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2022年5月21日 (土)

今週の読書は観光に関する学術書をはじめ計5冊!!!

今週の読書感想文は以下の通りの計5冊です。
まず、遠藤英樹[編著]『アフターコロナの観光学』(新曜社)はタイトル通りに、コロナ禍の後における観光学に関する社会学から見た理論とフィールドワークを収録した学術書です。竹中佳彦・山本英弘・濱本真輔[編]『現代日本のエリートの平等観』(明石書店)は1980年に実施された同種のアンケート調査を40年の時間の経過の後に再度実施し、さまざまな数量分析を行っている学術書です。特に「運の平等主義」に関わる考え、さらに、「機会の平等」の重視に関する重要な示唆を与えてくれます。クーリエ・ジャポン[編]『海外メディアは見た 不思議の国ニッポン』(講談社現代新書)かいろいろな海外メディアで報じられた日本の経済社会における奇妙な特徴についてコンパクトに取りまとめています。宮城修『ドキュメント <アメリカ世>の沖縄』(岩波新書)では、1952年産フラシンスコ講和条約で日本が独立を取り戻してからも、1972年の本土復帰まで米軍の過酷な軍政下にあった沖縄の実体を取りまとめたドキュメントです。最後に、板野博行『眠れないほどおもしろい吾妻鏡』(王様文庫)は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも参考にされているらしい北条執権得宗家の準公式歴史書である『吾妻鏡』を同時代の『愚管抄』の著者である慈円の視点から解説しています。なお、どうでもいいことながら、本日5月21日付けの朝日新聞の書評欄で、4月30日の読書感想文で注目した『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が取り上げられています。ご参考まで。
最後に、今週の5冊を含めて、今年に入ってから新刊書読書は計93冊と去年に比べてちょっぴりスローペースながら、少しずつ追いついてきた気がします。何とか、年間200冊くらいには達するのではないかと考えています。また、新刊書読書ではないのですが、西村京太郎の『特急ゆふいんの森殺人事件』(光文社文庫)を読みましたので、このブログではなくFacebookでシェアしておきました。

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まず、遠藤英樹[編著]『アフターコロナの観光学』(新曜社) です。著者は、実は、私の勤務する大学の研究者なのですが、私と同じ経済学部ではなく、観光社会学を専門としています。本書も社会学から分析した観光の専門書といえます。実は、9月卒業の外国人留学生の修士論文が最終盤に入っており、観光の新しい視点を求めて図書館で借りて読んでみました。2部構成であり、第1部が社会理論、第2部がフィールと的考察となっています。いろんなフィールドの論文を集めています。観光の社会学については英国のジョン・アーリ教授が有名であり、『場所を消費する』、『モビリティーズ』、『オフショア化する世界』の3冊を読んだ記憶があります。ただし、もっとも有名な『観光のまなざし 』については未読だったりします。まあ、専門外ですから手が届かない、というところです。ということで、観光とともに、ポップカルチャーについても少し論じられていて、第1部の理論については、少し「観光」というものの定義が必要そうな気もします。なぜなら、オンラインによる観光は私自身は十分観光であろうと考えるのですが、アーリ教授などのモビリティとか移動、あるいは、場所の消費という点から観光とは、少なくともその昔は、考えられていない可能性があるからです。特に、歓待=ホスピタリティの観点から、実際にその場所に移動する必要についてどう考えるかの整理も必要です。私は移動ではなく体験という観点から、オンライン観光は十分アリだと考えています。VRによる観光も同じです。そうなると、エコノミストとしては観光が収益につながりにくくなるケースも考えるべきかもしれません。交通費がかからず、飲食費も場合によっては不要で、参加費だけが必要になる観光です。でも、現時点でもこういった観光はあるわけで、アミューズメントパークでの活動は、こういったオンライン観光に近い気もします。そして、コロナとともに発達したデジタル技術はこういったバーチャルな観光を、リモートワークとともに大いにサポートし、新しい仕事のあり方や観光様式を生み出しつつあります。第2部は、「フィールド」という観点から、基本的にケーススタディが集められていあmす。コロナの時代における移動についての与論島のケース、浅草での和装しての観光、ペナン島ジョージタウンでのオーバーツーリズムの是正、インドネシア観光のレジリエンス、北タイ山地民カレンの観光に関するモラル・エコノミーの考察、コロナ禍における宗教観光となっています。「コロナ」と「観光」が2つの大きなテーマとなっている本書ですので、移動を伴う観光とともに、オーバーツーリズムの是正も重要な観点であろうと思います。特に、SDGsの観点からも観光のサステイナビリティを回復すべき観光地はペナン島以外にも少なくないと私は感じています。最後に、一昨年に取りまとめた紀要論文が典型的ですが、私はマクロエコノミストですので、マイクロな観光振興とかは不得手な分野で、観光や観光消費の数量分析が主たる興味分野になります。本書は、観光学やフィールドしての観光実践に関するコロナ後の展開について、そういった分析の基礎となる参考文献として役立ていたいと考えています。

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次に、竹中佳彦・山本英弘・濱本真輔[編]『現代日本のエリートの平等観』(明石書店) です。著者たちは、政治学の研究者です。同志社大学の研究者であった三宅教授らが1980年に行った「エリートの平等観」調査をアップデートした内容の調査を2018-19年度に筑波大学を中心に実施した結果を10人ほどの研究者が取りまとめています。本書でいう「エリート」とは、政党・政治家、官僚・自治体職員、経済団体、労働団体、農業団体、商工団体、市民団体・NPO、専門家、学者・文化人、マスコミの10分野から全国レベルと地方レベルで選ばれています。もちろん、「エリート」という母集団は明確ではありませんが、大雑把に緩やかなコンセンサスが出来る範囲か、という気はします。大規模な調査に基づいて、数多くの専門家が定量的な分析を加えていますので、かなり大量のファクト・ファインディングが得られています。例えば、前回調査の1980年から今回調査の2018-19年にかけて、多くの回答が経済的な不平等が拡大していることを認めています。まあ、当然です。この間、40年近くが経過しているわけですが、ほぼ「1億総中流」と称された時代の末期から、1979年に英国のサッチャー政権が、そして、1981年に米国のレーガン政権が、それぞれ発足し、あるいは同時期に日本でも中曽根内閣が政権に就いて、いわゆるネオリベラルな経済政策が展開され、現在まで経済的な不平等が大きく拡大した最近時点までの不平等の進行については、幅広い社会的なコンセンサスがあると考えるべきです。さらに、経済的なものばかりではなく幅広い平等観を考えると、いわゆる権力エリートとか、支配エリートと呼ばれ、主流を構成するエリートは平等意識が弱い一方で、こういった主流派に反対の目標や異なる体制の樹立を目指す対抗エリートでは平等意識が高い、という、これまた、かなり明白な結果が得られています。私が忠告したのは、特に、「運の平等主義」に関わる考えです。すなわち、自らの選択の結果として生じた不平等は共用される一方で、個人の選択が及ばない理由によって生じた不平等は許容されない、という考え方です。これに基づけば、親ガチャによる子供の不平等は救済されるべきである、ということになります。しかし、他方で、この考え方は、いわゆる「機会の平等」さえ確保されていれば、その結果については自己責任である、という考え方にもつながります。我が業界である教育については、教育の機会が各個人に平等に与えられる点が重要であり、その選択の結果としての学歴と能力などに基づく所得の不平等は許容されるのが機会の平等であり、そうではなくて、教育の結果である学歴や能力などにかかわりなくすべての人が大きな差のない所得を受け取る、というのが結果の平等です。この機会の平等の重視が1980年時点では77%であったのですが、2018-19年には84%に上昇しています。加えて、今回調査で明らかになったのは、エリートばかりではない有権者レベルでも66%と⅔の日本人が機会の平等を支持している点が明らかにされています。しかし、私自身はこの結果の平等の重視に大きな疑問を持っています。というのは、これも何度も書きましたが、基本的人権、というか、他の重要なポイントである自由、あるいは、民主的な権利の行使のためには、結果の平等が必要だからです。衣食住などのナショナル・ミニマムがある程度の水準を超えて満ち足りており、特に、「親ガチャ」を防止して不平等が世代を超えて継承されるのを防ぐためには結果の平等が重要です。自由を保証し、民主的な権利を実行できるようにするためには、現在では、例えば、インターネットに接続できるパーソナルなデバイスが必要であり、その必要不可欠な水準は10年前や20年前からずいぶんと上昇してきている点を理解すべきです。ですから、機会の平等を重視するエリートの比率が上昇しているのは、望ましくない要素を含んでいると私は考えています。

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次に、クーリエ・ジャポン[編]『海外メディアは見た 不思議の国ニッポン』(講談社現代新書) です。編集したクーリエ・ジャポンは、自らの取材というよりも、米国「ニューヨーク・タイムズ」、英国「ガーディアン」、フランス「ル・モンド」などのいわゆる高級紙をはじめとして、世界中のメディアから厳選した記事を日本語に邦訳してwebで提供しています。私は有料会員ではないのですが、一応、会員登録をして時々見ていたりします。ですから、本書もこういったメディアからの邦訳を取りそろえています。ということで、本書は5章構成となっていて、最後の章では天皇制や皇族について取り上げています。まあ、私のことですからパスします。第1章が、日本株式会社の不思議と題して、会社にすべてをささげるサラリーマンから始まって、働きすぎなのに生産性が低い、とか、世襲政治家が多い理由、なぜファックスをやめられないのか、会社員を縛る「義理チョコ」という集団心理、居眠りは勤勉の証、などに着目しています。第2章では日本社会を考察し、年功序列の理由を考えた上で、日本でポピュリズムが台頭しない理由についても解き明かそうと試みています。第3章ではニッポンの今を歩くと題して、日本人の自殺率が高い理由、「人間より人形が多い」限界集落、創業1000年の老舗の生存戦術、などに焦点を当てています。第4章では日本の若者の実体に迫り、なぜ若者は海外へ行かないのか、女性スポーツ選手に「女らしさ」を求める理由、なぜ若者の投票率は低いままなのか、などの解明に取り組んでいます。確かに、こういったいくつかの疑問、これらは外国メディアだから「不思議」に感じるのではなく、私のような日本人ど真ん中からかなり外れた人間にも「不思議」に感じられる謎が少なくありません。また、日本におけるポピュリズムについては、こういった見方もできるのだということを改めて思い知らされました。東京から関西に戻って来て、就職するまでは影も形もなかった大阪維新の会なんて政党がポピュリズムを振りまいているご近所で暮らしていながら、ローカルのポピュリズムとナショナルなポピュリズムを海外メディアはこう見ているのだ、というのがよく理解できました。まあ、でも、何といってもポピュリズム的な排外主義が高まらないの理由は移民の影が薄い、というのに尽きるんでしょうね。

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次に、宮城修『ドキュメント <アメリカ世>の沖縄』(岩波新書) です。著者は、沖縄出身で、「琉球新報」のジャーナリストです。タイトル通りに、1952年のサンフランシスコ講和条約発効から1972年5月15日の施政権返還まで、沖縄が米国、というか、米軍統治下に置かれていた期間のドキュメンタリです。なお、タイトルに関して、本書冒頭から引用すれば、「<アメリカ世>の「世」とは、しまくとぅばで「時代」を指す」ということです。なお、「世」には「ゆー」とルビが振ってあります。先週の読書感想文で取り上げた坂上泉『渚の螢火』(双葉社)と同じで、今年2022年5月15日が沖縄の本土復帰ちょうど50年、ということで読んでみました。実は、私はその当時の県民生活についても興味を持っていたのですが、そういった情報はまったく収録されていませんでした。1950-60年代といえば、日本はまさに高度成長期を謳歌していて、「三種の神器」と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機、さらに、「3C」と称されたカラーテレビ、自動車、クーラーなどの耐久消費財が幅広く普及し、国民生活がガラリと変化したころです。そのころ20年間の沖縄における生活も知りたかった気がしますが、本書では政治向きのトピックばかりでした。すなわち、情報のソースは当時の新聞報道や日米沖の政治家による回想が主となっています。この点は少し残念ですが、逆に、米軍統治下の沖縄の対米従属的な位置関係が実に生々しく描き出されていました。当時の沖縄における最高権力者である高等弁務官とは米国の軍人であり、まさに軍政が敷かれていたわけです。一応、沖縄県民による議会や政府、さらには裁判所もあって機能はしているのですが、すべてを米軍がひっくり返す権力を持っていました。琉球警察は米国軍人に対する操作権も逮捕権もありませんでした。裁判は高等弁務官次第で米国本土で行われることもあり、軍人に対しては米国の軍事裁判所が判決を下したりしました。ですから、本書にも収録されているように、米国軍人が運転するトラックが信号無視して交差点に突っ込み、沖縄の中学生が死んだ交通事故では、「太陽光の反射で信号が見えなかった」という言い訳で無罪になったりしましたし、その昔の関税自主権を回復する前のように、県民の重要なタンパク源であったであろうイワシが急に関税20%をさかのぼって課されたり、いろんな理不尽を県民は被っていたわけです。ただ、私は単純に沖縄県民は米軍施政下から本土復帰を目指していたのであろうと想像していたのですが、無視し得ない意見として、貧しい日本に復帰するよりも豊かな米国の信託統治領のまま存続する、という意見もあったといいます。そして、本書では沖縄の本土復帰、ちょうど50年前のイベントですが、に至る過程をていねいにあとづけて、その折々に重要と考えられるさまざまな事件、暴動、運動、選挙をはじめとする政治的な動き、あるいは、日米沖間での交渉と駆引きと得られた結論、などについて浮き彫りにしています。1960年代から1970年代前半にかけて激化するベトナム戦争、あるいは、先の見えない東西の冷戦、そういった世界規模での地政学的な要因も本書では取り上げられておらず、県民生活の実体の描写の欠落とともに、私にはやや不満が残りますが、私のような専門外の人間にもわかりやすく沖縄の本土返還へのプロセスを明らかにした基調な記録であると考えます。

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最後に、板野博行『眠れないほどおもしろい吾妻鏡』(王様文庫) です。著者は、予備校のカリスマ講師です。同じ出版社から、『源氏物語』、『万葉集』、『徒然草』、『平家物語』などの「眠れないほどおもしろい」のシリーズを出版しています。ということで、『源氏物語』、『万葉集』、『徒然草』、『平家物語』などに比べて、『吾妻鏡』はややマイナーな歴史書なのですが、鎌倉幕府の特に執権得宗家である北条氏の準公式歴史書と位置づけられています。その『吾妻鏡』を本書では解説しているのですが、何と、同時代の『愚管抄』の著者である慈円に成り代わって解説しています。ですから、執権得宗家である北条氏のために話を盛っている部分を批判的に解説しているわけです。現在のNHK大河ドラマである「鎌倉殿の13人」の放送が続いていて、私はまったく視聴していないのですが、そういったドラマファンにはとても参考になりそうな気がします。もちろん、公家=貴族の時代から、平家政権の時期を経て、本格的な武家社会を画期した時代、とはいえ、まあ、とても血なまぐさいトピックでいっぱいです。現在の21世紀でもロシアの戦争犯罪が広くメディアで報じられているわけですから、まあ、当然なのかもしれません。少なくとも、徳川期まで数百年の間武家支配が続いていたわけで、そして、徳川期に武家の作法や心構えが出来上がるまでは、日本社会というのはかなり大雑把で、礼儀作法の心得がどこまであるか疑わしく、例えば、男女の性的な関係はいうに及ばず、主君への忠誠なんぞよりも下剋上を目指してがんばってみたり、生き残るためにはお味方を裏切るなんて日常茶飯事、といった社会であったと考えるべきです。ですから、本書もそういった時代背景を持つ『吾妻鏡』を正面から解説しているわけです。特に、公家社会から武家が支配する世の中となれば、武力でコトを決着する傾向は強くなったであろう点は疑いありませんし、平家のように都に悪慣れしない用心として鎌倉に本拠を置いたために、貴族的な礼儀作法よりも武家的な実力行使の能力が幅を利かせたであろうことは想像の通りなのでしょう。そういった内容が、私の想像通りに満載です。たぶん、あくまでたぶん、なのですが、一般的な『吾妻鏡』の入門書としては十分な内容ではないかと思いますし、NHK大河ドラマにインスパイアされての読書という点でもOKなのでしょう。ただし、私はこの著者の類書を読んでいないので十分な評価は出来かねますが、それは、『吾妻鏡』がややマイナーな歴史書であるためであろうと私は理解しています。すなわち、私ですら『源氏物語』や『平家物語』の現代訳は読んでいるわけですので、こういった超有名な古典文学を取り上げたシリーズでは、評価が違ってくる可能性がある、大いにある、という点は忘れるべきではありません。

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