、私は全面的に外国人研究者に賛成です。かつて、特定民族を絶滅収容所に送り込んで絶滅することが社会的厚生にプラスであると考えた政府があったわけですし、それに反対する認知バイアスを矯正することが目的にされた可能性も否定できません。ですから、私は行動経済学については、積極的に何かの行動変容をもたらすポジティブな方向で研究されるべきではなく、むしろ、一般企業のマーケティングあるいはGAFAのようなデータ産業による情報操作による行動変容をチェックする、別の言葉でいえばマーケティング活動などに対するネガチェックの役割が重視されるべきであり、その角度からの研究が必要と考えています。

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次に、伊藤公二『グローバル化と中小製造業の選択』(京都大学学術出版会) です。著者は、経済産業省の産業分析官、経済産業研究所の研究者であり、本書は京都大学出向時の研究成果を取りまとめています。テーマは一貫していて、メリッツ教授の新々貿易理論を我が国の中小製造業に当てはめた実証分析です。すなわち、どうして貿易がなされるかについては、リカードの比較生産費説に続き、20世紀後半にはクルーグマン教授らの新貿易理論が、また、今世紀初頭のメリッツ教授の論文から新々貿易理論が説明しようと試みています。新々貿易理論においては、貿易には固定費が必要であり、そのために、すべての企業が一定割合を輸出するわけではなく、生産性が高くて規模の大きな企業が輸出を行う、という実際の経済社会で観察される事実を説明できる、と考えられています。我が国における既存研究では、「企業活動基本調査」の個票に基づいて30人以上事業所とか、50人以上事業所の零細企業を含まない研究が朱でしたが、本書では4人以上事業所を対象とする「工業統計調査」の個票を用いています。ただ、それほどはさかのぼれませんので、2000-10年のデータが用いられています。まず、冒頭では自由貿易協定の効果が分析され、輸入が事業所退出確率を引き下げる効果が認められるものの、その影響は極めて小さいと結論しています。通常は、自由貿易協定の締結後に輸入が始まれば、その業界の企業のうち生産性の低い事業所は淘汰される、と認識されていますので、やや私は違和感を覚えました。製造業と農業とでは異なる結果がもたらされるのかもしれません。そして、新々貿易理論が説明しようと試みている大きなポイント、すなわち、生産性が高くて規模の大きな企業・事業所が輸出を始めるのか、因果関係は逆であり、生産性が高くて規模の大きな企業・事業所だからこそ輸出が出来るのか、というポイントについては、本書の著者は前者の因果関係については認められたと考えているようです。校舎の関係については、プロペンシティ・スコア・マッチングによる差の差(PSM-DID)分析で、しかも、これは本書の論文すべてに共通する点ですが、バイナリ、すなわち、輸出しているか、輸出していないか、を変数として用いていますので、ある程度幅を持って考えるべきだという気がします。私が考えるに、直接何らかの生産物を輸出するかどうかをバイナリ変数で用いるのはデータの制約から仕方ないことだとはいえ、出来ることであれば、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)に付加価値額として、どれくらい参加できているのか、について分析できればベストだという気がします。その差異、統計の個票を用いるのもいいのですが、ある程度のメゾスコピックな集計値、例えば、従業員4人から10人、11人から20人、21人から30人、などの集計値も利用可能であれば頑健性を確認しておきたいところです。もっとも、私はこの分野の統計にそれほど詳しくないので、データの利用可能性については不案内です。悪しからず。

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次に、織守きょうや『花束は毒』(文藝春秋) です。著者は、現役の弁護士であるとともに作家でも成功しているリアル二刀流のようです。でも、私は不勉強にして、この作家さんの作品を読むのは初めてでした。どこまで期待していいか、やや不安だったのですが、とっても面白かったです。本の帯に「100%騙される戦慄!」とありますが、私は全300ページ弱の作品の200ページ過ぎあたりで、何となく正解に気づいてしまいました。ということで、主要な登場人物は3人で、主人公の法学生である木瀬、木瀬が中学校のころの1年先輩の北見理花は探偵です。そして、被害者はこれも木瀬が中学校のころに家庭教師をしていた当時医学生の真壁です。真壁が結婚を控えているにもかかわらず、結婚を断念するよう要求する脅迫状が届き、木瀬が北見に真相解明と解決を依頼します。真壁が直接依頼しないのは、4年前に医学生だった時に強姦で訴えられて罪を認めて被害者と示談に及んだ経験があるからです。それを結婚直前のフィアンセに知られたくないわけで、北見に依頼するのは木瀬ということになり、木瀬は北見のアシスタント的に真相に迫るため、聞込みなどの活動に加わったりします。当然、脅迫状の差出し人は強姦事件の示談の相手先、というか、関係者である可能性が高いわけで、真壁の医学生時代の友人や元カノも含めて情報収集に当たって、示談の相手先、あるいは、強姦事件の被害者の特定に迫ります。そして、脅迫状の差出し人を特定して北見が会うわけなのですが、最後の最後に、真相が明らかになる、という仕掛けです。ひとつのあり得る読ませどころとして、代々続く法律家の家系の法学生であり、検察官を目指している木瀬、そしてその木瀬の家庭教師で、これまた、代々続く医者の家系で医学生だった真壁、という恵まれた家庭環境にある若者2人の境遇が大きく違ってきているにもかかわらず、真壁がそれほど人格的にダメージを受けているわけではなく、相変わらず、いいところのお坊ちゃん風に思考・行動しているあたりも注目です。「100%騙される」というわけではありませんが、確かに騙される読者は多い気がします。でも、いわゆる叙述トリックで引っかけているわけではないと私は思います。ちゃんと読めばちゃんと正解にたどり着けます。というか、私にしても、途中で完全なる正解にたどり着いたわけではありません。すなわち、素直に読んだケースAともうひとつのあり得る読み方のケースBに気づいたわけです。そして、ひねくれた私のような読者の読み方のケースBの方が最終的にはこの作品の正解なわけだったりします。最後の最後に、読後に当たってややアサッテの教訓として、私にも倅がいますが、犯罪に関して警察や検察からどんな証拠を突きつけられたとしても、子供の言うことを信じる親でありたいと思います。その点で、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』でオズワルドに仕立て上げられた青柳の父親は、ともかく逃げろとテレビカメラに言い放つわけですから、とってもエラかったと思います。

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次に、田村秀男『「経済成長」とは何か』(ワニブックスPLUS新書) です。著者は、日経新聞を定年(?)の60歳で退職した後、産経新聞に移籍したジャーナリストです。私はこのワニブックスPLUS新書のシリーズについてよく知らず、おそらく、初めて読んだのではないかと思いますが、一般的なビジネスパーソンよりももう少し、本書でいえば、経済学や経済の知識が不足していても十分読みこなせるようなレベルを目指しているのかもしれません。すなわち、一般的なビジネスパーソンにはやや物足りないかもしれません。私は、まあ、入学して間もない学生諸君が読むかもしれない、という観点から読み進みました。ということで、著者は、ジャーナリストに対する財務省の「洗脳」にもかかわらず、財政均衡の必要性については私と同じくらい低い価値しか見出していないようです。それはいいのですが、本書のタイトルに即した部分は新書判300ページあまりのうちの100ページ少々であり、なかなか、脱線が多くを占めている気がします。特に、団塊の世代という著者の年代からして、マルクス主義経済学を引き合いに出して、旧ソ連流の社会主義と中国型の市場社会主義、あるいは、日本を含む欧米先進国型の資本主義を比較して、ややアサッテの方向の話をしたがる傾向は疑問です。おそらく、タイトルを考慮せずに、学術的にどうこうというよりも、すなわち、経済学的な成長を論ずるだけではなく、経済や成長に関係させつつ、ご自分の主張を披露することに力点が置かれているのではないか、と私は想像しています。ですから、むしろ、経済学の初学者向けではありません。80%同じながら20%の違いを際立たせるような同年代の経済論者との対話向けのような気もします。経済学の観点からすれば疑問がいっぱいですが、特に経済学を勉強しようというのではなく、時間潰しに軽い読み物が欲しい、という向きには最適ですが、それでも、一定程度は批判的な見方が必要そうな気がします。

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最後に、中井治郎『日本のふしぎな夫婦同姓』(PHP新書) です。著者は、龍谷大学の研究者です。社会学の専門らしいのですが、本書のテーマとはそれほど関係ないということのようです。本書の冒頭で指摘されているように、日本では結婚した男女の96%が男性の姓に合わせています。女性が姓を放棄しているわけです。しかも、世界の中で夫婦が姓を同一にしなければならないと法的に強制されているのは、どうも、日本だけらしいです。しかし、本書の著者は妻の姓になることを選んだそうです。そこで経験した数々の理不尽な出来事を実体験としてリポートし、併せて、日本の結婚制度と戸籍制度や家族の歴史についてもひも解いています。最後には、「男の沽券」という言葉に合わせて、男の悲哀を語り、最終2章では、著者と同じように妻の姓に合わせたサイボウズの青野社長とのインタビュー、さらに、青の社長も含めた何人かでのディスカッションも収録しています。個人的な味方からすれば、私は60歳過ぎの男性としては、ごく普通に、96%の方に属していて、カミさんの方が私の姓に変更しています。しかし、近隣諸国では、韓国も中国も夫婦別姓であることは広く知られています。ただ、選択的別姓ではなく強制的別姓、すなわち、結婚によって姓は変更されない、ということだと理解しています。ですから、私の方は何の不便もなかったのですが、カミさんの方はあったのかもしれません。いずれにせよ、現在日本で話題になっているのは選択的夫婦別姓であって、結婚に当たって、現在は男女どちらかの姓に統一するように法的に強制されているのを別姓を選択することを可能にする、という変更なわけで、私のような人間からして、これがどうしてダメなのかはまったく理解に苦しみます。必ず別姓にしなければならないわけでもなく、おそらく、選択的夫婦別姓にしたところで、96%が低下するのは明らかでしょうが、それほど大きく低下するとも思えません。憲法からして、結婚は両性の合意によってのみ成立するわけですし、その結婚の結果の姓をどうするかも両性の合意によって決めればいいことなのではないでしょうか。まったく関係のない新しい姓に変更する、というのは、私のような年配者にはやや抵抗あるものの、現行のように、夫婦どちらかの姓に統一するもよし、あるいは、結婚前の姓を引き続き使うもよし、ということでいいのではないでしょうか。そもそも、私のような庶民に姓を名乗ることが許されるようになったのは、ここ150年ほどのことです。それまで姓がない国民が大部分だったわけですから、そのあたりは柔軟に構えて然るべき、と私は考えています。

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