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2022年4月 2日 (土)

今週の読書は経済書2冊と日本史の新書2冊の計4冊!!!

今週の読書感想文は以下の通り、経済書2冊と歴史にスポットを当てた新書2冊の計4冊です。新刊の小説を読んでいる余裕はありませんでしたが、既刊の小説は何冊か読んでいたりしますので、そのうちにFacebookでシェアしたいと思います。。
マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』(NewsPicks パブリッシング)では、資本主義の行く末を見通して、右派的なネオリベラリズムを修正し、政府が経済でもっと大きな役割を果たすべきことを明らかにしています。今野晴貴『賃労働の系譜学』(青土社)ではいわゆるブラック企業の考察から始めて、現在の労働は経済の規模を拡大していない、という問題意識に基づいて、資本主義の先のことを見据えた議論が展開されています。古市晃『倭国』(講談社現代新書)では、邪馬台国の卑弥呼が紛争調停型の君主として、いわば、共和国的に選ばれたのに対して、専制君主としての倭王の成立、基本的に同じことですが、倭国の成立について、古典古代初期の日本の歴史の解明を試みています。倉本一宏『平安京の下級官人』(講談社現代新書)では官人だけでなく、幅広く文字通りに平安に時代であった平安京の人々の仕事や生活を歴史的に明らかにしています。
なお、今年2022年に入ってからの新刊書読書は、本日の4冊を含めて計50冊となっています。昨年の今ごろと比べて、ややスローペースです。

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まず、マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』(NewsPicks パブリッシング) です。著者は、英国ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのエコノミストであり、英国や欧州にとどまらず、幅広く国際的に産業政策に関するアドバイスを行っています。本書では、必ずしも産業政策という狭い観点からだけでなく、資本主義を作り直すという大きな視点から産業政策や経済政策を論じています。まず、私は市場価格は競争的でもないし、外部経済や長期の視点がなく、従って、市場価格は正確ではないという理由で厚生経済学の第1定理に対して疑問を呈していて、積極的な政府の介入政策を肯定しているのですが、本書では、むしろ、政府がミッションを持って民間経済とコラボすれば、より大きな成果が得られる資本主義経済を作り出すことができる、という点を強調します。結局は、私と同じでコモンの領域を増やすべし、という結論です。その偉大な例を米国のアポロ計画に基づいて理論的に解明しようと試みています。第3部以降の実践編では、私の理解は必ずしもはかどりませんが、基本的な考え方は大いに賛同しています。経済学にも流行り廃りがあり、1930年代の世界不況における米国のニューディール政策から1960年代には政府の役割を古典派経済学よりも重視するケインズ経済学が主流となりました。しかし、1970年代には私が昨年の紀要論文で明らかにしたように、ルイス的な労働移動が終了し、同時に2度に渡る石油危機が生じて世界経済は不況とインフレが同時進行するスタグフレーションに入ります。この1980年前後、すなわち、1979年の英国サッチャー政権、1981年米国レーガン政権により、本書で痛烈に批判されている新自由主義(ネオリベ)な経済政策が導入されます。政府は経済の後景に退き、規制緩和などで自由な市場の邪魔をしない存在とされ、政府の運営に関してもニュー・パブリック・マネージメント(NPM)というコスト/ベネフィットの比較による基準が導入されたりしました。今では、政府の公共サービスは広く外注され、英国では請け負っていたカリリオン社が倒産しています。日本でも、昨年の東京オリンピック・パラリンピックをはじめとして、電通やパソナなどに政府からアウトソースされて中抜された事業が多いのは広く報じられている通りです。これらに対して、本書では1060年代の米国ケネディ政権におけるアポロ計画を例にして、政府がミッションを設定して、決して外注することなく、大規模な事業に取り組む必要性を強調しています。そして、こういったミッション達成のスピルオーバーとしてpp.112-13に取りまとめられているようなカメラつき携帯電話などが実現したと結論しています。そして、現在では国連のSDGsを達成することも含めて、政府のミッション設定による大規模事業の可能性を探ろうと試みています。私はこういったムーンショットを目指すミッションはともかく、本書で強く批判しているように、政府の役割をネオリベ的に矮小化したり、あるいは、その結果として政府の公共サービスを電通やパソナにアウトソースして、結果として非正規雇用の拡大などの格差拡大に間接的にせよ手を貸したりするのは大きな間違いであり、根本的には市場を作り直すことが必要だと考えていますが、本書では私ほどラディカルな考えではないものの、ネオリベな理論に基づく現状ではなく政府の役割を根本的に重視するという方向を打ち出しています。とってもオススメです。多くの方が手にとって読むよう願っています。

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次に、今野晴貴『賃労働の系譜学』(青土社) です。著者は、いくつかの大学で非常勤講師をし、また、NPO法人で活躍したりする労働社会学などの専門家です。何といっても記憶にあるのは、2012年に『ブラック企業』を本書の著者が刊行し、それを基に、翌2013年に「ブラック企業」という新語が生まれたことではないでしょうか。ということで、本書では資本主義と労働の根本的な変化を取り上げています。すなわち、現在の労働は経済の規模を拡大していない、という問題意識に基づいています。日本では、賃金は低下を続けており、人間、特に若者を使い潰す資本主義が続いており、本書冒頭からブラック企業について再考されています。すなわち、高度成長期における典型的な労使慣行である正規職員としての長期雇用と年功賃金が主流であったにもかかわらず、典型的にはIT企業や、今では外食産業などでは、正規職員であってもその体力や知力を使い尽くして、鬱病などに追い込んで退職を迫るという形のブラック企業の実態が報告されています。最後に、労働力の商品化に伴う物象の人格化こそがブラック企業問題の本質であると指摘しています。そして、実は、このブラック企業こそがワタミの展開する介護労働やN高校の教育などの公共性の高い分野で、やりがい搾取を繰り返し、現在の資本主義の成長分野における救世主になっている、という事実が明らかにされています。4部構成のうちの後半部分は、かなりの程度に私の専門外で理解が行き届かなかったのですが、1990年代なかばまで高卒にせよ、大卒にせよ、正規職員として就職し、決してドミナントではないとしても、高度成長期から続く長期雇用と年功賃金が労働市場のモデルと考えられていた時代は、バブル崩壊とグローバル化の進展により終焉を迎え、若者に対するバッシングが始まります。すなわち、フリーターや派遣労働をカッコ付きで「美化」するような言説が流され、若者や女性が自由意志によって、こういった非正規職を選択したとか指摘されます。そして、こういった非正規職が劣悪なものであるという事実が明らかになると、若者の能力不足からの結果であるとすり替えられたりします。そして、若者の就職がうまくいかなくなると、中高年齢社員の既得権を攻撃するような分断戦略が現れ始めます。日本では社会民主主義的なジョブ型の就労ではなく、いわゆる全人格を企業の指揮命令下に置くメンバーシップ型の就職です。ですから、ここから先で私の理解が行き届かなかったのですが、本書の著者は、ブラック企業への就職を避ける市場活用形の解決やコンプライアンスの強化による違法行為の防止、などではなく、労働者自身が立ち上がって権利行使をできるような社会関係の形成が必要になると指摘し、労働組合の果たす役割を重視しています。その上で、現在のナショナルセンターとしての連合については、対抗軸としての労働運動として大きく劣化しており、新たな労働運動の必要性を指摘しています。最近の連合と、特に現在の芳野会長の就任後の連合の方向性については、私も大きな失望を感じています。本書についても、新たな資本主義を模索する、というか、ポスト資本主義を展望する上で、とても重要な論点が含まれています。多くの方が手にとって読まれんことを私は願っています。

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次に、古市晃『倭国』(講談社現代新書) です。著者は、神戸大学の歴史研究者です。本書で「倭」というのは、基本的に日本なのですが、古典古代のかなり初期ですので、邪馬台国から大和朝廷あたりを幅広く指す用語として用いられています。そして、その「倭」に王がくっついて倭王となれば、今の用語でいうところの天皇から始まる宮家、当時では大王が天皇に当たり、大王以外の王もいたということです。ということで、本書では基本的に『古事記』や『日本書紀』などの古文書に基づいて歴史の解明を試みていますが、あり得ないような神武天皇なんてのではなく、土地に基づいた解明方法を取っています。すなわち、大王が住んでいた宮については、歴代遷宮と考えられていたところ、これを否定してどうして奈良盆地南部に位置していたか、から始めています。そのうえで、邪馬台国の卑弥呼は紛争調停型の君主として共和国的に選出されていて、決して専制君主ではなかったとし、専制的な政体の成立の解明を試みています。私なんぞが習った時点では、継体天皇は征服王権であり、我が国の天皇が万世一系であるというのは誤り、といった左派的な歴史観が主流だった気がしますが、本書でも、継体天皇の連続性は疑問視しつつ、武力を含めた実体としての政権に対して、継体天皇が手白香皇女を皇妃に迎えて生まれた欽明天皇の特別な位置づけについては、従来説を踏襲しているような気がします。その上で、5世紀には王を名乗る王族が存在して、その中から倭王が選ばれる体制が成立したと指摘しています。ただし、王族とはいえ、今の宮家のような均質な存在ではありえず、複数の王統が存在していたと結論します。少なくとも、仁徳系と允恭系の2系統があり、決して、平穏無事な王統の成立ではない上に、葛城・吉備・紀伊といった海人集団もあり、天皇の政務所である宮城が山間の険阻な土地に置かれた防衛的な意味も指摘します。まあ、ですから、本書ではスコープ外なのでしょうが、政権が安定すると平城京や平安京と言った開けた平地に大きな都を建設した、ということなのでしょう。加えて、朝鮮半島の任那の興亡、あるいは、隋や唐やといった中国の政権交代、などの国際情勢への対応も国家としての倭国の成立には大きな影響を及ぼしたことが示唆されます。国造やミヤケ制などの地方行政の整備もあって、倭王のもとに行政制度が整備され、さらに、強力な軍隊が置かれる専制体制の成立、倭国の成立が5世紀であった、と結論しています。少なくとも私の知る限りの日本お古典古代の時代の歴史と整合的で、とても理解が進みました。

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最後に、倉本一宏『平安京の下級官人』(講談社現代新書) です。著者は、国際日本文化研究センターの研究者です。専門は日本古代政治史だそうです。実は、昨年2021年6月26日の読書感想文で虎尾達哉『古代日本の官僚』(中公新書)を取り上げていて、古典古代の律令制国家=天皇専制国家であった日本において、朝廷で勤務する官僚は貴族も平民も決して勤勉ではなく、怠業や無断欠勤などが横行していたことを史料を駆使して明らかにしているのですが、基本は同じです。その上で、下級官人のお仕事だけでなく、生活も、あるいは、官人だけでなく、平安京の人々の恐怖の対象、はたまた、平安京に暮らす人々を幅広く取り上げています。官人のお仕事ぶりは、『古代日本の官僚』と同じで、怠惰極まりなく非常に不真面目な勤務態度であるのは共通しています。まあ、当然です。重要な儀式において失儀したり、あるいは、今と同じようなお役所仕事がいっぱいです。まあ、このあたりはユーモラスに描き出されています。生活については、私は強盗が印象に残りました。平安時代とはその名の通りに平安な時代であり、元寇のような外国からの侵略はなく、戦国時代のような大規模な内戦状態でもなく、少なくとも平安京では武器の携行すら禁じられていて、すなわち、今の日本と同じで武器の管理が進んでいて、平穏無事な時代でしたが、逆に、科学がそれほど進歩していない時代であって、怨霊とか呪いとかの精神的な恐ろしさが存在していたように思えます。でも、実際の庶民、もちろん、貴族の間でも治安の問題はあるわけで、官人が仕事をサボっているわけですから、検非違使などの法執行機関が機能していなければ、強盗がはびこっていたのも無理はありません。また、平安京でも江戸期まで続く火事の被害は少なくなく、内裏が焼け落ちたことも歴史に残っています。台風や地震といった天災もあったことでしょう。当時の科学の進歩していない時代においては、こういった理不尽な災害は神や仏にすがるしかなかったのかもしれません。最後の章では平安時代の学問、職人技、諸芸が取り上げられています。ただ、私が疑問なのは、3月19日に取り上げた周防秋『身もこがれつつ』(中央公論新社)ではないのですが、本書では平安時代の文芸の中に和歌が取り上げられていません。まあ、上流貴族だけの嗜みだったとは思えませんので、和歌抜きで平安時代を語るのはとても疑問です。

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