今週の読書はポストコロナの経済政策について考えさせられる経済書をはじめとして計5冊!!!
今週の読書感想文は、ポストコロナの新しい世界において、やや疑問あるながらも政策構想を示した経済書、他にも話題の小説など以下の通り計5冊です。
まず、小林慶一郎・佐藤主光『ポストコロナの政策構想』(日本経済新聞出版)は、やや効率性や生産性を重視して公平性や公正を軽視しかねない恐れはあるものの、決してプレコロナには戻らないポストコロナの政策構想を提示しています。丸ごと信じ込むのではなく、批判的に受け止めるべき提案と私は考えています。三浦しをん『エレジーは流れない』(双葉社)は、東海道沿いの温泉街の高校生を主人公とする青春小説です。母親が2人いる複雑な家庭環境の主人公が同級生と過ごす明るい日々がよく描き出されています。伊吹有喜『犬がいた季節』(双葉社)は昨年の本屋大賞3位入選作品であり、四日市の高校を舞台にバブル経済まっ盛りの時期に高校に迷い込んだ犬と高校生たちの青春をかなり長期にトラックしています。美術部の部長の名にちなんでコーシローと名付けられたイヌを中心に、なかなかに心温まるストーリーです。市川憂人ほか『あなたも名探偵』(東京創元社)は6人の人気ミステリ作家による6編から成る短編集です。途中で【読者への挑戦状】があり、曰く「謎を解く手がかりはすべて揃いました。さて、犯人は誰か?」という扉が置かれています。密室ミステリやアリバイ崩しなどバラエティに富むアンソロジーに仕上がっています。最後の南博・稲場雅紀『SDGs』(岩波新書)は、SDGsについてコンパクトに取りまとめています。これで、今年2022年に入ってからの新刊書読書は、本日の5冊を含めて計27冊となっています。
まず、小林慶一郎・佐藤主光『ポストコロナの政策構想』(日本経済新聞出版) です。著者は、慶應義塾大学と一橋大学の研究者であり、2人ともエコノミストです。特に、小林教授の方は政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会などにエコノミストとして参画しています。その旨何回も出てきます。ということで、タイトルからして、ついつい、「コロナ」に目を奪われがちなのですが、あくまで、「ポストコロナ」です。ですから、コロナ対策はそれでも冒頭4章を占める一方で、第5章からは経済政策その他にトピックが切り替わり、全11章でコロナそのものは4章分にしか過ぎません。ただ、本書全体のトーンが効率性や生産性を重視する傾向にあり、それがコロナ対策にも色濃く反映されている点は、私には間違っているようにしか見えません。すなわち、コロナ対策といった医療は、私の属する業界であり教育とともに、かなりの程度に外部性が大きくて、いわゆる価値財ですので効率的な分配よりも公平性を重視する分野だからです。コロナ対策で今でも重要なのはワクチン接種である点は本書でも確認していますが、これは公平性を重視して配分すべき課題です。生産性や効率性を重視して、個人所得でワクチン接種の順番を決めるべきものではありません。ただ、経済政策についてはよく取りまとめられているのですが、あまりに財政再建に傾いた主張と中小企業の淘汰を進めようとする議論にはやや私は戸惑います。ポストコロナが、プレコロナの昔に戻るとは誰も思っていませんし、コロナが克服されたところで、いわゆる「ニューノーマル」な世界が始まるのですが、コロナに合わせてナオミ・クラインのいうところの「ショック・ドクトリン」のような惨事便乗型で一気にネオリベ=新自由主義的な経済政策に切り替えて、効率性や生産性を指標とするよな政策運営がいいのかどうか、もう一度考え直す必要があります。例えば、病床確保にしても、本書で指摘する通り、我が国は処が帰国と比べても人口当たりの病床はかなり多いにもかかわらず、現在のオミクロン型変異株感染拡大の中でコロナ患者の一部は放置されています。東京都では都立病院の独立採算による法人化を進め、効率性重視の病院経営の導入の圧力をかけ続けています。コロナに限定せずとも、何らかの感染症の感染拡大に備えて余裕を持った医療を構築するのか、それとも、利潤最大化を図ってコストを削減する病院ばかりが出来るのか、そのあたりは国民の選択となります。維新の会が大阪で医療政策に大失敗しているのを見るにつけ、もう一度考え直すべきポイントかも知れません。
次に、三浦しをん『エレジーは流れない』(双葉社) です。著者は、直木賞作家であり、なかなかコミカルなエッセイも私は大好きです。本書に関してはややコミカルな青春小説といえますが、出版社も力が入っていて特設サイトが設けられていたりします。人物相関図やマップもあって、本書の読書がより豊かになるような気がします。なお、タイトルの趣旨については、最後の最後のパラグラフの最後のセンテンスで明らかにされます。それも、読み進むお楽しみです。ということで、主人公は高校生です。怜という名です。主人公の怜のほかに、同級生の友人男子高校生3人が脇を固めます。温泉街の喫茶店の倅で美術部の部長である丸山、縄文土器を作ったりする美術の得意なサッカー部員の心平、温泉街で干物屋を営む家の倅で野球部の竜人、の3人です。とてもキャラを上手く作っています。大雑把に、彼らが高校2年の秋から1年近く、高校3年生の夏までの期間、舞台は餅湯温泉ということになっていますが、太平洋の海岸があり富士山も望むことが出来、新幹線こだまが止まる、という設定の架空の温泉街です。主人公の男子高校生には、なぜか母親が2人います。温泉街で土産物屋を経営する女性、さらに、高台の高級住宅街に別荘があって、東京から毎月第3週だけやって来る辣腕経営者の女性です。大雑把に、前者の母親は生活がやや苦しい一方で、後者はセレブで大金持ち、というありえない設定です。その昔に、伊坂幸太郎作品で『オー!ファーザー』という数人、4人だか、5人だかの父親がいて、母親はまったく登場しない、という小説がありましたが、ついつい思い出してしまいました。この作品は『オー!ファーザー』と違って、父親がひょっこりと2度ほど現れて、なぜか、温泉街の人々が「危機管理グループ」を結成して土産物屋の主人公親子を守ろうとする動きがあります。でも、大した騒動にはなりません。むしろ大騒動になるのは地元博物館を狙う泥棒です。そういった騒動に加えて、もちろん、主人公たちに学年から理解できるように、進学や恋愛などのいろんな要素が絡んで、ストーリーはコミカルに進展し、とても上質の仕上がりになっています。なお、どうでもいいことながら、出版社の特設サイトでは、「三浦しをん待望の青春小説!」となっているのですが、私は三浦しをん作品をある程度読んでいて、デビュー作の『格闘する者に○』とか、『風が強く吹いている』など、いくつか青春小説はモノにしており、決して初めてではありません。その点は誤解なきようお願いします。私のような三浦しをんファンはもちろん、多くの方にオススメできる小説です。
次に、伊吹有喜『犬がいた季節』(双葉社) です。著者は、私は不勉強にして知りませんでした。この作家の小説は初めて読みます。この作品の舞台は四日市なのですが、ご当地のご出身のようです。上の表紙画像にあるように、昨年の本屋大賞3位入賞作品であり、2020年出版ですから1年をすでに経過していて、私の定義になる新刊書かどうかは、やや怪しいのですが、まあ、図書館の予約がようやく回ってきましたので、簡単に取り上げておきたいと思います。ということで、舞台は、1988年というバブル経済真っ盛りの時期に四日市の高校、つづめると「ハチコウ」となる八稜高校に、子犬よりはやや成犬に近づいた犬が迷い込んで、美術部を中心とする生徒たちが校長にかけ合って校内で飼われることになります。その美術部の部長の早瀬光司郎の名からコーシローと名付けられます。いく世代か、というか、高校生ですから基本は3年間しか在学しないわけで、その期間のイベントをいくつか綴りながら、最初にコーシローが迷い込んだ際の高校生、パン屋の娘の塩見優花が大雑把に主人公の役となります。というのは、冒頭の第1話では明らかに主人公で、進学について明記しないながら名古屋大学と思しき東海地方切っての名門大学に合格しながら、東京に行きたくて早稲田大学進学を決めたりした後、最終章の直前の第5話では教師となって何度かハチコウに赴任したりします。で、1988年に始まったストーリーは30年後の2019年に終結します。第2話ではF1のヒーローの1人であるセナに夢中でグランプリ戦を見に行く高校生が描かれ、何と、自転車で30キロを走破します。まあ、ロードバイクなら100キロくらい走りますが、高校生の通学自転車のお話です。第3話では神戸の祖母が震災から逃れて同居することになった高校生が主人公になり、第4話や第5話では、1990年代終わりの近い時期の物語となって、音楽グループが取り上げられたり、東京でやり直すための資金を必要として援助交際をする美少女女子高生とか、死期の近い祖父を巡って家庭内が不和となる男子高校生が教師となって赴任してきたハチコウOGの優花に思いを寄せたりします。そして、コーシローは寿命を迎えます。最終話では、50歳近くになった優花の半生が振り返られます。同級生だった早瀬光司郎は世界的な美術家になっています。これも、高校生の青春小説です。私は青春小説がとても好きなので、ややバイアスあるかもしれませんが、それでも、本屋大賞3位入賞の実績を考え合わせると、控えめに言っても読んでおいて損はないと考えます。
次に、市川憂人ほか『あなたも名探偵』(東京創元社) です。著者6人による短篇ミステリ集であり、収録しているのは、市川憂人「赤鉛筆は要らない」、米澤穂信「伯林あげぱんの謎」、東川篤哉「アリバイのある容疑者たち」、麻耶雄嵩「紅葉の錦」、法月綸太郎「心理的瑕疵あり」、白井智之「尻の青い死体」となっています。それぞれに、途中で【読者への挑戦状】があり、曰く「謎を解く手がかりはすべて揃いました。さて、犯人は誰か?」という扉が置かれています。順に、最初の市川作品は雪による密室モノ、米澤作品は小市民シリーズから、東川作品はタイトル通りにアリバイ崩し、麻耶作品は木更津-香月のシリーズなのですが、そもそもの被害者の特定から推理が始まります。法月作品は作家と父親の警視庁警視の親子が登場するシリーズで、ややオカルトっぽい仕上げになっています。最後の白井作品はこれもホラー映画撮影中の殺人の謎解きですが、ホラーの要素はありません。それぞれに、とても論理的な解決がなされて、本格ミステリのファンにはうれしい作品を集めたアンソロジーです。もちろん、各作品はそれぞれの作家の個性がよく出ています。私の欲をいえば京大ミス研出身者の綾辻行人作品も収録してほしかったところですが、やや欲張りに過ぎるかもしれません。文庫本ではなく単行本ですので、もう少し書きたい気もするのですが、私のことですからネタバレに入ってしまう可能性も無視できず、ミステリのアンソロジですので、このあたりでヤメにしておきます。
最後に、南博・稲場雅紀『SDGs』(岩波新書) です。著者は、首席交渉官として国連でSDGsの交渉に当たった外交官とMDGs/SDGsに関係するNPO法人の政策担当顧問だそうです。ですから、第2章のように、国連などの場におけるSDGs交渉のこぼれ話しのような、どこまでSDGsの本質に関係しているかどうか疑問の残るトピックが、不相応に大きく取り上げられて、自慢話しっぽく紹介されたりはしていますが、まあまあ、よく取りまとめられています。私もSDGsについては勉強不足なのですが、温室効果ガス排出などの気候変動/地球温暖化対策のようなサステイナビリティに直結するゴールなどとともに、一見したところ、もろに経済や社会のトピックではないかと考えられがちなジェンダー平等や不平等の克服、あるいは、MDGsから引き継いで冒頭のゴールに上げられている貧困や飢餓の撲滅などについて、どう考えるべきかという観点は重要だと考えています。すなわち、日本のような先進国では、2015年までのMDGsはどうも政府が取り組む途上国支援のような受け止めであった一方で、現在のSDGsはかなり民間企業の参加も多く、ビジネスに直結した課題であろうと考えられます。経済からの視点としては、SDGsに取り組むのは、例えばサプライチェーンの中で、チャイルド・レーバやスウェットショップ的な労働の問題をキチンと把握し、フェアな取引を推進するという企業姿勢の問題なのですが、どうも、私の目から見て上滑りしている企業も少なくなく、単にレピュテーションの問題と考えて、市民団体などから問題を指摘されないように防衛にこれ努める、といった企業姿勢が垣間見える場合もあります。なかなか、大学のような場で考えているほど甘くはないのですが、現在の資源価格高によるコストプッシュを製品価格に転化し、そのために上昇する生計費を賃上げで補うという循環を作り出すのと同じで、SDGsについても、フェアな取引で適正な価格を支払って、取引先とウィンウィンの関係を結び、子供はもちろん、大人の労働者も適正は賃金=所得を受け取って、子供は教育を受け、大人も必要に応じて医療などを受けることが出来、decentな生活が可能となる、というのがSDGsの目標です。加えて、経済の観点からは、事業活動だけでなく、ファイナンスからの見方も必要です。本書ではどうもスコープ外なのですが、いわゆるESG投資などです。いずれにせよ、これから、気候変動=地球温暖化以外のSDGsについて、私ももう少し勉強を進めたいと思います。
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